この感情に何と名付ければいいのか
どうしようもない『嫉妬』
どうしようもない『執着』
男女間のそれなら
例えば『恋』とか『愛』なのかもしれない
でも、彼へのこの想いは
何と名付ければいいのだろう…
片想い【22】
「ふぅ…」
授業の終わりを告げるチャイムと教授の声に、肩の力を抜いて、新一は机の上の教科書とノートを片付け始めた。
授業中、当然の様に横に座り、教授の話そっちのけで自分の好きな本なんかを読んでいた快斗の事が気になって仕方なかった。
勿論授業に集中など出来る訳がなかったのだが、彼を露骨に気にしている素振りを見せる訳にもいかず、格好だけは授業に集中している形を作っていた。
きっとそんな事快斗にはばれているだろう…。
少し憂鬱な気分でずるずると片付けていた為、いつの間にか教室からはほとんどの生徒が出て行ってしまっていた。
「なあ、しん…」
「工藤君」
そうして教室に誰もいなくなった頃、新一が漸く片付け終わって席を立ったのを見計らって快斗がかけた声は白馬によってかき消された。
「ん?」
「次の教室まで一緒に行きませんか?」
「あ、ああ…」
「何だよ白馬。俺のことは無視か?」
既に片付けを済ませ、いつの間にか新一の横に立って新一を連れ去ろうとした白馬を、快斗は座ったままむっと思いっきり不機嫌な顔をして見上げた。
けれど相手は白馬だ。
そんなものが通じる筈がない。
「僕は工藤君と一緒に授業を受けたいだけですから」
「…俺は邪魔だってか?」
「ええ」
「お、おい…白馬」
何もそんなにきっぱりさっぱり仰ってくれるなと新一が慌ててしまう程、笑顔できっぱりさっぱりそう言った白馬に、快斗は満面の笑みで言い放つ。
「でもきっと、新一は俺と授業受けたいと思ってるだろうけど?」
「く、黒羽っ!」
「何だよ、そんな他人行儀な呼び方しなくたっていいだろ? あの夜は……あんなに可愛い声で『快斗』って呼んでくれたのにv」
「っ――!」
「工、藤君……?」
快斗の余裕の笑みと、新一の余りの慌て様に白馬はさっきの笑顔を表情から消し去って、硬い口調で何かを尋ねる様に新一の名を呼ぶ。
そんな白馬を見詰め返す事が出来ず、新一は白馬から視線を逸らした。
そんな様子に、快斗は嫌味の様に口元を上げる。
「白馬。お前は知らなくていいんだよ」
「黒羽! お前いい加減に…」
「新一。だから言ってるだろ? 『快斗』って呼べって」
ジッと見詰める快斗の視線が、新一の心に刺さる。
冗談ではない。
その眼差しは余りに真摯だ。
「くろ、…」
「『快斗』だよ」
「……………快、…斗……」
まるで催眠術にでもかかった様に、新一の口から快斗の名が小さく洩れる。
それに満足して快斗は少し目元を緩めた。
「ねえ、新一。俺と白馬、どっちを取る?」
言いながら快斗は新一の腕を優しく掴み、柔らかく拘束する。
尋ねる声は余りに優しい。
向けられる顔は優しい笑顔だ。
けれど、彼の瞳―――。
――――綺麗な藍の奥に、ぞくっとする程の赤黒い炎の様な物が揺らいでいるのを新一は見付けた。
「かい…」
「俺を選べよ、新一」
見詰められて眩暈がした。
余りにも熱いその視線に思わず新一が頷きかけた時―――。
「やめてくれませんか、黒羽君。工藤君はもう―――僕のものなんですから」
そう仕向けた新一にさえ、衝撃的な一言が響いた。
次いで、新一を掴んでいた快斗の腕を白馬が払いのける。
それに新一が慌てて白馬に視線を戻せば、いつもの笑顔を向けられる。
でもその瞳は、やはり笑っていない。
「…どういう意味だよ」
「君だって工藤君に聞いたでしょう?」
「何を…」
「それは君が一番よく分っている筈ですが?」
にっこりと極上の笑みで微笑むこの男は、きっと御伽噺の王子様かの様にカッコイイのだろう。
女子連中が高校の頃から騒いでいたのを快斗は知っている。
けれど、その中に含まれるドロドロしたモノの方が、快斗はよく知っていた。
「ああ。新一に聞いたよ。でも…」
「ええ。彼は僕に本当は言う気はなかったんですよ」
「じゃあなんでそんな…」
「でも、僕もずっと同じ気持ちだったんです。それで漸く昨日彼に告白をした所なんですよ」
快斗が気付いてしまう様に。
新一が躊躇ってしまう前に。
白馬は偽りの事実を告げる。
明らかに快斗の瞳に、嫉妬や悔しさが滲むのが分ったが、それを白馬は笑みで押さえつける。
「だから工藤君にはもうあんまり馴れ馴れしくしないでくださいね」
勝ち誇る様に笑った白馬に快斗が唇を噛む。
その瞬間、内心のドロドロした物が一気に噴出してくるのが分った。
「…分ったよ。でもさ…白馬……」
勝ち誇る様に笑う白馬が許せなかった。
そんなコイツを好きだと言った彼も許せなかった。
自分がこんなにも傍に居るのに、自分ではなくアイツを選んだ彼が憎いとすら思った。
余りにも醜いと知っていた。
余りにも身勝手だと知っていた。
彼が傷付くのも。
彼が泣くのも。
全部全部分っていた。
でも、それでも、その瞬間に思ったのは――――選んで貰えないならいっそ、捨てられた方がマシだということ。
「新一とはもうやった訳? 俺が見た新一の身体は、細くて真っ白で…ホントに綺麗だったぜ?」
瞬間、新一が目を見張ったのが分った。
頭のどこかで、あんなに大きな瞳なのにあんなに見開いたら零れてしまうんじゃないか、なんてことを思った。
そして次に感じたのは……頬の熱と痛み。
「ふざけんなっ!!」
普段感情を荒げる事のない新一が快斗の頬を張り、真っ赤な顔で怒りに震えているのを快斗はどこか冷静に見ていた。
ああ…。
怒った顔も悪くない。
「俺は嘘は言ってないよ」
「お前、まだそんな…」
「新一が寝てる間、俺は充分に堪能させて貰ったけど?」
「っ…」
顔を歪めた新一の肩にそっと白馬が腕を回した。
快斗はその光景に吐き気すら覚えた。
「黒羽君」
「何だよ」
「言いたい事はそれだけですか?」
軽蔑する様な視線を白馬に向けられても、快斗は今更何も思わなかった。
そんな白馬に寄り添う様に支えられる新一を今更どうする事も出来なかった。
「だったら?」
「申し訳ありませんが、今すぐ僕達の前から消えて貰えませんか?」
口調こそ丁寧だが、白馬の瞳は今にも快斗を切り裂けそうな程鋭い。
その鋭さが何に裏打ちされるものか分っていて、快斗は敢えて同じ視線を返した。
「嫌だ、と言ったら?」
「君が行かないなら、僕達が出て行きますよ」
そう吐き捨てて、新一を支える様に教室から出て行く白馬を見ても快斗にはどうする事もできなかった。
その腕の中、彼の肩が怒りではない他の感情で震えているのは分っていた。
けれどそれも、今の快斗にはどうする事も出来ない。
出来るのはそんな二人をどこか冷静な、けれど壊れた頭と心で見送る事だけ。
姿が見えなくなっても、快斗はただ二人が消えた入口をずっと見詰めていた。
どれぐらいそうしていたのか分らない。
詰めていた息を吐き出して、机に視線を向けた時―――― 一粒の雫が零れ落ちた。
それは後から後から止めどなく落ちて、机の上に小さな水溜まりを作っていく。
「っぅ……」
頬ではなく、心が痛かった。
堪え切れない嗚咽を抑える様に、両手で顔を覆った。
痛い。
痛くて堪らない。
心が切り裂かれる様に痛む。
本当は彼を大切にしたいと思っていた。
彼の為に協力してやるのが一番良いと分っていた。
自分の本当の気持ちに今更気付いても遅かった。
もっと前に気付くべきだった。
もっと早く気付いていたら、もう少しどうにか出来たかもしれない。
でもそれも、全て後の祭り。
自覚した瞬間に終わっていただなんて、本当に―――どうしようもない。
ずっと名付ける事が出来なかったこの感情は―――――紛れもなく『恋』だった。
to be continue….