弱々しく響く声
微かに混じる涙
明らかに何かがあったのは明確
それが何か予測するのは簡単だった
それが何か確信するのは簡単だった
そして嗤う
自分の中のもう一人の自分が
暗く静かに…けれど明らかに嗤った
片想い【19】
『一体何があったんですか?』
電話の向こうから聞こえてくる声は酷く優しい。
その余りにも優しい声に零れてくる涙を抑える事が出来なかった。
「白、馬……俺……」
『黒羽君と何かあったんですか?』
嗚咽混じりになってしまってまともに言葉を紡げない新一が答え易い様に白馬は端的に、けれど優しく新一にそう尋ねてくれる。
それに新一は見えないと分っていて小さく頷く。
「ああ……」
『……一体、何があったんです?』
「………」
少しだけ間があった後に言われた言葉に、どう説明して良い物か分らず、新一は作りたくもない沈黙を生みだしてしまう。
それを急かすでもなく、ただ静かに新一の次の言葉を待っていてくれる白馬の優しさに、新一は意を決して言葉を紡いだ。
「快斗、に……言ったんだ……」
『何を…』
「……お前の事が………好きだって……」
電話越しに白馬が息を飲んだのが分った。
当然だ。
確かに白馬は『僕を君の想い人にしてみませんか…?』と言ってくれた。
だからと言って、それをそのまま新一がこんなに早く言うとは思っていなかっただろう。
自分の辛抱の無さに頭が痛くなってくる。
逃げ出した自分の弱さが憎い。
『工藤君…』
自己嫌悪でぐるぐるする頭の中に、白馬の優しい声が響く。
それが一種の安定剤となって、新一は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「しょうがなかったんだ。そう言うしかなかったんだ……」
未だ逃げている。
そう言う事で、白馬に肯定されたがっている。
それは……唯の逃げでしかないのは分っていた。
それでも……。
『ええ。そうです。そう言うしかなかったんですよ』
言われた言葉に酷く安堵する。
彼だって探偵だ。
白馬にはきっと分っている。
新一が――逃げたのだという事も。
けれど、それでも紡ぎだされた肯定の言葉は、新一を酷く落ち着かせてくれた。
「白馬……」
『はい』
「ありがとう…」
狡いのは分っていて、新一はその言葉を伝えた。
「………」
パタンと携帯電話を閉じ、白馬はそのまま手元を見詰める。
自分の予想通り、予定通りとは言え、想い人が今遠くで泣いているかと思うと、やはりいい気はしない。
小さく頭を横に振って、思いを振り切る様にソファーへと身体を沈める。
今白馬が居るのは自宅の自室だ。
新一から電話がきた時も部屋に居た。
最初に新一から電話がきた時、白馬は電話に出なかった。
そう、出られなかった訳ではなく、意図的に出なかった。
普段新一から白馬に電話がくる事など皆無。
その新一から態々電話がかかってきたという事は、よっぽどの事があったという事。
それも、先日快斗と飲みに行くと言っていたから、どう考えても彼絡みである事は必死。
だからこそ、最初の電話に出なかった。
彼に―――より傷付いてもらう為に。
傷付けば傷付くだけ、後の優しさが余計に染みる。
一度落胆した後の優しさなら余計だ。
「僕もほとほと……」
小狡い人間だと思う。
こんな手を使わずに、最初から優しく慰めてやればいいのに…とも。
けれど―――。
「それだけ僕は………」
続く言葉は、口の中だけで小さく呟いた。
パタンと携帯を閉じ、瞳を閉じるとゆっくりと深呼吸をする。
大丈夫。
大丈夫だ。
大分落ち着いた心と頭に少し安堵して、ゆっくりと瞳を開く。
案の定、白馬は優しい言葉で新一の行動を肯定してくれた。
それは今の新一にとっては何よりも救いだった。
やはり相手を白馬にしておいて正解だったと思う。
あの優しい友人はきっとこの先も新一の『偽り』の『真実』に付き合ってくれるだろう。
これでいい。
これで良かったんだ…。
小さく口の中で呟いて、それでも昨日の快斗のあの冷たい瞳を思い出すと少しだけその気持ちも揺らぐ。
それでももう、取り返しはつかない。
だとしたら……もうこのまま進むしかない。
全て飲み込んで。
今までと同じように……。
そこまで考えて、自嘲的な笑みが口元に上る。
もう無理だ。
きっと今までと同じようには居られない。
彼はきっと彼の事が好きで。
でもきっと同じぐらい、否それ以上に彼の事が大嫌いだ。
それに気付いたのは何度目かの現場の時。
どうして自分を『名探偵』と呼び、どうして白馬をそう呼ばないのか尋ねた時。
『俺はアイツを…アイツの中の「探偵」を多分一生許す事が出来ない…』
快斗は普段あの気障な怪盗の姿の時は――恐らく自分の中で切り替えているのだろう――素の口調で喋る事が余りない。
嫌味なぐらい丁寧で気障ったらしい言い方をする。
その快斗が、怪盗紳士らしくもなく眉を寄せ、口調すら素の口調で、冷やかにそう語った。
そうきっと快斗は彼を―――憎んでいる。
それは知っていた。
それは分っていた。
だからきっと新一が彼を好きだと告げれば良い顔はしない事も。
考えれば分った。
否、考えなくても分った筈だ。
けれど自分は、何処かで油断をした。
快斗の優しさに油断し、甘え、自分が楽になる事を選んだ。
きっと良き『親友』のままで居てくれるだろうと高を括った。
全て自分のミスだ。
「快、斗……」
切なくなって思わず小さく彼の名を呟く。
きっともう、明日以降こう呼ぶ事はないだろう。
彼はきっと自分を『工藤』と呼ぶ。
だとすれば自分も『黒羽』と呼ぶしかない。
もう……今までの様な何の蟠りもない『親友』には戻れない。
でも。
それでも……。
「俺は……ずっと、お前の傍に居たい……」
例え彼とぎくしゃくしても。
例え今までの様には居られなくても。
「…傍に居られたらそれでいいんだ………」
顔覆ったこの両手で、心まで覆えてしまえたら良かったのに…。
カラン……。
グラスの中小さく音を立てた氷をジッと見詰める。
少し溶け出してくるのを待たずに、グラスの中の中身を嚥下した。
喉を少し焼く様な熱さが今は心地良い。
スッとグラスを前に出して、『おかわり』とだけ告げる。
小さなバーのカウンターはこういう時心地良い。
「快斗坊ちゃま」
かけられた言葉に面倒そうに顔を上げれば、見慣れた優しい顔。
その顔が、けれど今は心配そうな表情を浮かべていた。
「何だよ、寺井ちゃん」
「飲み過ぎですよ」
少しばかり感じた寂しさの所為か。
普段余り立ち寄らないこの店にやって来たのは失敗だったかもしれないと思う。
優しいから。
優し過ぎるから。
自棄酒さえ止められてしまう。
「いいんだよ。今日は飲みたい気分なんだ」
「ですが、坊ちゃま…」
「寺井ちゃんが酒出してくれないなら、他の店で飲み直すけど?」
自分でも意地が悪いと思う。
それでも、そんな困らせる様な事を言ってでも、今日は飲みたい気分だったのだから仕方ない。
「仕方ありませんね…」
案の定困った表情を浮かべた寺井が諦めた様にそう呟くと、グラスに氷を入れウイスキーを注ぐ。
「どうぞ」
咎める様な視線も何のその。
差し出されたそれに満足して、快斗は口を付ける。
「一体どうしたんですか?」
「何が?」
「快斗坊ちゃまがそんな風にお飲みになるなんて…」
「珍しい、か?」
「ええ」
寺井の思考を違う事無く読み取って。
少し口の端を持ち上げて言う。
きっと寺井から見たら自嘲的な笑みに仕上がっているだろう。
「失恋でもなさいましたか?」
言われた言葉に、思わず吹き出した。
ああ確かに。
もしかしたらその表現は間違っていない。
男女のそれではないが、親友としては……。
「まあ、似た様なもんだよ」
質問に曖昧に笑った快斗に寺井は僅かに目を見張る。
目の前の自分の今の主は、贔屓目を除いたとしても、相当上質な男の部類に入る。
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群(スケート以外)、手先も口先も器用。
未だ先代には及ばないとはいえ、それもこれから年齢を重ね、経験を重ねればきっと先代以上の男になるのだろう。
そんな彼が……。
「寺井ちゃん。何もそんな意外そうな顔しなくたっていいだろ…ι」
彼が何を考えているかなんて、快斗には分り過ぎる程分っていた。
確かに自分がこんな風に酒を飲む事なんて、キッドの後以外はなかなか無い。
しかもそういう時は隠れ家で一人こっそりひっそり飲むから、その姿を誰かに見せた事は一度もない。
そんな快斗がこんな風に誰かの前で飲むなんて本当に珍しい。
昔から、何でもそつなくこなしてきた。
勉強、スポーツ、それこそ……恋愛も。
だから、自棄になる事などほとんどなかったし、こんな風に諦めに似た何かを抱く事も殆ど無かった。
寺井もそれを知っている。
快斗が失恋をしたのはきっと……あの幼馴染の彼女だけだ。
小さい頃から、あの場所での出逢いから、彼女とはずっと一緒だった。
ずっとずっと傍で見守って来た。
あの純粋過ぎる彼女の傍に居られた時間はきっと本当にかけがえのないものだった。
けれど――。
自分は『怪盗キッド』を選んだ。
彼女よりも、父親の仇を討つ事を選んだ。
そして……犯罪に手を染める事を選んだ。
彼女の手を掴むには、この手は余りに汚れ過ぎていた。
彼女の傍に居るには、この身は余りに穢れ過ぎていた。
苦しくて。
耐えられなくて。
先に逃げ出したのは快斗だ。
わざと大げさに女遊びをしてみせたり。
彼女をとっかえひっかえしてみせたり。
悲しそうに揺らぐ瞳を何度見たか分らない。
そして極めつけは―――自分が彼女に男を紹介してやったのだ。
相手は偶々飲みに行った先で知り合った3つ年上の男。
今時珍しいぐらい真面目で、優しくて、頼り甲斐のある良い男だった。
この男なら任せられると思った。
この男なら幸せにしてくれると思った。
だから紹介した。
快斗の真意が分らない程、青子は愚鈍ではなかった。
何時の間にか、幼いと思っていた幼馴染は聡い女性へ変わっていた。
快斗の真意を違う事無く受け取った彼女は、彼との交際を順調に進めていった。
後悔は無かった。
後悔などする権利は無いと分っていた。
けれどそれでも―――。
青子がその男に告白されて付き合う事にしたのだと言ったその日、快斗はここで今と同じように自棄酒をしていた。
それを思い出して、何だか少し笑えて来る。
『宿敵』であった筈の彼が、何時の間にか大切な幼馴染と同じ位無くてはならない存在になってしまっていたらしい。
「快斗坊ちゃま」
「ん?」
「そんなに…難しい方なんですか?」
神妙な顔をして言われた言葉に、快斗は思わず笑う。
ああそうだ。
きっと彼は一番―――。
「ああ。俺が敵わないんじゃないかと思う程、厄介な相手だよ」
to be continue….