好きだという
 愛しているという

 俺はそう言うけれど
 何を根拠にそれを信じられるというのだろう

 寄る辺ない想いなど
 信じろという方が無理だろう


 やっぱり―――




 ―――素直には受け入れられないのが正直な所だろうと知っている
















 百夜通い【第三十二夜】















「…工藤君」
「…何だよ」
「ソレ、私のカップよ」
「あっ…。悪い……」


 マグカップに口を付けようとした既の所でそう言われ、探偵は慌てて自分の行動にブレーキをかけた。
 ギリギリで事故を免れたマグカップを哀の方へと押し戻し、自分のマグカップを改めて持ち上げた探偵を哀は興味深い被験者を見詰める様に楽しそうに見詰めた。


「何だか今日は随分そわそわしてるわね」
「べ、別にそんな事ねえよ…!」
「あら、そう? まあいいわ。さっきあんなに殊勝な顔で謝ってくれたんだものね」
「………」


 昨日は相当冷静さを欠いていたと探偵自身もあの後酷く反省した。
 だからこそ今日こうやってお隣にお詫びの手土産――という名の貢物――を持って再度お邪魔した訳なのだが…。


「でも、貴方が私に謝る気になったのはやっぱり怪盗さんと仲直りしたからかしら?」
「………」
「あら、違うの…?」


 当然そうだろうと思って口にした言葉に何だか渋い顔をした探偵に哀は首を傾げる。
 素直に謝る気になったのは、きっとあの後怪盗がどうにかこうにか探偵を懐柔したお陰なのだと思っていたのだが、この表情を見る限りそれは少しばかり違うらしい。

 何だか興味が湧いてその理由を探ろうと哀が口を開きかけた時、意外にも探偵の方が口を開いた。


「…蹴り倒した」
「…え?」
「…昨日、アイツの事……蹴り倒した」
「……あら………」


 それはそれは…と口元に手を当てた哀の目の前で、少しばかりしゅんとして探偵は続けた。


「…アイツが悪いんだ」
「そうなの?」
「アイツがあんな事、言うから……」
「あんな事って?」
「っ……///」


 言われたことを思い出したのだろう。
 目の前でそれこそ火が出そうな程顔を真っ赤に染めた探偵の変化をじっくりと観察し、哀は小さく笑った。


「あら、そんなに熱烈な告白でもされたのかしら?」
「ち、ちげーよ!! されてねえ! ぜってーされてねえ!!!///」
「…あらそう。良かったわね」


 人とは図星を刺された時程素直になるものである。
 余りにも分かり易過ぎる探偵の反応に内心で盛大に笑い出したいのを堪え、哀は仕方なく救いの手を差し伸べてやった。


「そろそろ夜も遅いし、今頃その怪盗さんが来てるかもしれないわよ?
 貴方が謝りに来てくれたから昨日の事は許してあげるから、早く帰って逢ってあげたら?」






























「また居ないし…;」


 ふわりとベランダに降り立って、真っ暗な室内にお邪魔しようと窓に手をかければ鍵がかかっている。
 ここの所、彼が家に居る時はこの窓に鍵はかかっていない。

 それが油断か信頼か。
 はたまた違う何かなのかは怪盗には分からないが、それでも昨日の今日でその感情が変わったとは考え辛い。

 鍵がかかっているイコール探偵の不在を確認し、怪盗はその場に蹲った。
 正直昨日の強烈な一打が身体に深刻なダメージを残している。
 痛む脇腹を擦って、怪盗はベランダから夜空を見上げた。

 昨日の事を思い返せば、そんなところも可愛いと思う反面、先の道のりの長さも感じられて思わずため息が零れてしまう。




















『……名探偵、返事は?』
『…返事……?』
『そう。俺、大真面目に告白したんだけど?』
『っ……///』


 ただジッと自分を見詰めてくるままの探偵に焦れ、怪盗が反応を求める様にそう問えば途端に探偵の頬が真っ赤に染まった。
 次いでうろっと視線が彷徨い、――――終いにはその手を乱暴に払い除けられた。


『あっ…。名探て……』
『あ、あのな…! お前はいつもいつもそうやって急に恥ずかしい事言いやがって……!!』
『急じゃないよ。いつもそう思ってる。いつだって名探偵が好きだって…』
『だから、そういう事真顔で言うんじゃねえ!!!///』


 照れ隠しの絶叫と共に繰り出された黄金の右足は――――それはそれは見事に怪盗の左脇腹にクリーンヒットした。




















「…っぅ……。ホント、可愛いけど凶暴だよねぇ…名探偵ってば……;」


 昨晩から未だ痛む脇腹を擦りながら、怪盗は痛みに僅かに眉を寄せる。

 照れ隠しなのだと分かっている。
 真っ赤に染まった頬なんてそれはそれは強烈過ぎる程に可愛いかったけれど、それ以上に彼の持つ黄金の右足も強烈だった。


「嫌われてはいなんだろうけどなぁ……」


 本来“敵”である筈の自分を家に入れてくれるのは嫌ってはいないからだろう。
 好き嫌いのはっきりしている彼であるから、嫌っていれば恐らく早々に叩き出される筈だ。

 向けられる視線も。
 かけられる言葉も。

 嫌われてはいないのだろう、と怪盗に確信を与えるには充分。
 けれどそれはあくまでも『嫌われてはいない』というだけかもしれない。

 あんな風に頬を赤く染めるのも。
 あんな風に可愛く照れ隠しをして見せるのも。

 ただ単にそういう事を言われ慣れていない、体験し慣れていないだけかもしれない。
 自分の事が好きだからそういう風になるなんて思い上がりは怪盗とてしていない。

 そもそもあの恋愛よりも事件が好きな名探偵殿に普通の恋心を望む事自体が間違いなのかもしれない。
 なんたってこないだの比較対象がホームズな時点で推理ヲタクのレッテルを貼らざるを得ない。


「…ホームズが最大のライバルとか、……難易度たけーっつの」


 紙の上のヒーローに勝とうなんてそれはそれは無謀だ。
 何たって彼は小さな頃からずっと探偵のヒーローなのだから。


「ぜってー負けねえ! 打倒ホームズ!!」
「……お前、人様の家のベランダでなんつーこと叫んでんだよ」
「あ。名探偵! おかえり!」
「…おかえりってお前なぁ…;」


 ガチャッと窓が内側から空けられて、頭上から聞こえた声に怪盗が頭を少し後ろに傾ければ、頭上には呆れた探偵の顔があった。
 それにひらひらと手を振れば、更に呆れた様に溜息を吐かれる。


「大人しくベランダで待ってたんだから褒めてよ」
「…別に褒める要素がねえだろ、其処に」
「おや、つれない」


 ひょいっと軽く飛び上がって立ち上がり怪盗がくるっと後ろを向けば、既に探偵は部屋の椅子の上に座り本を開いていた。
 タイトルはその名もずばり『シャーロックホームズ鑑賞学入門』。


「…お前、“入門”とか読む必要あんの?」
「これはこれで面白いんだよ」
「ふーん…」


 靴をきちんと脱いで窓をきちんと閉め、部屋の中にお邪魔して。
 一歩一歩近づいて、探偵の後ろに回り込むと怪盗はその本を覗き込んだ。


「っ……///」
「ん?」
「お前、ちかっ…」
「ああ。そういう事」


 怪盗に視線を向け、急に真っ赤になった探偵が慌てて顔を離そうとするのを腕を回し肩を抑える事で妨げる。


「キッド…!///」
「そのまま読んでろよ。大好きなホームズ、なんだろ?」
「っ……、てめぇ…」
「俺よりホームズが好きなら、俺の事なんて気にせず読める筈だろ? 名探偵…」
「バーロっ………///」


 最後の一押しは耳元で囁いてやった。
 逃げる様に背けられた顔の赤さに少しだけ満足して怪盗はそのまま一緒にその本を覗き込みながら、全く本に集中出来ていない癖に読んでいる振りをし続ける探偵とその夜を明かした――。

































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