好きだという
愛しているという
君はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
けれど―――
―――少しずつ…手懐けられている気がする…
百夜通い【第四十二夜】
「困った…」
「ん?」
「良い暗号が思いつかない…」
「……お前、横で何やってるかと思えば……;」
いつも通りにやって来た怪盗を、いつも通りに横に置いて、相変わらずホームズの研究本を読み耽っていた探偵は横から聞こえた小さな呟きにガックリと肩を落とし、諦めて本に栞を挟んだ。
「お前な、探偵の家で予告状の暗号を考える怪盗が何処に居る!」
「此処に居るよ、此処に」
「…バ怪盗」
「…ひでーの。名探偵が相手してくれないから暇潰ししようとしてたんじゃん!」
「暇潰しで予告状の暗号を作るな」
「えー…」
「えー、じゃない!」
不満げに唇を尖らす怪盗を無視して、探偵は目の前のマグカップに入った珈琲に手を伸ばした……所でそのカップを横から素早く奪われる。
「何すんだよ」
「冷めてるから淹れ直してくるよ」
「俺は別に…」
「駄目。俺は出来る努力は全部する事にしてんの」
「…は?」
意味が分からず眉を寄せる探偵に怪盗はにっこりと笑った。
「好きな人にね、出来る事は全部するって決めてんの」
「………」
「珈琲好きの大事な想い人に冷めた珈琲を飲ませるなんてとんでもない! だからちょっとだけ待っててね、名探偵v」
パチッとウインクなんて置いて、カップを持ったまま去っていく怪盗の背を思わず見詰めてしまっていた自分に気付いて探偵は慌てて置いていた本を引き寄せた。
けれど、開いたページに視線を落としても先程の怪盗の台詞が頭を離れない。
「……とんだ大馬鹿野郎だ……」
結局もう一度本に栞を挟み、探偵は頭を抱える。
全く…本当にとんでもない馬鹿だ。
出来る事を全部、なんていうのは理想でしかないと思う。
人間なのだから幾らそう思ってはいても、理想通りにはいかない事も多々あるだろう。
けれど―――。
「……アイツだったら全部やるんだろうな。ホントに…」
それこそこんな百夜通いなんて馬鹿な事を思い付く奴だ。
そう言ったが最後。
有言実行とばかりに、きっとどんな無理をしてでもやり遂げるのだろう。
持ち前の器用さと、ポーカーフェイスを武器にして。
「………損な性格」
「おや、それは随分な褒め言葉だね」
ぼそっと呟けば頭上から苦笑が落ちてきた。
頭を上げ上を見上げれば、マグカップを両手に探偵を見下ろしている怪盗と目が合った。
「事実だろ」
「そう? 俺は別に損だなんて思ってないけど」
ことりとテーブルの上にマグカップを置いて、再び探偵の横に腰かけた怪盗は満面の笑みを浮かべた。
「好きな人の為に出来る事があるなんて、それだけで幸せだよ」
「…バーロ。そんなの…最初だけだ」
「俺は名探偵にしてあげられる事が一つでもあるなら、それだけで一生幸せだけど」
「…そういうもんかよ」
「そういうもんだよ。
そうやって一つ一つ何かをしてあげて。
そうして、名探偵が少しでも笑ってくれて。
死ぬ間際にそんな新一の笑顔を一つでも多く思い出せたら、俺はそれが一番の幸せだけどね」
「っ……///」
普段呼ばれる事のない名前を呼ばれて、頬に熱が集まる。
……大体、何て恥ずかしい事を言うのかコイツは。
「それから――これは壮大な野望だけど……」
「……?」
勿体ぶってそう前置きをして、怪盗は内緒話でもするかの様に探偵の耳に口を寄せた。
「新一が死ぬ時、一瞬でも俺の事を思い出してくれたら―――俺はそれだけでもう何も要らないよ」
真っ直ぐにそう告げた怪盗の迷いの無さに、探偵は少しだけ怪盗が羨ましいと感じた。