好きだという
愛しているという
幾らそう言われても
根拠もないその言葉を信じられる筈がない
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
そして―――
―――致命的なミスを犯した事に気付いた…
百夜通い【第五十三夜】
「工藤君…顔色悪いけど、大丈夫かい?」
「ええ。大丈夫です。少し車酔いした様で…先程薬を飲んだので、もう効いてくる頃かと…」
「そうかい? ならいいけど…。ごめんね、僕の運転が悪かったかな…」
「いえ、高木刑事のせいじゃありませんよ。僕が少し昨日夜更かししたせいで…」
「夜更かし? また何か新しい推理小説でも発売したのかな?」
「え、ええ…。そんなところです」
事件現場からの帰り道、にこやかに運転席の高木刑事にそう返しながらも探偵は正直大分グロッキーだった。
けれどその原因は車酔いではない。
唯の睡眠不足と、過度な甘味への接種――但し香りだけ――が織りなす壮絶な胸焼けが原因だった。
昨晩のアレは完全にミスだった。
それはそれは大層なミスだったのに、怪盗に指摘されるまでさっぱり気付かなかった。
情けない事この上ない。
挙句の果てには、可愛いだの何だの言われ、一晩中抱きしめられた上に一晩中チョコレートの香りの中で過ごしたのだ。
用意する段階で気付くべきだった。
チョコレートの香りがいかに凶器であるのかを。
「そう言えば、工藤君」
「はい」
「昨日、チョコレートを買いに行ってたかい?」
「っ……!」
思わぬ所でその話題を出されて、思わず素直に目を見開いて高木刑事を凝視してしまった。
気付いた時には既に遅し。
今更どう足掻いても取り繕えない状況に、探偵は諦めて仕方なく虚偽表示をした。
「ど、どうかしたかい?」
「いえ……」
「聞いたら何かまずかったかな?」
「いえ、そういう訳では…。昨日は…確かに、買いに行っていました。友人に…頼まれたもので……」
「そうか、やっぱり工藤君だったんだね。
佐藤さんも同じ様に友達に頼まれて買いに行ったら、工藤くんを見かけたって言うから…。
いやぁ…珍しい事もあるんだな、と思ったんだよね。何かこう、工藤君は珈琲とかが好きで甘い物が苦手なイメージがあったから…」
「………」
何処で誰に見られているか分かった物ではない。
下手に顔が割れているのも困った物だと思いながら、先に続いた彼の言葉に新一は思わず息を詰めた。
「いやぁ、それが随分嬉しそうに買い物してるから……佐藤さんが工藤君に甘い物好きな彼女が出来たんじゃないかって…」
「違います! 誤解です!! 絶対に誤解です!!!」
「えっ…!? あ、えっと……、そ、そうなんだ…」
「あっ…/// いや、あの……」
やってしまった。
完全にやってしまった。
余りにも露骨な否定にわざとらしさを感じ、しどろもどろになりつつ後から誤魔化す言葉を考えてはみたが後の祭り。
数秒前の自分を後悔しながら、探偵は心の中で頭を抱えた。
…全く、慣れない事はするもんじゃない。
「へぇ…。工藤君も隅に置けないねぇ…」
「………」
返す言葉も出ないまま、どうやってこの誤解を解こうかと悩んでいる間に自宅の前へと着いてしまった。
仕方なく車を降りようとした所で、高木刑事の視線が窓の外にある事に気付き首を傾げる。
「高木さん?」
「工藤君…。えっと…、今日約束とかしてたなら申し訳なかったね」
「え…?」
「電気が点いてる、って事は……」
「っ…!」
高木刑事の視線の先。
自室に電気が灯っている事に思わず本気で頭を抱えた。
あの馬鹿…このタイミングでコレかよ……。
「違います。昨日から両親が帰って来ていて…」
「ああ。そうなんだ。僕はてっきり件の彼女かと思ったよー。それなら良かった」
「………」
全くもって良くない。
寧ろ、最悪だ。
とりあえず、此処はこれだけは言っておかねばならない。
でないと警視庁内で在らぬ噂が広まりかねない。
「高木さん、誤解ですからソレ。僕には彼女なんて居ませんよ」
「そうなのかい? でも、昨日のチョコレートは…」
「友人に、チョコレート好きな“馬鹿”な“男”が居るだけです! 本当に誤解ですから!」
「あ、そ、そうかい…ごめんね。あははは……」
高木刑事は誤魔化す様に笑ってはいるが、コレは…もしかすると明日以降覚悟する必要があるかもしれない。
もう半ば自棄状態で新一は車から降りると扉を閉めた。
「送って頂いて有難う御座いました」
「いや、こちらこそいつも協力ありがとう。ゆっくり休んで」
「はい。高木さんも」
ぺこりと頭を下げて、車が見えなくなるのを見送って、探偵は唇を引き結びながら自宅へと入った。
「あ、おかえりーv 名探偵vv」
「………」
恐らく昨日食べきれなかった分だろう。
探偵の部屋の中我が物顔でチョコレートケーキを頬張りながらにこやかに出迎えてくれた怪盗に、探偵のこめかみにピキッと青筋が浮いた。
「だーれーが、勝手に入って待ってて良いって言ったんだよ!」
「おや、…本日はご機嫌斜め?」
「るせー! 大体お前が…」
「俺が?」
「………」
言いかけて、探偵は言葉を切った。
此処でさっきのやり取りを言おうものなら『恋人だなんてそんな…v』とか『そんなに嬉しそうに買ってくれてたんだーv』とか、要らんことを言われかねない。
更に言うなら、……現実問題怪盗は悪くない。
ただ単にお詫びのつもりで自分が勝手にチョコレート類を用意しただけだ。
怪盗に文句を言うのもお門違いだと頭では分かっている。
分かってはいるが―――だとしたら、この苛立ちは何処にぶつけるべきなのか。
「めーたんてー?」
ことん、と首を傾げて恐らく本人は一番可愛らしいつもりで言ったのだろう。
その似非幼子な言い方に更にピキッと来た気がしたが、此処でこんな事言った日には昨日の比ではないとばっちりが来そうな気がする。
ギリッと奥歯を噛みしめて、探偵はドスンとベッドへと腰を下ろすと尊大に腕と足を組んで僅かに仰け反った。
「それ食ったらとっとと帰れ」
「…名探偵」
「何だよ」
「何かあった? しかも俺絡みで」
「っ……!」
流石は怪盗。
伊達に人を見てる訳じゃないし、それにコイツとは伊達に付き合いが長い訳じゃない。
機嫌如何で何もかもばれてしまいそうになるのだから性質が悪い。
「…別に。俺にだって普通に機嫌の悪い日ぐらいあんだよ」
「ふーん。今日送って貰ったの高木刑事だったよね」
「………てめぇ、今度は何処に盗聴器付けやがった」
「さてね。今度は何処に付けたでしょう?♪」
ふふん♪と楽しげに微笑んだ怪盗に探偵はムッと唇を尖らせた。
成る程、コイツがこんなに状況を分かっているのはそのせいか。
けれど、言われる様に確かに何処に付けられたのか分からない。
前回付けられていたのに気付いた時に残りも全部外した筈だ。
慌てて上着を脱いで探っても、ズボンも時計も鞄も、果ては玄関にまで一度戻って靴まで探したが見当たらなかった。
もう一度部屋に戻り扉を開ければ、今度はチョコレートクッキーに標的を移したらしい怪盗がそれを片手につまみながらソファーの上でうつぶせになって雑誌なんて捲っているもんだから余計に苛立ちが増す。
「キッド! お前人の家のソファーの上で完全にくつろいでんじゃねえよ! 盗聴器何処にしこみやがった! 白状しろ!!」
「………名探偵」
「何だよ!」
「お前、ホント今日冷静さ失い過ぎ。大体、俺がいつ“お前”に盗聴器仕込んだって言った?」
「………は?」
呆れた様に雑誌に目を落としたまま視線すら合わせない状態でそう言って、怪盗はまた一枚クッキーに手を伸ばした。
そして、探偵は気付く。
………今、コイツ“お前”にって………。
「……そういう事かよ;」
探偵は手近の椅子に腰かけて、脱力して背凭れに背を預けた。
天井を見上げて肩を落とし瞳を閉じた。
どうりでどれだけ“自分”を探しても見つからない訳だ。
「現職の刑事が盗聴器なんて仕掛けられてどうすんだよ;」
「しょうがないよ。高木さんだもん」
「お前な…流石にそれは………って、………っ……!///」
「おや、漸く気付いた?」
がばっと椅子から飛び起きて、顔を真っ赤に染めた探偵に怪盗はにしゃりと笑って見せた。
それは正に悪戯が成功した時の様な『子供』の顔だ。
「っ…て、てめぇ……」
「いやぁ…ホント、高木刑事も良い仕事してくれるよねーv」
「……っ…///」
「名探偵がそんなに嬉しそうに俺へのチョコ選んでくれてたなんて知らなかったなー♪」
「だ、誰がいつ嬉しそうにしたなんて言ったよ!! そ、そんなのは佐藤刑事の見間違いだ!! 気のせいだ!!!///」
「あー…もう、ホント可愛いね。名探偵。このままいっそ押し倒しちゃおうかv」
「バーロ! 誰がお前なんかに押し倒されるか!! いっぺん死んでこい!!!」
顔から火が出そうな程恥ずかしい、というのはこういう事を言うのだろう。
どうせ耳まで真っ赤になっているのなんて分かりきっているが、そんな事素直に認められる筈がない。
恥ずかしさの余り叫ぶように反論した探偵に、けれど怪盗はもう一度にしゃりと笑った。
「いーや。俺は名探偵口説き落とすまで死なないって決めてんのv」