大切なモノは
 この手から零れ落ちた

 代わりに手に入れたのは
 優し過ぎる彼

 これが間違いだったのか
 これが正しいことだったのか

 今となっては
 それを知る者はいない










片想い【27】











「んっ………あっ……」


 ぱしぱしと瞬きをして、自分の置かれた状態を理解した新一は小さく声を上げ、慌てて口を塞いだ。
 隣に居る彼が目を覚ましていない事に安堵し、漸く口から手を離す。


 昨日は結局あのまま縋りつく様に泣き続け、寝室まで付き添ってくれた彼と一緒にそのまま寝てしまった。
 少し腫れぼったい瞼が、自分がどれだけ泣いたのかを物語っている。

 手近にあった目覚まし時計に視線を移して、溜息を吐く。
 一限の授業は完全に遅刻だ。
 今から用意をすれば三限の授業だけは間に合うが、流石にこの目の前の彼を今から叩き起こして学校に行く気にはなれず、新一は潔く自主休校を決め込んだ。


 隣で未だ眠ったままの彼の姿をそっと窺う。

 肌は白く滑らかで、色素の薄い髪はカーテンから洩れる光に少しだけ照らされて柔らかい色をしていた。
 これだけ近くで見ても、見惚れるぐらい造形の整った顔立ち。

 容姿端麗、頭脳明晰、それに加えて彼は何時だって誰にだって優しい。特に女性には。
 快斗と一緒に居るとついつい忘れがちになるが、彼だって間違いなくモテる男だ。
 その彼が、好きな人間を落とせないなんて可能性は限りなく低いと思う。
 アレは紛れもなく、自分のためについてくれた『嘘』だ。

 そう思うと、胸を締め付けられる思いがした。



「そんなに情熱的に見詰められると、何だか少し照れてしまいますね」
「っ! 白馬お前起きて…」
「ええ。恐らく君が起きる少し前から」


 言ってから開かれた白馬の瞳は、髪と同じく柔らかい色に染まる。
 それを新一は綺麗だと思った。
 彼の瞳には敵わないとは思うけれど。


「ったく、起きてんなら言えよ」
「あんまり君が可愛く見詰めてくれるから、ついつい寝たふりをしてしまったんですよ」
「は、白っ…!」


 彼の名前を呼ぶ前に、ぎゅっと彼の腕で身体を引き寄せられ、言葉が途切れる。
 近過ぎる視線に一瞬ドキッとする。
 それでも、彼の腕は余りにも優しくて温かい。



「好きですよ。工藤君」



 言われた言葉が胸に刺さる。
 昨日白馬は言った。

『付き合うからには、僕は君のことをそういう意味で好きになるつもりです』と。

 それを彼は違う事無く実行している。
 昨日寝る時も、ずっとずっと新一を抱きしめていてくれた。
 優しく髪を撫で、耳元で好きだと囁いてくれた。

 それが今の自分には余りにも痛い。



「…工藤君。気持ちは分りますが…」
「…?」
「そんなに複雑そうな顔をされると、僕も複雑なんですがね…」
「あっ……ごめん…」


 言った通り、複雑そうな苦笑を浮かべられて、新一は視線を少し下に下げた。

 白馬の言う通りだ。
 自分から白馬に付き合って欲しいと言った癖に、こんなのは余りにも失礼だと思う。
 余りにも彼の優しさに甘え過ぎだ。


「いいえ。僕の方こそすみません。君に無理強いをするつもりはない、と昨日言ったばかりでしたね」


 それでもそんな風に言って、ふんわりと笑ってくれる。
 あまりにも優しい彼の態度に新一は緩く首を振る。

 腹を括らなければならない。
 この気持ちとも決別しなければいけない。

 彼を想う気持ちはもう――――捨て去らなければならない。


「白馬…」
「はい」


 だから―――。




「俺もお前のこと…好きだよ」




 ―――――この気持ちにはもう、さよならをすることに決めた。








































「休み、か…」


 三限までの授業を終えて、今日一日姿の見えない二人が今日は自主休校を決め込んだのを確認する。
 きっと、あのまま一緒だったのだろう。
 そのままこんな時間まで姿を見せないのを考えると―――。


「あんな事言うんじゃなかった…」


 がっくりと項垂れて、机に突っ伏す。
 考えたくない。
 考えたくはない、が……付き合って間もない二人がそうならない事は考えられない。
 表面こそ紳士ぶっているが、白馬だって男な訳で。
 あれだけ綺麗な彼を腕に抱きとめたとして、そこまで理性が持つとは思えない。
 だとしたら、自分は変に二人を焚きつけてしまったのかもしれない。
 全くもって、唯の馬鹿だ。


(あー…新一の顔見たいなー…)


 事件の無い日は毎日彼の隣に居た。
 毎日彼の横で授業を受け、用事が無い時は一緒に何処かへ出かけたり、ご飯を食べに出たり。
 傍に居られて本当に楽しかった。
 自分の気持ちを自覚していなかった時も。
 きっと今、同じことが出来たなら、もっともっと一緒に居たいと思うのに…。


(女々しいな…俺……)


 あれだけ手酷く彼を傷付けて。
 それでも顔が見たいと思うなんて。
 何て女々しくて自分勝手なのだろう。


(でも……)


 謝ると決めた。
 だから、その仕込みも済ませた。
 後は――――。


(新一が来てくれたらいいな……)


 ―――彼が自分ともう一度会ってくれるかどうかだった。








































 昼過ぎに漸く起きだして、二人とも身なりを整えた後、ソファーの上、二人で身を寄せ合っていた。
 お互いにお互いを思って、言いたい事はきっと沢山あった筈なのに、それを互いを抱きしめる事で誤魔化していた。


「白馬、珈琲と紅茶どっちがいい?」
「工藤君は?」
「俺は珈琲」
「なら僕も…」
「無理すんなよ。お前は紅茶党だろ」


 抱きしめた腕の中、こつんと軽く頭で胸を叩かれる。
 それに白馬は苦笑した。


「すみません」
「何謝ってんだよ。別に好きなもん飲めば良いだろうが」
「ですが、お付き合い出来ないのはどうかと思いまして」
「いーんだよ。アイツなんか俺の前で珈琲もどきなんて…」


 言いかけて、新一は慌てて言葉を切った。
 少しだけ気まずい沈黙が流れた後に、それを振り切る様に、新一は白馬の腕の中から抜け出した。


「淹れてくるよ」


 視線を合わせるのを避ける様にキッチンへ逃げ出した新一を、白馬は複雑な表情で見送る。



 分っている。
 きっと彼の心の中から彼を追い出す事なんて出来はしない。
 そんな事は最初から分っている。
 そして自分が彼の心の中心の柔らかな部分に入り込めないことも。

 けれど、それでも彼の傍に居て彼を抱きしめる事を選んだ。

 選んだのは黒い鎖。
 選んだのは呪いの言葉。

 好きだという自分の言葉はきっと、呪詛の様に彼に絡みついて身動きを封じるだろう。
 少しずつ、けれど着実に。

 そうして、自分は綺麗な蝶を捕まえる為の蜘蛛の糸を周りに張り巡らせ続ける。


 ――――何て最低な愛情。




「白馬?」


 ことん、と目の前のソファーテーブルに置かれたマグカップで白馬は漸く我に返った。


「どうかしたのか?」
「いえ。何でもありませんよ」


 にっこりといつもの様に微笑めば、新一は綺麗な弧を描いている眉をきゅっと寄せた。
 そうして申し訳なさそうに横に腰を下ろした。


「ごめん」
「え?」
「ごめんな。白馬」


 言われた言葉の意味が分らず横に座った新一の顔を覗き込めば、その表情は酷く辛そうに歪められていて。
 それに白馬は胸が締め付けられる気がした。


 カレニコンナカオヲサセルノガタダシイコトナノカ
 カレニコンナカオヲサセテマデソバニイテイイノダロウカ


「お前はさ、ホントは好きな奴がいたのに…」
「工藤君」


 少し強く、彼の言葉を否定する様に名を呼べば、彼が横でビクッとするのが分って白馬は少し気配を和らげた。


「僕は言った筈ですよ? 君を好きになると」
「でも…」
「工藤君」
「………」
「僕は……君が好きですよ」


 ぎゅっと新一を抱きしめて。
 腕の中に閉じ込めて。

 白馬は狡い狡い愛の告白をする。



「だから、君は何も考えずに僕の傍に居てくれたらそれでいいんですよ」


 こくん、と小さく頷いた彼を心の底から愛しいと思った。






























「そろそろお暇しますよ」
「泊まってけばいいのに」
「いえ。今日は帰ります」


 二人で簡単に食事を済ませ、一緒に本を読み。
 二人して集中していたらいつの間にか結構な時間になっていて、そんな風に何とも無しに言ってくれた新一の申し出を白馬は苦笑して辞退する。
 全く、この目の前の彼はそういう事に関しては余りにも鈍過ぎる。
 恐らく、彼と同じ位に。


「僕も男ですからね。君みたいな魅力的な人を目の前にしては、理性の限界があるので」
「………っ…///」


 一瞬、何の事か分らないとぽかん、とした後、漸く意味する所に考えが行き当たって、新一は頬を真っ赤に染めた。
 そんな新一を心の底から愛しいと思う。


「そんなに可愛い顔をしないで下さい。帰りたくなくなってしまいますから」
「白馬っ…!///」
「冗談ではありませんよ。僕は……本気ですから」


 にっこりと微笑んで。
 さらっと何だかとっても恥ずかしいことを言って下さった白馬に新一は顔を真っ赤にする。
 そんな彼も本当に可愛らしい。


「名残惜しいですが、そろそろ帰ります」


 本当はこのまま押し倒してしまいたいぐらいだったが、流石にそんな事は出来ない。
 自分はあくまでも『優しい』人間で居なければならない。
 彼の思い描く自分の姿を崩してはいけない。
 そんなのは、優しく優しく彼の周りを身動きを出来ない様に固めていって。
 もう逃げられない所まで追いこんでからでいい。


「あ、ああ…。じゃあ、玄関まで送るよ」
「ありがとうございます」


 玄関先で靴を履いて、白馬は新一を少し引き寄せると、その頬にそっと唇を寄せた。


「おやすみなさい。工藤君」
「…お、おやすみ……///」


 途端にまた真っ赤になった新一に満足して、白馬は工藤邸を後にした。






























to be continue….



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