どうしても手に入れたい

 そう思った
 そう思ってしまった

 だから一番卑怯な手口で
 貴方を手に入れる










脅迫(ver.bitter)











「何の用だよ。こんなところに呼び出して」


 いつもの深夜の屋上。
 違う事と言えば、今日は彼の予告日ではなかった。

 ただ、新一の元へだけ招待状が送られてきた。
 だからこれは唯の密会。

 来る必要性は新一にはなかった。
 けれど、ただ無視をするのは気が引けた。
 ただそれだけの事。


「元の姿に戻られた記念にお祝いをしようと思いまして」


 先日組織を潰し――とは言っても完璧にではなく、まだ残党処理に追われてはいるけれど――無事に元の姿に戻る事の出来た探偵。
 その姿に怪盗は柔らかい笑みを浮かべる。


「ったく、そんな事の為に態々俺を呼んだのかよ」


 面倒そうに――けれどいつもの照れ隠しだと怪盗には分かっているのだが――探偵はぶっきらぼうにそう呟く。
 それに怪盗は探偵が一度も見た事のない何かを…何か悪巧みをするような笑みを向けた。


「いいえ。本当はその為にお呼びした訳ではありませんよ」
「…じゃあ一体何なんだよ」


 訝しげに探偵は怪盗に尋ねる。
 その探る様な瞳に怪盗は更に笑みを深める。


「今日は貴方を『脅迫』しに来たんです」
「脅迫って……どういう意味だ?」


 一体怪盗が何を言いたいのかさっぱり分からない。
 そう言う代わりに首を傾げる探偵に、怪盗は今度は音を立てクスッと笑う。


「貴方が『江戸川コナン』と同一人物だと知れてしまっては困りますよね?」
「!?」


 怪盗が何をネタに脅迫する気なのか。
 ソレが分かった瞬間、探偵は瞳を見開いた。


「ばらされては困りますよね?」
「………」



 組織は潰した。
 けれどまだ完全ではない。

 寧ろ、ある程度潰した事によって残党達は敵として自分を追っている。
 『工藤新一』の周りに居た人物、関わる人物を護るだけでも精一杯。

 それに更に『江戸川コナン』に関わった人物まで加わるのは――――正直護りきれる自信はない。

 それに、幼馴染も。
 そして、『江戸川コナン』として関わった多くの大切な人々も。

 『工藤新一』=『江戸川コナン』の図式には辿り着いていない。
 そんな人間を……大切な人達に本当の事が分かってしまうのは、心情的にも正直辛かった。

 騙し続けていたことを―――非難されるかもしれない現実が怖かった。



 探偵の瞳が揺れる。
 呆然と立ち尽くす探偵の頬に怪盗の指がそっと触れる。

 近付いてきた温もりに、弾かれたように探偵はその手を叩き落した。


「どうして今更…」


 そう、この目の前の怪盗は嘗て彼女に正体がばれそうになった時、態々探偵を助けてくれた。
 放っておけば新一は自ら正体をばらしていたにも関わらず、態々助けてくれた。

 それなのに、今更何故――。


「あの時は借りを返しただけですから」


 そう、あの時は怪盗は探偵に一つ借りがあった。
 けれど、今はそれよりも――。


「……俺を脅迫して何をさせるつもりだ?」


 再び探偵に触れようと伸ばされた手を振り払い、溜息混じりに探偵は怪盗に尋ねる。
 一体自分に何を望むのか、と。


「選択肢を差し上げますよ」
「選択肢?」
「ええ」


 怪盗は笑う。
 暗く。

 それは今まで探偵が見てきた怪盗とは明らかに異なるモノ。
 そんな笑みに探偵は寒気を覚える。
 こんな彼は見たことがない…。


「一つ。貴方が私のモノになる。
 二つ。貴方が私の仕事の片棒を担ぐ。
 三つ。今此処で…死ぬ。
 さあ、名探偵。貴方ならこの中からどれを選びます?」


 笑いながら紡がれる選択肢。
 その笑みは明らかにその場にはそぐわなかったが、探偵にはその笑みが必要なモノのように映った。

 けれど、探偵は迷わず選択肢を選び取った。


「お前のモノになるなんて御免だし、お前の仕事の片棒を担ぐなんてもっと御免だ」


 きっと怪盗の予想通りの回答だったのだろう。
 怪盗の笑みは崩れる事はなかった。


「そう仰ると思ってました」
「だったらそんな質問無意味じゃないのか?」


 答えが分かっていて聞くなんて悪趣味極まりない。
 特に『脅迫』なんてふざけたモノの最中では。


「いいえ。無意味ではありませんよ」
「……?」
「とりあえず、貴方の考えを聞いておきたかったので。それに…」


 楽しそうに言葉を紡ぐ怪盗に探偵は異常な気配を感じる。

 違う。
 何か違う。

 頭の中で何かの警報が忠告する様に。


「確かに私は選択肢を差し上げるとは言いましたが…その意思を尊重するなんて一言も言っていませんしね」
「それじゃ選ばせる意味ねえじゃねえか!」
「貴方が死ぬ、という選択肢を選べる身分だとでも思ってるんですか?」
「なっ…!」
「死なせませんよ。貴方はもう既に私のモノなんですから」


 目の前のこの人間は誰だ?

 暗く淀む藍。
 どす黒く溢れ出る気配。

 探偵の知っていた怪盗はいつだってもっと真っ直ぐな目で。
 探偵の知っていた怪盗はいつだってもっと澄んだ気を放っていた。

 こんな人間は知らない。


 自覚して、探偵は身体が震えるのを感じた。
 本能で感じる恐怖。

 そして、身体は逃げを打とうとしたが、それに気付いた怪盗に一歩早く思いっきり腕を掴まれそれすら叶わない。


「いっ…!」
「逃げられるとでも思ってるんですか? 私から…」
「離せよ! お前からなんて…」
「逃げますか? どこまでも追いかけて、追い詰めて差し上げますよ。
 ああでもそれよりも………貴方の大切な人を捕まえて貴方自ら私の腕の中に落ちるようにするのが一番簡単でしょうね?」
「っ…蘭には手を出すな!」
「貴方が大人しく私に従ってくれるなら、彼女には何もしませんよ」


 探偵の抗議を怪盗は極上の悪魔の笑みで押し潰す。

 新一の弱みも。
 新一の全てを。

 この目の前の怪盗は知っていた。


「………それがてめえのやり方か? 怪盗紳士、なんてご大層な名前をお持ちの割りは随分とあざとい真似するんだな」
「ええ。貴方を手に入れるためなら私は何でもしますよ。それこそ怪盗紳士の名を返上しても良いと思うぐらいに」
「………」


 皮肉も、何も怪盗には響かない。
 揺ぎ無い意思。

 形はどうあれ怪盗の決意が固いのは探偵にも分かった。

 その決意の固さにみっともない事に探偵の声が震える。


「………何でだよ」
「…?」
「何で、そこまで俺に執着すんだよ」


 確かに好敵手で。
 何度かやりあった中で。

 お互いの実力は認めていたし、追いかけっこは確かに探偵も不謹慎ながら楽しみにしてしまう程他に類を見ない楽しさで。

 でも、だからと言って何故そこまで怪盗が自分に執着するのか探偵には分からなかった。


「貴方が…」
「俺が…何だよ」
「貴方が私を狂わせたからですよ」
「狂わせたって…」


 訳が分からない。

 確かに目の前の怪盗は探偵が知っている怪盗とは些か雰囲気が違って見えたが、それでも気が触れた様には見えない。
 寧ろ逆に―――。


「何訳の分かんねえ事言ってんだよ。お前は不気味な程冷静じゃねえか」
「貴方にはそう見えるんですか? 名探偵と呼ばれる貴方にさえ、私が冷静に見えると?」


 自嘲気味に怪盗は笑った。
 何を馬鹿なことを、とでも言いたそうに。


「私はね、名探偵。もう狂って壊れてしまったんですよ」
「何言って…」

「貴方のせいで狂って壊れてしまったんです」


 怪盗に掴まれていた手に更に力が籠められる。
 その痛みに探偵は顔を歪める。


「っ…、何で俺のせいなんだよ」
「貴方がいけないんですよ。私を、何の未練も執着もなかった私にこんな感情を与えてしまった貴方が…」
「何が何の未練も執着もなかっただよ! お前にだって他に執着するものぐらい…」
「ありません」


 きっぱりと。
 まるで全ての感情をそぎ落とした様に。

 怪盗は言い切った。

 その表情に。
 その声に。

 探偵は無駄だと分かりつつも抗議する。


「嘘吐くなよ! お前にだって、家族とか友達とか…」
「居るから何ですか?」
「何って…」

「そんなモノ、『怪盗キッド』として生きていくと決めた瞬間に全て捨てました」
「っ…!」


 本当に無表情というモノを新一は生まれて初めて見た気がした。

 何もかも。
 生きていることすら捨ててしまったかの様に感情の籠もらないガラス玉の様な瞳。
 全て何処かに捨ててきてしまった様な。


「『怪盗キッド』として生きていく為には何も必要なかったんです。家族も、友人も、そして―――名前さえも」
「キッ…」
「貴方なら分かっていらっしゃるでしょう? 私は『怪盗キッド』であっても『怪盗キッド』ではないのですよ」
「………」


 探偵も気付いていた。

 キッドが活動し始めた時期。
 その後の休業期間。

 そして――――今更の復活。

 明らかに最初『怪盗キッド』と名乗っていた人物と今こうして『怪盗キッド』と名乗っている人物は別人。


「『怪盗キッド』、そう呼ばれる度に、私は私で無くなっていくんです。
 私は過去の幻影に取り付かれているだけの、唯の亡霊。生きているという事すら可笑しいのですよ」
「………」
「それで良かったんです。寧ろその方が都合が良かった。
 生への執着もなく、ただ機械の様に目的をこなすだけ。その方が良かった。人間らしい感情など持たない方が―――」


 それまで無表情だった怪盗の顔が苦しげに歪む。
 探偵の腕を掴んでいる手とは逆の手で苦しげに胸元を掻き寄せる。


「そうすれば、罪の意識も。自分の存在意義も。そして、目指すものへの疑問も……何も考えずに済んだのに………」


 今にも崩れ落ちてしまうのではないかと、探偵が錯覚してしまう程、今の怪盗は弱々しく儚かった。

 白いスーツがまるで死装束の様で。
 赤いネクタイがまるで首から流れ落ちた血の様で。
 青いシャツがその死体を飾る青い薔薇の様で。

 今にも死んでしまうんじゃないかと思う程、痛く弱々しかった。


「キッド…お前……」
「……だから、貴方には私に捕まってもらいます」
「………」
「私を…私を狂わせた貴方に、尤も貴方が望まない事をさせて差し上げますよ」


 怪盗は笑う。
 胸元を掴んだまま、狂った笑顔で。

 壊れてしまった人形の様に、ポーカーフェイスに貼り付けただけの笑顔で。
 無機質な『笑顔』を作る。


「貴方はもう私のモノなんですよ…」


 そう言って、誓いの様にそっと探偵に口付けた。
 探偵が――――決して逃げる事が出来ないと知っていて。















 ゆっくりと。
 ただ静かに。


 一緒に堕ちましょう? 私の名探偵。


















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