あの日あの時
出逢った時はお互いに偽りの姿だった
一人は無事元の姿を取り戻した
もう一人は未だその偽りの姿に捕らわれたまま
闇の中から未だ出られず
その先には未だ光すら見えない
それでも…
この出逢いが
未来を照らす光になればいいのに…
soi
「何微妙な顔してんだよ。さっさと入れよ」
「いや、でもやっぱり…」
「いいからさっさと入れ」
「っ…!」
半ば蹴り入れられる様に(…)して、かいとは漸く工藤邸にお邪魔した。
流石は世界的作家と元大女優のお宅。
余りにも広い玄関にどこか遠い目をしながらも、かいとは諦めて靴を脱ぐとそれをきちんとそろえた。
「……おじゃまします」
「ん」
ぽいぽいっと靴を行儀悪く放った新一の靴もちゃんと揃えて、かいとはスタスタと長い廊下を歩いて行く新一の後ろを素直について行く。
名探偵のお宅に不法侵入ではなく、まさかこんな風に玄関からきちんと(…)お招き頂ける日がくるなんて夢にも思わなかった。
しかもその肩書が『友達』だなんて…。
長い廊下を抜け、リビングに入った所でソファーを勧められる。
素直にそのソファーに腰かけて、またかいとは遠い目をする。
「(このソファー絶対高い。流石名探偵のお家…)」
普段仕事柄(…)色々見慣れている自分から見ても、これは絶対高い。
きっとここにお邪魔しなければ、普段では絶対触れる事の出来ない代物だろう。
ちらっと見渡したリビングの至る所にさり気なく高価な家具が溢れかえっている。
いかにも成金的なものではなく、本当にさり気なくセンスのいいアンティークなんかが置いてあって、もうなんていうか…本当に流石はお金持ちのお家という感じである。
あまりキョロキョロはしないように、それでも色々と伺っていれば、目の前の新一がことんと可愛らしく首を傾げた。
「珈琲でいいか?」
「あ、えっと…」
「大丈夫だ。ミルクと砂糖も持ってきてやるから」
「えっ…な、何で…」
「さっきお前が飲んでたマグカップの中身の色」
「あっ…」
「ま、安心して大人しく待ってろよ」
クスッと小さく笑って、キッチンへ行ってしまった新一の背を見送ってかいとは溜息を吐く。
ライバルである彼とはできれば対等でいたい。
いたいのだが―――。
「(あんな苦いもんそのままじゃ飲めねえよ…;)」
―――ブラックコーヒーなんて『子供』である自分には無理だ。
それでも、ちょっとばっかし悔しい。
子供の姿の彼があの真っ黒で苦い物体をそのまま飲んでいた事を思い返せば尚更だ。
「(何か…負けた気がする…;)」
まあ、見た目は子供でもあの時のコナンは頭脳は大人だった訳なのだから、悔しがるのは違うのかもしれないが、かいととしてはやっぱり複雑で。
小さく溜息を吐く。
そして、諦めた様にソファーに深く身体を埋めると、天井を仰いだ。
「(何で俺みたいなコソ泥が名探偵の家に招かれてるんだかね…)」
真っ白な天井は、もう一つの自分の顔を思い出させる。
あの衣装を纏って、もう何度夜を翔ただろう。
確認した後に返すとは言っても、やっている事は犯罪だ。
自分は紛れもなく犯罪者だ。
その証拠に国際手配もされている。
そんな自分とあの名探偵が『友達』だなんて…。
そんな風に考えて、寒気がぞわっと背筋を這い上がった。
もしも、もしも…そんな事が何かの拍子で警察関係者にでもばれたら…。
自分の正体はまだばれていない。
でも、もしも万が一ばれてしまった時、こんな事をしていては新一に迷惑がかかるかもしれない。
そう思ってしまったら、こんな所でくつろいでしまっている自分に頭が痛くなった。
「(名探偵に迷惑かける訳にはいかない…)」
そうだ。
自分は『怪盗』で彼は『探偵』。
それ以上でも、それ以下でも、駄目だったのに…。
彼に大学で普通に出逢ってしまって、すっかり調子に乗っていた。
こんな風に『友達』になる事が、彼にとってどれだけリスキーなのか分かっていた筈なのに…。
自覚してしまったらもう駄目だった。
慌てて身体を起こし、音を立てない様に気を付けてソファーから立ち上がる。
「(名探偵。ごめんね…)」
心の中でそう呟いて、一歩歩を進めた時、
「おい。何処行く気だよ」
不機嫌そうな声が耳に届きかいとが振り向くと、マグカップを二つと、シュガーポット、ミルクピッチャーをトレーに乗せて戻ってきたらしい新一が声同様不機嫌な顔を浮かべていた。
少し遅かった。
心の中で数分前の自分に後悔を覚えながら、かいとは誤魔化す様にふわふわの髪を混ぜた。
「いや、トイレでも借りようかと思って…」
「気配消して、足音も立てない様にして、か?」
「いや、それは…」
「俺に何も言わずに帰る気だったんだろ?」
「………」
「ったく…」
図星をさされ何も言えずに押し黙ったかいとに小さく溜息を吐いて、新一はひとまずトレーをテーブルの上に置くと、かいとをじっと見つめた。
「とにかく座れよ」
「でも…」
「いいから座れ」
「うん…」
言われるままに、かいとは渋々ソファーに腰を下ろした。
その横に新一も静かに腰を下ろす。
どちらも何も言う事無く、気まずい沈黙が流れる。
数分にも感じられたその沈黙に、新一は焦れた様に口を開いた。
「何でだよ」
「え…?」
「何で勝手に帰ろうとしたんだよ」
「それは……」
言いかけて、かいとは口籠る。
素直に言えば探偵はきっと『そんな事気にしなくていい』と言うだろう。
彼は本当に優しいから。
けれど、普段回る口はこんな時に何も言葉を紡ぎ出してくれず、IQ400の頭脳もこんな時に限って言い訳の一つも思いついてくれない。
結局また気まずい沈黙を作り出してしまう。
それを破ったのもまた新一だった。
「どーせ、俺に迷惑かけないように、とか思ってたんだろ?」
「いや…それは…」
「ったく、俺は俺の意志でお前と『友達』になったんだ。それなのに、勝手に気回して勝手に帰ろうとしてんじゃねえよ、バーロ」
「でも、めいたんて…」
「だーかーら、『工藤』だって言ってんだろ。このバカイト」
かいとの考えなんてとっくのとうにお見通し。
言葉を最後まで紡ぐ前に、その言葉は全て新一の言葉にかき消されてしまう。
何も言えずにまた黙ってしまったかいとに呆れた様に新一は小さく溜息を吐いて、それから真っ直ぐにかいとを見詰めた。
「あのな、かいと。お前がお前自身をどう思ってるのかは知らねえが、少なくとも俺はお前と『友達』になれたらきっと面白いだろうと思ったんだ」
「………」
「俺がそう思う人間なんてレアだぜ? お前、もっと自分に自信持てよ」
「でも俺は…」
「今俺の目の前に居るのは、同じ大学に通ってる普通の大学生の『かいと』だろ?」
「うん…」
「だったら、お前は普通にお前のままで居ればいいんだよ」
「…でも…」
「でも、じゃねえよ。俺が知ってるお前は、トリプルでチョコアイス頼む様なすげー甘党で、珈琲をブラックで飲めない様なお子様で、マジックが好きな唯の普通の大学生だよ」
「工藤…」
ちょっとだけ茶化す様に言ってくれた新一の優しさに、思わず泣きそうになって声が詰まる。
泣いてしまわない為に、少しだけ唇を噛みしめると、何か勘違いしたのか新一の顔が僅かに焦ったものになった。
「悪い。俺なんか不味い事言ったか?」
「ううん。そうじゃない」
少しだけ曇ってしまった蒼い瞳にかいとは慌てて首を振る。
泣いてしまわないためだったなんて少し恥ずかしくていけないけれど、思いを伝える様にぶんぶんと首を振れば、呆れた様に笑われた。
「わあった。わあったからそんなに首振んな。頭ふらふらになるぞ?」
「だって…」
「もういいよ。分かったから」
ぽふぽふと頭を撫でられる。
それだけで、まるですべてを赦されたかの様な気持ちになって余計に泣きそうになる。
赦して欲しいなんて馬鹿な事は言わない。
これはかいとが自分で選び取った道だ。
けれど―――こんなに優しくされたら勘違いしてしまいそうだ。
―――ホントはずっと誰かにこう言ってもらいたかったのだと。
「工藤」
「ん?」
「ありがと…」
「ああ…」
泣いてしまわない様に必死で溢れ出てくる思いを堪えながら、小さく礼を言えば、少しだけ照れた様に新一がはにかむ。
それだけでもう、かいとはこれ以上ないぐらい幸せだった。
「じゃあ、まぁ…珈琲でも飲めよ。早く飲まないと冷めるし」
「あ、うん。いただきます」
かいとの為に置かれたシュガーポットから砂糖を一掬い。
それを三回ほど繰り返した所で、新一が顔を引き攣らせた。
「かいと。お前どんだけ入れる気だよ;」
「え?」
まるで普通の事の様にナチュラルに砂糖をもう一杯入れようとしているかいとを新一は制した。
「流石に入れ過ぎだろ;」
「そう? 普通だけどな…」
「普通…」
相手はチョコアイスをトリプルで頼む様な甘党だ。
だとしたら、これもそれから考えれば確かに普通なのかもしれない。
なのかもしれないが―――。
「ミルクもそこまで淹れるのか…;」
「ん? 何か変?」
「いや…。悪い、もう何も言わない…ι」
「???」
たっぷりと砂糖の入った珈琲の中に更になみなみとマグカップの縁ぎりぎりまで注がれていくミルクを見詰め、新一は諦めた様に天井を仰いだ。
………きっと彼とは食べ物の嗜好は合わないだろう。
まあ、その辺りは個人の好みだから仕方ないだろうが。
全くもって新一が何を気に留めているのか分からないという不思議そうな顔で見詰めてくるかいとに、新一は黙ってシュガーポットを差し出した。
「もう一杯入れんだろ?」
「あ、ありがとう♪」
「………」
もう一杯追加される砂糖を見詰めながら、新一は黙って自分の分の珈琲を啜った。
「(うん。甘くない)」
当たり前の事を当たり前に確認して、ホッと一息吐く。
その横で、たっぷりと砂糖とミルクの淹れられた珈琲を美味しそうに飲むかいとを横目で確認して、思わず遠い目をしてしまう。
何だかここまで来ると、逆に尊敬すら覚える。
頭のてっぺんからつま先までじっくり見つめる。
彼の体系とこの嗜好が余り繋がらない。
ここまで甘い物を過剰摂取したら流石に太りそうだが、そうなっていない事を考えると太りにくい体質なのかもしれない。
若しくは―――。
「工藤?」
「あ、悪い…」
「いや、別にいいんだけど…どうしたの?」
ことんと首を傾げるかいとに、新一は慌てて首を振った。
「いや、何でもねーよ」
「そう? 何か難しい顔して考えてたけど…」
「いや、ホント大した事じゃねえから」
「ふーん。ならいいけど…」
まだ少し納得していないような顔をしながら、それでもそれ以上聞く事もなく再度激甘であろう珈琲に口を付けたかいとに心の中で苦笑する。
ついつい考え事をしてしまうのは悪い癖だ。
それでもこんな風に事件でも何でもない時に、他人の事を、しかも飲み物の嗜好の事を考えるなんて自分にしては珍しい。
それだけ―――彼に興味があるという事なのだろうが。
「なあ、かいと」
「ん?」
「お前、そんなに甘い物ばっかであきねーの?」
「飽きる? 何で?」
「いや、そんなに甘い物ばっかり食ったり飲んだりしてて気持ち悪くならないのかと思って」
「甘い物で気持ち悪くなる? 何で?」
「いや、何でって…」
「甘い物食べたら美味しくて幸せになるじゃん♪」
「……そ、そうか…;」
流石甘党。
甘い物がそこまで得意ではない自分としてはそれだけ甘い物を摂取したら気分が悪くなりそうなものだが、もともと甘い物が好きな人間にはそんな感覚自体が分からないのかもしれない。
「んー…v 美味しいv」
「………」
たっぷりと砂糖とミルクの入った新一からすれば最早珈琲とは呼べない物体を飲みながら、にこにことそう宣って下さったかいとを見詰め、新一は溜息と共に珈琲をくいっと飲み込んだ。
再度自分の珈琲が甘くないのに安堵して、にこにことしているかいとを見詰める。
「(ったく、コイツは…)」
にこにことしているかいとに内心で苦笑が漏れる。
さっきまでしょげた犬宜しくしょんぼりとしていたというのにこの変わりよう。
くるくる変わるかいとの表情は本当に見ていて飽きない。
これがあの月下の魔術師と同一人物なのだと誰が考えるだろう。
自分だって、何だか信じられない気分になってくる。
「(狐にでもつままれた気分だな…)」
内心でそんな事を考えて笑いそうになりながら、そんな気分も悪くないと思う。
こんな風にこんな時間をコイツと過ごせるなんて…。
「なあ、工藤」
「ん?」
「良かったら俺夕飯作ろうか」
ちらっと時計を見たかいとにそう言われて、新一も慌てて壁にかかった時計を見上げた。
指し示されている時刻は確かに夕食には丁度良い時間だった。
「あ、…もうこんな時間か」
「うん」
「どっか食いに行ってもいいけど…」
「折角だから俺に作らせてよ。愛情込めて作るからさv」
「いや、そこはいいから…;」
嫌そうに言った新一に『それは残念』と小さく笑って言って、かいとはすくっとソファーから立ち上がった。
「んじゃ、冷蔵庫覗いていい?」
「ああ。……あ…! い…いや、ちょっと待ってくれ!」
「ん?」
「とりあえず、少しだけ此処に座って待っててくれないか?」
「あ、うん。分かった」
とりあえずそう言って、大人しくソファーへと再び腰を下ろしたかいとと反対に新一は腰を上げ、すたすたとキッチンへと行くと、一般家庭にあるには些か大き過ぎる冷蔵庫の扉を開けた。
「(げっ……;)」
目の前の光景に、思わず声を上げかけてそれでも何とかそれを内心だけで留める。
冷蔵庫の中の空間には―――自分でも呆れるぐらいそりゃもう見事に何も無かった。
「(そういや……)」
家で料理を作ったのなんてもうどれぐらい前だろうか。
一人暮らしが長い事もあって、自炊が出来ない訳ではない。
寧ろ同年代の男子大学生と比べればきっと相当マシなレベルな筈だ。
それでも、日々の忙しさについつい外食やら何か買ってきて食べてしまうか……若しくは食べないなんて事が多くなってしまう。
それを幼馴染の彼女や隣の科学者に怒られる事もしばしばだが、そんなお小言も事件に追われる日々ではついつい聞き流してしまう。
自分でもこれではいけないとは思いつつも、ついついそんな生活が続いてしまっている結果がこれだ。
「あー…予想通りだったけど、ホント見事に何もないねー」
「か、かいと!?」
突然聞こえた声にビクッとして振り向けば、肩越しに見えたのはかいとの少し呆れた笑い顔。
「お前、待ってろって言っただろ!」
「冷蔵庫見に行ったにしては中々帰って来ないからどうしたのかと思ってさ」
「………」
「まあ、工藤の家の冷蔵庫に何かあるなんて最初から期待してなかったけど……まさかここまで何もないとはねぇ…」
「お前…俺の事馬鹿にしてんのか?」
「まさか! ただ、名探偵が何か買って来て食べるのは良い方で、しょっちゅう食事抜いてるのを知ってるだけだよ」
「うっ……;」
そう言われてしまっては何も言えない。
固まった新一にかいとはクスクスと笑って、その頭を優しくぽんぽんと撫でた。
「ま、いいじゃん。これで一緒に買い物に行く口実が出来たんだし」
「は?」
「ここまで空じゃ流石に俺も何も作れないから、材料買って来ないといけないだろ?」
「あ、ああ…」
「だから、一緒にお買い物に行こうってナンパしてる訳」
「ナンパって…」
ぱちっと軽くウインクをして寄越すかいとを全く仕方のない奴で、それに加えて更にお人好しだと新一は呆れ半分関心半分で見詰めた。
そうして、『ここまで何もないなら食べに行った方が早い』なんてついうっかり言ってしまわなかった自分に少しだけホッとする。
「じゃあ、名探偵。一緒にお買い物に行っていただけますか?」
スッと恭しく新一の手を取って、少しだけ夜の気配を滲ませて。
そう言ったかいとは、格好なんて本当に普通の大学生なのに、やっぱりあの白い怪盗で。
「しょうがねえから付き合ってやるよ」
新一は思わず口元に笑みを浮かべてしまっていた。
「………意外過ぎる………」
「何だよ、その目は……」
近くのスーパーで買い物かごを乗せたカートを押しながら、ぼそっと呟いたかいとを新一はそう言ってちらりと睨む。
それでも向けられる視線に『意外』という単語がまるで張り付いている様に見えて、余計に新一の視線は鋭くなる一方だ。
「だって、名探偵だよ?
外食なんて物凄く良い方で、食べても栄養補助食品とかばっかりで、更には食事抜くのも当たり前みたいな名探偵がだよ?
まさかこんなに迷いもなく食料品をカゴに放り込んでく姿なんて誰も想像できないよ…」
「…お前の俺に対する認識は一体何なんだ…;」
「んー……生活破綻者?」
「…お前、喧嘩売ってんのか?」
「い、いえ! めっそうもない!!」
ぶんぶんと慌てて首を振るかいとに『全く…』と小さく呟いて、新一がてこてこと肉売り場を抜け鮮魚の売り場に行こうとした時、ぴたっとかいとの足が止まった。
「ん? どうした?」
「あ…いや、えっと……」
「?」
「あのさ、工藤。今日はとりあえずこれでいいんじゃないかな?」
「んー…でもまあ、もし良いさか…」
「わあわあ!!! 良いって!! これだけ買えば充分だって!!!」
「???」
わたわたと途端に慌て始めたかいとの不審な様子に新一はことんと首を傾げる。
そんな新一にかいとは引き攣った顔を浮かべて、とりあえずその腕を引っ張った。
「こ、これだけ買えばもう充分だよ! あ、そうだ! フルーツも何か買って…」
「かいと。お前、一体何隠してる?」
「え…?」
腕を引っ張られてもぴたっと足をフロアーの床に張り付かせて踏ん張っていた新一がとっても興味深そうにかいとの瞳を見詰める。
その瞳には若干探偵の時の探る様な彩が覗いていた。
その蒼は酷く綺麗だと思う。
この蒼をずっと見て居たいとも思う。
がしかし―――事がかいとの最大の弱点に関する事だとすると、少々話は変わってくる。
「な、何にも隠してなんかないよ!!」
「ふーん…」
「な、何…?」
「……さか…」
「わあわあわあ!!! って、……あっ………;」
「……成る程な」
納得したように一人小さく頷いた新一に、かいとはがっくりと肩を落とした。
ばれた……。
そりゃ、名探偵にばれないなんて正直思ってはいなかったけれど……それでも、コレはちょっとばっかしがっくりきてしまう。
そんなかいとの少ししょぼんとした姿に、新一は再度軽く首を傾げた。
「そんなに駄目なのか?」
「………うん;」
「食べるんじゃなくて、見るのも?」
「見るのも…;」
「そっか」
「……何か工藤、楽しそうだね;」
何だか少し楽しそうにかいとを見詰めてくる新一に、少しだけ涙目になってしまう。
それでも新一は何だか余計に楽しそうだ。
「まあ、お前の弱点一個分かった訳だしな」
「うぅ…;」
「ま、いいだろ。お前だって俺の弱点やら違う事やら散々知ってんだ。俺だけ何も知らないなんて不公平だろ?」
「そりゃ、そうだけど…」
確かに、名探偵の事ならきっと色々知っている。
必要だから調べた事もある。
でもそれだけじゃない。
もっともっと名探偵の事を知りたくて調べた事だってある。
ずっとずっと―――近付けたらなんてあり得ない願いを持っていた事だって……。
「教えろよ」
「え?」
「お前の事もっと教えろ」
「工藤…」
真っ直ぐに見詰められてそう言われて。
かいとはその瞳の真っ直ぐさにこくりと息を飲んだ。
ああ何でこの人はこんな風にこんな言葉をくれるんだろう。
一生叶わないと思っていた願いは、余りにも意外な切欠を頼りに次々とこの手の中に零れ落ちてきた。
それこそ怖い位に次々と。
もういっそこのまま死んでしまいたい位に、幸福な何かが胸にこみ上げてきて、思わず涙ぐみそうになるのをかいとはぐっと堪えた。
「工藤の事ももっと教えてよ」
「ん? だってもうお前、俺の事なんて…」
「知らない事、まだまだいっぱいあるよ。それに俺が知ってるのは単なるデータだけだ」
そう、『工藤新一』という人間のデータしかかいとは知らない。
自分と会った時の彼は『江戸川コナン』という、本質は同じでもある意味別の人間で。
彼とは散々遣り合ったから、確かに色々知ってはいるけれど、きっと少しずつ何かが違って。
だから知らない。
本当の『工藤新一』がどんな顔で笑って、どんな顔で泣くのか。
何を感じ何を考えどう動くのか。
「しょうがねえな。お前には特別に教えてやるよ」
クスリと小さく笑って、そう言った新一がかいとの目には余りにも男前に映った。
「………意外過ぎる………」
「だから、何だよその目は……」
食材の買い出しを終え、工藤邸に帰ってきた所でかいとが『じゃあ俺作るから待ってて』なんて言ったところ、『いや、一緒に作った方が早いだろ』なんて新一に言われて、今こうしてキッチンで共同作業に至る訳なのだが…。
「ったく、お前の中での俺のイメージは何なんだよ…」
「生活破…」
「だから、お前殺されたいのか?」
怖い。すっごく綺麗だけど、すっごく怖い。
ニッコリと怖い程の極上の笑顔で返されて、ぶんぶんとかいとは首を横に振った。
「だったらさっさと手を動かせ」
「はい;」
そう言いながら、自分もするすると慣れた手つきで人参の皮を剥いていく新一を、自分もジャガイモの皮を剥きながらかいとは横目で伺う。
「(でも、やっぱり意外…)」
冷静に考えれば一人暮らしが長いのだから料理位出来てもおかしくはないのだろうが、かいとの中の『名探偵』『工藤新一』のイメージはあくまでも『生活破綻者』だった。
外食すれば良い方で、栄養補助食品で無理矢理身体を動かしている様な、それよりも食事を抜き過ぎてぶっ倒れる様な、そんなイメージだった。
まあ、それは間違ってはいない現実(…)なのだが、そんな事実を知っているかいとにとっては新一がここまで料理が出来るなんてあまりにも意外だった。
「かいと」
「えっ…?」
「顔に考えてる事が出てる」
「あっ…;」
「まあ、確かに俺が家で料理作るのなんて久しぶりだけどな」
さっきとは違って、かいとを見る新一の顔は何だか酷く穏やかで。
それに安心してかいとは言いたい事を言ってみたりして。
「やっぱり一人だと作るの面倒?」
「そうだな。一人分って意外に作るのやっかいだしな」
「だね。かと言って多く作っちゃうと食べきれないし。特に工藤はそんなに食べる方じゃないしね」
「……だから、お前何でそこまで知ってんだよ」
「さて。何でだろうね」
相変わらずしれっとそんな事を言って、かいとは皮を剥いたジャガイモをごろんっとザルに放り込んで、また一つ皮の付いたジャガイモを手に取った。
それに新一は少し呆れた顔をしたけれど何も言わずに、かいとと同じ様に皮を剥いた人参をザルに放り込んで、また一つ皮の付いた人参を手に取った。
「ねえ、工藤」
「ん?」
「折角俺が何でも作ったげるって言ってんのにこんなのでいいの?」
「いいんだよ。一人暮らしだと意外に作らねえから」
「まあ、そうかもね。でも、工藤が望むならフレンチのフルコースでも、懐石料理でも、何でも作ってやるのに」
「……お前、ホント何でも出来るんだな」
「そうじゃないとね、困る事もあるから」
「………」
さらっと言ってしまった言葉に、工藤が無言になってからかいとは気付く。
ああ、そうか…。
「ごめん。今の俺は普通の大学生の『かいと』だったね」
誤魔化す様にそう笑って、視線を新一からきちんとジャガイモに移したかいとの横で、ぴたりと新一の動きが止まった。
「工藤?」
「お前さ…」
「ん?」
「何つーか……色々大変なんだな……」
「っ……!」
新一と同じ様にぴたりとかいとの手も止まった。
労わる様な新一の優しい声色に息が詰まる。
「元々器用なのもあるんだろうけどさ、それでも……何の努力も無しにそんな事出来る訳ないよな」
「………」
「ついつい忘れそうになるよ。お前が何でもないみたいに笑うから」
「工、藤……」
「何の努力もせずに何でも出来る人間なんていないんだから」
「別に……俺はそんなに努力なんて……」
「そういう事にしといてやるよ」
苦笑気味に、それでも余りにも優しく響くその声に、心臓が不自然に高鳴る。
彼にそうやって言って貰えるなんて。
彼にそうやって認めて貰えるなんて。
敵同士で。
対局で。
何もかも真逆だと思っていたのに……。
「かいと? どうかしたか?」
胸が一杯というのはこういう事を言うのだろうなんて思うほどに、息が詰まりそうな程、眩暈がしそうな程、幸せを噛みしめていた頃不思議そうにかいとを見詰める新一の視線に気づき、かいとは慌てて首を振った。
「う、ううん。何でもないよ。うん」
「…ま、ならいいけど」
敢えて深く聞いてこないのも新一の優しさだ。
それが分かっているから、かいとも無理矢理作ろうとした作り笑いを引っ込めて、不器用に…けれど、何だか幸せな気持ちで笑みを浮かべた。
「なあ、工藤」
「ん?」
「なんかいいね」
「何がだ?」
「いや、上手く言えないんだけど…。こういうの…何か……いいなって…」
もう少し上手にこの気持ちを表現できたら良かったのだけれど、残念ながらかいとの口からは上手い言葉が出てくれなくて。
それを酷く悔しく思いながら曖昧な言葉を零せば、新一は何だか少し照れ臭そうに笑った。
「そう、だな…。こういうのも悪くない」
「ホントに?」
「こんなとこで嘘言ってどうすんだよ」
「そうだね」
本来は敵同士。
なのにこんな風に穏やかに時を過ごして、こんな風に穏やかに笑い合えるなんて予想もしていなかった。
現実は時として小説よりも余りにも非現実な事が起こる。
探偵と怪盗が一緒に料理なんかして、こんな風に笑い合う日が来るなんて―――。
「お前とずっとこんな風に友達やっていけたらいいな」
―――言われた言葉はじわりじわりと心を温めていってくれた。
「…美味い」
「それは良かったv」
「お前俺が見てないとこでどんなトリック使ったんだ…?」
「それは企業秘密ですv」
「………。まあ、美味いから気にしないでやる。でも、ホント美味い……」
シチューを口に一口運び、まじまじと自分の目の前にあるシチューの皿を見詰め、噛みしめる様に呟いた新一にかいとはそう言って笑う。
ぱちぱちと瞳を瞬かせるその姿を見ていると、何だか笑みが口元に笑みが上りっぱなしになってしまう。
事件現場で見る彼の瞳は鋭くて、そんな瞳も大好きだけれど、こういう少し幼く見える彼の姿も酷く可愛らしくて大好きだ。
そう思った自分の感情に気付いて、かいとは改めてはたと気付く。
「(……ちょっと待て、オイ。男子大学生相手にこんなに毎回可愛いって思うって…どうなんだ…??)」
確かに毎度毎度彼を可愛いとは思う。
ちょっとした時に見せる幼い表情だとか、照れた様な笑みだとか。
けれど、相手は男で。
幾ら彼の母親が元世界的大女優で、彼がその美貌を引き継いだ見目麗しい容貌であったとしても、あくまでも彼は男で。
自分にそういう趣味がない事は知っているし、他の男にそんな感情を抱いた事などない。
けれど―――。
「(名探偵は美人さん過ぎるからなぁ…;)」
良くも悪くも怖い位の美人である。
可愛いと思う反面、時々その綺麗さに怖さすら覚える。
そんな事を考えて思わず新一の顔を見詰めてしまっていたのだろう。
目の前の新一がことん、と不思議そうに首を傾げた。
「俺の顔に何か付いてるか?」
「あ、いや…別にそういう訳じゃないんだけど…」
「??」
「…、いや、美味しそうに食べるなーと思ってただけ」
「そうか?」
「うん♪」
にっこり笑って誤魔化して。
首を傾げた新一の余りの可愛さが、自分の中で色々改めて考えてしまった事に拍車をかけて、心臓がばくばくいっているのを何とかポーカーフェイスの下に押し隠す。
「(だから…! 大学生の男がこんなに可愛くてどうすんだよ……!!!///)」
マズイ、と思う。
何だかあり得てはいけない想いすら生まれてしまいそうで、それを自分で必死に押し殺す。
「(落ち着け、俺! そう、工藤は友達だ! 良い親友だ!!!)」
そう、相手は男。
しかも自分と同じ男子大学生。
幾ら線が細かろうと。
幾ら顔がこれ以上ない程美人さんであろうと。
ふとした瞬間に見せるちょっとした表情があり得ないぐらいに可愛かろうと。
相手は男。
これは紛れもない事実で、自分にそういう趣味がないのも紛れもない事実だ。
だから―――。
「ホント推理が絡まない時の名探偵は人格違うよな」
「うるせー。ほっとけ!」
そんな風にからかって誤魔化して。
かいとは自分の中の不自然な感情に蓋をした。
―――こんな感情生まれてはいけないものなんだから………。
「工藤、珈琲でも淹れよっか?」
「一応お前が客なんだが?」
「俺にそれ言う?」
「………。分かった。頼む」
「りょーかい♪ ソファーに座って待ってな」
「ん…」
食後に言われた招かれた方とは思えないかいとの発言。
それでも、推理が絡まない日常ではかいとには口では勝てないと判断した新一は、素直に言われるままに大人しくソファーに腰を下ろした。
それを確認したかいとがキッチンに姿を消しても、新一は少しも慌てる事も心配する事もなかった。
どこに何があるなんてあの怪盗相手に説明する必要もないだろう。
バタバタと全部を開ける事なんてきっとしない。
自分とは全く違う思考回路で、それでも自分と同じ様に推理をして、そうして他の場所を探る事無く、何も知らずに見ている人間から見たらまるで魔法の様に一瞬で目当てのモノを見つける筈だ。
そうして、本人はあんなに甘党の癖にプロ顔負けの新一の好みの美味しい珈琲を淹れてみせるのだろう。
そこまで考えて、フッと少しだけ感傷の滲んだ笑みが口元に浮かんでしまう。
彼は昼の顔でも、夜の顔でも何でも器用にこなしてしまう。
それは元来持ち合わせている彼の器用さや頭の良さや運動神経に起因する事は確実だろうが、それでもそれだけではない事も知っている筈だ。
自分を含めて、彼の周りも頭ではそれを知っている。
けれど、彼は決して舞台裏は見せないから、ついつい知っているのに忘れてしまうのだ。
必死でしているであろう努力の影なんて微塵も見せずに、かいとは極々自然にそうして見せるから。
魔術師なのだと思う。
魔法使いだと思う。
けれど彼自身は御伽噺に出てくる魔術師でも魔法使いでもなく――――普通の一人の人間だ。
種も仕掛けもある…人間なのだ。
「アイツ…何でもないって顔するからな…」
どんな状況に陥っても、ポーカーフェイスの下に全部押し隠して全てを覆い隠して。
いつだって幸せみたいな顔をして笑っているのだろう。
苦しみも痛みも…全部全部押し殺して。
「……少しでも………」
そう、少しでも―――アイツの癒しになれたら良いのに……。
思わずそう呟きかけて、新一は慌てて口を閉じた。
相手は怪盗。
どんな小さな呟きでも拾われてしまうかもしれない。
それは…ちょっと困る……。
「(なんつーか……ちょっと照れくせーし……///)」
きっと自分が彼を心配しているのなんてとっくにばれているだろう。
それでも、それを正面切って言うのは新一としてもやっぱり恥ずかしいものがある訳で……。
「(でもまあ……)」
悪くないと思う。
こんな風に彼を心配しているのが彼に伝わっても良い関係になれたなんて、余りにも奇跡だ。
探偵と怪盗で。
追う者と追われる者で。
そのお互いがお互いをこんなにも心配できる関係なんて……きっと小説の中にだって出て来ない。
だとすれば……この先に待っているのは喜劇か悲劇なのか…。
「(……俺は、全てを赦せないし……アイツもやらなきゃいけない事がある……)」
探偵としての新一は怪盗を赦す訳にはいかない。
怪盗としてのかいとは探偵に捕まる訳にはいかない。
互いに互いの役割は嫌という程理解していたし、その役割自体が互いの役割とは相容れない事も分かっている。
それでも……そのギリギリの淵に言い訳すら交えてこうして立っている。
互いに互いの役割を自分の中で見つめながらも、その闇に飲み込まれるのを恐れる様に手を伸ばしたのかもしれない。
飲み込まれない為に、この手を引いてもらう相手を見つけたいのかもしれない。
そんな風に思ってしまう自分に、新一の口元にはさっきとは違う自嘲的な笑みが刻まれる。
「(俺だけかな…そんな風に思ってんのは……)」
あの日、自分の愚かさで本来ならば世の中にはあり得ない筈の身体が小さくなるなんて経験をした。
余りの自分の無力さに、何度それを呪ったか知れない。
そんな中―――自分の小さな手から零れ落ちていくモノを嘆き、沈みそうに壊れそうになった時、救ってくれたのは彼だった。
一人孤高に立ち続ける彼の姿に何度救われたか知れない。
そんな自覚はきっと彼にはないだろう。
それでも…あの時確かに新一はあの白い怪盗に救われた。
立ち続ける事が出来たのはきっとあの彼の姿をずっとずっと見ていたからだ。
そうして新一は漸く元の身体を取り戻す事が出来た。
けれど怪盗は―――未だその闇の中にその姿を置き続けている。
彼が何か探しているのは知っている。
その探し物が未だ見つかっていないだろうという事も。
いつになれば見つかるのか。
あるいはもう見つからないのか。
それはまるで、自分が元の身体に戻る前に感じていた恐怖その物な気すらした。
だから、彼があの時自分にあんな風に言ったのも、理解出来る気がした。
長過ぎる闇の中で彼の心は確実に疲弊しているのではないだろうか……?
「工藤? 難しい顔しちゃって、何か考え事?」
「あ、いや。何でもない」
「そう? あ、はい。珈琲」
「ああ。サンキュー」
ひょいっと顔を覗かれて差し出されたマグカップに一瞬だけ動揺したのを悟られない様に、新一は努めて平静を装ってそのカップを受け取った。
自分用のマグカップを手に少しだけ首を傾げながら隣に座ったかいとの尋ねる様な視線には敢えて答えず新一は珈琲に口を付ける。
「美味い…」
「それなら良かったv」
「…何であんなに甘党で、ブラックも飲めない様なお子様な筈なお前がこんなに美味い珈琲淹れられるんだ?」
「工藤…; それはあんまりな言い方だと思いません? こう、もっと素直に褒められないのかね…;」
「これ以上ない褒め言葉だろうが」
「もう、ホント工藤ってば素直じゃないんだからv」
「るせーよ」
むぅっとほんの少し眉を寄せた新一に小さく笑って、かいとは自分用に淹れた珈琲に口を付けた。
そんなかいとを新一はじーっと見詰める。
「なあ…」
「ん?」
「お前のそれ、やっぱり甘いのか?」
「まあ、砂糖入ってるからね。ブラックが好きな工藤には甘いんじゃないかな」
「ふーん…」
「どうかした?」
相変わらずじーっとかいとの手の中のマグカップを見詰め、何やら考えている新一にかいとがそう尋ねても気にも留めず、新一は相変わらずかいとのカップを見詰めたままで。
それにかいとも不思議そうな顔を浮かべた。
「工藤?」
「…美味いのか?」
「ん?」
「それ、美味いのか?」
「あー…うーん…俺的には美味しいけど、工藤的にはどうだろうなぁ…」
普段ブラックで珈琲を飲むのが普通で。
甘い物も普段余り摂取することが無くて。
そういう彼がコレを美味しいと思うとは流石に思えなかった。
「…一口寄越せ」
「へ?」
「いーから。さっさと寄越せ」
「えっ…あっ…!」
言うが早いか、コトンと小さな音を立てて自分のカップをサイドテーブルに置いた新一はさっさとかいとの手からカップを奪い去ってしまう。
それにかいとが瞳をぱちぱちとさせている間に新一はかいとのカップの中身をこくりと一口飲み込んだ。
「……甘い」
「いや、だから甘いって言ったじゃん;」
眉を顰めて余りにも嫌そうに言った新一にかいとはガックリとそう言って、その手からひょいっと自分用のカップを取り上げてしまう。
「あっ…!」
「はい、没収。新一君にはこっちv」
「………ん」
渡された自分用のマグカップを大人しく両手で受け取る新一の様子にかいとは苦笑する。
この分だと相当甘かったらしい。
その甘さを消し去る様にこくこくとその中身を飲み込む様は、何だか小動物の様で酷く可愛らしくかいとの目には映る。
「(いや、だから…何でコイツはこんなに可愛いんだって…;)」
そうだ。
相手が男であるというのに抱いてしまうこの不自然な想いは、絶対にこの目の前の彼が可愛過ぎるせいだと思う。
そう、だから仕方ないんだ。
こうやって不自然な想いを抱いてしまうのだって…。
「かいと?」
両手でカップを持ったままことんと首を傾げる姿なんて可愛過ぎて犯罪級だ。
これは――――ホントに参る。
「…何でもないよ」
それだけ言うのが精一杯。
だから自分を誤魔化す為に、新一と同じ様に自分のカップに口を付け『甘い』と新一に評された――かいとにとっては丁度いい――珈琲を喉へと流し込んでからはたと気付く。
「(……ちょ、ちょっと待て……! これって……)」
決してそれを意識して口を付けた訳ではない。
口を付けてから気付いただけだ。
これは――――もしかして………。
「(か、間接キス……!?)」
男相手に何て発想だと自分でも思ったけれど、一度意識してしまった想いは中々消えてはくれなくて。
思わず手の中のカップをじーっと見詰めてしまった。
「ん? どうかしたか?」
「えっ!? あ、いや、全然! 全然何でもないから!!」
「??」
「あ、そうだ。工藤おかわり要る? 要るなら淹れてくるよ!」
「……??」
かけられた声に漸く自分を取り戻しても、内心の想いは消せなくて。
わたわたと慌てる様に新一の手から既に空になっていたカップを取り上げて、かいとは急いでソファーから立ち上がった。
「かいと?」
「い、淹れてくるからちょっと待ってて!」
「えっ…あ、…おい…!」
新一が後ろから声をかけているのを聞こえない振りをして、かいとはキッチンへ逃げ込むとカップをステンレス台の上に置き、更にそこに手を付いて溜息を吐いた。
「(俺、何やってんだか…)」
がっくりと肩を落とし、再度深々と溜息を吐く。
自分の頭の悪さに頭痛までしてきた気がする。
強くて優しくて。
いつだって真っ直ぐで。
小さくされたってそれで大人しくしている様な彼ではなくて。
小さな身体で無謀だと思える程真っ直ぐに、いつだって真実を追い求めて。
その姿に何度救われたか分からない。
何度も何度も膝をつきそうになった。
見つからない愚かな女に、気弱になった事だって数知れない。
そんな時―――まるでそれを知っているかの様に彼は現場に現れた。
知っている筈なんてないのは分かっていた。
分かっていたけれど、彼がまるで自分を励ましに来てくれている様で…。
追ってくる彼にそんな事を思うのなんて馬鹿みたいだと分かってはいたけれど、それでも彼が来てくれることが嬉しくて仕方なかった。
「(それだけで、……それだけで満足だった筈なのに……)」
彼が偶に来てくれるだけで幸せだった。
そんな彼が元の姿を取り戻して一課に呼ばれる事が多くなっても、例え自分の現場に来てくれる事なんてほとんどなくなっても、それが彼の幸せならそれで良いと思っていた。
だから大学が一緒だと知ってもわざと近寄る様な真似なんてしなかった。
けれど、あんな風に偶然出逢って。
ずっとずっと叶わないと思っていた願い通りに友達になれて。
それだけで幸せな筈なのに、これ以上自分は彼に何を望むというのか。
「それに、俺は……」
――――犯罪者だ。
そう思った瞬間に、ぞくりと背筋が冷える。
泣きたい訳でもないのに、思わず閉じた瞼の裏が熱くなってくる。
後悔はしていない。
親父の跡を継いだのはあくまでも自分の意志だ。
けれど―――それが今はこんなにも重い。
彼のあの穢れのない手に触れるには、自分の手は余りにも汚れきっている。
自分の白い翼を―――今日ほど重いと思った日はなかった……。