好きだという
愛しているという
幾らそう告げても
何の根拠も無しにそれを信じられはしないだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
けれど―――
―――それが現実だと頭の片隅で冷静な自分が嗤った
百夜通い【第四十七夜】
いつも通りに名探偵のお宅にお邪魔しようとして、予定より大分手前で足を止める。
視力の良い怪盗にはこの距離で充分分かった。
門の前の人影が誰か、なんて。
「……こんな時間に自宅に、か………」
静まり返った夜の住宅街の中ではその小さな呟きさえ大きく聞こえて、彼女に聞こえる筈も無いのに慌てて口を結ぶ。
分かっている。
これが現実で、一般的なのだとは。
彼は男で。
自分も男で。
彼には可愛い可愛い幼馴染みが居る。
だとすれば、これは余りにも一般的な光景。
此処からでも分かる。
彼女が楽しそうに笑う顔が。
その笑顔にギリッと奥歯を噛みしめる。
事実、これが普通なのだと分かりきっていたとしても、それを頭の片隅で冷静なもう一人の自分が嗤ったとしても、感情だけは押し殺せない。
悔しいと思う。
悲しいと思う。
切ないと思う。
苦しいと思う。
冷静に現実を捉えつつも、それでも唇を噛みしめてしまう自分はやはり彼に恋をしているのだろう。
叶わぬ恋と知りながらも、それでも止める事など出来ない。
馬鹿なのだと知っている。
愚かなのだと分かっている。
それでもなお、こうして毎夜彼の元に通う自分は余りにも滑稽だ。
自覚すれば自嘲的な笑みが口元に上る。
前を見詰め、小さく溜息を吐きもう少し後に出直そうと怪盗が踵を返し数歩進めば――――。
―――RRRRRR……RRRRRRR……
ポケットの中でスマートフォンが小さく音を立てた。
不振に思いながらソレを取り出せばディスプレイに表示されたのは『工藤新一』の文字。
「………は?」
登録した覚えなど無い。
というか、残念ながら彼に電話番号を聞く勇気なんて怪盗は持ち合わせていなかった。
ならどうしてこんなモノが入っているというのか…。
混乱に混乱を重ねた頭で、罠だとか策略だとかそんな事を考えてはみたけれど検討する余裕すら無くて。
数度のコールの後とりあえず指は通話ボタンを押してしまっていた。
「…もしもし?」
『何帰ろうとしてんだよ、バ怪盗』
「……その声…もしかしなくても、名探偵?」
『俺の名前出てただろ。何確認してんだよ』
当然の様に電話の向こうから聞こえてくる声に頭が痛くなる。
意味が分からない。
そして、さも当然の様にそう言う探偵の言葉も。
「だって俺は登録した覚えは無い」
『怪盗の癖にお前無防備だよな。料理にかまけてスマホ、テーブルの上に出しっぱなしなんて』
「………」
『しかもロック用の暗証番号が「1412」とか…。
ダメ元で一発目に入れてみたら解除出来て俺の方がビックリしたつーの。あ、ただ安心しろ。登録しただけで、それ以外の中身は見てねえから』
「………名探偵」
『ん?』
「お前、登録したならしたって言えよ!!! 何の罠かと思うだろ!!!」
言いながら振り返れば、既に彼女の姿は無かった。
代わりにあったのは、こっちに向けて暢気に手を振る探偵の姿だけ。
『うるせーな。夜中に大声出してんじゃねえよ』
「誰が出させてんだよ! 誰が!!」
『大体今まで気付かないなんて抜けてんじゃねえの? 天下の大泥棒が聞いて呆れるぜ』
「思わねえだろうが! お前が俺のスマホに番号登録してるなんて!」
『ふーん。まあ、罠かと思った割には4コール目で出るなんて…やっぱお前無防備だな』
「……てめぇ……」
全く、何て奴なのかと思う。
声だけ聴けば、夜の闇で影になっている彼の表情が見えなくても分かる。
今この電話の向こうで、それはそれはにんまりと笑っている探偵の口元すら想像がつく。
「あのな、大体…探偵が何怪盗のスマホに番号なんか登録してんだよ」
『ん? ああ、何かと便利だろうと思ってな』
「…お前のその使えるものは何でも使う主義、何とかしろ……;」
『何だよ。良いだろ。俺は捜査に役立ちそうなもんはとりあえず使えるだけ使う事にしてんだ』
「………お前、最低………」
それだけ言い捨てて電話を切った怪盗は、ぼそっと呟いてガックリと項垂れた。
誰だ、こんなろくでもない探偵に育てたのは。
それでも、通話が切れたというのにこちらにぶんぶんと手を振ってくる探偵のそんな姿すら愛しく思える自分に怪盗は諦めの苦笑を浮かべるとその姿へと一歩歩を進めた。