好きだという
愛しているという
君はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
だから―――
―――さっさと諦めてしまえばいい
百夜通い【第九夜】
―――ガチャッ
「……あれ? 名探偵?」
「何だよ」
「何、してんの…?」
ベランダにふわりと降り立って、いつも通りに窓を開けようとした所で中からガチャッと開けられて、慌てて怪盗は後ろへと後ずさった。
一体何事かと怪盗が首を傾げれば、探偵のその目は一瞬怪盗を捉え、そうしてまた直ぐにふいっとそっぽを向き、踵を返し部屋へと戻ってしまう。
「えっ…? えーっと……」
どういう意味なんだろうか。
これは入ってもいいのだろうか。
探偵の行動の意図が掴めず、窓の外で躊躇っている怪盗に探偵は背を向けたまま言う。
「入んねえの?」
「いや、あの……入っていいの??」
「じゃなきゃ態々開けねえだろ」
「あ……うん。えっと……じゃあ、お邪魔します!」
ぽいっと靴を放って、怪盗は慌てて部屋の中へとお邪魔した。
一体どういう了見かは分からないが、珍しく探偵自らお出迎えして下さった様だ。
ここは気が変わらないうちにお邪魔してしまうに限る。
「座んねえの?」
「えっと…いいの?」
「勝手にしろよ」
相変わらず視線は合わせて貰えない。
それでも、声の調子から察するに機嫌が悪い訳ではないらしい。
怪盗が言われた通りに手近にあった椅子に腰かければ、探偵はスタスタと部屋の扉の方に向かって行ってしまう。
「名探偵…?」
「珈琲と紅茶、どっちがいい?」
「へ……?」
くるっと振り返った探偵にそんな事を聞かれ、怪盗の口からは咄嗟に思わず自分でも呆れる程間抜けな声が出た。
そんな怪盗の対応に焦れたのか、探偵が少しだけ声を強めて聞き返す。
「珈琲と紅茶、どっちがいいかって聞いてんだよ」
「………えっと、あの……」
「あー…もう。めんどくせえな。お前苦いの駄目なんだろ?」
「あ、うん…」
「じゃあ、紅茶淹れてくるから大人しくしてろ」
「あ…はい……」
パタンと閉まったドアを呆然と見詰め、怪盗はしぱしぱと数度瞬きをした。
「えっと……意味分かんない……;」
何をどうしてこうなったのかさっぱり意味が分からない。
どうして探偵が態々自らお招き下さったのか。
更にはどういう風の吹き回しで紅茶まで淹れてくれる気になったのか。
全くもってさっぱり分からない。
「………俺、何かした………??」
ここまでくると逆に恐怖すら覚える。
最後の晩餐とばかりに、今日を境に明日から来るななんて言われるんじゃないかと冷や冷やする。
背筋に嫌な汗さえ伝い落ちてくる気がして、怪盗はぞわっと寒気を覚えた。
「嫌われる様な事…したかな……」
しょんぼりと項垂れる様な形でぼそっと呟けば、何だか酷くそれがリアルに響いた。
確かにそうだろう。
無理にこうやって毎日毎日通い詰めて。
昨日だって…きっと彼は誰にも逢いたくなかっただろうに、無理に押しかけて。
少しだけ、顔だけ出して帰ったつもりだったけれど、それはきっと彼には酷く無神経に映ったのかもしれない。
「……別にしてねえから安心しろ」
ぺしっとシルクハットの上から叩かれる衝撃で我に返った。
怪盗が顔を上げれば、そこには何だか少し困った様な顔をした探偵の姿があった。
「名探偵…?」
「別にお前は俺に嫌われる様な事なんかしてねえよ」
「えっと…あの、…聞こえて……」
「ったく。人が部屋に入って来たのぐらい気付けよな。バ怪盗」
「うっ…;」
よっぽど自分の世界に入り込んでしまっていたのだろう。
探偵の姿を見つけるまで、気付かないなんて怪盗としては大失態。
「しょうがねえ奴。ほら、紅茶淹れてきてやったぞ」
「あ、有難う」
スッとテーブルに置かれたティーカップに目を落として――――怪盗は遠い目をした。
「…名探偵」
「ん?」
「コレ、…普段使ってんの…?」
「ああ。悪い、何か趣味に合わないとか…」
「ううん、違うよ。純粋に…坊ちゃんだと思っただけ…」
怪盗として必要だから、その辺りも当然知識としては仕入れてある。
コレも確か本で見た事はある。
見た事はあるが…どうしてコレが極々ふつーに出てくるのか。
「何だよ。別にこんなの普通にごろごろしてんだろ」
「ごろごろ…」
マイセンのアンティークが、その辺にごろごろ。
………考えて、怪盗は天井を仰いだ。
「ねえ、名探偵」
「ん?」
「…今度保存状態確認させて」
「???」
怪盗という仮面を脱ぎ捨てれば唯の一般人に過ぎない。
それでも、怪盗としてはこんなに素晴らしいアンティーク達がその辺にごろごろされているのは非常に不安だ。
「別にいいけど…。お前ビッグジュエルだけじゃなくてそういうのも好きなのか?」
「あー……うん。何かもう、好きって事にしとく、うん……」
乾いた笑いを張り付かせながら、きっとカップ以外にもそんなモノがごろごろしてるんだろう事を想像して怪盗は内心で深い溜息を吐いた。