好きだという
愛しているという
君はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
けれど―――
―――完全に邪険には出来ないのは…何故なのか
百夜通い【第二十九夜】
「あら、珍しいお客さんね」
「こんばんは。美しい御嬢さん」
勝手知ったる、とばかりにお邪魔した地下室で小さなレディーに跪き、怪盗はその手を取ると恭しく掲げた。
いつぞやお世話になっていたお陰で、構造も何も熟知している。
その行動を遮る事なく、そんな風に傅く怪盗を満足げに見下ろして、哀は怪盗が一番聞きたかった言葉を紡いだ。
「工藤君なら少しはマシになったわよ」
「それなら良かった」
「病み上がりの癖に、証拠を探す為に池に飛び込んだ、なんて彼らしいわよね」
「本当ですよ。全く…事件となると自分の事なんて二の次ですからね」
哀は本人から。
探偵は盗聴していたその機械から。
事情を把握し―――同じ様に呆れていた。
「聞いたわよ、工藤君に」
「…何をです?」
「昨日の事もそうだけれど、その前も貴方…看病してくれたんですって?」
「…まあ、看病と言うか…何と言うか……」
彼の状態すら知らない。
薬を与える事すら叶わない。
それで看病と言えるのか…と自嘲気味に笑う怪盗に哀は小さく笑んだ。
「病気の時は、誰かが傍に居てくれるのが一番の薬よ」
「それが…敵、だとしてもですか?」
「あら、驚いたわ。貴方…自分の事彼の“敵”だなんて思ってるの?」
目を見開いて呆れた様にそう言って下さった哀に、怪盗は少しだけ眉を寄せた。
「事実、でしょう?」
「…呆れた。貴方…思ったより馬鹿なのね」
きっぱりさっぱりすっぱりと、そう言い切った哀は少しだけ鋭い目線で怪盗を一瞥すると、くるっと踵を返し部屋の棚の前へと移動した。
それを不思議そうに見守る怪盗の視線を受けながら何かを探し出すと、棚から小さな袋を持って再び怪盗の元へと戻って来る。
「…あげるわ」
「…コレは……?」
「唯の風邪薬よ」
「…名探偵用、ですか」
「ええ。貴方が飲んでもきっと利かないでしょうね」
貴方、薬には強そうだから…、なんて言って差し出されたそれを手に持って、怪盗は手の中の白い小さな袋にジッと視線を落とした。
「いいんですか?」
「何が?」
「私にこんなモノ、渡しても」
「あら。唯の風邪薬よ。別に害になるものなんて…」
「私が…コレに何かを入れて彼に飲ませるかもしれませんよ?」
ジッと哀を見詰め、真剣な顔をしてそう言った怪盗を―――哀は鼻で笑って見せた。
「本当に馬鹿ね。そんな事出来ない癖に」
「私は…」
「貴方、自分で思ってるよりも…相当ハートフルよ?」
「………」
「止めなさい。悪人の振り、なんて貴方にはきっと一番似合わないわ。それにその口調も。
大方そんな台詞を吐きたい為のその口調なんでしょうけど、いつもの口調の方がお人好しな貴方にはよっぽどお似合いよ」
「………」
怪盗はそれ以上何も言えなかった。
何も言えずに、ただギュッとその手の中の小さな袋を握り締めた。
そんな怪盗を哀は優しく見守りながら、小さな手でそっとその手に触れた。
「夜の分はまだ飲ませてないの。貴方が飲ませて来てくれる?」
「……分かりました」
「お願いね」
漸く絞り出された了承に、哀はまた小さく笑ってそっとその手を離した。
「…よっ……」
昨日の事があったからなのか。
少しだけ照れ隠しの様にそっけなくそう手を上げて、それからまた手の中の本へと視線を落とした探偵に怪盗の眉がピクッと上がった。
「よっ…、じゃねえ!! 何で起きてんだよ、お前は!!」
「熱も下がったし、暇で…」
「暇じゃねえだろ! 休んでろ!! この大馬鹿推理之介!!!」
「なっ…! お前、だから失礼だって言ってんだろうが!」
一応ベッドに居た事だけは褒めてやろうと思ったが、それでも枕を背凭れ代わりに上半身を起こし、手には分厚い推理小説を持ったままの探偵には怪盗とて呆れざるを得ない。
「失礼でも何でも、お前が悪い。
大体病み上がりで何で池に飛び込んでんだよ! そういうのは刑事か鑑識にやらせろ!!!」
「大体の場所は分かってたし、自分で探した方がはや…」
「その挙句に熱出して公園のベンチでぶっ倒れてりゃ世話ないけどな」
「うっ…。 それは…」
「せめて帰りは送って貰う、ぐらいの事出来ねえのかよ」
「…警部達忙しそうで…」
「どうせ体調悪いのばれたくなくて、送るって言うのも断って、無理矢理あそこまで自力で帰ってきたんだろ?」
「………」
探偵が黙ったという事は、怪盗が言った事が全て図星だったから。
答え合わせをしたところで呆れるばかりの怪盗に、探偵は拗ねた様に口を尖らせた。
「しょうがねえだろ。あの凶器が決め手だったんだ」
「…事件よりもうちょっと自分の身体の心配をしろ」
「事件解決する為だったら少しぐらい無理もす…」
「お前のソレは少しぐらいじゃないだろ!!!!」
怪盗の中でぶちっと盛大に何かが切れた音がした。
それと共に余りにも抑えきれない感情があふれ出し、目の前の探偵をひたすらに怒鳴りつけた。
「お前、自分の状況分かってんのか!?
あんな毒薬取り込んで、どうせ身体だってガタきてんだろ!
なのにいっつも無茶ばっかしやがって! 俺だけじゃねえ。周りがどれだけお前の事心配してると思ってんだ!!!」
「…俺は、頼んでない」
「ああ、そうだろうな。お前は一言だって心配してくれなんて頼んでねえよ。
勝手に俺が心配してるだけだ。そんなのは……俺が一番よく分かってるよ!!」
言っている怪盗ですら、怒るのはお門違いだと分かっていた。
探偵にとって怪盗は身内でも、味方でも何でもない。
関係性なんて唯の好敵手で。
だから…探偵が怪盗の言う事を聞く必要性なんて一ミクロンもない。
けれど―――。
「分かってる……分かってるけど……」
言いながら、怪盗は視界がぼやけるを感じていた。
情けないと知っていた。
けれど、ポーカーフェイスなど何処かに置き忘れてしまった。
「――――俺は、…お前が心配なんだよ……」
最後は涙声だったのかもしれない。
こんな顔見せられなくて、余りにも情けなくて、下を向き片手で顔を隠した。
どうしたら伝わるのか分からなかった。
この無理無茶無謀が事件の為なら当たり前だと思っている探偵には、どうしても伝わらないと知っていた。
分かっていて、言うだけ馬鹿だと知っていて。
そして、こういうのが一番鬱陶しいのだと分かっていて言ってしまった自分に、自己嫌悪で吐きそうだった。
何とか自分を立て直そうと深く息を吸った所で、探偵が小さく呟くのが聞こえた。
「………悪い」
「えっ……?」
小さな小さな呟きに、怪盗が顔を上げれば、苦虫を噛み潰した様に渋い顔をした探偵の姿があった。
「…助けてくれたのはお前なのに……悪い。俺、お前にまだ礼も言ってない……」
「名探偵…」
「ごめんな。……本当は分かってる。お前が―――心配してくれてるの」
「っ……」
真っ直ぐに言うのは恥ずかしいのだろう。
少しだけ視線を下げて、怪盗を視界から外して、それでも素直に言葉を口にした探偵に怪盗は息を詰まらせた。
呼吸が本当に止まってしまうんじゃないだろうかと思う程に、言われた言葉は怪盗の心に響いた。
「…悪い癖だな。お前だと……つい、…素直に礼も言えない」
「………」
「助かったよ。ありがとな、キッド…」
「名探偵…」
少しだけはにかみながら、けれど真っ直ぐにキッドを見詰めてそう言った探偵に、また怪盗の視界がぼやける。
ああ、駄目だ。
そんな風に言われたら……。
「…何で、お前が泣くんだよ」
幾ら手で顔を覆っても、隠す事など出来なかった。
余りにも胸が一杯で返す言葉も紡げなかった。
そんな怪盗を呆れた様に探偵は見詰め、そしてベッドから抜け出すと一歩一歩怪盗へと近付き、そっと顔を覗き込んだ。
「悪いな。お前には心配かけてばっかりだ」
「……ホント、だよ…。お前こそ、…もうちょっと、慎重になれ……」
「ああ、そうだな」
いつぞや言われた台詞を怪盗がそのまま探偵へと返せば、探偵は小さく笑った。
「お人好しな怪盗泣かせない程度には…自重するよ」