あの日以来、彼が少しだけ変わった気がする

 それは良い事なのか
 それとも悪い事なのか

 今はまだどちらとも言えないけれど…

 少しずつ少しずつ
 彼が心を開いてくれている気がした















 黒羽快斗的名探偵の落とし方【7】















「ん…」
「…へ?」


 ずいっと差し出されたマグカップに固まる事数秒。
 立ち上る甘い香りに直ぐに我に返り、快斗は差し出されたマグカップを受け取った。

 受け取ったマグカップの中身を覗けば、黒茶の液体。
 少しとろみがかった甘い香りのするソレは工藤邸にある筈のない物体だった。


「…ホット…チョコレート?」
「ああ。お前好きだろ?」
「え、ああ…うん。好きだけど…」


 甘い物好きの快斗としては確かに好きだ。
 と言うか、大好きだ。
 飲み物の中でも一、二を争うぐらい大好きかもしれない。

 けれど…コレが此処にある理由が見つからない。


「何だよ」
「いや、何でコレが此処にあるのかな…と思って」


 目の前の名探偵殿は甘い物がお好きではない。

 彼の大好きな珈琲は当然ブラック。
 昔から彼の健康を気遣って時々ミルクを入れてみたりしたけれど、それですら少しばかり嫌な顔をされたものだ。
 当然ながら砂糖でも入れようものなら流しに捨てられる覚悟を決めなければならない。

 そんな彼の家に、こんな物があるのが余りにも異様で快斗は要らぬ妄想までしてしまう。


「……俺が居ない間、誰か来てたの?」
「…別に誰も」
「…じゃあ、何で新一が飲まないこんな甘い物置いてあるの?」


 女子供は甘い物好き、というのは少々偏った考え方であるかもしれない。
 それでも…と思う。
 もしかしたら、快斗が新一から離れると決めたあの日から今までの間、この家に誰か出入りでもしていたのかもしれない。

 それはあの可愛い幼馴染かもしれない。
 それはあの西の探偵かもしれない。
 はたまた違う第三者かもしれない。

 この飲み物の陰に他の誰かの影が見える気がしてジッとマグカップの中の液体を見詰めていれば、そのマグカップを支えていた快斗の手からそれを奪い取ろうとぐいっと新一の手が伸びてきた。
 それに反抗する様に快斗が顔を上げ新一の顔を見詰めればその唇は不機嫌そうにへの字に曲げられていた。


「飲みたくないならいい。返せ」
「別に飲みたくないなんて言ってないけど、何で…」
「……灰原が…」


 言い辛そうにもごもごと口籠りながら、それでも怒りが勝ったのか新一はキッと快斗を睨んだ。
 その視線を真っ直ぐに受け取りながら、快斗は酷く安心している自分に苦笑する。

 哀ちゃんが置いて行った物なら安心だと思ってしまうのだから、自分でも安直だと思う。
 彼女は確かに彼を大切に思っている。
 それは恋愛感情もきっと含んではいるのだろう。
 それでも、それ以上の感情が彼女を支配しているのを快斗は一番よく知っていた。

 だから…他の誰よりも彼女ならば、快斗は酷く安心できる。

 けれど、そんな快斗の内心など知る由もない新一は相変わらず不機嫌に唇を引き結んだまま快斗を睨みつけてくる。
 それはそうだろう。
 確かに大きな誤解だ。


「そっか…。ごめんね、新一。哀ちゃんが置いてったのに余計な詮索したね」
「………」
「ごめん」
「…別にいい……」


 真摯に快斗が謝れば、新一は快斗のマグカップを奪い取ろうとしていた手を引っ込めてぷいっとそっぽを向いて再び台所へと戻ってしまった。
 その背中を目で追ってから、快斗は手の中のマグカップに視線を落とした。

 彼女がコレを置いて行ったとするなら、こうして彼の元へ戻ってくる事も予想されていたという事になる。
 そう思うとその思惑通りに動いてしまった自分が何だかちょっと情けなくて恥ずかしくはなるが、それでもその時の事を考えて置いて行ってくれた哀に素直に感謝の気持ちが湧く。

 やっぱり何だかんだ言っても彼女は優しい。


「後でお礼に行かないとな…」


 ぼそっと呟いて口を付けたホットチョコレートは、いつもより甘い気がした。








































「…それ、私じゃないわよ」
「えっ…!?」


 あの後美味しくホットチョコレートを頂いていた所で、新一の携帯に電話が入った。
 案の定、馴染みの警部からの電話で一瞬にして事件に新一を奪われてしまった寂しさを紛らわす為と、恐らく寝食共に忘れ去って帰って来るだろう彼の為にパンでも焼いておこうとホームベーカリーに材料を突っ込んだ。
 美味しく出来上がったそれに満足して、快斗はホットチョコレートのお礼がてらにお裾分けとしてそのパンを持ってきたのだが…リビングに通され、紅茶を一口頂いた所で予想外の哀の発言に固まった。


「ちょっと待った。だって…新一は哀ちゃんが…」
「半分正解だけど、半分は不正解ね」
「……??」


 哀の言う意味が分からず快斗が顔中にハテナマークを浮かべていれば、哀は呆れた様に溜息を吐いた。


「確かに彼に『黒羽君はホットチョコレートが好き』とは言ったわ。けれど、その物自体を私は彼に渡してはいない」
「えっと…じゃあ、アレは…」
「…恐らく、彼が買って来たんでしょうね」
「えっ!? えぇ…!?」


 余りの快斗の驚いた声に哀は煩そうにその顔を睨み付けた。
 その表情に慌てて快斗が口を塞げば、もう一度呆れた様に哀は小さく息を吐いた。


「貴方、自分がどれだけの失態を犯したか分かってる?」
「…うん。今嫌と言う程実感してる」
「そう」


 彼が快斗の為に態々用意してくれたというのに、それを勘ぐった挙句に他の人から貰った物なのだと結論付けてしまった。
 あの彼の事だからそれを態々否定しなかっただけなのに、それすら結論付けの材料にしてしまった。

 あれだけ見て来たのに。
 あれだけ知ったつもりになっていたのに。

 新一をちゃんと見ていなかったと身につまされる思いで、胃がキリキリと痛む。


「…黒羽君」
「…何?」
「酷い顔よ」
「…だろうね」


 余りの失態に自分で自分を殴りつけてやりたい衝動に駆られる。
 それでも哀の手前そんな事はしないが、どうにもやるせないまま頭を抱えれば、小さな手でぺしっと頭を叩かれた。


「いたっ…!」
「全く、しょうがないわね。酷い顔の貴方に免じて一つ良い事を教えてあげる」
「…良い事?」
「ええ。彼ね私に聞いたのよ。『アイツは何したら喜んでくれるだろう』って。酷く真面目な顔でそう言うから、最初は何か悪い物でも食べたのかと心配したわ」
「哀ちゃん…それちょっと酷い…; でも、新一がそんな事……」
「きっと、彼なりに貴方を心配してたのよ」
「っ……」

 そう言われて、涙が出そうになった。
 胸の奥から込み上げてくる想いで一杯になって息が出来ない。

 彼が好きで。
 彼を愛していて。
 けれど、彼は何も覚えていなくて。

 それでも良いと思っていた。
 けれどどうしようもなく苦しくなって彼の元から逃げ出した。


 なのに―――彼はそんな風に思ってくれていたなんて……。



「ねえ、黒羽君」
「…ん?」


 泣くのを必死で堪えて呼ばれた声に無理に笑顔で首を傾げれば、そんなポーカーフェイスなどとうにお見通しだろうに哀は素知らぬ振りで快斗に質問を投げつけた。


「良い事を教えてあげた代わりに私からも一つ聞いて良いかしら?」
「…うん、俺が答えられる事なら」
「工藤君とはどうやって仲直りしたの?」
「あ………そっか。ごめん、あれから俺こっちに顔出したの初めてだったね」
「ええ。随分ご挨拶が遅いから、もしかしたらもう一度逃げ出したのかと思って心配したわ」
「……それは、……その、…………ごめんなさい」


 『逃げ出した』事に間違いはない。
 間違いはない…けれど、こうやって改めて、しかも哀に言われては立つ瀬がない。

 色々な意味を含んだ『ごめんなさい』を告げて、快斗は自嘲気味に笑った。


「何かもうね……それに関しては余りにもみっともなくて…」
「まあ、そうでしょうね」
「いや、哀ちゃん。そうなんだけど……その言い方は…」
「だって事実でしょう?」
「うぅ…;」


 身も蓋もない。
 しかも確かな事実だから、否定のしようもない。

 哀相手では所詮勝ち目のない戦いなのは百も承知だから、快斗は仕方なくその経緯を語った。






























『で、快斗。言い訳は?』
『……あの、…えっと………』


 新一に大学の正門で拉致され駅まで連れて行かれ、てっきり電車に乗るのかと思いきやその辺りは流石坊ちゃん。
 タクシーで強制連行される形で快斗は工藤邸のリビングに辿り着いていた。

 もう二度と来ることのないと思っていた場所。
 そんな場所にもう一度来られることが出来て良かった…なんて感傷に浸っている暇など新一が与えてくれる訳は当然無く、着いて早々快斗は詰問攻めにあっていた。


『何だよ。俺が嫌だって言うまで言い訳するんだろ?』
『あー…えっと、そうは言ったけど…』
『だったらさっさと言い訳しろよ』
『………;』


 流石は、俺様女王様工藤様。

 暫く逢っていなかったとは言え、今までの人生に比べればほんの僅かな時間。
 そんな短い時の流れでこのゴーイングマイウェイな性格が変化している筈もない。


『何だよ、言えないのかよ』
『いや、あの…言い訳にもそれ相応の準備という物がありまして…』
『…何だよ。面倒臭い奴だな』
『…すみません;』


 ざっくりすっぱりと切り捨てられて、半ば涙目になりながらも快斗は必死に頭をフル回転させていた。

 言い訳はきっとしようと思えば幾らでも出てくるのだろう。
 けれど、言葉で表現しようとすれば全て作り物の何かの様に実感を伴わない別の物になってしまう。
 あの時の感情をどう言えば彼に分かって貰えるのか分からなくてギュッと眉を寄せ、目を瞑ればぺしっと軽く叩かれる感触を額に感じた。


『あっ…』
『ったく、しょうがねえから珈琲淹れてる間待ってやるよ。ちょっと考えとけ』
『あ…うん。分かった』


 彼なりの優しさなのか、悩む快斗を置いて台所へ行った新一の後ろ姿をぼおっと見送って、快斗は再度頭を抱えた。


 彼は記憶を無くしている。
 それでも快斗はそんな新一の傍に居たいと願った。

 忘れていても良い。
 かつての様に恋人になんてなれなくたって彼の傍に居られれば幸せだ。

 そう思って新一の傍に居た。

 そうやって勝手に新一の傍に居て。
 けれど―――それに耐えきれなくなって…逃げ出した。


『駄目だ。何をどう言っても……最低だ、俺…』


 言い訳過ぎる言い訳に自分でも吐き気がする。
 余りにも自分勝手だ。
 こんな事、とてもじゃないけど彼に言える訳がない。

 傍に居られれば幸せだと思った。
 それだけで満足出来ると、あの時病室では確かに思った。
 なのに、貪欲過ぎるこの心はそれだけでは飽き足らず…その先を願ってしまう。
 そうしてそれが叶わなければ、苦しくて辛くて耐えきれなくて…彼の元を逃げ出してしまう。

 余りにもみっともなくて、情けなくて、どうしようもない。


『…呆れただろうな、きっと…』


 勝手に付き纏って。
 勝手に居なくなって。

 きっと彼も彼女も快斗の勝手な行動に呆れただろう。

 それでも新一は優しいから、こうやって快斗を再び招き入れてくれた。
 それを思うと嬉しいと思う自分が居る反面、酷く情けなくなる。

 こんな格好悪い恋人なんて誰だって嫌だろう。
 こんな情けない恋人なんて誰も要らないだろう。

 忘れられて当然だと思った。
 思い出して貰えなくて当然だと。

 だから、こんな風に再び迎え入れられても素直に喜ぶことも出来ない。

 諦めの悪い上に、素直に優しさも受け入れられない。
 自分の事ながらどうしようも無くて頭を抱えたまま深い溜息を吐いた。


『忘れられて当然、かな………。……ぃってぇ……!』


 深い溜息を吐いた直後、後ろから思いっきり“ゴン”と後頭部を殴られた。
 痛みに目尻に涙を浮かべ振り返れば、両手にマグカップを持った新一に酷く冷たい目で見降ろされていた。

 どうやらそのマグカップで頭を殴られたらしい。
 どうりで痛みが過剰な訳だ。


『ったく、それじゃ言い訳になってねえだろうが』


 見下ろす視線も冷たければ、言葉も絶対零度の冷たさ。
 眉を顰めたまま、新一はソファーを周って来るとコトリとマグカップをテーブルの上に置き、快斗の座っている隣に腰かけた。
 足を組み更には腕まで組んでソファーの背もたれに背を預けると、尊大に踏ん反り返り横の快斗を見詰める。


『で、言い訳は?』
『いや…あの……』
『お前が「忘れられて当然」とかくだらない事考えてる様だから一つ言っとく。
 俺は確かにお前との事忘れてるよ。それはお前には悪いと思ってる。でも、それを当然だなんて思ってるなら、お前はとんだ大馬鹿野郎だ』
『………』


 悪いと思ってる、なんて言いながらその態度は相当に尊大で。
 さっぱり悪いと思ってるなんて思えない状態だったが、それでも新一の瞳は真摯に快斗に伝えていた。


『俺は自分からお前を探しに行ったし、勝手にお前を助けた。
 傍に居るって言ったのは確かにお前だけど、俺だって……それを望んだ様なもんだ』
『新一…』
『で、お前は俺の傍に居るって言った癖に勝手に逃げ出した訳だよな。って事で、さっさと言い訳しろよ』


 ふぅ…なんてわざとらしく息を吐き出して、新一はじろりと快斗を睨む。
 けれどそれが照れ隠しなのは、嘗ての新一を知っている快斗が一番よく分かっていた。

 相変わらずだ、と思う。
 記憶を無くしていようといまいと、彼は彼で。
 本当に…相変わらず優しいままで。

 泣きそうになるのを必死に堪えて、快斗はその眼を真っ直ぐに見詰めた。


『ごめんね、新一。俺、…何でも良いって言ったのに……新一の傍に居られるなら何でも良いって言ったのに……』
『いいよ。分かってる』


 必死に堪えていた。
 必死に堪えようとしていた。

 それでも視界に水の膜が張り、今にも零れ落ちそうになっていた所でポンッと頭を軽く撫でられた。


『分かってるよ。昔と重なっちまったんだろ?』
『うん…。ごめん』
『別に謝る事じゃないだろ。寧ろ…俺の方こそごめんな』
『えっ…?』


 新一に謝られる意味が分からず快斗が視線を新一に向ければ、新一は酷く渋い顔を浮かべていた。


『お前がどう思ってるのか、何を悩んでるのか…俺には全部分かってた。
 でも、俺はお前の優しさに甘えてたんだよ。それが―――どれだけ残酷か知りながら、な…』


 言われた瞬間、限界だった。
 瞳の表面を潤ませていた水分はその量に耐えられず、粒となって頬を流れた。

 一度流れ出してしまった想いは留める事は出来ず、一粒、また一粒、そして遂には筋になって流れていく。

 みっともないと分かっていた。
 情けないと分かっていた。

 それでも今まで堪えていた何かが決壊してしまった様に、後から後から涙は溢れてきた。


『ごめんな。快斗…』


 自分の名を呼ぶ余りにも優し過ぎる彼の声に、思わずその細い身体を掻き抱いて―――涙が枯れ果てる程にただ泣き喚いた。






























「…情けないでしょ」
「そうね」


 クスッと笑った哀の顔がそうは言っても優しい笑みを浮かべていて、快斗は余計に気恥ずかしくなって少しだけ赤くなった顔を隠す様に視線を机上へと少し逸らした。
 こんな時、酷く自分を子供だとは思うがそれも悪くないと思ってしまうのだから全く仕方がない。


「でも、そのお陰で『押してもだめなら引いてみろ』っていう諺を実際に検証する事が出来た訳だから、私は面白かったけど」
「あ、哀ちゃん…ι」


 哀の言葉に今度こそガックリと肩を落とした快斗は、溜息を吐いて天井を見上げた。


「まあ、確かにそうなんだけどさ…。そういうのは意図的にやってこそ、なんだけどねぇ…」
「あら。工藤君大好きな貴方が意図的にそんな事出来る日なんて永久にやって来ないから安心しなさい」
「…ご尤もです。はい」


 確かにそうだ。

 彼が好きで好きで堪らない。
 サヨナラをするのだと決めてもなお、彼の元から離れられないのがいい証拠だ。

 好きで。
 大好きで。
 愛している。

 確かに哀の言う通り、意図的にそんな事が出来る日は永久にやって来ないだろう。


「ねえ、黒羽君」
「ん?」
「しょうがないから情けない貴方にもう一つだけ良い事を教えてあげるわ」
「え…?」
「工藤君、帰って来たみたいよ?」
「……!!」


 哀の視線の先を辿れば、窓の外には彼の姿。
 今正に門から敷地に入ろうとしている姿に快斗は椅子から飛び降りた。


「哀ちゃんありがとう! お茶ご馳走様!!」
「はいはい。ちゃんと工藤君に謝るのよ」
「うん!!」


 言うが早いか、目にも止まらぬ速さで駆け出して行った快斗に苦笑して哀は冷めてしまった紅茶に口を付けた。


「…私も本当にお人好しね。でも―――」


 そう、分かっていた。

 彼が優しいのも。
 彼が彼を大好きなのも。

 全部全部分かっていた。

 それを全部見ない振りを決め込んで強行しても、残るのは後悔ばかりだった。
 だから…今こうして彼らが笑って居てくれれば幸せだった。


「―――私、貴方の事も嫌いじゃなかったみたい…」


 小さく呟いた声は誰に聞かせる訳でもなく、ただひっそりと部屋の中に落ちて行った。








































「新一!!!」
「快斗…?」


 丁度彼が門を閉めようとした所で捕まえた。

 不思議そうに快斗を見詰め、それでもガチャッともう一度門を開け快斗を招き入れてくれた事に酷く心が躍る。
 望まれて招かれている様で、その行動が酷く幸せだった。


「もう事件解決したの?」
「ああ。あんま大した事ない事件だった」
「そっか」


 後ろ手で器用に門を閉め新一の横を歩けば、横からは呆れた様な視線が向けられた。


「ホント、器用な奴」
「お褒め頂き光栄ですよ、名探偵」


 調子に乗って快斗がポンッと煙幕と共に真っ赤な薔薇を一輪差し出せば、途端に『うわぁ…』という嫌そうな新一の声が響いた。


「ちょっ…! 新一君!! 何その反応!!!」
「いや、だってお前…それは流石にナイ。何処の気障男だ」
「えぇ…; それちょっとショックなんだけど、ホント…マジで…;」


 折角きめたのに…、とちょっとだけしょんぼりする快斗の手から次の瞬間するりと薔薇が抜き取られた。


「へ…?」
「俺に出したんだろ? しょうがないから貰ってやるよ」
「え……?」


 手の中でくるっと薔薇を回しながら、少しだけ快斗より前を歩く背中を呆然と見送って、快斗は新一の耳がほんのりと赤くなっている事に漸く気付いた。

 全く…。
 この人ってば本当に素直じゃない。


「新一」
「ん?」
「ごめんね」


 少しだけ大股に歩いて、ドアの前辺りでその背に追いついて。
 鍵をポケットから取り出した新一に快斗はそう言って頭を下げた。


「何がだ?」
「さっきのホットチョコレート。新一が用意してくれたんでしょ?」
「………ちっ…。灰原の奴余計な事言いやがって…」


 坊ちゃんらしからぬ舌打ちをして、快斗から顔を背けた新一の耳がさっきよりも赤くなっている事に気付いて快斗はクスリと笑う。

 本当に…素直じゃない。
 けれど、そんなところが余りにも可愛くて可愛くて堪らない。


「ありがとう」
「…別にお前の為に用意した訳じゃねえよ」
「おや、俺以外に誰の為? 新一は甘い物好きじゃないし、哀ちゃんもそんなに好きじゃな…」
「るせー! 入るならさっさと入れ!」


 照れ隠しなのだろう。
 半ば蹴り入れられる様にして、工藤邸の玄関に押し込まれても快斗は酷く幸せだった。


「新一」
「何だよ」
「俺ね、すげー嬉しい」
「……だから、お前の為じゃ…」
「ありがとう。本当に本当に凄く嬉しい」
「………」


 快斗の心からの言葉に、今度こそ顔を真っ赤にしてドアの前に立ったまま入って来られなくなってしまった新一の腕を緩く掴み、快斗はその細い身体を腕の中に抱き込んだ。


「大好きだよ、新一」
「……そういう恥ずかしい事言うな」
「世界で一番大好き」
「だから…」
「世界で一番、新一の事愛してる」
「っ……///」


 顔なんて見なくても彼が今どんな顔をしているかなんて手に取る様に分かる。
 顔から耳まで真っ赤に染め上げて、それはそれは可愛らしく照れてくれているのだろう。
 隠れる様に顔を胸に押し付けるその動作さえ可愛くて、快斗は新一の身体を抱く手にもう少しだけ力を籠めた。

 折れてしまいそうに細い身体。
 甘い香りさえ漂ってきそうなその華奢な身体に一瞬思考が持って行かれそうになるが、既の所でそれをなけなしの理性をかき集めて押し留める。

 好きで好きで、大好きで。
 堪らなく愛している人。
 だから―――大切にしたいと思う。
 何よりも、誰よりも。


「快、斗……」
「ごめんね、新一。もう少しだけこうさせて」
「………」


 彼に記憶が無いのは分かっている。
 彼が少しずつ心を開いてくれているとしても、快斗を気にしてくれているとしても、それは嘗ての様な『恋愛感情』からではない。

 それでも、それでも…。
 少しでも快斗を“特別”だと認識してくれているのだとしたら――――それは余りにも甘美だ。



「ごめんね、新一。―――――愛してる」



 新一が何も言わないのを良い事に、快斗はその甘やかな現実にただ酔いしれていた。


















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