好きだという
愛しているという
君はそう言うけれど
何を根拠にそれを信じられるというのだろう
寄る辺ない想いなど
信じろという方が無理だろう
けれど―――
―――完全に邪険には出来ないのは…何故なのか
百夜通い【第二十六夜】
「………んっ……」
「無理に起きなくていいよ。寝てな」
額に感じたひやりとした感覚に瞼を無理矢理持ち上げようとすれば、そんな風に労わりを含んだ優しい声をかけられた。
まるで呪文の様にその言葉と、額に当てられた心地良い冷たさは探偵の眠りを誘う。
安堵する様に再び小さな寝息を立て始めた探偵に怪盗は小さく溜息を吐いた。
お家にお邪魔する前から怪盗は異変を感じていた。
外出している予定はない筈だったのに――事件でもなければ、特に用事で外出している筈がないのは盗聴済み――彼の部屋の電気は消えていた。
そして、異変を感じながら静かにお部屋にお邪魔すれば、彼の気配はベッドの中だった。
夜の九時にも関わらず探偵が既に床に入っていた時点で“異常事態”だと怪盗は感じた。
入ってすぐ、探偵から吐き出される熱い吐息に嫌な予感がして額に手を当ててみれば、案の定だ。
昨日は確かに少し冷えていた気がする。
季節の変わり目であるが故か、もしくは常日頃厚着をする習慣の無い彼の自業自得か。
それとも、あんな場所で少し『お遊び』をしてしまった怪盗のせいか。
どちらにしろ、少し冷え込んだ風は確実に名探偵の体調を脅かしたらしい。
「……ホント、幾ら心配しても心配し足りないな……」
探偵は怪盗の知る限り、身体が強い方ではない。
夢中になれば寝食を忘れる生活がいけないのか。
それとも、身体に一度取り込まれた毒のせいか。
それは怪盗の知る所ではない。
知りたいと思う。
彼の身体がどういう状態なのか。
助けたいと思う。
そのどちらの理由であったとしても。
けれど――怪盗は寄り添い合う事を許されてはいない。
振り切る様に一度探偵の部屋を出て、怪盗は冷蔵庫から氷を取り出して氷枕を用意するとタオルを巻き付けまた探偵の部屋へと戻った。
触れた頭の熱さに眉を一瞬寄せて、溜息を吐きたいのを必死に抑え、起こさない様に静かにその頭の下に氷枕を入れてやった。
冷たさが心地良いのか、枕にすりっと頬を寄せた探偵の仕草に怪盗の口からは笑みが零れる。
「全く…、可愛い顔して寝ちゃって…」
額に汗で張り付いた髪をはらってやって、少しだけしっとりとした髪を撫でる。
穏やかに聞こえる寝息に安堵しつつも、ぎゅっと怪盗は目を閉じた。
護ってやりたいと思う。
失いたくないと思う。
けれど、彼は決して怪盗を頼ったり、怪盗に甘えたりはしないだろう。
それが分かっていてもなお、願わずにはいられない。
いつか――――この腕が自分に縋ってくれたら良いと……。
「馬鹿だね。俺は……」
泣けばいいと思う。
声を上げて泣けばいいと思う。
この腕の中で。
泣いて、泣いて、全て吐き出してしまえばいいと。
けれど、そんな日は永遠に来ないのは分かりきっている。
「さて、そろそろ帰るかな…」
怪盗に出来るのは精々この位だ。
薬を飲ませようも探偵の身体がどんな状態なのか怪盗は知らない。
もし不用意に薬でも飲ませれば、それは“毒”になるかもしれない。
彼にはお隣の女史がついている。
心配する必要など無いだろう。
そう考えれば考える程、キリキリと胃が痛む。
怪盗が彼にとって必要で、無くてはならない人間になれる日などきっと一生やって来ないのだろう。
「…好き、だよ。名探偵…」
縋る様にそう口にして怪盗は寄り添っていた身体を名残惜しげに見つめてから立ち上がった。
そうしてくるっと踵を返して一歩歩き出した所で―――。
――――くいっ
引っ張られる感覚を感じ、肩越しにちらりと後ろを見れば………マントの端が掛け布団から少しだけ出ている手にぎゅっと握られていた。
「名、探偵…?」
「………」
呼びかけても返事は無い。
返ってくるのはすよすよという穏やかな寝息ばかり。
「っ………///」
思わず両手で顔を覆った。
手が触れている頬が手袋越しでも分かるぐらい、熱い。
こんな風に…まるで無意識で求められている様な行動をされたらもう駄目だ。
どうしたって…帰る事なんて出来る訳がない。
「…名探偵が悪いんだからね?」
再び膝を折り、起こさない様にそっと近付いて、マントを握っている手をそっと両手で包み込んだ。
そして祈る様にその手に額を当て目を閉じる。
「………少しでも、名探偵が俺の事を好きになってくれますように……」
まるでおまじないでもするかの様に小さく小さく呟いた。
その呟きが――――眠る彼に少しでも届いたら…なんて夢物語をこの夜だけは信じたかった。