好きだという
愛しているという
君はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
やっぱり―――
―――素直には受け入れられないのが正直な所だと思う
百夜通い【第三十一夜】
「は?」
「だから、昨日怪盗さんが家に来たのよ」
「……お前のとこに?」
「ええ」
博士が学会で居ないから夕食を一緒に如何か、という誘いに―――ちゃんと食べないと後が怖いから―――二つ返事で頷いて、探偵は隣家を訪れていた。
夕食のビーフシチューを口に運んでいた探偵に、哀はそんな風に切り出した。
「貴方が余りにもつれないって愚痴りに来てたの」
「…お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「あら…ヤキモチかしら?」
「ば、バーロ!! んな訳ねえだろ…!!」
しれっとそんな風に言った哀に探偵がむきになってそう返せば、小さな笑い声が返って来た。
「声が大きくなるって事は、図星かしら」
「だから、違うって言ってんだよ!」
「はいはい。しょうがないからそういう事にしておいてあげるわ」
もう一度小さくクスッと笑って哀がシチューを口に運んだ瞬間、
「おじゃましまーす。哀ちゃんいるー?」
それはそれは能天気な声が阿笠邸に響き渡った。
「噂をすれば何とやら、ね」
「………」
冷静にシチューのジャガイモを咀嚼してからナプキンで口元を拭った哀を横目でじろっと一睨みした後、探偵は声のした方へと視線を向けた。
数秒と立たずに視線の先の扉が開き、見知った白が姿を現す。
一瞬室内を見渡した怪盗の視線が探偵のそれとぶつかり、柔らかく笑む。
「あ、名探偵。こっちに居たんだ」
「…居ちゃ悪いかよ」
「別に悪いなんて言ってないでしょ。名探偵のとこお邪魔したらお留守だったから、哀ちゃんに何処に行ったのか聞こうと思っただけなんだけど……どうしたの?」
向けられる視線がいつもより厳しい事に怪盗は不思議そうな顔を浮かべ、答えを求める様に哀を見詰めた。
その視線の先、哀はゆったりと珈琲を啜った後そのマグカップをことりとテーブルに置いた。
「工藤君の機嫌が悪いのは、思ったよりも私と貴方が仲良しだったからよ」
「……へ?」
「灰原!!」
一体どういう意味なのか分からず思わず間抜けな反応をした怪盗の声を遮る様に探偵が叫んだ。
その様子に全く意味が分からずに怪盗がぱしぱしと瞬きをする。
「…俺と哀ちゃんが仲良しなのが駄目なの?」
「ええ。彼としてはどうやらそれがお気に召さな…」
「灰原!! お前、悪ふざけも大概にしろよ!」
怒鳴り声に怪盗の方がビクッと肩を竦ませる。
普段彼女相手にそんな風に怒ったりしない探偵が珍しく本気で怒っているらしい。
しかも原因はどうやら自分にありそうだと察知した怪盗は、居心地の悪さに少しだけ後ずさった。
「え、えっと……俺、居ない方がいいかな……?」
「あら、別に気にしなくてもいいのよ。私貴方の事嫌いじゃないから」
「っ……!」
それが決定打だった。
唇を噛み締めた探偵が哀をキッと睨み付けると、ガタンと音を立て椅子から立ち上った。
「あ、…えっと、名探て……」
「精々仲良くしてればいいだろ! それから、お前はもう俺のとこ来んな!」
「え…っ…?! お、俺…!? って、ちょっ…名探偵!!!」
最後に向けられたのは怪盗にだった。
意味が分からず後を追おうとすれば、酷く冷たい視線で睨みつけられてそう吐き捨てられた。
その背に手を伸ばす事すら出来ず、ただ呆然としてれば――――探偵の姿が消えた頃、耳に届いたのはクスクスという小さな笑い声だった。
「えっと……あの、哀ちゃん……? どういう事…?」
「先ずは貴方のその呼び方よ。『哀ちゃん』なんて突然聞かされたら何事かと思うじゃない」
クスクスと笑ったまま種明かしをして下さる哀の楽しそうな様子に怪盗は眉を顰める。
「……そういうもん?」
「男心は複雑なのよ」
「…俺も男なんだけど?」
「あら、奇遇ね」
しれっとそんな風に宣って、哀はまた一口珈琲を啜った。
「自分の事を好きだと言う人間が、他所のお宅で自分の知り合いとそれはそれは仲良しだなんて聞かされたら…それは気分は良くないでしょうね」
「……哀ちゃん、名探偵に何言ったの…?」
「貴方が昨日彼に逢った後に私の家に来たって言っただけよ。それから、貴方と私が仲良しだって事を教えてあげただけ」
「…哀ちゃん」
咎める様に呼ばれた名にも哀はニッコリと微笑んだ。
「事実なんだから私は悪くない筈よ。
それに、お陰で工藤君のヤキモチを妬く姿を見る事が出来たでしょう?」
「…ヤキモチ、なの? あれ……」
「さあ? でも、怒るって事は少しは脈ありって事なんじゃないかしら」
「……だとしても、随分ハードな事してくれるねぇ…。アレはご機嫌直して貰うのに相当時間かかるよ……;」
「その辺りは貴方の腕の見せ所、でしょう?」
それはそれは楽しそうに笑む哀にガックリと項垂れて、怪盗は天井を仰いだ。
「そりゃ、ヤキモチ妬いてくれるのは嬉しいし可愛いけど―――俺はまだ嫌われたくないんだけどなぁ…;」
『あら…ヤキモチかしら?』
言われた言葉がまだ頭の中に蘇り、イライラとする。
苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべて、探偵は吐き捨てる様に呟いた。
「……ったく、別に俺はアイツの事なんて何とも……」
そうだ。
あんなコソ泥自分にとってはどうでも良い。
いつぞやの警部の言葉ではないが、そもそも課が違う。
『好敵手』なんて言ったって、普段一課の事件の方で忙しい探偵が怪盗とやり合う機会など本当に数える程度でしかない。
だとすれば―――あんな奴取るに足らない存在に決まっている。
「別にアイツが居ようが居まいが俺には関係ねえよ…」
「おやおや。随分寂しい事言ってくれるね、名探偵」
「――!?」
ふわり、と何もなかった筈の目の前に突如現れた怪盗に探偵が思わず瞳を見開けば柔らかい笑みが返ってくる。
「俺はこんなにも名探偵の事を想っているっていうのに、その台詞は随分なんじゃない?」
笑みも。
口調も。
何もかもいつも通りな筈なのに、今はそれが逆に探偵を苛立たせた。
「よく言う。どうせそんな台詞他所でも言ってんだろ」
「おや、それはお隣の女史への事を言ってる、と思って良いのかな?」
「…別に。誰なんて特定してねえよ。どうせ誰だってそうやって口説いてんだろ」
向けられる柔らかい視線に嫌気が差して探偵は吐き捨てる様にそう言うと、怪盗から視線を逸らした。
―――ぐいっ。
「……なっ……!」
「こっち向けよ。名探偵」
けれど、その刹那白い手袋に包まれた手に顎を取られ無理矢理視線を合わせられる。
「お前何す…」
「良いから。ちゃんと人の目見て話し聞け」
文句を言おうと口を開いたが、ジッと見詰めてくる碧い瞳の真剣な眼差しに思わず探偵は言葉を飲み込んだ。
口を噤んだ探偵に満足したのか、怪盗は真剣な眼差しのまま探偵を熱く見詰めた。
「俺が好きなのも、俺が口説くのもお前だけだよ。名探偵。
他の誰も要らないし欲しくない。欲しいのは………お前だけだ」
息が止まるかと思った。
余りの視線の熱さに、呼吸さえ出来ない程に空気が濃密に周りを包み込んだ。
真っ直ぐに向けられる視線も。
真っ直ぐに届けられる想いも。
何もかもが余りにも熱過ぎて眩暈がした。
「覚悟しろ。俺はお前を――――何としてでも手に入れる」
余りにも熱過ぎる怪盗の犯行予告に探偵は瞬きすら忘れ、その瞳を見詰める事しか出来なかった。