たった一言
 時間にすれば一瞬

 けれどそんな一瞬が
 けれどそんな一言が

 少しだけ
 関係を動かす瞬間もある










片想い【11】











「さて、と…」


 気持ち良さそうにすやすやと眠る新一に安心して、快斗はそっと立ち上がった。

 リビングはまだ、散らかったままだ。
 片付けておかないと起きた時にまた何を言われるか分らない。
 先に片付けておくに越した事はない。

 新一を起こさない様に足音を消し、そっと扉を開けようとした所で微かな声が聞こえた。






「快、斗……」


「えっ…?」






 起こしてしまったのかと慌てて振り返っても、すやすやと寝ている彼の姿があるだけ。
 それに、快斗は一瞬驚いて、そして次の瞬間小さな笑みを零した。


「ったく、普段は呼ばない癖に…」


 最初に仲良くなった時に当然の如く快斗は自分のことを名前で呼ぶ様に新一に言った。
 それでも、それを頑として受け入れなかったのは新一だ。
 そして、新一は快斗に名前で呼ぶ事も許してはくれなかったというのに……。


「寝言だと人は素直だって言うのはホントかね…」


 何処かで聞いたことを思い出して、苦笑する。
 全く、素直じゃないというか、何というか…。


「起きてる時も、そう呼んでくれればいいのに」


 口元に苦笑を浮かべたまま、快斗は寝室を後にした。








































「んっ……」


 ゆっくりと意識が浮上する。
 重い瞼を無理矢理持ち上げれば、遮光カーテンと言えども完全に防ぎきれなかった薄い光が視界に入った。
 どうやら朝らしいと認識して、ゆっくりと起き上がって昨日の事に思いを馳せる。

 昨日は快斗と飲んで。
 カラオケに行って。
 そしてその後結局自分の家で飲んで…。

 そこでやっと気付く。
 自分がどういう経緯でここに運ばれ、そして今どういう経緯で起きたのかを。


「っ……///」


 昨日の色々(…)を思い出して、頬に熱が集まる。
 自分で触っても分るぐらいのその熱に、恥ずかしさが余計に込み上げる。

 そして同時に、不味い、とも思った。
 近付き過ぎている。確実に。


「友達だ。アイツと俺は友達なんだから…」


 自分に言い聞かせる様に、呪文の様にそう呟いて、そしてはたと気付いた。


「そう言えば……アイツ、あの後どうしたんだ?」


 新一が慌てて着替えて、洗面所で顔を洗いリビングに駆け込んだのは、その5分後だった。








































「おはよーv 良く眠れた?」
「………」


 新一の足音を聞きつけてか、キッチン方面からリビングへやってきた快斗の格好に新一は絶句した。
 ピンクのフリフリエプロンを付けた大学生の男が目の前に立っているなんていう異常な光景を、何故朝から目にしなければならないのか。


「どうしたの?」
「どうしたの、じゃねえよ。何だ、その格好」
「有希子さんから借りたんだよ。あ、勿論本人の承諾は貰ってるからv」
「………は?」


 言われて、新一は首を傾げる。
 快斗と両親を会わせた事などない。
 勿論面識がある訳もないし、一緒に居る時に両親から電話があった時も快斗にかわった事など一度もない。


「昨日優作さんのワイン飲んだでしょ?」
「あ、ああ…」
「だから、お礼言うのに電話かけたら有希子さんが出たからさ、お礼と世間話した後についでに聞いたんだよ」
「つーか、何ナチュラルに仲良くなってんだよ」
「いいじゃん。有希子さんと色々お話出来て楽しかったよ♪」
「………」


 人が知らない所で勝手に人の母親と仲良くなっているらしい。
 天性のタラシと言うか、何というか…。
 溜息を吐きながら、新一は先を促した。


「で、母さんについでに何て聞いたんだよ?」
「『朝食を作りたいんですが、エプロンをお借りしてもいいですか?』って」
「………」


 女の子に言われたらそれこそ誤解を生みそうな台詞(…)だが、相手は大学生の男。
 まあ、素直に貸しても不思議ではない。


「そしたらね、『新ちゃんのこと宜しくねvv』って言われたよ♪ いやー、ちゃんと新一の親友って認めて貰えたって事だねv」
「………」


 言われた言葉に新一はさっき考えた事を訂正する事にした。
 快斗がした完璧な声真似は、完全に母親のニュアンスを新一に伝えていた。

 確実に快斗の言う『親友と認めて貰えた』とは違うだろう。
 そりゃもうきっと、『色んな意味で宜しくねv』という所だろう。

 そんな母親からかかってくるであろう今後の電話を思い浮かべて、新一は思いっきり溜息を吐いた。


「工藤、どうしたの?」
「何でもない……」


 何だか朝から一気にやる気が削がれた気がする。
 ゆっくり寝た筈なのに、どっと疲れが襲ってきた。


「……もっかい寝る」
「ちょ、ちょっと! 新一!!」


 がっくりとして部屋に引き返そうとした所を、快斗に後ろから引っ張られる。


「何だよ」
「朝食作ったからせめて食べてから寝なよ」


 そうにこやかに言う快斗に、内心で更に溜息が洩れる。

 全く。
 にぶにぶもここまで来ると本当に罪だと思う。

 昨日あんな事があって。
 あんな寝かしつけられ方をして。

 恥ずかしいやら、照れるやらで、新一としては顔を合わせ辛いというのに、当の本人はそんな事などなかったかの様にナチュラルに接してくる。
 変に気不味くなるのも嫌だが、ここまで何もなかったかの様にされても正直複雑だ。

 全く意識していないのだと言う事をありありと感じてしまって、逆に切なくなる。
 男相手だから当たり前と言えば当たり前だが、自分が―――友達としてしか認識されていないと再確認させられる。


「つーか、お前何ナチュラルに朝食とか作ってんだよ」
「……迷惑だった?」


 途端に自信なさそうにそう言われて、新一は小さく溜息を吐く。
 それに余計に涙目になりそうになった快斗に新一は慌てて声をかけた。


「別にそういう訳じゃねえよ」


 ぶっきらぼうに響いてしまったのは仕方ない。
 そういう風にしか接する事なんて出来ない。
 彼が何もない様に接するなら、自分だって何もない様に接するしかないのだから。


「だったら、ちょっとで良いから食べてよ。ね?」
「わあったよ…」


 だから新一も、知らぬ顔をする。
 いつも通り。そう、いつも通りに接する事に決めた。








































 まだ少し眠い目を擦りながら、ダイニングテーブルに辿り着いた新一が見たのは―――。




「………お前、後ろにチャックとか付いてて、実は中におばさんとか入ってねえか?」




 ―――そりゃもう見事な和朝食だった。


 白いご飯と。
 湯気を立てている味噌汁と。
 人参、きゅうり、大根という定番の漬物と。
 そして、一体いつの間に煮たのか分らない野菜の煮物と。


 しっかりきっちりな和朝食。
 これで焼いた鮭の切り身でもあれば完璧…と思った所で気付く。


 そういやコイツ、魚駄目だったな…;


 そうは言っても、代わりとばかりに少し多めに乗せられた煮物は見た目からしてかなり美味しそうで。
 料理が余り得意ではない母親が居た時から考えても、こんなにしっかりした朝食がこのダイニングテーブルに乗ったのはきっと初めてかもしれない。


「入ってるって言ったらどうすんの?」
「とりあえず、チャック開けて確認する」
「いやんv 新一のエッチvv」
「馬鹿言ってんじゃな…」


 ない、そう言おうとした所で、さっきから感じていた違和感に気付いた。


「つーかお前、何普通に俺のこと名前で呼んでんだよ」
「あれ? 今頃気付いた?」
「今頃気付いた?じゃねえよ。何で今更…」
「新一が俺の名前呼んでくれたからv」
「……え?」


 何だかものすごーく嬉しそうにそう言われて、新一は固まる。

 思い当たる節などない。
 昨日だって、確かに飲んではいたけれど記憶はしっかりある。
 快斗を名前で呼ぶなんてヘマはしていない。
 していない……筈だ。


「ちゃんと昨日呼んでくれたじゃんv」
「俺は知らない」
「酷いなー。やっぱり人って寝てる時のが素直なのかねえ」
「どういう意味だよ」
「昨日、しっかり呼んでくれたんだよ。寝言で『快斗』ってvv」
「―――っ!」


 言われて、新一はそりゃもう目を見開いてそして固まった。

 寝言なんて知らない。
 本人は寝てしまっているのだから、知っている筈などない。


 新一だって、本当は快斗の名前を呼びたくない訳ではない。
 最初だって、快斗に名前で呼んでくれていいと言われて嬉しくなかった訳ではない。

 けれど――自分の想いが進んでしまわない様に、決してそれを許さなかった。

 今まで我慢していたと言えば、我慢していた。
 押し止めていたと言えば、押し止めていた。

 だから確かに快斗の言う様に、寝ている時に素直になるとしたら、もしかしたら言ってしまったのかもしれない。
 かもしれないが……。


「俺は知らない! 聞き違いだ! 絶対に聞き違いだ!」
「そんな事ないよ。じゃあちゃんと再現してあげ…」
「しなくていい!! 絶対にしなくていい!!」


 快斗の事だ。
 きっと完全に新一の言い方をコピーしてくれるのだろう。
 そんなもの、恥ずかしくって絶対に聞く事なんて出来ない。


「じゃあ、言ったって認めるんだ?」
「認める訳ないだろ! 大体、寝てるんだから本人が分る訳ないだろうが」
「それもそうだね。でもまあ、言ったのは事実なんだから、俺も『新一』って呼ばせてもらうからねー♪」
「呼ぶな! 今すぐやめろ!!」


 これ以上、これ以上はきっと耐えられない。
 昨日の今日でそんな風に呼ばれて。
 きっとこれからも昨日の様な事があったりしたら。

 きっと―――自分は想いを内に留めておけない。

 にぶにぶだと言っても、そのうち気付かれるかもしれない。
 そうしたら、気持ち悪いと思われて、友達ですら居られなくなるかもしれない。
 そんなのは……そんなのは……耐えられない。


「何でそんなに嫌なの? 俺達友達だろ?」
「それはそうだけど…」


 それ以上、新一は言葉を紡ぐ事が出来ずに俯いてしまう。

 いっそのこと本当の気持ちを言えたらどれだけいいか。
 自分の気持ちを素直に告白する事が出来たらどれだけいいか。

 けれどそんな事は、間違っても言う訳にはいかない。


「何か嫌な思い出でもあるとか? 何か昔嫌な思いしたとか…」
「いや、そういう訳じゃない…」


 ここで頷けば、快斗は決して無理強いしないと分っていた。
 それでも、これ以上快斗に嘘を吐きたくなかった。

 言ってはいけない事以外は、もうこれ以上自分の好きな人に嘘を吐きたくなかった。


「じゃあ、何で…?」
「………」


 言い訳など思いつかなかった。
 嘘など吐きたくなかった。

 だから、何も言う言葉など思いつかずに新一は黙ってしまう。


 数秒が数十秒に感じられ、沈黙が苦しくなった頃、快斗は小さな溜息を吐いた。


 それに新一はビクッとする。
 呆れられたかもしれない。
 たかが名前の呼び方ぐらいで、と。
 嫌われたかもしれない。
 友人であるのに名前ですら呼ばせてくれない、と。

 けれど、結果はそのどちらでもなかった。


「言いたくないならいいよ。もうこれ以上聞かないから」
「黒羽…」
「ごめん。俺が無理強いし過ぎたね」


 少し寂しげに響いた言葉に新一が顔を上げれば、そこには予想した通り、少し寂しげな笑みを浮かべた快斗の顔があった。
 それに、新一の胸が痛まない訳がなかった。


「ごめん、俺…」
「いいんだよ。ごめんね、工藤」


 言われた名前に、チクリと胸が痛む。

 正直に言えば本当に嬉しかった。
 彼に名前で呼んで貰える事が。
 近くなった気がした。
 彼との距離が少しだけ。

 だから―――。


「新一でいい」
「え…?」
「新一でいいって言ってんだよ…」
「く、……いや、新一。本当にいいの?」
「いいって言ってんだから、いいんだよ……」


 勝てる筈がなかった。
 快斗のあんなに寂しそうな顔に。
 そして、自分の本当の気持ちに。

 だから、ぶっきらぼうにそう言ってそっぽを向いて。
 自分が今どんな顔をしているかなんて、快斗に見られない様にして、新一は何ともない様に言う。


「別に名前だろうが、名字だろうが、大した違いなんてないだろ」
「だって新一今まで散々嫌がって…」
「気が変わったんだよ。気が」
「いや、あの……。気が変ったって……;」


 がっくりと肩を落とす快斗を少し笑ってやりながら、新一は自分の意志の弱さに頭を痛めていた。

 離れなければと思ったのに、一緒に飲みに行って。
 距離を取らなければいけないと思ったのに、結局後期のカリキュラムの件も断りきれていなくて。
 あまつさえ、カラオケだの、挙句の果てには宅飲みだのをして。
 最後には寝かしつけてもらって。

 どうしようもない。
 本当にどうしようもない。

 けれど、きっと本当はずっとずっとそうしたかったのだ。

 彼の傍に居て。
 彼の温度に触れて。
 ずっとずっと彼と一緒に居たいと願っていた。

 それが例え―――友達であったとしても。


「いーだろ。男なら細かい事は気にすんな」
「いや、あんまり細かくない気が…」
「んなこと言ってないで、さっさと飯にするぞ。―――快斗」


 一瞬間があった後、本当に音がしそうな程ぱあっと明るくなった快斗の顔を見て、新一は今は少しだけ自分の気持ちに正直になっておく事に決めた。






























to be continue….



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