好きだという
愛しているという
君はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
だって―――
―――本当の事をいつでもコイツは隠そうとするから
百夜通い【第五十夜】
「こんばんは。名探偵」
「………」
いつも通り、窓から入って来た怪盗を探偵はただ静かに睨み付けた。
その視線に普段通り小首を傾げて見せる辺りが実に腹立たしい。
「どうしたの? 何かあった?」
「…あったのはお前だろ?」
「え?」
「…俺にばれないと思ってるならとんだ大馬鹿野郎だな」
「……名探偵?」
今日は彼の現場には行かなかった。
彼の予告時間より前に、警部から要請を受け他の事件の現場に行っていた。
事件を解決して時計を見れば、もう既に彼の予告時間は過ぎていたし、昔某警部に言われた「課が違う」というのも考慮して極力出しゃばらない様にと思っていたので今日は潔く現場から素直に直帰した訳だったのだが…。
「お前が本当の事を言う気が無いなら、今日はもう何も話す気は無い」
相変わらず素知らぬ振りで普段通りに振る舞おうとする怪盗の視線がその言葉で一瞬揺らぐ。
彷徨った視線が再び探偵に合わせられた時には、その顔には諦めた様に苦笑が浮かんでいた。
「何処で分かった?」
「入って来た瞬間。僅かだが血の匂いがした」
「…おや、それはそれは。結構気を付けてたつもりだったんだけどね」
「成る程。気を付けなきゃならない程の怪我だった訳か」
「………」
「語るに落ちる、つーんだよ。そういうのは」
手元にあった本をパタン、と閉じ何も言わずベッドから降りる。
そうしてつかつかと窓の傍まで行くと、探偵は無理矢理ぐいっと怪盗の腕を引っ張った。
「えっ!? ちょっ、名探偵…!? 何!?」
「いいからこっち来い」
「え、えっと…」
怪盗を些か乱暴にぐいぐいと引っ張って、ベッドサイドまで来ると探偵はその身体を強く押した。
「っ…!」
一瞬怪盗が息を詰めた声がしたが、お構いなしに探偵はその身体に掛け布団を無理矢理かける。
衝撃で落下したシルクハットは拾い上げ、ベッドサイドのテーブルにきちんと置いてやった。
「え、えっと……名探偵? どういうこ…」
「どうせ言ったって直ぐには帰んねえんだろ。だったら少しでも休んでろ」
「あ……いや、あの……」
ベッドの中から探偵を見上げる怪盗の顔には困惑の色しか見えない。
それに満足した探偵は、ベッドの端に腰かけた。
「止血は?」
「…してある」
「だろうな。で、痛み止めは?」
「必要ない…」
「灰原から貰って来てやる」
「いいよ。必要ない」
立ち上がろうとした探偵の腕を、少し身体を起こした怪盗の手が強く掴んだ。
振り向けば、渋い顔をした怪盗と視線がかち合った。
「必要ないよ。大丈夫」
「青白い顔してよく言う」
シルクハットで影にはなっていたが、それでも直ぐに分かった。
血の気が足りていない。
それに、ポーカーフェイスに隠してはいるが恐らく痛みもあるのだろう。
でなければ探偵が押した程度であの身体が簡単に傾く訳がない。
「いいんだよ。この位大した事ない」
「………」
いつもそうだ。
『好きだ』とか『愛してる』なんて恥ずかしい言葉は真っ直ぐ言う癖に、その実こうやって怪盗は嘘を吐く。
本当に大切な事は、こうやって隠してしまい込む。
「本当に大した事ないんだよ。だから…」
「煩い。黙れ」
「名探て…」
「…お前が何考えてるか当ててやろうか?」
「え…?」
「『犯罪者の自分には、罪を犯している自分にはこの位が丁度良い』なんてどうせくだらない事思ってんだろ?」
「っ…!」
「そんなんで罰を受けてるつもりか? くだらねえな」
「…くだらないのなんて俺が一番良く分かってるよ!」
痛みで我を忘れたのか。
それとも、気でも滅入っていたのか。
常の怪盗らしくなく声を荒げたその姿に、探偵はフッと笑った。
「漸く見れたな」
「…えっ…」
「素のお前。いつも隠すからな」
「なっ……!」
驚きに目を見開いて固まる怪盗の手を今度こそ振り払って、探偵は歩を進めるとドアの前でぴたりと止まって怪盗を振り返った。
「休んでろよ。今のでお前が相当参ってるのが分かったから、ついでに増血剤でも貰ってきてやるよ」
―――パタン
ドアが閉まるのを呆然と見送って、怪盗は身体から力を抜いた。
正確に言えば、勝手に力が抜けたという方が正しいかもしれない。
実際、探偵の言った事は全て事実だった。
今日も組織の人間に狙撃された。
運悪く脇腹に当たったが、それは運良く貫通してくれた。
しかしそれは、怪我の処置として運良く、というだけの話であってその実状況的には最悪の事態だった。
貫通した弾をそのままにすれば決定的な証拠が残ってしまう。
怪盗キッドの血痕付きの銃弾、という致命的な証拠が。
そんな銃弾をその場に残して行く訳にもいかず、隠れ家に戻りとりあえず処置をして、痛む身体を引き摺って一度現場に戻り何とかソレを回収し……それでも此処に来るのは止められずに彼にばれるの覚悟でやって来た。
勿論これだけの傷だ。
痛みが無い筈がない。
それでも持ち前のポーカーフェイスを総動員して、彼の顔を一目でも見たいと思ってどうにか取り繕って少しの時間隠し通せれば良いと思っていた。
それでも、隠し通すつもりでいたその実、きっと彼なら見抜いてしまうのだろうと頭のどこかで分かっていた。
ばれても良いとどこかで思っていたせいで詰めが甘かったのかもしれない。
そして、そんな風に思ってしまう自分も相当に参っていたのかもしれない。
痛み止めは飲まなかった。
探偵の言う通り、この痛みが何処か自分への罰の様でそれを消すのは気が引けた。
馬鹿だと思う。
彼が言う通りくだらないとも。
それでも、毎日毎日考える。
この身が犯している罪を。
うなされる事も、逃げ出したいと思う事も少なくない。
けれど、これは自分が選んだ道だ。
―――だから、この身が彼を願うなど、過ぎた願いだと知っている。
「………俺は、休んでろって言った筈だぞ?」
「…ぁっ……名探偵……」
どうやら相当参っているらしい。
彼が戻って来た事にも気付かずに思考の淵に沈んでしまっていた。
探偵に心配そうに顔を覗き込まれて、怪盗は思わず視線を逸らしてしまう。
「……お前も、ほとほと溜め込むタイプだよな」
「…名探偵に言われたくない」
「俺もお前には言われたくねえよ。それより、ほら」
差し出された錠剤と、コップに入った水。
起き上がろうと身体を少し起こした所で、一瞬その動きを躊躇ってしまう。
怪盗が拙い、と思ったその瞬間。
傍に居た探偵の眉が寄った。
「…お前もホント、無理するよな」
「だから、名探偵に言われたくない」
「だから、俺もお前には言われたくない」
同じやり取りをしながら怪盗はゆっくりと身体を起こし、探偵に差し出された薬とコップを素直に受け取った。
薬を口に含み、水で飲み干す。
喉に落ちる冷たい水が心地良い。
「それ飲んだら少し寝て行けよ」
「……ううん。迷惑だろうからもう帰るよ」
「………」
そう言って、ベッドから抜け出そうとすれば頭をバシッと叩かれた。
「いてっ…! 名探偵、何すんだよっ…!」
「誰も迷惑なんて言ってねえだろ。大体俺から提案してやってんだ。それを無下にするな」
「いや、だって迷惑だろ! こんな犯罪者匿ってたら…」
「今更何言ってんだよ…; まあ、…そんなに言うなら……コレでも着てろ」
ぽいっと放られたのは、恐らく探偵用のパジャマだろう。
但し透明なビニールの袋に入れられタグまで付いたままのソレは確実に未使用。
「何、コレ…」
「さっきクローゼットから出しといた。母さんが定期的にすげー量送ってきて毎回余るんだよ」
「…で、何でそれを俺に?」
「別に俺は構わねえけど…お前が犯罪者だとか何だとか気にするから。とりあえず、その衣装だけでも脱げば?」
「………」
ビニールコーティングされた袋に入った水色と白のストライプのパジャマに視線を落としながら、怪盗は首を横に振った。
「いや、止めとくよ。……それとも、探偵君は俺に着替えさせて俺の素顔でも見たい訳?
随分安直だね。現場で捕まえて素顔確認するよりはその方が数倍楽だもんね」
「っ……」
此処で怪盗が衣装を完全に脱いだ事は無い。
料理をするためにジャケットを脱いだり、邪魔だからとシルクハットを外したりしたことはあるが、この衣装を全て脱ぎモノクルを外した事は無い。
ほぼほぼ素顔はばれている様なものだが、それでも最後の一線は引いていた。
あくまでも『探偵』と『怪盗』で居る為に。
だからわざと探偵を煽る様な嫌味をぶつければ、目の前の顔が僅かに歪んだ。
けれど、次いで出てきたのは少し意外な言葉だった。
「……良く分かった。お前、やっぱり相当参ってるわ」
「…俺の事良く知りもしない癖に良く言うよ」
「知ってるよ。少なくとも、普段のお前がそんな事言わねえのも、きっと明日辺り相当後悔するって事もな」
「………」
返す言葉も無かった。
きっとそうだろう。
こうやって探偵にあたった事をきっと明日には後悔するだろう事は想像に難くない。
それでも―――。
「…分かった様に言うなよ。お前は俺の何も知らないだろ」
怪盗は気付けばそう言って探偵を睨み付けていた。
その視線を真っ直ぐに受け止め、探偵は小さく笑った。
「お前、普段はあんなに余裕綽々な癖に、そういう所はホント……子供だな」
「…お前だって子供だろ。未成年」
「そうだな。そりゃ、お前と歳も大して変わらないだろうからな」
「………。この顔を基準にそう判断してるなら探偵の割に随分と安直だな」
「それだけじゃねえけど…まあ、それは今言ってもしょうがねえしな」
彼が言いたいのは分かっている。
完全に素顔を晒していないとはいえ、肌にしろ、体型にしろ、声にしろ、髪にしろ、判断材料は幾らでもある。
但しその推理には目の前の人間が『怪盗キッド』であるという点は考慮に入れられていない。
幾らだって他のモノに化けられる人間であるという事を考慮に入れていない…。
それがまるで『お前はどうせ俺にばれない様には偽れないのだろう』と言われている様でイラついた。
挑む様に睨み付け、怪盗は今日一番の冷たい声で脅す様に先を促した。
「…言えよ。根拠が無きゃお前だってそんな事言わねえだろ」
「………」
「名探偵」
「………しょうがねえなぁ……。そんなに言うなら言ってやる。後で後悔すんなよ」
「しない」
「…ったく。お前が言えって言ったんだからな?」
「………」
言い訳の様な前置きをして、探偵は小さく溜息を吐いて…それから諦めた様に口を開いた。
「……あのな、―――――お前、自分が思ってる程器用じゃねえんだよ」
一瞬の間の後、呆れと優しさの滲む探偵の言葉に怪盗はガツンと頭を殴られた様な気分だった。
確かにこの探偵の前では余計な事も見せたかもしれない。
でも、それでも器用じゃないなんて言われる程では無かった筈なのに…。
「お前さ、……」
聞いてはいけないと分かっていた。
分かっていても、今この耳を塞ぐ事は出来なかった。
「出来たとしても…偽りたくなかったんだろ? 極力、俺の前では」
「っ………」
「最低限のけじめはつけながら、それでもそれ以上は偽りたくなかったんだ。
だから、変装もせずにその恰好で俺の所に来た。その顔も………素顔だろ?」
「………」
「別に否定も肯定もしなくていい。ただ……」
一旦言葉を切った探偵は、数秒考えて少し俯き加減のまま小さく呟く様に言った。
「………俺を望むなら、そろそろ『お前』も見せる事を考えろ」