好きだという
 愛しているという

 君はそう言うけれど
 何を根拠にそれを信じられるというのだろう

 寄る辺ない想いなど
 信じろという方が無理だろう


 けれど―――




 ―――人生で一度ぐらいそんな想いも良いんじゃないかしら?
















 百夜通い【第三十夜】















「…ねえ、貴方、……どうして此処にいるのかしら?」
「………」


 確かにいつぞやの怪我の時に世話をした。
 だからと言ってここまで怪盗が懐くとは正直哀の予想の範疇を超えていた。

 研究室に入って電気を点けた途端、ベッドの上に現れた白い塊に流石の哀も一瞬固まり――そして、その正体に気付いてから溜息を吐いた。

 流石は怪盗。
 電気を点けるまで気付かない程には気配は消せるらしいと感心半分呆れ半分で無言で蹲る白い塊を眺めていれば、その塊が漸く頭を上げ哀をジッと見詰めた。


「…女史……;」
「…貴方、お願いだからその恰好でその顔は止めて頂戴」


 まるで捨てられた子犬の様な瞳でこちらを見詰めてくる怪盗にぴしゃりとそう言い放って、哀はパソコンデスクの椅子にどかりと座り腕と足を組んだ。


「一体どうしたっていうの?」
「…名探偵が……」
「工藤君が?」
「………俺よりホームズの方が好きだって……;」
「…………は?」


 ぐすぐすとしょんぼりしながら怪盗の語った言葉に、哀は眉を寄せ口元に手を当て思わずそんな風に口を開いていた。
 そんな哀の反応に怪盗はがばっと身体を起こすと、若干前のめりになって矢継早に吐き出した。


「酷いんだよ!! ホント、酷いんだから!! さっきまで名探偵の所にいたんだけど…本当に本当に酷いんだよ!
 病み上がりだからあんまり本ばっかり読んでたら駄目だって言ったら、『お前と話してるよりホームズ読んでる方が何万倍も時間の有効活用だ』とか言うし、『読書の邪魔だから帰れ』とか言うし!!
 いいんだいいんだ…。名探偵は俺の事なんて本当は好きじゃないんだ……;」
「…貴方その台詞、一旦両思いになった人しか言っちゃいけない台詞よね?」

 ――貴方のソレは片思いでしょう?


 そう哀が続ければ、一瞬見開かれた瞳が悲しげに揺れ、そうして涙をめいっぱい溜め込むと表面張力に敵わなかった雫が零れ落ちた。


「分かってるもん…。俺のコレが片思いなのなんか俺が一番良く分かってるもん…;」
「…ねえ、貴方昨日のあの口調とポーカーフェイスは何処に置き忘れてきたのかしら?」


 “もん”なんて付けて下さっている怪盗に昨日のあの雰囲気は皆無だ。
 流石にその恰好とのギャップに頭の痛くなった哀がそう突っ込めば、いじけた様に怪盗はぐすぐすと鼻を啜った。


「だって…女史が俺らしくないって言ったんじゃん…」
「確かに言ったけれど…ソレはソレでどうかと思うけれど…」
「うっ…; どうせどうせ…女史も俺の事嫌いなんだ…;」


 更にぐすぐすとしゃくり上げる怪盗の余りに幼子の様な様子に哀はもう一度溜息を吐くと、仕方なく椅子から立ち上がり怪盗の乗っかったベッドの端に腰かけた。


「あのね、貴方随分と欲張りなんじゃない?」
「え…?」
「工藤君にも好かれたい。私にも好かれたい。…そうね、他にも好かれたい人も居るでしょう?
 それこそ好いて貰えるんであれば……全世界の人間に好かれたい、とでも言うつもりかしら?」
「べ、別に…そこまでは言わないけど……」
「あらそう。なら、私に好かれるのは諦めなさい。大事な人は一人で良いでしょう?」
「………」


 クスッと笑って哀がそう言えば、怪盗は少し考えて、それでも緩く首を振った。


「確かに大事な人は一人だけど、でも俺は女史にも好かれたいよ」
「あら。本当に欲張りなのね」
「だって―――大切な人の大切な人には好かれたいもん」
「…………」


 今度は哀が言葉を失う番だった。
 一瞬目を見開いて、頭の中でその言葉を反芻してその意味を噛み砕くまで数秒。
 そしてその意味を自覚して、何かを堪える様に口元に手を当てると、怪盗から顔を背けた。


「女史……?」
「貴方って人は…本当に……」


 頬に熱が上るのをひしひしと感じていた。
 それでもこんな顔を見られたくなくて必死に顔を背けた。



 そんな風に真顔でそんな事言われたら―――どうして良いか分からない。



「ん…?」
「…しょうがないから……」
「?」
「……しょうがないから、私も貴方の事嫌いにはならないであげるわ」


 それだけ言うのが精一杯。
 耳まできっと赤いだろうし、それもきっとこの怪盗には気付かれているだろう。

 その証拠に、怪盗は何かに気付いた様に小さく『あっ…』と呟いた。
 それに気付いて哀がより怪盗から身体を離す様に背を向ければ、その背に怪盗は声をかけた。



「ありがとう。これからも宜しくね、哀ちゃん」



 悔しいから返事はしなかった。
 けれど、その呼び方を禁じる様な無粋な真似もその夜の哀には出来なかった。

































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