彼を攫ってしまえば良かった

 縛って監禁して
 誰にも会わせない様にして

 自分以外誰も見ない様に
 自分以外誰も愛さない様に

 そんな歪んだ夢さえ
 今の自分にはまるで甘い睦言だった










片想い【30】











「っ……」


 ずるずると、玄関の扉に背を預けその場に崩れ落ちる。
 あのままあの場所に居る事が出来る筈もなく、仕方なくタクシーで帰ってくる間どうにか涙を堪えて。
 帰って来た瞬間に溢れ出した涙は留まる事を知らず、次から次へと溢れてくる。


「快、斗……快斗……」


 好きだ。
 彼が好きで好きで堪らない。
 こんなにも心は彼を求めているのに、もう二度と彼を求める事は出来ない。

 自分自身で壊してしまった。
 自分自身で崩してしまった。

 あの日あの時あんな事を言わなければ、こんな未来は来なかったかもしれない。
 あの日あの時あんな弱さを、あんな甘えを自分に許さなければ、こんな未来は来なかったかもしれない。

 それでも……過ぎた時間はもう二度と元には戻らない。



「好きだ……。好きなんだ……」



 でもその気持ちは、もう今日で捨ててしまわなければならない。
 そうでなければ……白馬に失礼だ。

 自分の未来の幸せを捨て、自分を抱き締めてくれた彼を自分は裏切る訳にはいかない。


「ごめん…快斗……」



 ――――お前が好きだと言えたら良かったのに…。








































 RRRRR…RRRRRR……


「んっ……」


 携帯の呼び出し音で意識が浮上する。
 節々が痛い。

 そうだ、昨日は散々泣いて。
 身体を引き摺る様にシャワーを浴びて。
 その後は、寝室に行く気力すら無く、結局リビングのソファーで横になって…。


「もしもし」


 半ば無意識で電話に出る。
 これは警察からお呼び出しが入る様になってからついた癖だ。
 何時でも、どれだけ深く眠っていても、携帯の呼び出し音が鳴れば、さっきまで寝ていたとは悟られないはっきりとした声で電話に出られるようになった。


『おはようございます。工藤君』


 ………が、それも相手によっては通じないが。
 新一は潔く負けを認め、無理をしていた声を素の物へと戻した。


「おはよう。白馬」
『今日は学校には来る予定ですか?』
「えっ…?」


 言われた言葉に壁に掛った時計を見て愕然とする。
 時刻は授業5分前。
 しまった……完全に遅刻だ。


『その様子だと、間に合いそうにはありませんね』


 苦笑気味に言われた言葉に、新一はうっ…と言葉を詰まらせる。
 全く、探偵が相手に全部手の内を読まれてしまっているというのも複雑だ。
 尤も、相手が探偵とあってはそれも仕方ないが。


「わりぃ…」
『いえ、僕は構いませんが…』
「?」
『工藤君。何かありましたか?』
「えっ…?」


 言われた言葉にドキッとした。
 流石は探偵。
 そこまで見抜かれてしまうとは……。


『何だか元気がない気がしたので』
「いや、別に…そんな事ねえよ」
『ならいんですが…』
「ただ単に目覚ましをかけ忘れて寝坊しただけだ。悪いけど明日ノート見せてくれるか?」
『ええ。構いませんよ』
「さんきゅ」


 今日の三限の授業だけは白馬と一緒だ。
 そのノートはとりあえずこれで確保したとして、後は同じ学科の奴にでも借りればいいだろう。


『それよりも、工藤君』
「ん?」
『…心配ですから、授業が終わった後少しでいいから会えませんか?』
「えっと……」


 言われた言葉に口籠る。

 確かに彼が言う様に元気は無い。
 そんなのは当たり前だ。
 あれだけ派手に―――失恋した後だ。
 元気が無くて当たり前。

 だからと言って、今こんな状況で白馬と顔を合わせるのは正直辛い…。


『僕に会いたくありませんか?』
「いや、そういう訳じゃ…」
『でしたら、授業が終わったら工藤君の家に伺いますよ』
「いや、白馬……」


 断ればきっと彼は余計に不振に思うだろう。
 そんな事は分っていた。
 本当なら、会って何でもない振りをして、そうして彼の事を抱き締めればいい。

 それで全部上手くいく。

 それは分っていても、心はついてこなかった。
 頭では冷静に対処法が浮かぶのに、心が嫌だと叫ぶ。


『……会いたくないんですね』
「はく…」
『分りました。今日は遠慮します』
「……ごめん」


 この言葉がどれだけ白馬に不信感を抱かせるか分っていて、それでも新一は謝罪の言葉を口にした。
 電話の向こうで、小さく白馬が溜息を吐いたのが分った。


『工藤君』
「………」
『……また明日、学校で待っていますよ』
「ああ…」
『じゃあ、また明日』
「ああ。また明日…」


 電話を切り、新一は大きく溜息を吐いた。
 これでは駄目なのに。
 こんなことでは駄目なのに。

 彼を選んだのは自分だ。
 彼を縛りつけたのは自分だ。

 それなのに、こんな風では白馬に悪い。
 それは分っていても、まだ心がついてこない。


 早く―――全て忘れられたらいいのに……。








































「………」
「………」


 視線がかち合って、お互いに睨みつける様な鋭い視線を送り合う。
 先に座っていた快斗がふいっと視線を外せば、何を思ったのか白馬が隣の席に腰を下ろした。


「…何でここに座んだよ」
「何処に座ろうが僕の勝手じゃないですか」
「だからって…」
「工藤君に何を言ったんですか?」


 ジッと切り裂かれそうな鋭い視線で尋ねられて、快斗はそんな視線を受け止める事すら出来ずに、机に視線を落とした。


「別に何も…」
「そうは見えませんが?」
「……お前に関係あるのかよ」
「ええ。彼は僕の『恋人』ですから」
「っ……」


 唇を噛んだ快斗に、白馬は安堵する。
 この分で行けば白馬が恐れている自体にはまだなっていない。
 快斗が新一に何を言ったかは知らないが、少なくともそれだけは確信できた。


「一体彼に何を言ったんですか?」
「………別にいいだろ。何だって」
「よくありませんよ。彼に余計な事を吹き込まないで貰えますか?」
「……言われなくてももうそんな真似しない」
「えっ…?」


 てっきりいつもの様に噛みつかれるのを覚悟でそう言えば、快斗からは常にない程弱々しい声が返ってきて、白馬は予想外の事態に言葉を失う。
 よく見れば、彼の目元は酷く赤い。
 その理由はきっと……。


「一体……何があったんですか?」
「別に何もねえよ」
「ですが…」
「安心しろよ。お前らの邪魔するような真似なんて…しないから、さ……」


 こんな弱々しい快斗は初めて見た。
 いつだって辛いことも悲しいことも何にもないみたいな笑顔で、いつだって余裕綽々で何だってこなしてみせるから。
 こんな彼は初めてだ。


「黒羽君…」
「だからもう、これ以上その話はすんな」
「………」


 余りにも切実な、まるで願いを請うかの様な言葉に、白馬は今はそれ以上言葉を紡ぐのは止めた。






























「じゃあな」
「待って下さい!」


 授業が終わり、片付けを済ませ早々に席を立とうとした快斗の腕を白馬は思いっきり引っ張った。


「わっ…! お前、何すんだよ!」
「このまま君を帰す訳にはいきません」
「っ…これだから『探偵』は嫌いなんだよ!」


 こっちがどれだけ傷付いているかなんて知らずに、どかどかと土足で心に踏み込んでくる。
 そうして散々踏み荒らして全てを白日の下に晒して。
 満足して彼らが立ち去る頃には、更にボロボロに傷付いた心が残るだけ。

 正直……今日はそれに耐えられる自信がなかった。


「知っていますよ。ですが…」
「新一にはもう手は出さない。それでいいだろ?」
「よくありません」
「……それ以上何が必要だっていうんだよ」
「何があったのか教えて下さい」
「言いたくない」
「黒羽君!」
「何を言われても言いたくない」


 耳も目も心も。
 全部全部塞いでしまいたかった。

 見たくない。
 聞きたくない。
 感じたくない。

 もうこれ以上何かに傷付いたら、きっと自分は壊れてしまう。
 もうこれ以上は耐えられそうになかった。


「そういう訳にはいかないんですよ」


 けれど、自分を見詰めてくる白馬の瞳は真剣だった。
 ああ―――コレは話を聞くまで離してくれなそうだ。
 頭のどこかで冷静な自分の声が聞こえた。


「……わあったよ。とりあえずここじゃなんだから…」
「僕の車が外に停まっています」
「…用意周到だな」


 これだから探偵相手はやり辛いと溜息を吐きながら、それでも諦めた快斗は白馬の後に付いて行くことにした。






























「……それで、一体何があったんですか?」


 快斗を車の中に押しやって。
 すぐさまそう尋ねてきた白馬に快斗はがっくりと肩を落としてみせた。


「お前さ…もうちょっと気遣いとか、デリカシーとか…」
「そんなもの君に使う必要があるとは思いませんが?」
「言うよなぁ…お前もホント……;」


 何とか茶化してはいたが、そろそろ快斗も限界だった。
 気を抜いたら泣いてしまうんじゃないかと思った。
 コイツの前でなんて絶対泣きたくないのに。


「…黒羽君」
「わあったよ。言えばいいんだろ、言えば」


 もうどうでもいいと思った。
 どうせ言わなければ帰してくれないし、新一程ではないがコイツにも嘘は通じない。
 認めたくはないが『探偵』としては、白馬だってきっとかなり良いレベルだ。


「……新一に告白して……見事に振られただけだよ」
「―――!」


 目を見開いて、そして快斗をまじまじと見詰めてくる白馬の視線に耐えきれず、快斗は白馬と反対の方へ顔を向けた。
 それでも向けられる視線が痛い。
 ああもう……苦しい。


「黒羽君…それは……本当ですか…?」
「ああ。だから―――」


 そう、自分は見事に振られた。
 いや、振られたどころではない。
 分ってしまった。
 最初から自分は新一に、これっぽっちも受け入れられてなんていなかったことが。



「―――お前が心配する事なんて何もねえんだよ」






























to be continue….



top