『おつかい』という名目で来る切欠をくれた彼
 これは甘やかしてくれていると取ってもいいのだろうか?

 彼にあるのは罪悪感か
 それとも希望的に考えれば彼にあるのは無意識下での愛情なのか

 期待してはいけないと思う
 けれど心は理性を裏切る

 だって仕方ない
 ―――俺は君を愛しているんだから















 黒羽快斗的名探偵の落とし方【4】















 ―――ピンポーン


 軽やかに鳴ったチャイムにソファーから腰を上げる。
 きっと放っておいても入って来るのは分かっていたけれど、『出禁』と言った手前、出迎えてやらなければ少しばかり可哀相な気がした。

 誰かなんていちいち確認する必要のない相手の気配に、新一はガチャっと玄関のドアを開けてやった。


「しんいちーvvv」
「………」
「ちょっ…! 新一!! 何で閉めようとするの!!!」
「ちっ…」


 開けた瞬間に満面の笑みを全開で向けられて、開けてやった扉を思わず閉めかけてしまう。
 すかさず足を扉の隙間に足を滑り込ませた快斗に舌打ちすれば、快斗が手に持った紙袋を新一の目線より少し低い位の位置に持ち上げる。


「コレ、いらないの?」
「……いる」
「じゃあお家に入れてくれる?」
「……好きにしろ」


 諦めて再度扉を開けてやり、くるりと踵を返すと新一はすたすたと廊下を歩く。
 それを快斗が追いかけてくるのが当然だと思っていたのに、後ろに気配が感じられなくて不思議に思ってくるっと玄関を振り返った新一の視線の先には、玄関で複雑そうな顔をしながらまだ靴を脱ごうとすらしていない快斗が居た。


「どうした?」
「…俺、上がっていいの?」
「…まあ、言われた通りにちゃんと『おつかい』して来たみたいだからな」
「う、うん…! ちゃんと買ってきたよ!!」


 ぱたぱた。ふりふり。
 きっともし快斗にしっぽでも付いていたらそんな風に嬉しそうに振りそうな勢いで、満面の笑みを浮かべながら子供の様に無邪気にそう言う快斗に何だか可愛らしく見えてしまう。
 こういう時、とても彼が同じ歳だなんて信じられない。
 ついつい撫で回したくなる様な、不思議な感情に駆られて、思わず甘い言葉が出てしまう。


「じゃあ、上がればいいだろ」
「あ、うん…。お邪魔します」


 すたすたと廊下を歩く新一の後ろを快斗がぺたぺたと付いてくる。
 振り向きたいのを我慢して、新一は『お前なんか待ってなかった』ぐらいのスタンスでリビングのソファーに深く身体を埋めた。

 座る事も出来ず、かと言って身の置き場に困ってソファーの傍らに立ち尽くす快斗の姿を見詰めて新一は苦笑した。


「座れよ」
「うん…」
「今日は随分殊勝なんだな」
「……そんなことないけど……」


 『出禁』は相当効いたらしい。
 大人しく隣に腰を掛けた快斗に少しだけ可哀相になって、新一は助け船を出す為にその手を差し出した。


「寄越せよ」
「えっ…」
「『おつかい』してきたんだろ?」
「あ、うん。はい」


 ずいっと渡された紙袋を受け取って中身を確認する。
 そこにはきちんと新一が渡したメモ通りの書籍達が詰め込まれていた。


「うん、全部あるな」
「うん。ちゃんと全部買ってきた!」


 ………オイコラちょっと待て。
 同い年の男が、まるで小学生が初めてのおつかいでもして来た様に、それこそ『えへん!』とでも言いそうな勢いで胸を張る様子に何だか呆れを通り越して乾いた笑いさえ出てくる。
 それでも…ちょっとばっかしそんな快斗が可愛いと思ってしまうのだから、新一自身自分で自分が終わっている…なんて内心で自分にがっくりとしてしまう訳であるが…。


「子供か、お前は」
「まあ、俺は『子供キッド』だからね」


 パチッとウインクを寄越した快斗は、一瞬にしてふわりと夜の雰囲気を纏ってみせる。
 さっきまでまるで子供の様だと思っていた彼の姿は、一瞬にしてあの白い怪盗の姿を彷彿とさせるものに変わる。

 その余りにも激し過ぎるギャップに、新一は正直にほぅ…っと感嘆してしまう。

 時々しか思い出す事はないが(…)この目の前の男は紛れもなく『怪盗キッド』だ。
 世界中を華麗なマジックで魅了してみせる魔法使い。
 白い…孤高な怪盗。


「お前…ホントに分かんねえ奴……」
「ん?」
「いや、何でもねえよ」


 新一が一人ぼそっと呟いた言葉はどうやら快斗の耳には届かなかったらしい。
 首を傾げた快斗に緩く首を振って、新一は受け取った紙袋の中から本を一冊取り出した。

 その頃合いを見計らってか、快斗はソファーから腰を上げた。


「珈琲飲むよね?」
「あ、ああ…」
「ん? どうかした?」
「…お前、折角来たのに俺が本読んでも良いのかよ」


 確かに新一は快斗から受け取った本の中から一冊を取り出した。
 けれど、その瞬間に『折角来たんだから構ってよー!』と快斗に言われる事を覚悟したのに、それでも快斗の反応はまるで真逆で。
 当然の様に尋ねられた問いに何だかちょっとばかし複雑な思いで言った言葉は何だか酷く拗ねたモノになってしまって、それに快斗は困った様に笑った。


「俺は新一の傍に居られるなら新一が何しててもいいんだよ」
「…何だよそれ」
「新一の傍に居られるならそれだけで幸せって事」
「………」


 いつもの快斗とは何かが違った。

 諦めた様な。
 それでいて、何かを願う様な。

 柔らかく優しく…そして何処か切ない笑みを浮かべた快斗に息が詰まりそうになる。

 この想いはきっと…記憶を無くす前の自分のモノだ。
 直感的にそう思って、新一は思わず唇を噛みしめる。

 自分の知らない自分が確かにこの頭の中、心の中に存在している。
 それが酷くもどかしい物に感じられて、より強く唇を噛んだ時、ぽんっと頭に優しく手が置かれた。


「あっ…」
「止めなよ新一。綺麗な唇に傷が付くよ」


 弾かれた様に顔を上げた新一にまた優しく快斗は笑う。
 その笑みに更に苦しくなった新一は、頭に乗っていた快斗の腕を掴むと思いっきり自分の方に引き寄せた。


「えっ…!? わ、っ………っと。……新一、急に引っ張ったら危ないよ…?」
「………」


 突然の事態に流石の快斗も体制を崩し、新一に覆い被さる形になった。
 それでも新一を潰さない様に慌てて新一の身体の横に付かれた腕は、流石と言うか何と言うか…。


「新一? 一体どうしたの?」
「………」


 快斗から視線を逸らし固まったままの新一に快斗は困った様に小さく溜息を吐いた。
 その溜息に新一がビクッと反応したのを感じて、快斗は慌てて新一の耳元に優しく言葉を落とし込んでいく。


「俺、何か嫌な事でもした?」
「……してない」
「じゃあ、急にどうしたの?」
「………」
「言いたくない?」
「………」
「そっか。じゃあ、言わなくて良いよ」


 正直な所、不自然な体制で腕は辛かったけれど、かいとにはそんな事はどうでも良かった。
 目の前の新一が視線を逸らしていても、きっとその顔には複雑な表情が浮かんでいる事など見なくても容易に快斗には予想がついた。

 彼は記憶を無くしている。

 それがどれだけ彼を不意に苛むか、分からない訳ではない。
 自分がこんな風に彼に接する事自体が彼を苦しめているのだと分かっている。
 けれど―――分かっていてもなお、快斗は新一の傍に居る事を止められない。

 好きで。
 大好きで。
 堪らなく…愛している。

 離れたらきっと狂ってしまうだろう。
 離れたらきっと死んでしまうだろう。

 それは冗談でも、過剰表現でもなくてただ単に現実に予想される未来だ。

 どうしようもない。
 何をどうしたって、彼以外目に入らない。
 彼の傍に居られるなら―――彼自身を苦しめてでも……。


「快斗……」


 まるで黒い何かに引き摺られる様な思考に浸っていた頃、縋る様に呼ばれた名前でふと我に返る。
 呼ばれた名前に反応して彼を見詰めれば、やっぱり思った通り新一の顔には複雑そうな表情が浮かんでいた。


「何?」
「……俺、分かんねえんだ」
「うん」
「…お前がどうしたいのか……俺が、……どうしたいのか………」
「うん。そうだよね」


 不自然な体制をどうにかこうにか少し立て直し、快斗は新一を怯えさせない様に努めて軽く優しくその身体に腕を回した。
 ビクッと新一の身体が一瞬怯えた様に反応して、それでも快斗を押し返そうとする様子が見えないのに少しだけ安心して、快斗はまた新一の耳元に唇を寄せた。


「怖いよね。自分が知らない自分が居るのは…」
「………別に、怖くなんかない…」
「そっか。新一は…強いね」
「………」


 強くて。
 真っ直ぐで。
 優し過ぎる彼。

 時々壊れてしまうんじゃないかと思う程優し過ぎるのに、それでも強くあろうとする彼に何度危うさを感じたか分からない。
 けれど、快斗は心のどこかで油断していた。
 彼は―――『強い』のだと思ってしまっていた。

 その油断が命取り。
 その油断の中に浸り切っていた自分はあの時気付けなかった。
 彼が何に悩んでいて、そこまで思い詰めていたなんて。

 だから―――。


「でもね、新一。少しぐらいはさ、強い自分を休んでも良いんだよ」
「…休む……?」
「そ。休んで…少しぐらいは弱音を吐いたって良いんだ」
「………」
「怖ければ怖いって言って良い。辛いなら辛いって言って良い。溜め込む必要なんて…ないんだよ」


 そう、いつだって彼は真っ直ぐであろうとするから。
 そう、いつだって彼は強くあろうとするから。

 偶には、少しぐらいは……そんな自分を休んでもいいと思う。
 そうでなければボロボロになってしまうと思うのに…。


「…別に俺は怖いなんて思ってねえし、辛いなんて思ってねえよ」
「新一…」


 相変わらず真っ直ぐな瞳で快斗を見詰めそう言いきって見せる新一に、快斗は辛そうに顔を顰める。
 そんな快斗の視線を受けて、漸く新一はその瞳を少しだけ潤ませた。


「でも……」
「でも…?」
「…分かんねえのが気持ち悪いんだ。お前の事も、俺の事も……お前は知ってるのに俺は知らない。
 俺自身の事なのに…俺自身の気持ちなのに……俺は知らないし…分からないんだ……」


 快斗の事が嫌いでないのははっきりしている。
 こうして抱きしめられても嫌悪感を抱くどころか、どこか安心するのがその証拠だ。

 けれど……だからと言って、快斗が言う『好き』とか『愛してる』とか、そういう感情が自分の中にあるのかは分からない。
 いや、きっとそういう感情はあるのだと思う。
 けれどそれは、あくまでも昔の新一の感情であり、今の新一の感情ではない。
 その昔の感情をなぞってみようと思っても、記憶に裏付けられているその感情を完全になぞりきる事など記憶のない今の新一には出来る筈がない。


「新一」


 ぎりっと奥歯を噛みしめて必死に泣くのを堪えている新一の耳に、聞き慣れている筈の自分の名前が酷く甘く響いた。
 何かを溶かす様に柔らかくて、何かが溢れる様に甘い。


「いいんだよ。何も思い出せなくても、何も知らなくても、新一は新一なんだから」
「でも…」
「俺は昔の思い出で新一を縛るつもりはないよ。今の新一を…ゆっくり口説き落とす楽しみがなくなっちゃうからねv」
「快斗…」


 抱きしめて。
 甘く囁いて。
 それでも最後はそう言って茶化して誤魔化してくれる。

 追い詰めて、落とそうと思えば幾らでも落とせるというのに、目の前の男は決してそうしない。
 口説き落とすという癖に、そうやっていつだって新一に逃げ道を用意してくれている。

 甘いのか。
 優し過ぎるのか。

 でも何だかそれが時々余りにも痛々しく新一の目には映る。
 優し過ぎる彼が、彼自身を苦しめている様で――――。


「新、一……」


 ビクッと強張った身体。
 戸惑う様に呼ばれた名前。

 それに反応する事無く、新一は目の前の快斗をぎゅっと抱きしめた。


「嫌、じゃ…ないの……?」


 恐々と言われた言葉に、今度こそクスッと笑ってやる。


「嫌だったらこんな事するかよ」
「で、でも…」
「何かを思い出した訳じゃない。お前との事なんてホント…悔しい位に何も覚えてねえよ…」
「新一…」
「でも………お前の事……俺は多分……」


 多分、恐らく……きっと俺は快斗の事が好きなのだろう。
 こんな風に抱きしめたくなるぐらいに。

 でも、快斗に『好き』だと言ってしまえば、それは快斗に期待をさせてしまう事になる。
 快斗の言う『好き』と新一の想う『好き』はきっと違う。

 だから――――。


「新一?」


 言いかけた言葉を途中で切った新一を不思議に思ったのか、かけられた声に新一は少しだけ照れた様に小さく呟いた。


「嫌いじゃねえよ」


 ―――今はこれが精一杯だ。
 それでも…快斗が嬉しそうに笑ったのが顔を見なくても雰囲気で分かった。



「…大好きだよ。新一……」



 これ以上ないぐらい幸せを噛みしめる様に言われた言葉は、何だか酷くくすぐったかったけれど、それも悪くないと新一は快斗を抱きしめる腕にもう少しだけ力を籠めた。


















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