年月から言えば彼女には勝てない

 親密さから言ってもきっと彼女には勝てない

 けれどそれでも…彼女には負けないと胸を張って言えるものがある






 〜燃ゆる想ひ






 寒さも凍てつく様な寒さから、少しだけ春の香りを漂わせた寒さへと変わり始めた3月のある日。
 それでも今日はまだまだ寒いと言える日で、新一は吹き荒ぶ夜風の冷たさにコートの襟元を手でぎゅっときつく閉めた。

「ったく、さみーいんだよ。あのバ怪盗が…」

 ビルの屋上に、しかもこんな寒い日に一人で立っているのだから、いっそそうやって悪態でも吐いていなければ身体の心まで冷えてしまいそうで。
 まあ、それはそれで嫌ではないと思ってしまう自分もどうかと思うのだが。


 けれどそんな悪態も次の瞬間包まれた温もりの中に消えた。


「すっかり冷え切ってしまいましたね」
「誰のせいだよ」
「すみません」

 暖かい白にふわりと後ろから抱きしめられた。
 待ち望んだその温もりは酷く心地いいものだったが、何時の間に後ろを取られていたのか気付けなかった自分がほんの少し悔しくて。
 だから返したのはそっけない返事。

「で、何の用だよ」

 肩越しに少しばかり怪盗を睨み付ける。
 こんな寒い日の、しかも真夜中にこんな場所に呼び出したのはどういう用件でかと。
 理由によっては今日無事に帰してやる訳にはいかないな、なんて思いながら。

「貴方にお渡ししたい物がありまして」

 けれど睨み付けた瞳に映ったのは穏やかな怪盗の顔。
 優しさに、穏やかさに満ちたその表情は怪盗が見せる何時もの顔とは何処か違って。
 新一は思わず目を奪われる。

「どうしても今日この日に貴方にお渡ししたいと思いまして」

 そんな新一の気持ちを知ってか知らずか、怪盗はその穏やかな表情の上に更に穏やかな笑みを浮かべる。
 それはさながら聖母の様な笑みとでも言えばいいのか。

「何だよ…」

 ぶすっとした表情を浮かべる事になったのはきっと必然。
 だって余りにも目の前の怪盗が、まるで別人なのではないかと思う程穏やかな笑みを浮かべているのだから。

「私から貴方への気持ちですよ」

 ポンッという音と小さな小さな白い煙幕に包まれて怪盗の手元から取り出されたのは小さな小さな白い花の花束。
 それは暖かな怪盗の手の温もりと共に、新一の手へと渡される。
 細かい1つ1つの白い花はまるで白い細かい雪の様。
 しかし、その花束を見詰め新一は首を傾げた。

「……これが気持ち…?」

 確かに綺麗な事は認める。
 が、今まで貰ったどの花よりもひっそりと目立たない様な、そんな花だったから。
 だからなぜこれが『気持ち』なのかが解らない。
 そう首を捻った新一に怪盗は一つの質問を投げかける。

「名探偵はこの花の名前をご存知ですか?」
「いや。かすみ草…じゃないよなあ?」
「ええ」

 一見すればかすみ草の様に見える小さな小さな白い花。
 けれど形や大きさが僅かに違う。
 それに気付いた新一は自分の中の記憶を辿ってみたが、生憎とこの怪盗程花に詳しい訳でもないので解る筈がなかった。

「じゃあ何なんだよ」

 きっと解らないのを承知で投げかけられた問いだから。
 解答を尋ねるのに抵抗はなかった。

「これは『種付花』という花なんですよ」
「種付花?」

 その聞きなれない言葉に新一は怪盗の言葉を鸚鵡返しに言い返した。
 それに怪盗はゆっくりと頷く。

「種もみを水に漬けて苗代の準備をするころに開花するところからその名が付いたそうですよ」
「ほう…。って、おい…」
「?」

 怪盗の説明に納得しかけた新一が、ふと我に返った。

「俺は別に名前の由来を聞いてる訳じゃねえんだが?」
「ああ、そうでしたね」

 何ともしれっとそう宣ってくれた怪盗に新一は一つ溜息を吐いた。

「そうでしたね、じゃねえよ…」

 まったく、この性格はどうにかならない物かと思う。
 解っていてやっているのだから、無意識よりも質が悪い。

「なら名探偵は何をお聞きになりたいんです?」
「そりゃ…」

 新一は言いかけて言葉を切った。
 先程怪盗は『自分の気持ち』だと語った。
 だとすればこの花に籠められているのはそのままずばり怪盗の心。
 それを聞く準備は……。

「卑怯者」

 新一は花から視線を怪盗へと再び戻し、そして睨み付けた。

「どうしてです?私は貴方に何が聞きたいのかとお尋ねしただけですが?」
「それが卑怯だっつってんだよ」

 自分の気持ちを言う前に、相手に何を聞きたいか尋ねるなんて。
 はっきり言って卑怯以外の何物でもない。

「ったく…それが寒い中出向いて来た人間に対する態度かよ」

 ぶすっとした表情を浮かべた新一に怪盗は苦笑を浮かべる。

「すみません。貴方の事になると私にも余裕がなくなってしまうのですよ」

 嘗て名女優と言われた母親譲りの容姿も。
 『名女優と有名小説家の息子』という血統も。
 そしてその二人と更には彼自身が稼いできた富も。

 世間で言われる『ステータス』と言われる物を全て兼ね備え、そして自分自身で『東の名探偵』といわれる名声までも手にしている人。
 そして何よりもその澄んだ瞳で何時でも『真実』を見詰め続けて来た高潔で強い人。
 そんな彼と…自分の様な者が釣り合いが取れる筈がない。
 きっと彼と釣り合いが取れるのは、太陽の様に屈託なく笑う事の出来るあの彼女の様な…。

「んなの………俺だって一緒だよ」

 怪盗の心を知ってか知らずか、新一の口からぼそっと零れたのはそんな台詞。

「名探偵…?」

 その言葉に怪盗は首を傾げた。
 一瞬、その意味が解らないと。
 怪盗が新一の顔を覗き込もうとすれば、新一は俯いて口を開いた。

「お前より俺の方が…」

 全ての観客を魅了する華麗な手口。
 それは犯罪だという事を忘れさせる程鮮やかで、そして人々を惹きつけずにはいられないもの。
 そして人を決して傷つける事のないある意味信念を持った犯行。
 だからこそ、彼には数多くのファンが付く。
 犯罪者であるにも関わらず、だ。

 だからこそ思う。
 自分はその横に立つ資格があるのかと。
 何時だってその華麗な手口で、鮮やか過ぎるマジックで綺麗に綺麗に隠してしまっては居るが、彼には並みの人間では抱えきれない闇がある。
 その闇に飲み込まれる事なく、周りを巻き込まない様に、一人あの白き衣を纏い戦い続けている孤高の魔術師。
 それはきっと誰よりも強く、気高い存在。
 その横に…同じように強く気高く生きられる自信は新一自信にはない。
 だって…組織を潰した時点で自分の手は少なからず汚れてしまったのだから。

「俺の方がずっと余裕も自信もねえよ」
「………」

 俯いたまま、辛そうにその言葉を吐き出した新一を怪盗は無言でぎゅっと抱きしめる。
 冷たい風が吹き付ける中、その場を支配したのは静寂。
 それは余計に闇を、寒さを強くしていく様な気さえする。

「そう言って頂けるとは思いませんでしたよ」

 暫くして口を開いたのは怪盗。
 寒さから新一を守るかの様に新一を抱きしめる腕に力を籠めて。

「……俺だって言うつもりなんかなかったよ」

 きっと一生言うつもりなんかなかった。
 今自分を抱きしめている怪盗があんな事を言わなければ。

 俯いたままそう語った新一の顔を怪盗は肩越しにそっと覗き込む。

「ねえ、名探偵。もし宜しければ聞いては頂けませんか?」


――もし許されるなら私の気持ちを、私の想いを聞いては頂けませんか?


「………」

 無言で頷いた新一に怪盗は微笑んで、そっと耳元で囁いた。


「3月7日の誕生花の種付花の花言葉は『燃える想い』なんですよ」


 だからこそこの日に。
 だからこそこの花を。
 自分の想いを、この気持ちを表現できる方法なんて情けないけどこれぐらいしか思いつけなくて。
 だから贈ったのは大切な意味を仕舞い込んだこの小さな小さな白い花。

「やっぱ…お前は卑怯者だ…///」

 耳元で、しかもそんな事をいうなんて…、と真っ赤な顔をしてぎゅっと花束の持ち手を握り締めた新一に怪盗は笑みを浮かべる。
 それはもう彼から返事を聞いたも同然の反応だったから。

「ええ、私は貴方が仰る通りの卑怯者ですよ。貴方から否の返事を聞く気はもうありませんしね」
「なっ…!」

 怪盗はそう言うが早いかさっさと新一を抱きかかえてしまう。

「何すんだよ!降ろせこのバ怪盗!!」
「嫌ですよ。このままではお互い風邪を引いてしまいますし、それに…」


「夜はまだまだ長いですしねv」


 くすっと笑って新一を抱えたまま白い怪盗は夜空へと飛び立った。
 新一が無事に帰って来れたのか…それは怪盗と新一の二人だけの秘密。






END.


桜月様のお誕生日(からだいーぶ遅れて)に贈りつけたブツ。
ちょこっとマイナー(?)な誕生花を使ってみました(爆)
こんなブツを誕生日(しかも遅れてι)に贈りつけられる雪花姉様…たまったもんじゃねえよな(爆)

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