叶うなら

 貴方のその手で私を殺して頂けませんか?











私を殺してくれる人は何処ですか?












「これはこれは名探偵。連日御出で頂けるとは意外ですよ」
「俺だって2日連続でなんか来たくなかったよ」


 闇の中の邂逅。
 いつでも変わる事のない景色。

 いつもと違う所があるとすれば、街のイルミネーションが煌びやかに輝いている所ぐらいだろうか。


「その割には暗号は楽しんで頂けたようで」
「見てたのかよ…」


 ばつが悪そうに少しだけ俯き加減になった小さな探偵に怪盗は内心で笑みを零す。

 魔術師の助手は優秀。
 何時だって、何処へだって飛んでいってくれるから。


「ええ。しっかり拝見させて頂きましたよ」
「ほんと悪趣味な奴…」
「それは私にとっては褒め言葉にしかなりませんね」
「………」


 むうっと眉を寄せた探偵に怪盗は微笑んで、一枚のカードを差し出した。


「何だよ」
「見て頂ければ分かると思いますが?」


 受取るも受取らないも探偵の自由だと言う様にそう言った怪盗に探偵の眉は余計に寄せられる。


「ほんとお前って性格悪いよな」
「それも私にとっては褒め言葉ですよ、名探偵」
「……マジでムカツク」


 多少乱暴に探偵は怪盗の手からそのカードを奪い取った。
 真っ白なカードは表面の加工の為かいやにすべらかに手に馴染んだ。


「これっ…」
「私には用の無い物でしたので」
「………」


 小さく描かれた地図。
 都内某所。

 解っていた、その周辺なのは。
 けれど、確証の持てなかった位置。


「どうして…」
「偶々引っかかったんですよ」
「偶々、ね…」


 あの組織相手に偶々なんて事が存在する筈が無い事は怪盗も探偵も解っていた。

 それだけの相手。
 それだけの組織。


「偶然にしちゃ出来過ぎだな」
「今夜はイブです。奇跡が起きても不思議じゃない」
「奇跡、か…」


 怪盗の言葉に探偵は小さく笑ってそのカードをポケットへとしまった。


「なら、『奇跡』を運んできたサンタクロースは何を望むんだ?」


 特別な日。
 特別なプレゼント。

 それならばそれを運んできたサンタは一体何を望むのか。


「サンタクロースがプレゼントを貰っても宜しいのですか?」
「あれだけ皆に夢を見せてるんだ。貰っても悪かねえだろ」


 今宵の魔術師のショーに魅せられ、夢現のまま帰っていった群衆を思いながら探偵は小さく口の端を持ち上げる。
 この魔術師は本当にサンタの様だと。


「……何でもいいんですか?」


 躊躇いがちに怪盗が紡いだ言葉に探偵は大きく頷いた。

 けれど、



「それならば………」






























「私を殺しては頂けませんか?」






























 続けて紡がれた言葉はイブという煌びやかなこの日には相応しくないモノだった。


「何言って…」


 探偵も我ながら陳腐な言葉だと思った。
 けれど、そう呟く事しか出来なかった。

 一体何故この怪盗はそんな事を望むのか。
 そして何故それを自分に頼むのか。


「何を、と言われましてもそのままの意味ですが?」


 一体何を言いたいのかと、まるで日常会話をする気軽さで怪盗は探偵に問いかける。


「そのままって…」
「そのままはそのままですよ。
 貴方がもしも私の願いを叶えてくださるというのなら、私は貴方に殺して頂きたいのです」


 何を言うのかと。
 何て事を望むのだと。

 言葉は幾らでも思い付いたけれど、結局声にはならなかった。
 だってそんな言葉この怪盗の真剣な眼差しにはとても敵いはしないと分かっていたから。


「貴方が私の望みを本当に叶えて下さると言うのなら……」






























『全てが終わった暁には―――私を殺して下さい』






























 それは音にならない言葉。
 唇だけに乗せられた意味。

 けれど、それはしっかりと小さな探偵にだけは響いた。






























 どうしてあんな事を言ってしまったのか。
 折角のイブだというのに。


「途中までは予想通りだったんだけどな…」


 隠れ家として使用しているマンションの一室。
 クリスマスという事でいつもより更に煌びやかに輝く地上の星々を見下ろしながら一人ごちる。

 名探偵に目的の物を渡して。
 共犯者めいた笑みを浮かべて。

 名探偵が一番望んだ筈の奇跡を起こせた筈だった。

 なのに何故自分はあんな事を言ってしまったのだろう。


「ったく、俺って変なとこで馬鹿正直なんだよな…」


 自分自身の行動に苦笑する。
 今ではもうこんなに冷静なのに、彼の前ではそのままの自分で居る事ができない。

 きっと今彼に「どうして俺に殺してくれなんて頼むのか、そんなに俺が嫌いなのか」と聞かれれば素直にこう言ってしまうだろう。






























「大切な貴方だからこそ殺されたい」と。




















 温かい家庭だとか。
 優しい恋人だとか。

 他の人間が言う所の幸せだとか。


 そういう事に興味はなかった。
 そんなモノ何の意味も価値もない。

 唯々切に願うのは―――― 一番大切な人に殺される事。















 それを幸せだと言ったら、貴方はどんな顔をするのでしょうね?













































「………お前もタフだよな」
「………名探偵こそ」


 クリスマスイブイブも。
 クリスマスイブも。
 クリスマスも。


 まさか同じ相手と過ごす羽目になるとは思わなかった。
 それは怪盗とて予想外のこと。


「名探偵…クリスマスぐらい私ではなく他の方を追いかけたりはしないんですか…?」
「お前こそクリスマスぐらい警察関係者の為に休んでやろうとか思わないのか…?」


 お互いに微妙な表情を浮かべて相手に尋ねる。
 返ってくる言葉を知りながら。


「休めるものなら私も休みたいのですが…」
「俺だってお前が休まないから休めないんだ」
「………」
「………」


 鶏が先か。
 卵が先か。

 何だかその話をしているのと同じレベルの話をしている気がする。


「名探偵…」
「何だ?」

「折角のクリスマスです。名探偵にもう一つだけプレゼントを差し上げましょう」


 話を逸らす為か。
 それとも最初から用意してあったのか。

 それは探偵には分からない事だったけれど、ばさりと広げられた白いマントに図らずも探偵の目は釘付けになった。




















 真っ白だった筈のマントが真紅の薔薇の様に赤く変わる様はまるで―――――死に装束が血に染まっていくようだった。




















「キッド!」


 無意識だった。
 本当に無意識に。

 血に染まったように、真っ赤に染まったそのマントの中へ身体を滑り込ませていた。


「どうしました? 名探偵」
「キッ……」


 名前を。
 彼の名を呼ぼうとした。

 けれど気付けば自分の身体は彼に包み込まれ、抱き上げられて居るのに気付いた。


「どうしました?」


 異常に近い彼との距離。
 近づけられた端正な顔に思わず探偵の心臓が跳ねた。


「名探偵?」


 身体を抱き上げられたまま顔を覗きこまれる。
 きっと自分の頬は今、みっともない程に赤くなっているのだろう。


「……何であんな物見せたんだよ」


 ぷいっとそっぽを向いて。
 そのみっともない顔を隠す。

 きっと怪盗のことだからそんな事をしても気付かれてしまっているのだろうけれど。


「私の末路を貴方にプレゼントしておきたくて」
「そんなもんプレゼントするな」
「貴方だから差し上げたいのですが…」


 見なくても怪盗が苦笑しながらそう言ったのが分かった。
 何故怪盗はそんな事を言うのか。


「何で俺に?」
「名探偵…人と話をする時はちゃんと相手の顔を見るものですよ?」


 怪盗に常識を説かれるなんて何だか心外だったけれど。
 とりあえず頬の熱も引いた事だし、確かに怪盗の言う通りではあったので探偵は怪盗を改めて見詰めた。

 モノクル越しでも分かる端正な顔立ち。
 綺麗な藍。
 その藍が自分を見詰めてくる。

 真っ直ぐ。
 力強く。
 まるで射抜くように。















「貴方に私の未来を―――全てプレゼントさせてくれませんか?」















 真っ直ぐ過ぎる告白に息が詰まるかと思った。
 冗談ではなく、息が止まった。

 藍の奥に熱く静かに灯る赤い炎を見つけた。















「怪盗をしている以上、私には常に死が付き纏うでしょう」















 真っ直ぐ。
 綺麗なだけではない真実の告白。















「貴方には嘘をつけないのは分かっています。だからこそはっきりと言います。
 私はそう遠くないうちに組織を潰しに行きます。生きて帰れる可能性は―――万に一つでしょう」















 探偵の目は欺けない。
 そう語る彼の言葉は自分が本当に探偵であると認めてくれているモノ。
 それが嬉しくもあり、辛かった。















「ですが、私は帰ってきます。
 例え瀕死の重傷になろうとも。ですからもしも私が死にそうになりながら帰ってきた暁には―――」















 その言葉に続く言葉は分かっていた。
 言わなくても分かった。






























「――――貴方が私を殺して下さい」






























 幸せだと言ったら神は自分を見放すだろうか。
 嬉しかったと言ったら世間にすら見捨てられるだろうか。

 それでも、彼がそう言ってくれた事が何故だかとても嬉しかった。


 真っ直ぐに向けられた気持ちが。
 真っ直ぐに籠められた想いが。

 彼が自分に向けてくれる全てが自分を幸せにしてくれた。




















「ばーろぉ。クリスマスに物騒な事言ってんじゃねえよ」
「クリスマスだから言ってるんですよ。神が生まれたとされる日に神の国へ召される事を考える。
 これ以上ピッタリな日は他に探す方が難しいと私は思うのですが…?」
「ったく、屁理屈言うんじゃねえよ」


 まったく。
 怪盗という生き物は皆こうなのだろうか。
 まったく手に負えない。性質が悪い。
 だからこそ楽しいのだけれど。


「大体、犯罪を犯したお前が神の国へ行けるとは思えねえんだが?」
「手厳しいお答えで」
「まあ、俺も人の事は言えないがな」


 彼がどうしてそんな事をしたのか。
 彼には言っていないけれど、知っている。

 彼がどうしてソレを求めているのか。
 彼には言っていないけれど、知っている。

 だからこそ彼を追い詰める。
 自分と同じ世界を知っている彼を。


「おやおや、名探偵はもっとお綺麗な世界の方だと思っていましたが?」
「そりゃどうも。でも、そう思うならお前の目も節穴だな」


 軽口を叩いてやる。
 抱き締められたそのままに。


「嫌いになったか?」
「どうしてそう思うのですか?」
「てっきりお綺麗な俺が好きなのかと思ったからな」
「そう思うなら貴方の目の方が節穴ですよ」


 ああ。
 もうこの怪盗は。

 本当に性質が悪い。


「ならさ…俺の目が節穴じゃないと証明してくれないか?」


 だから笑ってやる。
 小さく。
 でも妖艶に見えるように。






























「――――俺と一緒に堕ちろよ。地獄までさ」






























 神の誕生を祝う日。
 探偵と怪盗は神を裏切り地の底へ堕ちる事を誓い合った。


















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