好きだという
愛しているという
お前はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
けれど―――
―――甘やかされる度気持ちは少しずつ…
百夜通い【?〜第三十八夜】
「んっ……」
身体のだるさと窮屈さに重い瞼が持ち上がる。
凝り固まった身体を少しでもほぐそうと軽く伸びをしたところで、ぱさりと何かが落ちた。
「ん…?」
ソファーから落下した物体を追う様に床を見れば、其処には真っ白なタオルが一枚落ちていた。
そのタオルの淵には可愛らしく四葉のクローバーの刺繍が入れられていた。
「……??」
見覚えのないそのタオルを不審に思いながら摘み上げ、その刺繍をまじまじと見た所で、探偵は小さく声を上げた。
「ぁっ……」
間違いない。
思い返せば、この模様は彼のモノクルの先と同じ四葉。
何をどう考えても夜中にこんなモノおいて行けるのはアイツぐらいだ。
そこまで思い至って、探偵は慌てて自身の髪に手を当てた。
完全とはいかないまでもある程度乾いている。
ソファーで転寝したにしては乾燥している髪に手を当てながら、思い至った可能性に顔が熱くなる。
「…起こせよな、バーロ……///」
これは完全に寝顔を見られていたと思って良いだろう。
気持ち良くソファーで転寝した所を見られて、尚且つ恐らくこのタオルで髪を拭って貰ったのだろう。
そう考えると酷く恥ずかしくて、探偵は手元のタオルに顔を埋めた。
「あのバ怪盗……///」
気のせいだろうとは思う。
けれどそのタオルからあの冷涼な気配すら伝わってくる気がして、余計に顔に熱が集まる。
「……死ねる」
恥ずかし過ぎてどうしようもない。
失態にも程がある。
どれだけ悔いたとしても時間は巻き戻る事は無い。
とりあえずそのタオルから顔を上げ、探偵はつかつかと歩くとソレを洗濯機に放り込んだ。
真っ白なそれに色移りなどさせない様に他のモノは入れずに洗濯機を回す。
ドラム式洗濯機の回転音を聞きながら、探偵は両手で顔を覆うと洗濯機を背にその場にずるずると力なく座り込んだ。
「駄目だ…。完全に油断した…」
幾ら気配を消せる相手だと言っても。
幾ら有る程度付き合いのある相手だと言っても。
こんなにも無防備に寝顔を晒すなんて……油断したにも程がある。
自分の愚かさに頭を抱えつつも、それでも実はそこまで深刻に思っていない自分が大問題だと思う。
『好敵手』である筈の相手がいつの間にか違う何かになっている錯覚を覚えて首を緩く横に振る。
怪盗で。
好敵手で。
立ち位置は全くの逆の筈だ。
なのだから―――。
「駄目だ。ぜってー今日は甘い顔しねえ。好敵手らしくいかねえとな」
決意も新たに、探偵はグッとこぶしを握りしめた。
……筈だったのだが……。
「めーたんてー♪」
その日の深夜、あの気障な筈の真っ白な怪盗が何を思ったのか手にヘリコプターのラジコンを持ってやって来た瞬間に、そんな決意はあっけなく吹っ飛んでしまった。
「……お前、ソレ何だ……?」
「ん? ラジコンだよ♪」
「…んなの見れば分かんだよ!!」
当たり前な回答を楽しそうにして下さった怪盗に探偵がそうぶちぎれれば、一体何にご立腹なのか分からないとばかりに怪盗は首を傾げた。
「名探偵はラジコン嫌い?」
「いや、嫌いとか好きの問題じゃなくて、何でそんなもん持ってきてんだよ」
「名探偵と遊ぼうと思って♪」
にっこり。
きっぱり。
それはそれは楽しそうにそう語った怪盗に探偵は思わず頭を抱えた。
何が悲しくていい歳をして稀代の魔術師と夜中にラジコン遊びをしなければならないのか。
「馬鹿か、お前は。俺がそんなもんやると思って…」
「うん、そうだよね。ごめん」
呆れ交じりに端的にそう切り捨てれば、間髪入れずに意外な程あっさりと怪盗は引き下がった。
「…は?」
その余りの引きの良さに、思わず探偵がそう言ってしまう程に、その夜の怪盗は素直に引き下がった。
けれどその引きの良さは、逆に気持ちが悪い。
理解不能の物体を見詰める様に探偵が怪盗を見詰めれば、数度怪盗がその瞳を瞬かせた後、逆に不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうしたの?」
「あ、いや……」
何だろうか。
調子が狂う。
ここでごねてくるのが何時もの彼だというのに、余りにもあっさりと引き下がられ過ぎて扱いに困る。
「んじゃ、まあ…今日はもう帰ろっかな」
「へ?」
「俺お邪魔みたいだし。名探偵忙しそうだし」
「……お前、……」
事もなげにそう言って、怪盗はまるでハンカチをポケットにしまうぐらいの気軽さで手に持っていた三十センチほどのラジコンを事もなげに消した。
当然、ポケットもジャケットの胸元も膨らんではいない。
相変わらず見事な手際ではあったが、余りにもあっさりとしたその切り返しに唯々探偵は呆然とするだけ。
「じゃあね、名探偵。また明日も来るよ」
そう言われて、ハッとした。
くるっと踵を返した怪盗のふわりと舞ったマントを思わず掴んだのはきっと無意識。
―――ビタンッ!
「っぅ……」
無理矢理マントを引っ張られた怪盗が無様に床に倒れ込み苦しげな声が聞こえた次の瞬間、探偵の持っていたマントが怪盗が倒れた事によりぐいっと引っ張られる。
それにつられる様にマントを持っていた腕は引っ張られ、身体がぐらりと揺れる。
傾いた身体を立て直せずに視界が天井を捉え、倒れる事を意識した探偵の身体は無意識に目を瞑った。
………。
……………。
けれど、予期した衝撃は何時まで経っても訪れない。
恐る恐る探偵が瞳を開ければ、肩越しに怪盗の顔があった。
「っ…あっぶねぇ…。名探偵、怪我でもしたらどうする気だよ!」
少しムッとしながらも、それでも探偵を抱き締める腕は優しい。
其処で漸く探偵は怪盗に倒れそうになった所を助けられたのだと気付いた。
「…わりぃ……」
「あのね、俺が怪我する分にはいいけど、名探偵がそれに巻き込まれてどうすんの」
「…お前、ソレ色々おかしい」
あれだけ酷い音を立てて転がっておきながらなお自分の心配をするお人好し過ぎる怪盗に、お礼も忘れてそう言えばまるで当然だとばかりに怪盗は笑った。
「おかしくないよ。好きな人が怪我すんのは嫌なの」
「…お前はしてもいいのかよ」
「まあ、俺はマゾじゃないから痛いのは嫌だけど…名探偵絡みなら幾らでも」
「………」
あれだけ虐められていても楽しそうな奴がマゾじゃないと言い切る所に関心しながら、探偵は抱き留められた腕の中から怪盗を見上げた。
「とりあえず、お前が馬鹿なのはよく分かった」
「………; あのね、名探偵。助けられといてソレはないんじゃない?」
「分かったから…とりあえず、礼だけ言っとく。……さんきゅーな……」
「えっ…」
呟いたら意外にも小さくなってしまったお礼に怪盗が目を見開いたのが恥ずかしくて、探偵はジタジタとその腕の中で暴れ始めた。
「わっ…! ちょ、名探偵!!」
「るせー! 二度は言わないからな! つーか、もういいだろ! 離せよ!!」
「えー…もうちょっとだけこうさせててvv」
「嫌だ!!」
ジタジタと暴れる探偵が怪盗の腕の中から抜け出せたのは、それからたっぷり三十分経過した後だった。