好きだという
 愛しているという

 君に幾らそう言っても
 根拠もないその言葉を信じて貰える筈がない

 寄る辺ない想いなど
 信じろという方が無理だろう


 だけど―――





 ―――ホントもういい加減押し倒していい?
















 百夜通い【第五十四夜】















「…マジであの人可愛過ぎて俺の理性が持たない」


 眼下に煌びやかなネオンを臨むビルの屋上。
 本来は人が外に出るのを防ぐ為にある筈のフェンスの上に立ち、風にマントを煽られながらも決してバランスを崩す様な無様な真似をする事無く怪盗はただただ甘い溜息を吐いていた。


「ほーんと…可愛いんだからなぁ、もう。百夜とか…拷問だよ」


 物理的な問題では無い。
 彼の為に百夜通うなど朝飯前過ぎてお話にすらならない。

 がしかし、始めて気付いた。
 試されているのは体力でも、想いの深さでもなく―――あの壮絶に可愛い人を目の前に手を出す事を許されない事を甘受する“忍耐力”だ。

 何度押し倒してやろうかと思った事か。
 その度に手を握り締め、あるいは反対の手で留める事で漸くどうにかこうにか堪えていたというのに…。



『名探偵がそんなに嬉しそうに俺にチョコ選んでくれてたなんて知らなかったなー♪』
『だ、誰がいつ嬉しそうにしたなんて言ったよ!! そ、そんなのは佐藤刑事の見間違いだ!! 気のせいだ!!!///』
『あー…もう、ホント可愛いね。名探偵。このままいっそ押し倒しちゃおうかv』
『バーロ! 誰がお前なんかに押し倒されるか!! いっぺん死んでこい!!!』



 昨日のやり取りを思い出して、思わず顔がにやけてしまう。

 何だろうか。
 顔を真っ赤にした状態であのセリフとか、もうホント何処のツンデレだ、と突っ込んでやりたくなる。
 まあ別のモノを突っ込みた……げふんげふん。
 とりあえず、もう昨日はあのまま押し倒さなかっただけ奇跡だし、自分のなけなしの理性を褒めてやりたいとも思う。

 だがしかし、そろそろ本気で限界値を突破しそうでマズイ。
 最初のツンツンっぷりは何処へやら。
 最近の可愛らしい状態は余りにも理性を試されている様で、正直困る。

 幾ら世間では『怪盗紳士』なんて呼ばれていたって――俺だって、健全な高校生男子だし?


「流石に今夜は気引き締めていこう。いつか襲いかねない」


 そう決心して、頭を少し冷やす為に夜の街へとダイブした。










「………試されてるのかな、これは……;」


 しかし、現実とは無慈悲なもので、あれだけ固く決意したというのに怪盗のその決意が揺らぐのに数分とかからなかった。
 夜の空中散歩を終え、少し冷やされた頭で工藤邸にやってきた怪盗は窓から入って数歩歩いた時点で、がっくりとその場に項垂れた。

 視線の先には探偵のベッドがある。

 確かに鍵が開いているのに電気が点いていない時点で怪しいと思うべきだった。
 もっと危機感を抱いて入ってくるべきだった。
 けれど、単純に眠っているのだろう程度の考えて入って来た怪盗はすぐさま撃沈した。

 視線の先、ベッドの上では上掛けもかけず、あまつさえ何故かシャツ一枚だけを身に纏った探偵の姿が在った。
 おまけに上のボタンは二つ外された状態。
 ちらりと見える胸元だとか、すらりと伸びた真っ白な足だとか。
 正直目の毒過ぎて直視出来ない。


「……誘われてる……筈、ないもんね……」


 これがこの名探偵殿で無かったなら、勘違いもするだろう。
 このまま襲って欲しいのかと思わなくもないだろう。
 けれど相手はあの名探偵。
 ―――そんな事、天変地異が起こってもありえない…。


「…今日はもう帰ろう……」


 駄目だ。コレは。
 コレはいけない。
 此処で襲ってしまっては今までの五十三夜が水の泡だ。
 それに、此処の所軟化してきた探偵のご機嫌を損ねるのは怪盗とて本意では無い。
 此処は素直に帰ろう。

 そう決めて、くるりと手を回し一輪の薔薇を出現させる。
 こんな動作誰も見ていない所でしなくても良いのだろうが、癖みたいなものでしっかりと身体に染み込んでしまっている。
 そんな自分の癖に苦笑しながら、怪盗はそっと探偵の枕元にその薔薇を一輪置いた。
 そうして上掛けをふわりとかけてやると、こっそりとその髪に唇を落とす。


「これぐらいは良いだろ?」


 小さくそう呟けば、僅かに探偵が身動ぎした。
 避ける様に怪盗から少し距離を取るその態度に怪盗は苦笑する。


「ったく…寝てるのにその態度かよ。つれないね、ホント」


 寝ている時ぐらい可愛らしく縋ってくれたって良いと思うのに…。
 本当に一筋縄じゃいかない困った可愛子ちゃんだ。


「……ねえ、名探偵。次、そんな格好して寝てたら本気で襲うからね?」


 目の前の無防備な探偵に怪盗はそう宣言して、漸く身を翻すといつもの様に窓から白い鳥になって飛び立って行った。








「………ちっ。気付いてやがったか……」


 完全に怪盗の気配が消えてから瞳を開くと探偵は小さく舌打ちした。
 計画が完全にぶち壊しだ。

 最近諸々あって、何だかすっかり自分がその気の様にアイツに思われている気がして癪だった。
 それに加えて昨日のあのやり取り。
 すっかり図に乗っているアイツに少しぐらいお灸を据える意味で、少しぐらいからかってやろうと思ったのだ。

 こんな格好をして待ってみれば、少しぐらい無理強いでもするかと思った。
 男の自分相手にそんな事をするかどうかは正直疑問だが、しょっちゅう『襲いそう』だの『食べちゃいたい』だの言われていれば嫌でもそんなモノかと思ってしまう。
 だから少し罠を仕掛けてみようと思ったのだ。

 無理強いでもさせて、途中で蹴り倒して、少しぐらい泣いて―――勿論わざとだが―――困らせてやるぐらいしても良いかと思っていたのに………。


「次はもっと上手くやらねえとな……」


 探偵の素晴らしい頭脳が間違った方向に使われ始めているのを指摘できる者はこの場に一人として存在していなかった。

































top