好き
 愛してる

 どれだけ君にそう言っても
 君は信じてはくれないのだろう

 確かに寄る辺ない想いなど
 ただ信じろという方が無理だろう


 だから―――





 ―――その証の為に君に逢いに今夜も…
















 百夜通い【第十七夜】















 ――カチカチ


 ――カチ……カチ……


 ――カチッ……






 ――バタン!






 夜の静寂の中、ひっそりと響いていた時計の音をかき消した余りにも強い音に、探偵は本のページを捲る手をぴたりと止め、音の方へと視線を動かした。


「はぁ……はぁ……はぁ………」
「大丈夫か…?」


 視界の先の怪盗は、常の優雅な動作とは違い珍しく酷く乱暴に窓を開け、室内に入って来るなり開けた窓のガラスに手をついて膝を折ったまま息を整えようとしている。
 その異様な光景に探偵は思わず怪盗に駆け寄った。
 探偵も軽く膝を折り怪盗の顔を覗き込む様に首を捻れば、そんな探偵に怪盗は心配ないと言う様に緩く首を振った。


「だ、……だい、…じょうぶ……」
「…全然大丈夫そうじゃねえよ;」


 顔面は蒼白。
 額には脂汗。
 瞳は今にも泣きだしそうな程潤んだ状態。

 こんな怪盗は見た事がない。
 少し前に時間ギリギリで酷く焦って来た時の事が可愛いものの様に思える程、今の怪盗の状態はそれはそれは凄惨だった。

 余りにも悲壮な表情に流石に少しばかり可哀相になって、とりあえず探偵は腰を上げた。


「…め、めい…たんて……?」
「お前、ちょっと休んでろ」


 スタスタと歩いて部屋から出て行った探偵を見送って、怪盗は耐えきれず膝を付くとその場に横になった。

 吐き気がする。
 頭も痛い。
 両手で目を覆い、先程見た光景も感触も全てを消し去ろうとする。
 それでも消えてくれない感触にも瞼の裏に広がる光景にもぐったりして、吐き気を打ち消す様に溜息を吐く。


 事の発端はクラスメイトのくだらない肝試し大会の提案だった。
 時間的に深夜近くに予定されたそれに出て、それから急いで名探偵の家に行けば間に合う算段だった。

 高校生のやる肝試しなんてそれはそれは大した事のない物で。
 『全く、可愛いもんだ』なんて思いながら歩いていたのが運のつき。

 こんにゃくではつまらないと思ったのか、こんにゃく代わりに紐で吊るされ設置されていたのが、何をまかり間違ったのか――――“アレ”だった。
 糸で吊るされていた“アレ”はそれはもう、見事なまでに怪盗の顔にクリーンヒットした。

 生臭くて。
 ぬるぬるして。
 目の前に突然出現した“アレ”のドアップに意識が遠のくのをどうにかこうにか堪えて、平然を装いつつも猛ダッシュでその場を抜けだし、此処に駆け込んだ。

 時間がギリギリだったのもあるが、余りにも衝撃が強過ぎた。
 名探偵のお家にお邪魔するのに…何たる失態。


 理由なんて―――絶対言えない…。



「ホント、大丈夫か…?」


 労わる様な声で我に返る。
 塞いでいた手をどけ、瞼を持ち上げれば、大好きで大好きで堪らない彼の顔がドアップで映し出された。


「め、めいたんてい…!?」
「そんなに調子悪いのか?」
「…あ、えっと……うん、ちょっと……」


 ある意味激しく調子が悪い。
 未だ気持ち悪さもある。
 嘘は吐いていない筈だと内心で開き直って、怪盗は顔を歪めた。


「ごめん」
「ん?」
「格好悪いとこ見せた」


 何時だって。
 何処でだって。
 好きな人の前では格好良くいたいのに、こんな風では嫌われてしまうかもしれない。

 しょんぼりとそんな風に言った怪盗に、探偵は小さく噴き出した。


「バーロ。今更そんな事気にすんなよ」
「今更って…;」
「それより起きれるか? とりあえず水持ってきたから」


 まるで背を支える様に探偵に身体を起こされて。
 恥ずかしいやら嬉しいやら、よく分からなくなって、怪盗はただ少し頬を赤く染めた。


「ほら、飲めるか」
「うん…」


 上半身を起こして、水の入ったコップを受け取る。
 ひんやりと冷たい水が、喉を通るだけで気持ち悪さが少し軽減される気がする。


「…ちょっとは落ち着いたか?」
「うん。有難う」


 漸く大分落ち着いた。
 背中をさすってくれる探偵の手が余りにも優しくて何だか泣きそうになる。


「…名探偵」
「何だ?」
「一つだけ我が儘言って良い?」
「………何だよ」


 きっと甘ったれだと思われるだろう。
 きっとしょうもない奴だと思われるだろう。

 それでも……ただ、どうしようもなかった。


「…ちょっとだけ、……名探偵の事抱き締めさせて?」
「………」


 怪盗のどうしようもないお強請りに探偵は一瞬僅かに眉を寄せ、黙りこくってしまう。

 襲ってくるのは激しい後悔。
 言わなければ良かったと、怪盗が自分を責めようとした所で――。




 ―――ぎゅっ




 ――――温かい温もりが、怪盗の身体を包み込んだ。


「名探偵…」
「…ちょっとだけ、だからな」


 僅かに赤くなった探偵の頬と耳に怪盗は息を飲んで、その身体を思いっきりギュッと抱き締めた。


「っ…! お前、強過ぎんだよ…!!」
「あ、ごめん」


 軋む身体に探偵が抗議の声を上げれば、僅かばかり怪盗の腕が緩む。
 それでも僅かに緩んだだけで、しっかりと抱き締めてくるその腕に、探偵は小さく溜息を吐いた。


「ったく…しょうがねえ奴」
「…ごめん」
「……今日だけ、だからな」
「うん」

 我ながら甘いと思う探偵と、我ながら甘えが過ぎると思う怪盗の夜はこうして静かに更けて行った。

































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