凛とした立ち姿
 柔らかく響く声
 いつでも落ち着きを崩さないその姿勢

 傍に置けば彼を見た他の誰もが“完璧”だと言う
 そう称される実力が彼には完璧に備わっている

 それでもその姿が
 少しだけ揺らぐ、そんな瞬間が在る










 今日は何の日?(4月23日編―主従ver.―)










「おはよう御座います。快斗様」


 いつもと同じ時間。
 いつもと同じ声。
 いつもと同じ視線。

 それだけで、朝を穏やかに迎えられる全てが揃っている筈―――なのだが…。


「ねむぃ…」


 ベッドの中ごしごしと目を擦り、大きく欠伸をした快斗に新一はやれやれと肩を落とした。


「毎晩夜更かしばかりなさっているせいですよ」
「だってしょうがねえじゃん。良いマジックのネタ思いついたんだから」
「それは結構ですが、その位熱心に学業の方も励んで頂ければなお結構に存じます」
「うっ…」
「そう言えばもう直ぐクラス調整テストですね。その結果で偏りがあればクラス替えをもう一度し直すとか…。
 快斗様はそれはそれは優秀ですから、この時期にそんな事をしている余裕がおありになるのでしょうね」
「……新一。お前、最近性格悪い」
「嫌味だと伝わったのなら結構です」


 唇を尖らせて不平を呟いた快斗にも通常運転でそう返して、新一は朝のお茶の準備を進める。
 カートに乗せられた紅茶のポットから淹れたての紅茶をティーカップへと注ぐ。


「本日の紅茶はスリランカ産ブルーローズガーデンです」
「…香りすげーな」


 立ち上る薔薇の香りに素直に快斗がそう呟けば、新一は口元を少しだけ上げて目を細めた。


「ええ。薔薇の香りがとても素晴らしかったのでカップも合わせてムーンライトローズにしております」
「…相変わらず気障なセレクト」


 白地に蒼い薔薇の描かれたそのカップの淵には金で縁取りが施されている。
 確かに女性にそんな風にしたのなら喜びそうなものではあるが…。


「快斗様には些か早過ぎましたかね」


 …この一言が余計だと思う。多分に。


「…だから、最近お前性格悪い」
「誰のせいでこうなってしまったんですかね」
「…俺のせいだって言いたい訳?」
「まさか。品行方正な快斗様のせいな訳がありませんよ」
「………」


 三度目の『性格が悪い』を飲み込んで、快斗は目の前でほんわりと温かそうに湯気を立ち上らせているカップを手に取った。
 少しだけ肌寒い朝の手にそれは心地良く熱を伝えてくる。
 もっとも部屋は十分に温度管理してあるのだが、それでもベッドから寝起きの身体は少しだけ冷えていた。


「あったけー…」
「それは宜しゅうございました」


 もう少しだけ目元を緩めてそう言って、新一はベッドサイドのテーブルにスコーンとプリザーブを置いた。


「本日のスコーンは香りの邪魔をしない様にプレーンをご用意致しました。
 プリザーブにはクロテッドクリームと薔薇のコンフィチュールを添えてあります」
「…見事に薔薇尽くしだな」


 薔薇の花の入ったコンフィチュールを見詰めて快斗がそう呟けば新一はこくりと頷いた。


「本日は4月23日。サン・ジョルディの日ですからね」
「…俺は女扱いか」


 サン・ジョルディの日。
 スペイン・カタルーニャ地方辺りではこの日にちなんで男性から女性には薔薇を、女性から男性へは本を贈る習慣があるらしい。

 そんな細かい説明などせずとも最早分かっている仲である。
 快斗は溜息を吐きながらこの確信犯の顔を呆れた様に見つめた。


「で、俺はお前に本でもやればいい訳?」
「いえいえ、そんな滅相もない。快斗様にその様なおねだりなど…」
「どーせお目当てはこないだ寺井ちゃんが贈ってきた『ホームズ』だろ?」
「さて、何の事だか」


 先日、勤続数十年になった寺井に長期休暇とそして世界一周旅行をプレゼントした。
 最初こそ『快斗坊ちゃまのお傍を離れるなんて…』とか何とか言っていたのだが、無理矢理送り出したその後は結構エンジョイしている様で。
 各地に着く度に様々なお土産を態々送って来てくれる。

 送ってきている時点で“お土産”になるのかは正直怪しい所だと思いながらも、確かに送ってくる量を考えるとそれが最後にドンッと纏めて持ち帰られるよりは激しくマシだろうという結論に至った。

 そうして旅行を楽しんでいる寺井が先日立ち寄ったのは霧の都ロンドン。
 かの有名な名探偵を輩出した国である為、彼にちなんだ様々な物が送られてきた。
 当然新一宛てにも――というか、主に新一宛てに――沢山のホームズ関連の物が送られてきたのだが……どうやら梱包の過程で快斗の方の土産に数点混ざってしまったらしい。  そしてその数点が――――とんでもなく問題だった。


「まさか快斗様宛のお土産を私が狙う筈御座いません」
「………お前、やっぱり性格悪いわ」


 それを見た瞬間の新一の目をどう表現したら良い物か。
 普段沈着冷静でポーカーフェイスを崩す事のない人間が、いとも容易くそれを崩す事もあるのだとあの一瞬で快斗は悟った。

 とりあえず明らかに間違って入ってしまったのだろうと分かったのでそれを新一に渡そうとすれば、


『いえ……それは快斗様宛のお土産ですから私が頂く訳には参りません』


 なんて、半分泣きそうな顔をしている癖に執事らしい回答が返って来て快斗は天井を仰いだ。
 ある意味素晴らしいプロ根性だ。
 そんな顔をしてさえいなければ…。

 そんな見上げたプロ根性を見せたと思えば、今日はこんな感じなのだからこの執事も何と言うか…。


「まあ、俺には必要ないしな。本だって読んでくれる人の手元にないと可哀相だし…」


 そう言いながら、送られてきたままに手付かずで机の上に乗せられていた本に視線を向ければ、その横で新一は緩く首を振った。


「いいえ。そういう訳には参りません。ご主人様のモノを使用人が欲しがるなど…」
「…いや、欲しいだろ。お前絶対」
「まさか。例えそうだとしても、そういう訳には…」
「いや、やっぱ欲しいんじゃん。マジで」


 全くもって素直じゃない。
 そんな所も彼の良い所だとは思うけれども、もう少し素直になってもいいと思う。


「私はあくまでも快斗様の従者ですから」
「…ったく、しょうがねえ従者だな」


 苦笑して、快斗はベッドのサイドテーブルに乗せてあった本を引き寄せた。
 もう既に絶版になってしまっているその本は向こうの古本屋ででも手に入れたのか年期は入っているが、それでも綺麗に手入れしてあった。
 古い本独特の香りを感じながら、快斗はそれを新一へと差し出した。


「サン・ジョルディの日、なんだろ? 受け取れよ」
「いえ、しかし…」
「この期に及んで遠慮するな。大体主人からのプレゼントが受け取れないって言うのか?」
「いえ……それは……」
「だったら有難く受け取っとけ」


 差し出された本を躊躇いがちに受け取った新一に苦笑して、快斗は再度紅茶に口を付けた。
 ふんわりと広がる薔薇の香りに癒される。


「ま、美味い紅茶出してくれたしな。その礼としちゃ安いぐらいだ」
「…何を仰いますか! この本はもう絶版になっていてファンの間では喉から手が出る程欲しい一品なんですよ!」
「…分かったよ。このホームズオタク」


 全く。
 普段沈着冷静な癖にホームズが絡むとすぐコレだ。

 相変わらずのホームズ馬鹿に些か呆れながらも、そういう人間臭い所も悪くないと思う。
 普段の新一を見ていると、それこそサイボーグか何かなんじゃないかと思う事も多い。
 そういう彼が見せるこうした人間臭い一面も快斗は嫌いでは無かった。


「どうせ俺にはそんな価値さっぱり分かんねえんだから、大人しく受け取っとけよ」
「そこまで仰られるなら…有難く頂戴致します」


 “そこまで仰られる”も何もないと思うが、それでも丁重にそれを受け取った新一のそれはそれは無理矢理に張り付けているポーカーフェイスが今にも剥がれそうな程に喜んでいる事は充分過ぎる程に快斗には伝わっていた。
 隠しきれない喜びが少しだけ上がった口角に僅かに滲み出ている。

 そんな普段なら見せない新一の様子を見ていた快斗はちょっとした悪戯を思いついた。


「なあ、新一」
「はい。何でしょう快斗様」
「お前本当にホームズ好きだよな」
「ええ。ホームズは私が心から尊敬する探偵であ…」
「じゃあ、俺とホームズどっちが好き?」
「………え?」


 新一の説明を遮って、極上の笑みを浮かべ快斗は尋ねる。
 主人と敬愛する探偵どちらが好きか、なんて極上に性質の悪い質問を投げかける。


「何呆けた顔してんだよ。単純な質問だろ? 俺とホームズどっちが好きかって聞いてんの」
「いえ、あの…」
「ああ、二次元と三次元は比較対象にならないなんて、そんなつまんねえ回答は要らないから。
 あ、でも流石に新一がそんなつまんない回答する筈無いよな?」
「………」


 図星だったらしい。
 一瞬言葉に詰まった新一をそれはそれは楽しそうに見詰めていた快斗に新一は小さく息を吸い真っ直ぐ視線を向けると淀みなく言い切った。


「勿論快斗様に決まっています」
「へえ…。じゃあ、俺の命令なら部屋中にあるホームズ絡みの書籍全部燃やせる訳?」
「…はい」


 僅かに瞳を曇らせながらもきちんと執事らしい回答をした新一をチラリと一瞥して、快斗は小さく息を吐いた。


「つまんねえ奴」
「……はい?」
「そこは、『快斗様の命令と言えどもそれは…!』って言うとこだろ?」
「……快斗様」


 皮肉交じりの笑みを口の端に浮かべた快斗に新一は僅かに眉を寄せる。
 けれど、その次の行動は快斗にすら予想外だった。


「…!? し、新一……?」


 突然その場に跪き頭を垂れた新一に、流石に快斗も目を見開く。
 すると、その姿勢のまま静かに新一は口を開いた。


「心外ですね。そのような事を言われるとは」
「……?」


 ふぅ…と小さく息を吐き、新一はゆっくりと頭を上げ視線を上げ右手を胸に当てると、快斗をジッと見詰めた。


「私は貴方の執事です。
 何時如何なる時も貴方が何よりも大切ですよ、快斗様」
「っ……!!」
「貴方が命じれば私は幾らだって本に火を付けましょう。
 貴方が命じれば私は何時でもこの命を投げ出す覚悟をしております。
 貴方が望むのなら夜空の月を取ってくる事も、湖の水を飲み干す事も致しましょう」
「……、も、もういい……! もういいから……///」


 余りにも真摯に向けられた視線に堪らず快斗は赤くなった頬を隠す様に顔を背ける。
 視線の外で新一がクスッと笑った気がしたが、正直それどころではない。


「そういう恥ずかしい事をさらっと言うな!」
「すみません。ですが、本当の事ですので」
「っ……///」


 追い打ちだ。
 しかも、絶対に分かっていてやっている。

 『この腹黒執事!』という単語をギリギリのところで飲み込んで、快斗は次回この執事をからかう時はもう少し作戦を練ってからにしようと深く反省していた。
















END…?








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