君が何に苦しんでいるか分らない
君が何を憂いているのか分らない
けれど、それでも
君が何かに苦しんでいるのならば
手を差し伸べたいと思う
君が何かを憂いているのならば
その原因を取り除いてやりたいと思う
なあ、一体
お前は何に苦しんでいるんだ?
片想い【14】
「用意出来たか?」
「あ、うん…」
書斎から戻ってきた新一がひょいっとリビングを覗くと、既に快斗は帰り支度を済ませていた。
まあ、帰り支度と言ったって、せいぜい昨日着ていた服を鞄に詰めた程度だが。
「んじゃ、飯食いに行くか」
頷いた快斗と共に玄関を出て、鍵を閉める。
新一にはそれが酷く寂しい事の様に感じられた。
「快斗、お前何食いたい?」
「決めて出たんじゃないのかよ…ι」
歩き出したにも関わらずそんな風に尋ねてきた新一に快斗はがっくりと肩を落とした。
てっきりどこに行くか決めてから出たのだと思っていたのに。
「別に駅前に行けばなんかあんだろ」
「ったく、適当だなぁ…。そんなんじゃ蘭ちゃんとのデートの時も困るだろうに」
ぽてぽてと二人で歩きながら、そんなぶっきらぼうな新一に快斗は苦笑する。
分っていた。
彼のそのぶっきらぼうさは、自分を少しでも元気付けようとしてくれているためだと。
勤めて、普段通りに接しようとしているのだと。
だから、快斗も冗談めかしてそうやって言ってみたのだが…。
「なあ、快斗」
「ん?」
普段ではないぐらい、酷く真面目な声で自分の名前を呼ばれ、快斗は横にある新一の顔を見詰めた。
その目は何だか酷く真面目だった。
「俺、ホントは……」
「ん?」
「………いや、何でもない」
「何だよ、それ」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
「………分った」
新一が何かを言い淀むなんて珍しい。
珍しいというか、そんな事殆どない。
けれど、快斗はそれ以上突っ込もうとはしなかった。
………新一が何だか酷く気まずそうな顔をして、真っ直ぐ前を向いてしまったから。
だから、快斗も真っ直ぐに前を向き、そんな新一の横をぽてぽてと駅の方へ向って歩いた。
「さてと、何処に食いに行くか…。快斗、お前なんか気になる店とかあるか?」
駅前に着けば、流石は土曜日。
街は人で溢れていた。
流石に駅前という事もあって、いくつもの店が立ち並んでいる。
それらを眺めながら、快斗はうーん…と考える。
「新一ってこの辺詳しいよな?」
「まあ、そりゃ地元だからそれなりにはな」
「じゃあ、新一に任せるよ」
先日の事といい。
先程の事といい。
そりゃもう、若干癪ではあったのだけれど、店は新一に決めて貰った方が良いだろう。
エンターテイナーを自負する快斗としては、それは酷く癪ではあったが。
「そうだなぁ…。んー…とりあえず、和洋中、どれがいい?」
「そうだねえ…どれでもい……」
『どれでもいい』と言いかけて、頭の中に思いついた可能性を打ち消す様にぶんぶんと快斗は首を横に振った。
それに首を傾げる新一に、快斗は慌てて言う。
「和食以外ならどれでもいい!」
「………そういう事かι」
慌ててそう言った快斗の思考をすぐさま新一は理解した。
和洋中。
どれに一番快斗の苦手な物が使われるか。
そう、快斗の嫌いな物と言えば――――例のアレである。
まあ、どれでも使われる可能性はあるが、その可能性が一番高いのは和食だろう。
煮て良し。
焼いて良し。
生でもなお良し。
魚嫌いにはそりゃもう、堪らないだろう(爆)
「しょうがねえなぁ…。じゃあ、寿司でも食いに…」
「こらっ! 新一!!」
からかいついでにそう言ってやれば、横ですぐさま発狂した快斗に新一は声を立てて笑う。
快斗がここまで慌てふためく姿も中々見れる物ではない。
だから、面白くってついついからかってしまう。
「分った。分ったよ。しょうがねえから、和食はやめてやるよ」
「………感謝します;」
本当に、胸を撫でおろすというのを素でやってくれる快斗を笑いながら、新一は自分のテリトリーの中の店を頭の中で何軒かピックアップする。
そうしてその中でも、気取らずに、けれどゆっくり食事の出来る店を考えて、更に――歩くのが非常に面倒なので――この場所からさして遠くない場所を考えて、一つの店に絞り込んだ。
「中華もアレだしな…洋食辺りにしとくか」
「はーい♪」
「……何だその、『良い子のお返事』の見本みたいな返事は」
「だって俺良い子だもんv」
そりゃ確かにコイツは『キッド』な訳で。
『子供』である事には変わりないのかもしれないが、良い子かどうかは非常に怪しい(爆)
「お前が『良い子』だったら、俺は『激良い子』だ」
だから、皮肉の様にそう言ったというのに、それに返ってきたのは、酷く満足そうな笑顔だった。
「そうだよ。新一は物凄く『良い子』だもん♪」
「………」
皮肉ってやったというのに、ものすごーく真っ直ぐな答えが返ってきて、新一はがっくりと肩を落とした。
そして、コイツの相手を真面目にした所で、自分が疲れるだけだと今更ながらに悟った。(酷いよ、新一…;by快斗)
「……とりあえず、食いに行くか」
これ以上その話題には触れず、新一はとりあえず目的地を目指す事に専念したのだった。
駅から真っ直ぐ大通りを抜け、少し人通りが少なくなった所で新一は脇道に入った。
当然の事ながら、その細い道には人はまばらにしか歩いていない。
そんな静かな道を少し歩いた所に、その店はあった。
『trattoria』と名前の付いたそのレストランは、その名通り小さなイタリアンのレストランだった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
4人掛けのテーブルが2つ。
2人掛けのテールルが3つ。
こじんまりとしたその店は、内装も少し可愛らしい感じの店で、快斗は少しだけ違和感を感じた。
「2人で」
「かしこまりました。こちらの奥のお席へどうぞ」
通されたのは、一番奥の4人掛けの席。
席が空いている為、2人でもゆったりと座れるようにそちらに通されたらしかった。
水とおしぼりとメニューが置かれ、店員が去った頃、快斗は新一に尋ねた。
「ねえ、新一」
「ん?」
「ここ、蘭ちゃんと一緒に来たりしたの?」
「いや、蘭とは来てない…」
メニューに視線を落としていた新一の顔が一瞬引き攣った様な気がしたけれど、だからといって新一が嘘を吐いている様には見えなかった。
というか、嘘を吐く理由もないのだが。
だから快斗は自分の予想が外れた事に少し違和感を感じ、新一にさらに尋ねる。
「いやさ、新一がこういうとこ来るのちょっと意外だなーって思って。どっちかって言うと女の子の方が好きそうなお店だと思って…」
「……さんだよ…」
「え?」
余りにも小さな声で聞き取れずにもう一度聞き返せば、若干むくれた様な顔で新一は言う。
「母さんに一回連れてきて貰ったんだよ。んで、上手かったから偶に来るんだ」
「一人で?」
「悪いか?」
「いや、悪くないけど……」
何だか物凄く違和感を感じるけれど、悪い訳ではない。
それでも、何だかちょっと意外で、快斗はほんの少し笑みを零してしまう。
それが新一には余計に気に入らなかったらしい。
「悪かったな。意外で」
「だから、悪い訳じゃないってば」
「……とりあえず、さっさと何食うか決めろよ」
どうやら少しご機嫌斜めにしてしまったらしい。
ぶっきらぼうにそう言ってそっぽを向いた新一の機嫌をこれ以上下降させない様に、快斗はそそくさとメニューを決めようと試みる。
「新一は何頼むの?」
「六季コースの“夏涼”」
言われてメニューを見てみれば、どうやら1年を6つの季節に分けてコースにしたてたコース料理らしい。
7月8月は、“夏涼”というコースらしい。
ソレを見て、快斗はふむっと考える。
「じゃあ、俺もそれにしようかな」
「……なあ、快斗」
「ん?」
「それ、コースだから…」
「分ってる。新一、皆まで言っちゃダメ」
「………」
念を押されかけ、快斗は新一のその先に続くであろう言葉を封じる。
勿論快斗とて分っている。
コース料理である以上は……。
「それだけはじいてもらうから大丈夫」
「………ったく、しょうがねえなぁ……ι」
全く…、と呟きながらも新一は店員を呼ぶ。
「お決まりですか?」
「はい。夏涼コースを2つで」
「かしこまりました。何かお嫌いな物は御座いますか?」
「僕は無いんですが、彼が…」
言いかけて、新一が目の前の快斗を見れば、慌てて耳を塞いだ快斗。
それに苦笑を浮かべながらも、耳を塞いでいるのを確認して新一は続けた。
「魚が苦手なので…」
「かしこまりました。貝類は大丈夫でしょうか?」
「………」
答えを求める様に目の前の快斗に目を向ければ、こくこく頷いている。
そう言えばコイツ読唇術出来るんだよなぁ…なんて思いながら、新一は頷いた。
「はい。大丈夫です」
「かしこまりました。コースの最後のお飲み物は何になさいますか?」
「僕は珈琲で」
「僕は紅茶で」
アレの話が終わったのを察して手を外していた快斗がすかさずそう言う。
その素早さは新一も舌を巻く程だ。
流石は怪盗なんて奇特な物をやっているだけある、と内心変な関心をしてしまう。
注文を取り終えた店員が厨房へ行ってしまった後、呆れた様に新一は快斗に視線を向けた。
「ったく、そんなに嫌いなのかよ」
「しょうがないでしょ。人間駄目な物の一つや二つはあるの」
「ふーん…」
「新一だってカラオケ嫌いじゃん」
「……お前喧嘩売ってんの?」
にこやかーに優しい口調で言って下さる割に目は笑っていない。
いけないいけない。
こんな所で口喧嘩をしたい訳ではない。
「いや、そんな事ないよ! うんうん!」
「ならいいけど…」
絶対良くないと思っている顔で、そう言葉を紡いだ新一に苦笑いで返して。
それでも、こんなのも悪くないと快斗は思う。
こうやって、軽口を叩きあって。
こうやって、お互いをからかい合って。
そんな普通の友人を、目の前の親友を―――今はとても愛しいと思う。
快斗の全てを見せられる人間なんて。
快斗の全てを知っている人間なんて。
余りに少なくて。
それが辛いなんて自分で選んだ道だから口が裂けたって言えないけれど、それでもこんな時に思う。
こんな人が一人でも居てくれたのが―――今の自分にはどれだけ救いか分らないと。
「なあ、快斗」
快斗の心の中を知ってか知らずか。
少しの沈黙の後、少し真面目に向けられた新一の瞳に快斗は首を傾げる。
さっきもそうだ。
最近の新一は時々こんな目をする。
「何?」
「あ、いや……」
言いかけて。
言い淀む。
繰り返されるらしからぬ行為。
こんなのは新一らしくない。
そう思う。そう感じる。
「どうしたの? 言いたい事があるなら言えば良いのに…」
「そうなんだけどさ…」
再度口籠った新一に、快斗は小さく溜息を吐くと、少しだけ新一を後押ししてやる。
「さっきもそんな顔してたよ」
「さっ、き…?」
「そう。俺が『そんなんじゃ蘭ちゃんとのデートの時も困るだろう』って言った時」
「っ――!」
確信を突かれたかの様に分り易い反応をしてくれた新一の心情を察して、快斗はにこやかに笑ってやる。
「相談なら俺が乗ってやるよ」
「快斗…」
「どうせ、蘭ちゃんとの事で悩んでんだろ?」
「………」
こめかみに手を当て、俯き加減で首を振る新一に快斗は首を傾げる。
きっとそんな事絡みだと思っていたのに…。
どうやら自分の勘も当てにならないらしい。
「だったらどうしたんだ? そんな風に言いかけて止めるなんて新一らしくない」
いつだって真っ直ぐに『真実』を見詰めて。
いつだって貪欲なぐらい『真実』を求め続けて。
こんな風に悩む彼はらしくないと思う。
何が彼らしいかなんてそんな風に勝手に決めつけるのは快斗とてしたくはないが、それでも、いつもの彼らしくない。
「分ってる。分ってんだよ…」
繰り返される言葉に、言っている新一本人が溜息を吐く。
まるで答えが分り切っている癖に、それを否定する様なそんな態度。
それこそ『真実』をいつだって真正面から受け止める彼らしくない。
「だったら…」
「俺だって分ってる。でも……分ってても……どうしようもないんだ」
新一の言葉に、快斗は驚いて、驚くなんて言葉じゃ足りない程驚愕して目を見開いた。
小さくなったって。
どれだけ身体が苦しくったって。
新一がこんな風に何かをする前に、諦める様な言葉を言った事を聞いた事がなかった。
こんな…最初から何かを諦めてしまっている様な新一を快斗は見た事がなかった。
快斗としても。
キッドとしても。
「なあ、新一……」
言いかけた頃、厨房から前菜を持ってこちらにやってくる店員の姿が目に入って、快斗は一度言葉を切った。
「こちらが前菜の夏野菜と大山鶏のマリネになります」
そうして、料理が置かれ、店員が再び厨房の方に戻ったのを確認して、再度快斗は口を開いた。
「そんな風に最初から諦めを口にするなんて、それこそ新一らしくない」
「………」
「お前はいつだって何だって真っ直ぐ『真実』を見詰め続ける『探偵』なんだろ?」
「………」
快斗の言葉に、新一は返す言葉を探しあぐねているのか、それとも最初から返す言葉が存在しないのか。
それ以上何かを言う事が出来ずにいた。
だから、それ以上そんな新一を見ていられなくて……快斗はわざと、誤魔化す事に決めた。
「まあ、恋愛相談ならいつでもしろよ。俺が幾らだって乗ってやるから。あ、でも俺の相談料は高いからな?」
「………幾らとんだよ」
茶化してそんな台詞を言った快斗の真意を察してだろう。
少しだけ、ほんの少しだけ口元に笑みを上らせて訪ねた新一に快斗はにっこり笑って言ってやる。
「とりあえず……来週の昼の学食は工藤の奢りだな」
to be continue….