あの言葉が
あの瞳が
何を物語っているか自分には分っていた
きっと彼は思い違いをしている
きっと彼は勝手に思い込みをしている
だから……
このチャンスを
逃す手はないと思った
片想い【24】
ぎゅっと自分にしがみ付く新一のさらさらと指通りの良い髪を、柔らかく撫でる。
普段の凛とした彼からは想像も出来ない姿。
傷付いて。
泣き濡れて。
愛しい人が自分に縋りついてくれる。
酷い事をしている自覚はあったが、それでも白馬は幸せだった。
これ以上ない程、極上の幸福だった。
(でも、まさか……)
快斗があんな出方をするなんて、白馬としても少し予想外だった。
きっと新一があんな風に快斗に告げたなら、きっと彼の事だから次の日には何食わぬ顔で、けれど適度な距離感を持って極力普通に振舞うだろうと予想していた。
けれど、今日の快斗はあからさまに白馬に向けて敵意剥き出しだった。
まるで―――。
(黒羽君が工藤君の事をそういう意味で好きだったとは、ね……)
快斗の瞳の奥に、酷く熱く強いモノを感じた。
自分に向けられる鋭さも、新一に向ける愛しさも。
この腕の中の彼は気付いていないだろうが、白馬には快斗がああ言った理由も気持ちも、何もかも手に取る様に分っていた。
選ばれないのなら。
好きになって貰えないのなら。
傍に居られなくなるのなら。
―――いっそ嫌われてしまった方がいい。
白馬には決して出来ない思考だと思う。
自分なら、物分りの良い振りをして、どれだけ苦しくとも、どれだけ足掻いても、どれだけ細くとも、彼との接点を保とうとするだろう。
けれど彼は違う。
言うなれば、自分は優しく包み込むように。
言うなれば、彼は激しく燃やしつくすように。
それでもきっと同じ位の質量で、彼を愛している。
(依頼を蹴ってきて正解でしたね…)
依頼人には後日会うなんて大嘘だった。
思いっきり依頼を蹴ってきた。
昨日の今日で、心配になった。
彼と彼がこれ以上一緒に居る事が不安だった。
教室に入って、隣同士に座る彼らを見た時、胸の中にざわりと何かが蠢くのを感じた。
そして、彼の態度に不安を覚えた。
白馬がこの腕の中の彼を手に入れられたのは、彼らが余りにもすれ違いな思いこみをしていてくれたからに過ぎない。
そうなる様に仕向けたのは自分。
そうなる様に仕組んだのは自分。
そう、本当なら『両想い』の筈の彼らを引き裂いたのは、紛れもなく自分だ。
でも、それでも――――彼をこの腕に抱き止めたかった。
その為なら何でも出来た。
その為ならこれからだって何でもする。
心の中で暗く嗤って、白馬は少しだけ新一を抱く腕に力を込め、瞳を閉じる。
視界に広がった闇の中で、耳障りな嗤い声が聞こえた気がした――。
「っ………」
抑え込んだ嗚咽が、覆った手の隙間から溢れる。
受け止めきれないそれは、全て自分のせいだと快斗だって分っていた。
自覚した想いは、今更この胸を焼き尽くす。
焦がれても。
求めても。
彼はもう届かない所に行ってしまった。
彼はもう違う腕に抱かれてしまっている。
つい先日、彼を抱き上げた事を思い出す。
あの時、あの瞬間に何かを自覚していたとしたら、何か変わっていたのだろうか。
そんなくだらない事を考えて、緩く首を振る。
あの時自覚していたとして、きっと困らせただけだ。
今の状況と大して変っていなかっただろう。
『新一』の好きな人は―――『白馬』
それは快斗がどう足掻いても変わる事のない事実だ。
新一がそうと決めたなら、快斗が多少努力した所で、早々揺らぐ事はないだろう。
「情け、ね…え……」
幼馴染の時は、もうちょっと上手くやってやれたというのに。
今回はもう、全然駄目だ。
せめてもう少し上手くやってやれば良かった。
そうしたら…せめて『友人』ぐらいではいられたかもしれない。
でも、もう駄目だ。
もう何もかも、本当にどうしようもない。
自分が壊してしまった。
自分の手で壊してしまった。
幸せだった時間も。
幸せだった関係も。
温かかったこの場所も。
全部全部壊したのは自分だ。
「しん、……い…ち………」
もう呼ぶ資格など無いと知っていた。
彼はもう呼ばれたくないと分っていた。
それでも呟いたその名前は――――今更酷く甘く響いた。
「ごめん、白馬…。もう大丈夫だから……」
ひとしきり泣いて、少しだけ落ち着きを取り戻して、新一はゆっくりと顔を上げた。
けれど、やんわりと白馬の腕に押し戻されてしまう。
「はく…」
「もう少し、こうしていて下さい」
「白馬…」
優しさに、また泣けてきた。
切なさに、また泣けてきた。
傷付いた心には、白馬の声は余りにも甘く優しかった。
心のどこかで思ってしまう。
どうして好きになったのが、白馬ではなく快斗だったのだろう。
もし白馬だったなら、きっとこの優しさに包まれて、柔らかく幸せを掴めた筈。
でも――――。
(それでも……俺は快斗が好きだ………)
もしもう一度、彼に恋する前に戻ったとしても、きっと自分は快斗に恋をするのだろう。
結末が分っていたとしても、きっと快斗に惹かれてしまう。
だからと言って、もうどうする事も出来ない。
彼との『親友』としての関係すら、否『友人』としての関係すらもはやもう無理だ。
もう無理だった。
こんな想いは耐えられなかった。
逃げたと言われてもいい。
情けないと罵られてもいい。
今この腕の中に、そしてこれから先この腕に縋りたいと思ってしまったのは事実だ。
白馬だって知っている。
新一が快斗のことが好きなのだと。
それでも、新一の卑怯な告白に肯定の返事をくれた。
優し過ぎる彼に目眩がした。
(あれ……、でも……)
ぐちゃぐちゃの頭の中で、ふと引っ掛かった事があった。
そう言えば白馬は前に言っていなかっただろうか…。
好きな人が居る、と。
(俺…何てこと……)
そうだ。
彼は確実に新一にそう言った。
快斗と喧嘩をして、一人ベンチでやさぐれていた新一を心配してくれた時に。
自分のことで頭も心も一杯ですっかり忘れ去ってしまっていた。
だとしたら―――。
「白馬!」
「な、何ですか…?」
白馬の手を押し退ける様に急に顔を上げた新一に、白馬は驚いて瞬きを数度して、首を傾げた。
そんな白馬の腕から抜け出る様に、新一は手で白馬の胸を押す。
けれど…。
「もう少しこうしていて下さいと言ったでしょう?」
柔らかく、けれど力強く白馬の腕の中に再度抱きこまれてしまう。
そんな白馬に新一は小さく首を横に振った。
「出来ない…」
「出来ないって…」
「ごめん、白馬。俺がさっき言った事は忘れてくれ」
「工藤、君…?」
突然告げた前言撤回に白馬は一体何が起きているのか分らない、という様に新一をまじまじと見詰める。
白馬の戸惑いの含まれた瞳を、新一はじっと見上げた。
「お前とは付き合えない」
「急にどうして…」
「ごめんな、白馬。俺自分のことばっかりで、すっかり忘れてた…」
「何を…」
「お前、俺に前に言ったよな? 好きな奴が居るって」
「それは……」
言われて白馬は言葉に詰まる。
新一の嘘偽りを許さない瞳を見詰め、狼狽する。
新一の言葉に、素直に新一が想い人なのだと告げることも出来る。
きっとそれが一番の正攻法だ。
そうして彼が好きだと言ったこの口で、彼への優しい言葉を口にすればいい。
―――けれど、その瞬間、白馬によりどす黒い気持ちが生まれた。
もしも、もしも万が一にでも快斗と新一が相手の気持ちに気付いたとしたら。
その時新一が自分と付き合っていたとしても、快斗が意地でも新一を攫うだろう。
それは想像に難くない。
それに新一が頷けば、万に一つも自分に勝ち目はない。
自分が彼に勝てるとしたら、それは唯一、彼に『罪悪感』を植え付ける事だけだ。
だから……。
「いいんですよ。こんな君を放っておいて、僕だけ幸せになるなんて出来ませんから」
―――それは余りにも醜い『偽り』だった。
to be continue….