彼と約束をした
この衣装を脱ぐ事が出来た時
もう一度彼に気持ちを伝えると
だから、だから…
一日でも早く
自分は……終わりを迎えなければならない
始動(ver.sweet)
「ちぇっ……これも、違う…か……」
今日ガラスケースから救い出した姫君を月に翳す。
けれど、目指す紅は見つからない。
流石にあんな事を言った直ぐ後に見つかる、なんて小説みたいに出来過ぎた話は期待していなかったが、それでも落胆は隠せない。
彼には先日あんな強気な事を言ってみたりはしたけれど、自分だって不安なのだから。
もしも、もしもパンドラを見付ける事が出来なかったら。
もし万が一見付けられたとして、その前にもしも彼に好きな人が出来てしまったら。
彼を攫ってしまいたいなんて馬鹿げた事さえ、考えてしまうぐらい、自分だって不安で不安で堪らない。
けれど…彼は自分の申し出を否定はしなかった。
唯一、それだけが救いだ。
「…今週は、後……」
指折り今週救い出す予定の姫君達を思い浮かべる。
彼にああ言ってから、キッドはそのペースを上げた。
と言っても、決して今までがさぼっていた訳ではない。
訳ではない、が……基本的には日本に来たビッグジュエルを狙っていた。
でも、それもそろそろ考え直さなければならないと、仕方なく海外の物にも手を出すようになっていた。
それでも、学校を長期に休む訳にはいかないので、まだ近隣ばかりだが。
「あー…道のりは……遠いな;」
はぁ…と溜息を吐いても、それでどうこうなる訳ではない。
見付けなければ。
気持ちは急いても、どうしようもない。
一つ一つ、確認していく以外に方法はない。
「キッド〜!!!」
「お、漸くお出ましかな」
フェンスの上、くるりと危なげもなく踵を返すなんて周りに観客が居たら拍手喝采物の芸当を見せても、そこに居るのは生憎キッドを追って追って漸くここまで辿り着いたへろへろの警官達。
当然、拍手なんて貰える訳がないのだが、それでもキッドは楽しそうに口元に笑みを浮かべた。
「これはこれは中森警部。お早いお付きで」
「っ…! そんな事を言っていられるのも今のうちだぞ!!」
笑みを浮かべながらそんな皮肉を言ってやれば、いつもの様に激しい怒鳴り声が聞こえてくる。
それも、何だかとっても楽しかった。
そんな事を言ったらきっとこの目の前の警部は余計に怒るだろうが。
「でしたら、早めにお暇しないといけませんね」
まだ捕まる訳にはいきませんから、と付け足して、キッドは自分の翼を広げる。
「かかれ!! キッドを飛ばせるな!!」
「はい!!!」
警部の命令に、へろへろながらも何とかフェンスを登ってこようとする(不憫な)警官達が登りつくギリギリまで待って。
キッドはふわりと夜の闇へ身体をダイブさせた。
「また明日、お待ちしていますよ。中森警部」
「待て!! キッド!!!」
風を受け空を優雅に飛びながらちらっと後ろを見てみれば、ぎゃあぎゃあと喚いている警察の方々の姿が段々小さくなっていく。
あの様子だとまだ気付いていないだろう。
今日救いだしたお姫様が、警部の右のポケットに入っているというのに。
全く、毎日毎日御苦労さまだと思うし、同時に申し訳ないとも思う。
お隣に住むあの警部も、そろそろいい歳と言えばいい歳だ。
あまり無理をさせたくはないのだが…いかんせん本人がやる気満々なのだから、仕方ない。
「あー…また明日かぁ……;」
自分で予告状を出したとは言え、正直げんなりする。
此処の所準備も含めれば本当にろくに寝ていない。
それでも、一日でも早く見付けたいという思いが自分を急かす。
一日でも早く『愚かな女』を見付け、一日でも早くこの衣装を脱いで―――彼をこの腕に抱き止める。
その為なら、少しぐらいの無理はするつもりだ。
ダミーを飛ばし、自分は羽を休める為に、近くのビルへとふわりと降り立つ。
そうして、危なげなくフェンスの僅かな幅を平均台を歩いている様に数歩歩いた所で、
「んなことしてると、落ちるぞ?」
「―――!」
ピンっ!と無い筈の耳が立ったような気がしたのは、新一の目の錯覚か。
落ちると声をかけたばかりだというのに、その場でくるっと踵を返し、行った時の倍以上の早さで戻って来た怪盗に新一は溜息を吐いた。
そんな新一などお構いなしに、新一の一番近い位置まで来ると、ふわっと音も立てずにアスファルトの上へと降り立った。
「名探偵!!」
常にない早さでぎゅーっと抱きこまれて。
新一の口元には苦笑が浮かぶ。
ああ、全く…怪盗が人懐っこい、もとい、探偵懐っこくてどうするよ…と。
「今日はどうしたの? 近くで事件でもあったの?」
「いや、別に…」
「じゃあ何で? どうして??」
ぱたぱたと、犬のしっぽが振られている様子が目に映る気がするのは新一の気の所為か。
ものすごーく嬉しそうな顔をして、ぎゅうぎゅうと新一を抱き締めるキッドに新一は苦笑する。
「いや、さ…お前に言いたい事があって」
「言いたい…事…?」
「そう。言いたい事」
「…?」
キッドは少し身体を離して、新一の顔を覗き込んでことん、と首を傾げる。
そんなキッドの頬を新一は両手で包みこんで、じっとキッドの瞳を見詰めた。
「あのな、キッド」
「…何……?」
大好きで堪らない彼の瞳にじーっと見詰められて。
キッドの内心はドキドキバクバクしている。
それを何とか押し止めて、何とか形だけのポーカーフェイスを張り付けて、新一の綺麗な綺麗な蒼い瞳をじっと見つめた。
「…お前、焦り過ぎ」
「…え…?」
「ここんとこ立て続けだ」
「う、うん…」
『心配』の文字が張り付きそうな程心配そうな顔をする新一。
そんな新一をじっと見つめたままのキッドの額に新一はコツンと自分の額を軽くぶつけた。
「疲れてるだろ?」
「…そんな事ないよ?」
「いや、疲れてる」
「………ちょっとだけね」
本当なら格好を付けて『全く疲れてなんていない』と言いたいところだったけれど、相手は自分が『名探偵』と認めた『工藤新一』。
そんな嘘に騙されてくれる訳はないと知っていた。
だからほんのちょっぴりそんな風に言ってみる。
「だろ? そのせいで暗号も逃走経路も雑だ」
「雑…ι」
言われた言葉にがくっと肩を落として、ここ最近の数件を思い返し、内心で確かに、と同意した。
今までより一件一件に時間をかけていない。
言われた通り、確かに雑かもしれない。
焦っていたと言えばそれまでだが、確かに新一の言う様に、キッドとしては酷く雑だ。
「そんなんじゃ、いつか捕まる」
「名探偵…」
「それか、その前にお前が倒れる」
「………かもね」
新一の心配をポーカーフェイスの上の笑顔で押し潰せば、綺麗な弧を描いた眉が寄る。
不満げに寄せられた眉を見ても、キッドの心は変わらない。
「でも、俺は急がなきゃいけない」
新一の手を取るともう決めた。
その為には一日も早くパンドラを見付けて砕かなければいけない。
方法は分り切っていた。
後は確率論だ。
多くの獲物を盗めば、それだけパンドラに当たる可能性も上がる。
それは酷く単純な事。
「でも、お前が倒れたり捕まったりしたら意味が無い」
そんな事になったら本末転倒。
新一を手に入れるどころの騒ぎではなく、監獄行きだ。
それはキッドとて分っている。
「そうだね。でも、大丈夫。俺は捕まらない」
にこっと素の顔で微笑めば、心配そうに新一の瞳が細められた。
「キッド。お前がどれだけ出来る怪盗かは俺が一番よく知ってる。
お前の身体能力も、知能も、マジックの腕も本当に凄いと思ってる。でも……その油断は、確実にお前の命取りになる」
嘗ての自分と重ね合わせ、新一はそう呟く。
高校生探偵と持ち上げられて調子に乗っていたあの頃。
自分の不注意であの日あの時、自分は身体を小さくされた。
死ななかったのはただの奇跡で、今こうしてここに元の姿で在れる事はもっと奇跡。
だから、新一は目の前の怪盗が心配で堪らない。
白馬のデータからするとIQ400なんて馬鹿みたいに高い知能を持っていて。
スポーツ万能(データによるとスケート以外)。マジックの腕だって、本当の魔法使いみたいに素晴らしい。
だからこそ、今まで捕まる事無く見事に逃げ遂せてきた。
けれど…それが明日も確実にそうだなんて誰も言えない。
「名探偵は心配し過ぎだよ。大丈夫。俺はお前にしか捕まらない」
そう言われたって、新一としてはそれを『はいそうですか』と鵜呑みになんて出来ない。
それに彼の敵は警察だけではない。
もっと厄介な敵が居る。
警察だけならまだしも、というのは某警部に非常に失礼になるが、それでも警察だけなら何とかなるだろう。
けれど、奴らはそうはいかない。
いつ殺されるとも分らない状況に置かれている。
だからこそ、新一は今日この忠告をキッドにしに来た。
「お前が俺にしか捕まらないと言うのなら、もうちょっと計画性を持って、もうちょっと『怪盗紳士』の名に恥じない様な犯行をしろ」
探偵が怪盗に犯行のアドバイス、なんて正直洒落にもならないが、仕方ない。
新一だって、キッドがこれだけ焦っているのは自分のせいなのだという自覚もある。
だからこその忠告。
けれど、それにすらキッドは笑って見せた。
「そうだね。確かに『怪盗紳士』らしく犯行を行わなきゃいけないと思う。でも、予定は変えるつもりはないよ」
「キッド!」
「焦ってる自覚はある。でも、俺は……お前を早く俺のモノにしたい」
「っ……」
真っ直ぐに見詰められて告げられる告白。
それに新一は唇を噛みしめる。
彼が焦っている原因は自分だ。
それを否定できない自分には、その言葉は酷く重い。
自分さえ、彼を今のままに受け入れる事が出来たなら彼をこんなに焦らせる事もなかった。
原因は―――紛れもなく自分だ。
「ねえ、名探偵?」
ぎりっと噛んだ唇を痛ましそうに見詰めて、それでも伸ばしかけた手を押し止めて。
キッドは優しく新一を呼ぶ。
「そんな顔しないで? 名探偵は笑ってる方が綺麗だ」
「なっ…!///」
「だからさ、俺を心配するなら……笑って?」
真っ赤になった新一に目を細めて。
キッドは強請る様に新一の耳元でそっと囁く。
「俺はさ、名探偵。名探偵の笑顔が一番好きだよ」
―――だから、笑って。
余りにも甘いその言葉に、新一はその夜、それ以上キッドに掛ける言葉を見付ける事が出来なかった。