好きだという
愛しているという
俺はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
けれど―――
―――少しぐらいは期待しても良いのかな?
百夜通い【第三十五夜】
「えへ…えへへへ…vv」
「…ねえ貴方、その恰好でその顔止めてくれないかしら」
心底迷惑そうな顔で、それはそれは嫌そうに言われてもどこ吹く風。
相変わらずニヤニヤとする怪盗に哀は深々と溜息を吐いた。
「はっきり言って気持ち悪いわよ? 今の貴方、相当」
「そう? でもだってしょうがないんだよ。だってだって……えへへvv」
「………」
言いながら再度ニヤニヤとした顔を浮かべた怪盗に哀は今度こそ冷たい視線を向け、諦めた様に視線をパソコンへと戻した。
その哀の行動に怪盗はすぐさま異論を唱えた。
「ちょっと哀ちゃん! 何で『一体何があったの?』とか聞いてくれないの?」
「止めておくわ。聞いた所で私の利益には繋がらなそうだから」
「そんな事ないよ。名探偵がいかに可愛いかそれはそれはよーく分かるんだから」
「………貴方ぐらいよ。あの探偵さんを“可愛い”なんて言える怪盗さんは」
数多の犯罪者を震え上がらせて来た探偵を捕まえて『可愛い』とはよく言ったものである。
しかもそれが、“好敵手”と言われている“怪盗”なら尚更。
それでもこの目の前の怪盗が紳士らしからぬそれはそれはやに下がった顔でそんな事を言うのだから、間違いなくこの怪盗の目には探偵は『可愛い』対象として映っているのだろう。
世の中には稀有な人間は居るものである。
「だって名探偵ホント可愛いんだよ。
素直じゃなくて、意地っ張りで、手も早いしそれより足も早いし…」
「……それ、何処をどう取っても可愛く聞こえないのだけれど?」
惚れた弱み。
あばたのえくぼ。
先人はよく言ったものだ、なんて哀が半ば遠のく意識で思っていた頃、酷く穏やかな声でその言葉は響いた。
「それに――――こんな俺にも、…優しいしね」
その声に哀が視線を怪盗へとまともに向ければ、其処には声同様酷く穏やかな顔をした怪盗の姿が在った。
「…それは、良かったわね」
「うん…」
怪盗が時折自嘲気味に笑うのは哀の目にも酷く痛々しく映った。
怪盗が自分自身を卑下して見せるのは哀の目にも酷く苦しげに映った。
傍から見ている哀ですらそう思うのだから、怪盗と浅からぬ関係のある探偵なら余計だろう。
怪盗にしてはハートフル過ぎる白い鳥を無下に出来ないのも、哀にはよく理解出来る気がした。
「でも、貴方が欲しいのはそんな優しさだけなのかしら?」
「え…?」
怪盗は探偵が“好き”なのだと言った。
怪盗は探偵を“愛している”のだと言った。
だとしたら―――。
「その程度で貴方が本当に満足してるのか、って聞いてるのよ」
哀が見ている限りでも、この怪盗の愛情深さは伝わってくる。
怪盗なんてものをやるにはそれこそ邪魔になりそうな程の優しさを持っている事も。
けれど―――この怪盗がそれだけでない事もまた、哀は分かっていた。
「…鋭いね、哀ちゃんは」
クスッと嗤う怪盗の笑みが優しいだけではないソレに変わる。
笑みを掃いた唇が歪な曲線を描き、暗さを帯びる。
「確かにそれで満足出来る程、俺は大人じゃないよ。俺は―――『子供』だからね」
常の明るい彼ではない。
けれど、この一面もまた彼には変わりない。
「子供だから欲しいモノは必ず手に入れるよ。―――何としてでも」
宣言と共に細められた瞳に、哀は思わず探偵の冥福を祈った。
「名探偵…、コレ何…?」
「見れば分かるだろ。ジュースだジュース」
お隣にお邪魔して少しばかり惚気てからいつも通りに名探偵の家にお伺いすれば、窓を開けて入った先のテーブルに何故だかオレンジの液体が入ったコップが一つ用意されていた。
彼がまさかオレンジジュースなんて物体を飲むとは思えないから、一体何のためにコレが此処にあるのか分からず怪盗は首を傾げる。
「いや、それは分かるけど……何に使うの?
事件現場にジュースでもあった訳? それとも何かのトリックに使われたとか…」
「バーロ、何言ってんだよ。ジュースだったら一番の使用方法は飲む事だろうが」
「いや、…あの、……一般的にはそうだけどね……;」
極々一般的な解説をされて、怪盗はガックリと肩を落とした。
それは勿論分かってはいるが、そんな一般論がこの名探偵殿にも適用されるとは知らなかった。
「知らなかったよ。名探偵がオレンジジュースとか飲むなんて」
「いや、俺は飲まねえよ」
「………は?」
「だから、俺のじゃねえって言ってんだよ」
「………ごめん。名探偵日本語喋ってくれる?」
「…お前、それ相当に失礼だと思わねえか?」
言語として日本語が理解できたとしても、今現在お話になっている名探偵の日本語は日本語として怪盗には理解されず、響きだけをその耳に伝えていた。
意味を意味として問う為に分かり易く言葉に出せば、大層ご立腹な名探偵が返って来た。
「だってしょうがないよ。意味分かんないもん」
「………」
腕を組んだまま押し黙った探偵の次の言葉に怪盗が耳を澄ませていれば、諦めた様に探偵は明後日の方を向いて呟いた。
「折角人が用意してやったっていうのにな…」
「えぇぇぇ!?!?!?」
「な、何だよ! その反応!!」
ガタン、バタン、ドスン。
それはそれは盛大な音を立て、椅子から転げ落ちた怪盗の余りの叫び声に探偵は眉を寄せ怪盗を二度見すると、居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
それに対し怪盗はまるで信じられないモノでも見る様な視線を隠そうともせず、まじまじと探偵を見詰めた。
「だ、だって…あの、名探偵が………俺の為にジュース用意してくれるとか……」
「いや、べ、別にお前の為とか言ってねえし…」
「だって俺以外誰為にこんな時間に用意する訳?」
「うっ…;」
本人とて無理な言い訳だと思っているのだろう。
後に続く言葉を見付けられず再度彷徨った視線は仕方なく最終的に怪盗を捉えた。
「…珈琲もまともに飲めないお子様にはジュースぐらいで充分だろうと思ってな」
ぷいっとそっぽを向いた所で、それは可愛い以外の何物でもなく。
堪らず怪盗はその姿に抱き付いた。
「わっ…!! お前、何すんだよ!」
「もう、名探偵大好き!! ホント好き!! 死ぬほど好き!!!」
「…お前、オレンジジュース…そんなに好きだったのか?」
相変わらず明後日の方向に答えを導き出す探偵を思う存分抱き締めて、怪盗は今まで生きてきた中で一番美味しいオレンジジュースを堪能した。