好きだという
 愛しているという

 君はそう言うけれど
 何を根拠にそれを信じられるというのだろう

 寄る辺ない想いなど
 信じろという方が無理だろう


 だから―――





 ―――さっさと諦めてしまえばいい
















 百夜通い【第二夜】















「こんばんは、名探偵」
「…不法侵入だな」


 カチャッと音を立てたのは怪盗なりの配慮だろう。
 無音で、それこそ家人に気付かれない様に入り込むのなんてお手の物だろうに、態々物音を立てて侵入してきた怪盗を探偵はベッドの上から睨み付けた。

 けれども怪盗は相変わらずいつもの調子でベランダで靴を脱ぎ部屋へと入り込むと、窓を閉めガラスに背を向け寄りかかった。
 腕を組んで苦笑する様に探偵を眺める。


「だって正々堂々玄関から来たってお招き頂けないだろ?」
「当たり前だ。怪盗をわざわざ招き入れる探偵が居てどうする」


 背凭れ代わりに背中に当てていたクッションから少しだけ身体を浮かせ、探偵は迷う事無く手に持っていた本を怪盗へと投げつけた。




 ―――パシッ




 その本は無様な音を立てて怪盗に当たる事も、ましてや床に落ちてページに歪な皺を刻む事も無く、案の定すっぽりと怪盗の手の中に納まった。
 手の中に無事に納まった本を眺め怪盗は不思議そうな顔を浮かべた。


「百人一首? また名探偵にしては珍しいモノ読んでるね」
「今日事件があった家の隠し扉の中にあったんだよ」
「へえ…。で、何で名探偵が持ってんの?」
「その家の亡くなった主が資産家だったんだがな、その資産の殆どが亡くなる直前金に替えられてる」
「…成る程。つまりはお宝探しのお手伝いって訳ね」


 大方お家騒動か何かだろう。
 殺されるのを察した主が大切な人の為にでも資産を残そうとした、そんなところか。


「にしても…百人一首、ね。それはまた風流な…」


 クスッと笑って、怪盗はペラペラとページを捲るとその中の一首を朗々と読み上げた。


「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
「…何でまた小野小町なんだよ」
「だって絶世の美女だったって言うじゃん? 名探偵とどっちが美人さんかと思ってさ」


 パタンと本を閉じそう言って怪盗が笑えば、案の定探偵は眉をキュッと寄せた。


「誰が美人だ、誰が」
「勿論、名探偵がv」
「言ってろ」


 ぷいっとそっぽを向く探偵にまた一つ怪盗は小さく笑って、そうして改めてニッコリ微笑んだ。


「名探偵の為なら百夜通いも悪くないかも」
「…誰も頼んでねえだろうが。大体、そんなフィクションやってどうする」


 絶世の美女である小野小町に恋い焦がれた深草少将は求愛の為百夜通いをするが、その最後の日で亡くなってしまう。
 その話は実話ではなく後世に作られた物であるという話は有名だが、言われた怪盗は何かを思いついた様にポンッと手を叩いた。


「そうだ! 名探偵。こうしよう!」
「…言うな。お前がそういう顔してる時はロクな事じゃねえ」
「俺、マジで百夜通いするわ」
「だーかーら! 言うなって言ってんだろ!!!」


 探偵の言葉などどこ吹く風。
 良い事を思いついたとばかりに怪盗は満面の笑みを探偵へと向けた。


「昨日お邪魔したから、今日は二夜目って事で」
「…オイコラ。俺の発言はシカトか」
「さてと…残りは九十八夜、ね…」
「一人で自己完結するな!!!」


 絶叫した探偵の声に流石に怪盗も慌てて耳を塞いだ。
 そうして暫くして何も聞こえなくなってから漸くその手を外す。


「酷いな、名探偵。俺の耳繊細なのに」
「何処が繊細だ。お前が繊細だったら世界中皆繊細だらけだ」
「ホントひでー言い草。で、名探偵。心の準備は出来た?」
「は……?」


 言われた意味が分からず探偵が呆けた顔を怪盗へと向ければ、怪盗は一歩一歩静かに探偵へと近付いてベッドの傍まで来ると、探偵の傍に腰を下ろしその瞳をジッと見詰めた。


「俺、百夜通いするって言ってんだけど?」
「だから何だよ」
「ホント相変わらず恋愛事には鈍いね、名探偵」
「悪かったな」


 じと目で睨まれても怪盗は気にする様子も無く、ただ静かに探偵を見詰め続ける。




「百夜通ったら――――俺のモノになってよ、名探偵」




 その瞳の余りの真摯さに探偵は言葉を失い………そして、静かに視線を逸らした。
 探偵の方から視線を外した事などきっと怪盗が知る限り、無い。
 それが彼の胸の内を示している様で、怪盗は小さく暗く嗤った。


「今決めてくれなんて言わないよ。ただ、俺は百夜通うから覚悟してて」
「覚悟って…」
「…俺のモノになる覚悟、って事だよ」
「………」


 スッと怪盗の手が伸び、探偵の頬に触れる。
 呆然とした探偵が抵抗しないのをいい事に、その指はするりと白い頬を撫でた。



「好きだよ、名探偵。俺は―――本気だから」



 言い終えて、その手はスッと離れていく。
 目を見開いたままどうする事も出来ない探偵に、怪盗は諦めた様にベッドから立ち上がるとくるっと背を向けた。


 端から返事など期待していなかったのだろう。
 それだけ言って怪盗はスタスタと窓の前まで行くと、振り向かないままに口を開いた。


「明日も来るよ」
「……待たないからな」
「うん。いいよ。俺が勝手に来るだけだから」


 カタンと音を立てて、窓が再び開けられた。
 風に靡くマントを見詰めて、それが部屋からいなくなるまでただ呆然と探偵はその白を目で追っていた。

































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