曲げられないモノがある

 何を犠牲にしても
 何を裏切っても

 決して曲げられない思いがある


 けれどそれが…
 自分自身を苛む事もある















 conviction















「なあ、工藤」
「ん?」
「いいのかよ。授業」
「そういうお前こそいいのかよ」
「別に。俺聞いて無くても分るし」
「そりゃそうか。IQ400もある奴に教える教授も気の毒だな」


 昨日と同じ様にかいとはチョコアイスのトリプルを頬張りながら。
 昨日と同じ様に新一は珈琲を啜りながら。

 向かい合って話しているのは昨日と同じ光景。

 あの後、晴れて『お友達』になった記念(…?)というか、新一曰く『昨日の詫びだ』という言葉に有難く甘える事にして。
 かいとは再度チョコアイス(トリプル)をごちそうになっていた。
 ちなみに今日の授業はお互いに『自主休校』を決め込んだ訳だが。


「つーかさ、お前…」
「ん?」
「…ホント好きなんだな。チョコアイス」
「うんv 大好きvv」
「……子供かよ……ι」
「子供だよ。俺は『キッド』だもん」


 ニヤッと笑ってそう言って少しだけ夜の気配を覗かせれば、僅かに新一の目が細められる。


「…止めろ」
「えっ…?」
「今俺の目の前に居るのは普通の大学生の『かいと』だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「…ごめん。そうだったね」


 使う所はしっかり使って下さる癖に、『怪盗キッド』としての部分を見せられるのはお気に召さないらしい。
 それはそうだろう。
 新一がお友達になって下さったのは『かいと』であって『怪盗キッド』ではない。
 新一にとって『怪盗キッド』はあくまでも『追う者』から変化はしてない筈だ。


「でも…」
「ん?」


 細められた新一の目の奥にほんの僅かに『名探偵』の顔が覗く。
 鋭いその視線は、嫌いじゃない。


「…折角そうやってお前がもう一人のお前の気配を見せたんだ。この機会に聞いとく」
「…?」
「お前、………一体何探してんだ?」
「………」


 少しだけ躊躇う様な間があった後に尋ねられた問いにかいとは口を僅かに引き結んだ。

 自分には曲げられない事がある。
 この目の前の探偵にソレを告げた所で彼がどうこうするとは思えないがそれでも相手は『探偵』だ。
 それに―――。


「……わりぃ。今のは忘れてくれ」


 返す言葉を見付けられずに沈黙を続けたかいとに新一は苦笑しながらそう言って、珈琲を啜りながら視線を窓の外へと逸らした。

 それにかいとがホッとしたのも本心。
 そしてかいとがそれを残念に思ったのも本心。

 言っていい話ではない。
 それでも、一人胸の内に抱える秘密は日々重く心に圧し掛かってくる。
 暗く、深く……。

 ソレを言って楽になってしまいたいと思うのが本音。
 けれど、ソレを言えないと分っているのも本音。


 彼にならば―――言ってしまって良いかもしれないと一瞬でも思ってしまった自分にぞっとする。


 駄目だと思う。
 きっと言ってしまえば―――どこまでも彼に甘えて、自分は駄目になってしまうかもしれない。








 ――――自分のやり遂げなければいけない事を諦めてしまうかもしれない。








「かいと」
「ぁっ…」
「悪かったな。余計な事聞いた」


 一人考え込んでしまっていたらしい。
 呼ばれて漸く我に返ったかいとに、気遣う様な言葉をかけて下さった新一に、かいとも先程の新一と同じ様な苦笑を浮かべた。


「いや、そんな事ないよ」
「そうか?」
「うん…。でも…名探偵にはそれは言えない」
「だろうな…」


 端から答えを期待などしていなかったのだろう。
 そう言って軽く口元に笑みを浮かべた新一はこくりと珈琲を飲みほした。


「ほら、早く食えよ。アイス、溶けてきてるぜ?」
「あっ! ヤバイ、たれるっ…!」


 自分の世界に入ってしまっている間に溶け出していたアイスがぽたりとかいとの手の上に落ちて。
 それを舐め取っていれば、クスクスと笑う新一の笑い声が耳に届く。


「ホント、お前って子供みてえだな」
「るせー! 良いんだよ。大学生だって俺らは未だ未成年。子供だ!」
「まあ、そう言う事にしといてやるからさっさと食えよ」


 楽しそうに笑う新一の目にはもう、『探偵』の色は映っていなかった。




















「名探偵、アイスごちそーさんv でもいいのか? 昨日も俺…」
「いいんだよ。昨日のは……色々無かった事にしてくれ」
「んじゃ、お言葉に甘えてv」


 店を出て、かいとがポケットに手を突っ込みながらそう言えば、何だか気不味そうにそう言った新一の律義さに内心でかいとは苦笑した。
 ああ、全く。
 何て人の良い探偵殿なんだろうか。


「んー…、このまま帰るのも何か惜しいな。折角自主休校決め込んだ訳だし」


 空を見上げれば綺麗な青空で。
 隣にはずっと仲良くなれたらと思っていた名探偵が居て。

 余りにも幸せな日常は余りにも『非日常』に思えて。
 夢の様で、このまま彼を解放してしまうのも惜しい気がしてそう言ってしまった後に、マズイとかいとの頭の奥でもう一人の自分が叫ぶ。

 昨日調子に乗り過ぎた結果がどうだったのか。
 それを忘れた訳じゃなかった筈なのに…。


「悪い。名探偵も色々予定あるよな。俺これで帰…」


 だから、慌ててそう言って無理矢理作り笑いを捻りだしたのに、返ってきたのは余りにも優しい笑顔。


「何だよ、帰んのかよ。勿体ねえだろ、折角休んで時間あんのに」


 空気に乗ってかいとの耳に届いた言葉が余りにもかいと自身に都合が良過ぎる言葉で。
 一瞬呆けた顔を見せれば、綺麗な新一の眉が若干寄せられた。


「何だよ」
「いや…あの…」
「ん?」
「……名探偵、時間…あんの……?」


 自分でも馬鹿な質問をしたと思う。
 忙しい名探偵が時間がないのにこんな所でこんな事をしている訳がないというのに…。


「あのな、俺だって暇な日ぐらいあんだよ」
「いつもあれだけ忙しいのに?」
「…だから、お前はどんだけ俺の事知ってんだって」
「知ってるよ。だっていつも聞い………ごめん、何でもないですι」


 いつも聞いてる。
 そう、関係があるのが二課だとしても、情報が多いに越した事は無い。
 だから色んな所(…)に色んな物を仕掛けているのだが…。


「ったく、しょうがねえな。おめーは…」


 呆れた様に言われた言葉すら、かいとの耳には酷く優しく響いて。
 自分がどれだけ馬鹿なのかは分っていたけれど、かいとはそれで幸せだった。


「俺が馬鹿なのは名探偵が一番良く知ってんだろ?」
「ああ、そうだな。馬鹿なお子様だもんな、お前は」
「そうそう。俺は無邪気な可愛いお子様だもんv」
「…それが一番性質わりーよ;」


 はぁ…と小さく溜息を吐いて。
 新一はちらりと腕時計に視線を落とした。


「2時過ぎか…。どーすっかなぁ。かいと、お前どっか行きたいとこあるか?」
「んー…行きたいとこねぇ…」


 んー…と視線を空へと泳がせて、かいとは少し唸りながら考える。
 大学生の暇潰しなんて、一番筆頭はカラオケとかな訳であるが…。


(名探偵相手にそれは嫌がらせ…だろうなぁ…;)


 彼のデーターを諸々仕入れる(…)段階で知った。
 この一見何でもそつなくこなしそうな名探偵が実は稀に見る(…)『音痴』だという事を。
 しかも絶対音感を持っている癖に、音痴。
 全く…そういう所でも(…)稀有な存在だ。

 という事で、とりあえずカラオケは却下。
 後は学生の遊びと言えば…。


「遊ぶつったらボーリングとか、ビリヤードとか?」
「ああ、そんなとこか。後はダーツぐらいか?」
「名探偵ダーツとかやんの?」
「…こら、かいと。お前いい加減気付けよ。『工藤』って呼べって言ってんだろうが」


 こつん、と頭を小突かれて、かいとは小さくあっ…と小さく声を上げた。
 道行く人々の流れから少し離れているからと油断していた自分に苦笑する。


「悪い…。で、工藤。お前ダーツとかやんの?」
「まあ、な…。お遊び程度だけど」
「ふーん…」
「何だよ」
「いや。悪いけど俺、上手いよ?vv」
「………」


 ニヤッと笑ってかいとがそう言えば、新一が少しだけむっとする。
 その顔にかいとは内心で笑みを零す。

 全く…こういう所が可愛らしくて仕方ない。
 小さい名探偵の頃からこうやってちょっとばっかしからかえば、本当に本気で対抗してくる。
 そういう所は全然変わってない。


「…それなら、その腕前見せて貰おうじゃねえか!」
「いいぜv でも、負けても文句言うなよーv」
「…ぜってー負けねえ!!」


 ふふんvと笑ってやれば、余計に眉間に皺が寄せられて。
 そんな所もやっぱり可愛いなーと思いながら、かいとは馴染みの店に新一を案内するのだった。






























「おい、かいと。ここって…」
「ん? プールバーだよ♪」
「…お前、俺ら一応未成年だろうが」
「いいんだよ。ココは」
「ココはって…おい、まだ時間的に開いてないんじゃ……」


 ハテナマークを浮かべる新一を余所に、かいとは『CLOSE』というプレートを無視してそのドアを開ける。
 慌てて新一がその後をついて行くのを気にも留めず、中にあるカウンターの奥に声をかけた。


「寺井ちゃーん。いるー?」
「…坊ちゃまですか?」
「そー♪ 俺ー♪」
「……坊ちゃま……?」


 カウンターの奥から聞こえた声に新一が首を傾げていると、奥から一人の人の良さそうな老人が姿を現した。


「これはこれは。お友達とご一緒でしたか」
「ああ。あ、工藤。こっちは俺の……し、親戚の寺井ちゃんだ!」
「…親戚……?」
「そ、そう。親戚!」
「………」


 わたわたと慌てながら紹介して下さったかいとの態度と『坊ちゃま』という呼ばれ方に違和感を覚えながらも、敢えて新一は突っ込むのを止めた。

 相手は怪盗。
 それを分っていて敢えて『普通の大学生』として接すると決めたのは自分だ。

 だから此処は何も聞かない事に決めた。

 そんな新一の真意を知ってだろう。
 かいとはそれ以上言い訳めいた事を言う事もなく、逆にその老人に新一の紹介をして下さった。


「あ、じ、寺井ちゃん! こっちは有名な高校生探偵の工藤新一君だ!」
「…いや、かいと。俺もう高校生じゃねえし。つーか、何だよその『君』って…;」
「そうですか。初めまして。寺井と申します」
「あ、初めまして。工藤新一です」


 余りにも余りな説明にガクッと肩を落とした新一に、寺井が深々と頭を下げる。
 それに慌てて新一も頭を下げた。

 顔を上げた新一に向けられたのは穏やかで優しい笑み。


「嬉しいですね。坊ちゃまがお友達を連れてきて下さるとは」
「え…?」
「今まで坊ちゃまが一緒に来た事があるのは幼馴染の青子さんだけですから」
「寺井ちゃん! 余計な事言うなよ!!」


 顔を少しだけ赤くして怒鳴るかいとの可愛らしい様子を横目に、新一もぷっ…と吹き出した。


「こら、工藤! お前も笑うな!」
「いや、お前…ホント面白……ぷっ……」
「工藤!!」
「わりぃ。わりぃ」


 クスクスと笑っていれば、柔らかい笑みを向ける寺井の姿。
 その姿にかいとがいかにこの老人に大切にされているかが分る。

 けれど―――その瞳の奥に若干の警戒の色を新一は感じていた。


「工藤?」
「ああ、わりぃ。笑い過ぎて腹いてぇ…」
「…ったく、お前も意外に笑い上戸だよな」


 普段のクールさはどこにいったんだか…とぶつぶつ呟くかいとに視線を合わせている振りをして、新一は横目で寺井の様子を窺う。


「(ああ、やっぱりだ…)」


 そうして、確信を深める。
 この老人はきっとかいとの正体を知っている。
 知っていて――『探偵』の自分を警戒している。

 けれど……それだけではない優しい色もその瞳には見て取れた。

 きっとさっき言った『友達を連れてきてくれて嬉しい』という言葉も本当なのだろう。
 相手が『探偵』の自分であるから警戒はしていても、それでもかいとがこうやって友達を連れてくるのを優しい瞳で見詰めている。


「(複雑、なんだろうなぁ…)」


 『友達』を連れて来てくれるのは嬉しい。
 けれどその相手は『探偵』である自分。

 恐らく考える筈だ。
 昨日新一がかいとに言った事の逆を。

 仲良くして。
 友達の振りをして。

 そうして―――それを利用するつもりなのではないかと。


「坊ちゃま、宜しければ何か飲む物をお持ちしましょうか?」
「あ、いいよ。寺井ちゃんは店の準備があるだろ? 俺が持ってくるから。工藤は何がいい? やっぱ珈琲?」
「ああ。悪いな」
「いえいえ。じゃあ、ちょっと待っててー」


 パタパタと駆ける様に裏に行ってしまったかいとを見送って、新一は視線を寺井へと向けた。
 そうして向け返されたのはさっきよりも少しだけ厳しい瞳。
 その瞳を受け、新一も真っ直ぐに見詰め返した。


「工藤様。失礼かと思いますが、坊ちゃまとはいつから…」
「昨日…いえ、厳密に言えば今日友達になったばかりです」
「そうですか…」


 少し伏せられた視線に複雑な心境を感じ取る事が出来る。
 その何処か痛々しい姿に新一は思わず口を開いていた。


「俺は…普通の大学生であるアイツと友達になったつもりです」
「………」
「だから…、俺はアイツの前では『探偵』である前に普通の大学生である『工藤新一』で在りたいと思っています」
「…有難うございます」


 一度伏せられた寺井の視線が戻され、新一に真っ直ぐに向けられる。
 その会話だけで、何が言いたいかお互いに通じ合ったのだろう。
 再び向けられた瞳には先程までの物とは違い、警戒の色は含まれていなかった。


「坊ちゃまがどうして工藤様をお連れになったのか、分った気がしますよ」


 ただ穏やかに優しく向けられる微笑みに、新一も柔らかい笑みを返した。


「ん? どうかしたか、工藤?」
「いや、何でもねえよ」


 両手にマグカップを持って帰ってきたかいとが新一のその表情に首を傾げながら、それをカウンターの上に置いた。


「では、坊ちゃま、工藤様。私は開店の準備をしていますので、ごゆっくりなさって行って下さい」
「ああ。寺井ちゃんさんきゅー」
「有難う御座います」


 ひらひらと手を振って見送るかいとの横で、新一はぺこりと頭を下げる。
 そんな新一にかいとは少し不思議そうな目を向けた。


「寺井ちゃんと一体何の話をしてたんだ?」
「ん? 唯の世間話だよ」
「ふーん…」


 少しだけ訝しんで新一を見詰めたかいとが、それでも口を割らないと諦めたのか、店内に幾つもあるビリヤード台の向こうにあるダーツの台に視線を移した。


「まあ…いっか。で、ホントにやんの?」
「何だよ。大口叩いた割には自信ねえの?」


 置かれた珈琲に新一が口を付ければ、意外な程自分好みの味がした。
 この劇的甘党にこんなに美味い珈琲が淹れられるのがある意味奇跡な気がする。
 が、それはそれこれはこれ、だ。
 珈琲は褒めてやっても良かったが、ダーツの台を見詰め何だか溜息でも吐きそうなかいとを新一が茶化してそう言えば、緩く首を振られる。


「いや、自信はあるんだけど…」
「ん?」
「あんまり差があり過ぎるのも悪いと思…」
「てめぇ…誰に向かってそんな口きいてんだ?」


 声の温度の低さにかいとがビクッとして横を見れば、その顔こそにーっこりと綺麗な笑みを浮かべているが、こめかみ辺りに青筋を浮かび上がらせている新一と目が合った。
 何とも言えない怖さにかいとも思わず苦笑を浮かべていた。


「あ、あはは……そ、そうですよね……ι」
「さっさとやるぞ。それから…」
「…?」
「手、抜いたら…どうなるか分かってるよな?」
「は、はい…!」


 駄目押しの極上の笑み。
 その笑みが余りにも綺麗で怖過ぎる。

 諤々と震えたいのを我慢して、かいとはつかつかとダーツの台に歩み寄る新一の後を慌てて付いて行った。















「で、何やる?」
「まあベタにカウントアップとか?」
「そうだな。そういやお前、マイダーツとか持ってねえの?」


 店に備え付けのハウスダーツを持ってきたかいとにそう言って新一が首を傾げれば、そのハウスダーツのチップを変えていたかいとの肩がビクッと反応する。
 そんなかいとを新一はじと目で見つめる。


「勿論あるよな?」
「いや、あるけど…だって、工藤は…?」
「流石に今日やると思わなかったから持ってねえけど、お前幾つか持ってんだろ? どれか貸せよ」
「いや、でもそれだったらお互いハウスダーツの方が…」
「るせーよ。マイダーツ持ってる奴がそれを使わないなんてそれこそ手抜いてる様なもんじゃねえか」
「弘法筆を選ばずって…」
「いいからさっさと持って来い」
「……はい;」


 有無を言わさぬ新一に若干涙目になりながら、かいとは諦めてハウスダーツを纏めると、それを持って裏へと入って行った。
 その後ろ姿に新一は小さく溜息を吐く。


「こりゃ何か賭けるかしねえとアイツ本気ださねえな…」


 今まで散々やり合った仲だ。
 あの器用で運動神経の良い彼がダーツだって上手いであろう事なんてやる前から予想はついている。
 がしかし、だからと言って手を抜かれるなんて冗談じゃない。
 遊びだとは分かっていても、アイツに負けるなんて…ましてや勝たせてもらうなんて論外だ。


「…名探偵。怖い、顔が怖い;」


 ふむっと何を賭けるべきか考えていれば、戻ってきたかいとが顔を引き攣らせていた。
 どうも色々考え込んでしまっていたらしい。
 それは良いとして…。


「だから、『工藤』だつってんだろうが」
「…ごめん」


 気を抜くとすぐこれだ。
 いい加減慣れてくれても良さそうなのだが……、まあ確かに『名探偵』と今まで散々呼んでいたのだから仕方ないとも思う。
 でも、そこはやっぱり今後の事を考えるとちゃんと『工藤』で慣れてもらわなければ困る。

 そこまで考えて、新一は内心でひっそりと笑う。

 “今後”まで自分は考えている。
 目の前にいるのは『宿敵』である『怪盗』だというのに。
 それでも自分は彼を『普通の大学生』だと言い張って、今後も仲良くしていきたいと思っている。
 『探偵』の自分としては如何なモノか…。

 それでも、今目の前に居るのは『普通の大学生』の『かいと』だ。
 『宿敵』でも『怪盗』でもない。
 だから今はそんなモノには目を瞑る事にした。


「で、持ってきたか?」


 自分の内心での葛藤を誤魔化す様にかいとの手元に視線を移せば、こくんと頷いたかいとが幾つかのケースをテーブルの上に広げた。
 その中には結構な数のダーツと、パーツ達が収められていた。


「どれがいいか分かんなかったから…」
「…それにしても持って来過ぎだ;」


 余りの数に、ちょっとだけ新一は呆れ顔になる。
 それでもこれだけの数があるとついワクワクはしてしまう。
 そんな自分も彼の事を『子供だ子供だ』とは馬鹿に出来ないと内心で苦笑しながら、新一はいくつかあるダーツの中から、割と細めのダーツを手に取った。


「んー…この辺かな」
「あ、それ俺も好きなやつなんだー♪」


 にこにことそう言ったかいとに、新一ははたと気づいた。


「つーか、お前が一番使ってるのはどれなんだよ」
「え?」
「お前が一番使い易いのを先に取れ」
「え、ええ…!?」
「そうじゃなきゃ、持って来させた意味がない」
「で、でも…工藤が使い易いやつ…」
「被ったら絶対お前言わないだろ」
「………」


 ばれた…とでも言いそうなかいとに、新一は全く…と少し呆れ顔を作りながらも何だかちょっと目の前のかいとの姿が少し可愛く見えてしまう。

 こういう顔をする時のかいとは本当に普通の大学生だ。
 夜の顔を想像する事なんて出来ない。
 本来の彼はきっと……。


「ほら、さっさと選べ」
「う、うん…」
「途中投げ辛そうにでもしてたらぶっ飛ばすからな」
「……は、はい……;」


 冷や汗を浮かべたかいとが、渋々手に取ったのは一番短めの綺麗な蒼いフライトの付いたダーツ。
 それを見て、新一は少し顰めていた顔を漸く戻した。

 長いダーツに比べ短いダーツの方が細かいコントロールがし易いし、飛びがシャープだ。
 その分、上手く投げないと飛行がブレ易いという欠点はあるが、上手いと自負するだけあってそこは自信があるのだろう。

 彼はちゃんと新一が言った通りに、いつも使っている一番使い易い物を選んだようだ。


「じゃ、俺はコレにするかな」


 先程の細めのダーツと似た様な物を幾つか持ってみて、そう言って新一は一番手にしっくりくるものを選んだ。
 フライトに描かれたスペードのマークにクスッと笑みが漏れる。
 全く、こんな所まで…。


「あ、それ俺のお手製フライトなんだよv」
「…お手製……?」
「そv あ、工藤もマイダーツ持ってるんだったら作ったげるけど?」
「……まあ、そのうち、な……」


 怪盗キッドのお手製フライト。
 ちょっとばっかし欲しい気もする…。

 欲望に負けそうな自分に苦笑して、新一はダーツをくるっと回してみる。
 全くお手製に見えないソレは流石というか何と言うか…。


「んー…工藤だったら、何柄がいいかな? やっぱ…サッカーボールとか? あとは蝶ネクタイとか……あ、それよりやっぱりホームズのシルエットとか?」
「いや、それはいいから…。さっさと投げろ」
「…もう、工藤ってば冷たい;」
「いいから」
「はーい…」


 急かされて仕方なく、と言った感じで席を立ったかいとはウォーミングアップ代わりに軽くダーツを放る。
 一本の矢は綺麗な軌道を描いて、的の真ん中へと突き刺さった。
 しかも真ん中も真ん中、ど真ん中だ。


「ふーん。上手いって言ってたのは嘘じゃないみたいだな」
「…何か名探偵、余裕だね…;」


 軽くとは言っても、それなりの集中力で投げた筈のソレにもそこまで関心を示してくれていない様でかいとはちょっとだけ切なくなった。
 その横で新一はクスッと笑う。


「まあ、な。で、俺もちょっと投げたいからさっさと退けよ」
「はいはい…」


 あくまでも女王様の新一に従って、かいとは的に刺さったダーツを抜いて、再び椅子に腰かけた。
 新一が的を真剣に見つめている。


「(やっべー…。すげーカッコイイ……)」


 その表情は推理をしている時には及ばないが、それでも真剣で酷く格好良かった。
 じーっと思わず見入ってしまえば、目の前の真剣な顔に苦笑が浮かんだ。


「そんなに見るなよ。投げ辛いだろ」
「あ、悪い…」


 言われてから、漸く自分が食い入る様に彼を見詰めてしまっていた事に気付いたかいとは慌てて視線を的へと移した。
 瞬間、綺麗な軌道を描いてダーツの矢が的の真ん中に綺麗に吸い込まれていった。


「……流石、名探偵……」


 何がお遊び程度だ、と突っ込みたい。
 フォームもスローイングも綺麗なものだ。
 素人のお遊びというにはそれはあまりにも洗練され過ぎていた。


「まあ、こんなもんだな」


 人には1本投げただけで退けと言った癖に、しっかりきっちり3本投げ切って、全て真ん中のブルに入れてハット・トリックを完成させ満足そうにそう呟いた新一は、3本のダーツの矢を的から抜くとかいとの横の椅子に座り、ポケットから財布を取り出すとパチッと100円玉をテーブルの上に置いた。


「やるか」
「あ、うん…」
「まあ、普通にカウントアップでいいな?」
「うん」


 カウントアップでは、ダーツゲーム開始時の持ち点は0点として、1ゲームに3本のダーツを投げていき、ヒットしたエリアの数字がそのまま得点加算される。
 他の複雑なゲームとは違い、単純に得点加算を重ねていくシンプルなダーツゲーム。
 8ゲーム終了した時点で、一番合計得点の高いプレイヤーが勝者となる非常に分かり易いゲームだ。


「あ、俺両替してこないと小銭ねえや。ちょっと待ってて」
「別にそれなら俺出しとくけど…」
「だーめ。そういうのは良くない。ちょっと待ってて」
「おう…」


 ぱたぱたとすぐ側にある両替機に向かっていくかいとに新一の口からは悪くない小さな苦笑が漏れる。

 さっきのアイスやら昨日のアイスはきっとお詫びだとかお礼だとかだからそのまますんなり奢られてくれたのだろう。
 それでも、こういう所は酷く律儀だ。
 でもそういうのは嫌ではない。
 寧ろ好ましく思えるもの。


「ごめん、お待たせ。じゃあ入れてきちゃうね」
「ああ」


 両替した小銭をジャラジャラとテーブルの上に置いて、100円玉を2枚だけ持つと、かいとはダーツの台へ向かい小銭を入れカウントアップの設定をする。
 聞きなれた機械音がすれば、それが合図。


「で、どっちが先に投げる?」
「別に俺はどっちでもいいけど?」
「まあ、カウントアップじゃ後に投げても不利にはならねえしな」


 ゲームによっては後に投げる方が若干不利になるゲームもあるが、カウントアップは単純に点取りゲームであるためにその心配もない。
 どうする?と首を傾げた新一に、かいとは気合を入れる様に、よし!と握り拳を作ると、いそいそとスローラインに足を合わせた。


「俺先でもいい?」
「ああ。いいぜ」
「で、名探偵」
「ん?」
「何賭ける?」
「…お前、聞いてたのかよ」
「とーぜんv」


 的に視線を合わせながらニヤッと笑った怪盗に苦笑する。
 そう、あの顔は悪戯の大好きな『子供キッド』の顔だ。
 こういう時に見るソレは悪くない気がする。


「そうだな。何がいい?」
「じゃあ、名探偵こんなのは?」
「ん?」
「“負けた方が勝った方の言う事を何でも一つきく”ってやつ」


 ベタな事を言いながら、かいとが1本目のダーツを投げる。
 それは20のトリプルに見事に突き刺さった。

 カウントアップの場合、一番高い点数は真ん中のブルではない。
 真ん中のブルでは50点が加算されるが、それ以上の点数の部分がこのゲームには存在する。

 17のトリプルであれば51点。
 18のトリプルであれば54点。
 19のトリプルであれば57点。
 そして、このゲームの中で最高点を出せるのが20のトリプルで60点。
 つまり、高得点を狙うなら真ん中を狙うよりも20のトリプルを狙うべきである。

 言うのは簡単。
 狙うのも上手くなってくればある程度は出来る。
 ただし、1ラウンドに3本ともそこに入れ続けるのは流石にプロでも中々辛い。
 が、きっと目の前の男はそれを狙っているのだろう。


「それとも、名探偵はそんな自信ない、かな?」


 ニヤッと笑った口のままそう言って、かいとはもう1本ダーツを投げた。
 そのダーツも再度見事に20のトリプルに刺さる。
 その横顔に、新一はむぅっと眉を寄せた。


「いいぜ。その勝負乗ってやるよ」
「オーケー、名探偵。その言葉後悔すんなよv」


 新一の言葉に満足そうにそう言ったかいとの3本目のダーツの矢も、見事に20のトリプルに突き刺さった―――。






























「………」
「さーてと、何して貰おうかなー♪」
「………」


 点数の表示されたディスプレイを見詰めて、新一は改めて自分の目を疑った。

 表示されている相手の点数は【1400点】だった。
 カウントアップの最高点数は20のトリプル×(1ラウンド)3本×8ラウンドで、1440点が最高点になる。
 かいとは1本20のトリプルを外してしまい、20のシングルになってしまったために1400点になってしまった訳だが―――プロだって中々こうはいかない。
 ちなみに全部が真ん中のブルに刺さったとしても【1200点】だ。
 それから考えてもこの点数が異常な点数であるのは分かるだろう。


「…お前、この点数は詐欺だ」
「あ、ひでー! 本気だせって言ったのは名探偵だろー!!」
「そりゃそうだけど…」


 だからって、幾らなんでもこれはやり過ぎだ。
 こんなの出された日にはプロだって真っ青だ。
 新一とて1200点台後半は出しているのだから、充分過ぎる程上手いと言えるのだが、それにしたってこの点数は異常。
 流石の新一も溜息を吐きたくなる。


「まあでも、遊び程度、とか言ってた割には名探偵だってその点数は詐欺だよ?」
「…るせー。慰めならいらねーよ」
「いやいやいや、遊び程度って言われてその点数だされたら、多分普通にキレるよ?」


 クスクスと笑うかいとにむうっと眉を寄せた新一に、かいとはまたクスクスと笑みを深めてしまう。
 だって仕方ない。
 ここに出入りしている分、投げている経験値はかいとの方が多い。
 それに『遊び程度』と言っていたのだから、新一自身そこまでやり込んでいない筈。
 それを考慮すれば当然の結果なのだが、それでも負けず嫌いの彼は悔しそうな顔をしてみせる。
 それはそれはもう、極上に可愛らしい顔を。


「まあ、そうは言っても勝負は勝負だからね。約束は守ってもらうよv」
「…わあったよ……」


 ぶすっとしながら不満そうに、それでも男らしく“そんなのは無効だ”なんて言わずに、大人しく首を縦に振った新一の顔をじーっとかいとは見詰めた。

 白く透き通る様な肌。
 綺麗に弧を描いた眉。
 スッと通った鼻筋。
 綺麗に赤く色付く唇。
 そして、一番綺麗な綺麗な蒼い瞳。

 どんな宝石よりも蒼く蒼く輝く彼の瞳。
 見詰めてしまえば吸い込まれる気がする。


「で、何にするんだよ?」
「あ、ああ…。どうしようかね?」


 思わずジッと見詰めてしまえば、居心地悪そうに視線を逸らされ先を促される。
 自分の行動に苦笑して、かいとは誤魔化すようにそう新一に尋ねた。


「何だよ、それ。勝ったんだからお前が好きな事決めればいいだろ?」
「あー…うん…」


 そう言われて、かいとは新一にして欲しい事を考えてみた。

 夜を駆ける中、出逢った小さな探偵。
 小さな頃であったとしても、彼との追いかけっこは楽しくて堪らなかった。
 本当にヤバイと思う時もあったけれど、それでも彼との追いかけっこは誰とするよりスリリングで、怪盗を楽しませてくれた。
 そして何より―――あのキラキラとした蒼い瞳に見詰められ、追いかけられるのが堪らなく嬉しかった。

 きっとずっと―――彼とこんな風に友達になれたら、と思っていた。

 もしも自分が怪盗ではなくて。
 もしも彼が探偵ではなくて。

 普通に唯のクラスメイトか何かで出逢ったら、きっと仲良くなれると思っていた。
 だから―――。


「別にないんだよね」
「は?」
「俺、名探偵が友達で居てくれるなら何にも要らないや」
「っ……!///」


 思った通りの事を、かいとが思ったままに告げれば、途端に目の前の新一の顔が真っ赤に染まった。
 それにことん、とかいとは首を傾げる。


「名探偵? どうしたの?」
「るせー! な、何でもねえよ!! そ、それより…だからお前は、『工藤』って呼べって言ってんだろうが!」
「あ、ごめん」
「ったく……」


 ぷいっとそっぽを向いた新一の耳がほんのり赤く染まっている事にかいとはまた首を傾げる。
 そのまま視線を下にずらせば、新一のカップの中身が空になっている事に気付いた。


「あ…」
「ん?」
「工藤、珈琲おかわり要る?」
「あ、ああ…。じゃあ、貰う…」
「りょーかい。じゃあ、ちょっと待っててねー♪」


 自分のカップと新一のカップを持って立ち上がったかいとがスタスタと裏に消えて行ったのを確認して、新一ははぁ…と大きな溜息を吐いた。
 そうして、頭を抱える様に右手で自分の額を押さえる。


「(ったく、あのバ怪盗…!///)」


 あんな至近距離で、あんな笑顔で、その上あんな事を言うなんて―――卑怯過ぎる。
 あんな満面の笑みであんな事言われたら、流石の自分の心臓だって持たない。
 だから誤魔化す様にあんな風に言ってしまったが、正直今も少し胸がバクバクと煩い音を立てている。

 夜を駆けるあの姿に探偵としては不謹慎な事ではあるが、ずっと見惚れていた。
 いつだって孤高に立ち続けるその白い姿に、小さな頃の自分がどれだけ救われたか分からない。
 彼が知る筈がないが、それでも、彼は新一の中での支えだった。
 彼に心の中で支えられ、自分は元の身体を無事に取り戻した。
 そして、彼との鬼ごっこを十二分に楽しめる日々を送ることが出来る様になった。

 けれど、ある日気付いた。
 彼が何かを探しているのだという事に。

 彼はきっと、小さかった頃の自分と同じ様に周りを巻き込まない様に孤高に立ち続けているだろう事は想像に難くなかった。
 その中で何かを探している。
 彼が宝石を月に翳して、それが求める物ではなかったのか、落胆した瞳をしている事を何度か見た事があった。
 その横顔が余りにも痛々しくて、声すらかけられず帰った事もある。

 だから思っていた。
 今度は―――自分が彼を支えられたら良いと。

 でも自分は探偵で、彼は怪盗。
 そんな関係にはなれない事なんて、分かり過ぎる程分かっていた。
 こんな感情など彼にとっては迷惑なだけだろうと思っていた。

 けれど―――何の偶然かあんな風に彼と出くわして、今はこんな風に彼とダーツなんてしている。

 それだけでもう、新一にとっては充分過ぎる程充分だったというのに…。
 追い打ちをかけたのはさっきの彼の笑顔と、問題発言だ。


『俺、名探偵が友達で居てくれるなら何にも要らないや』


 何ていう天然タラシだ。
 思い出すだけで、頬に熱が集まる。
 それを散らす様に、緩く首を振った。


「(落ち着け。落ち着け。アイツはいい友達。そう、良い親友だ……)」


 自分の中に不自然な感情を捉えかけて、慌てて新一は自分にそう言い聞かせる。

 相手は男で。
 相手は怪盗で。
 どこをどう取ったって、そんな感情生まれてくる筈がない。
 あんな至近距離であんな事を言われたから、きっと自分の脳が何かを処理しきれていないだけだ。

 一生懸命にそう自分に言い聞かせて、自分を落ち着かせる為に深呼吸を一つする。


「工藤? どしたの?」
「!?」


 その絶妙なタイミングで帰って来て下さったかいとに、新一はビクッと肩を竦ませたが、その姿を確認すると緩く首を横に振った。


「別にどうもしねーよ」
「そう?」
「ああ…」
「なら別にいいんだけど。はい、珈琲v」
「あ、さんきゅー」


 温かいカップを受け取って、それにそっと口を付ける。
 そうして漸く少し落ち着くと、新一はわざと少し眉を寄せ不満げな表情を作って見せる。


「かいと」
「ん?」
「勝負は勝負、賭けは賭けだ。さっさと何か要求しろ」
「えっ……」


 少しだけ目を見開いて驚くかいとを見詰め、新一は少しだけ口元を緩めて見せた。


「別に夕飯奢れとかでも良いし、どっか行きたいとこあるなら付き合えでも良いし…」
「あ…」


 新一の言葉の途中で何かを思いついたらしく、小さく声を上げたかいとに新一は小さく首を傾げた。


「何か思いついたか?」
「あ、…えっと……」
「何だよ」
「いや、何でもない」


 新一から視線を外し、少しだけ視線を俯かせて何かを躊躇う様に緩く首を横に振ったかいとに新一は少しだけ唇を尖らせた。


「何だよ、思いついたなら言ってみろよ」
「いや、良いんだ。気にしないで」


 かいとが視線を再び新一に戻した時にはもう、かいとの顔には笑みしか浮かんでいなかった。
 その笑顔が余計に新一の癪に障る。


「かいと」
「何?」
「その顔、ムカツク」
「へ…?」
「その作り笑顔、ムカツク」
「…あ、……え、ええっと……;」
「何気にしてるか知らねえけど、思いついた事があるならさっさと言え。じゃないと帰るからな」
「え、ええ!?」


 作り笑顔だったその表情が焦りに変わったのに新一は少しだけ安心する。
 そう、折角友人になれたのに……あんな作り笑顔されたくはない。


「ほら、さっさと言えよ」
「でも…」
「でももヘチマもねえんだよ。早く言え」
「いや、あのね、名探て…」
「工藤」
「あ、うん…工藤。その…」
「あーもう! 煮え切らない奴だな!」


 いつまでも話をしないかいとに新一がムッと少し強い視線を向けると、それでもかいとは言いたくなさそうに視線を逸らす。
 それが新一には余計に気に入らない。


「そんなに言いたくないのかよ…」
「だってさ…工藤は嫌がるかもしれない…」


 叱られた子犬の様にぺしゃんとしてしまっているかいとに新一は小さく溜息を吐いた。


「あのな、勝ったのはお前。俺が嫌がろうと何だろうと、お前にはそれをさせる権利があんだよ」
「でも、工藤の嫌がる事はしたくないよ…」
「お前ってホント…」


 お人好し、そう心の中で新一は付け足した。
 小さな頃に出逢った時から新一はそう思っていたし、お隣の科学者も『ハートフルな怪盗さん』なんて言っていた。

 怪盗なんてモノをやっている癖に、優しくてお人好しで……でも、そんな怪盗が新一は嫌いじゃなかった。

 もう一度小さく溜息を吐いた後、新一は努めて優しく目の前の項垂れている子犬に話しかけた。


「かいと。俺が嫌がるかは分かんねえだろ? とりあえず言ってみたらどうだ?」
「…でも、……」
「言って、俺が嫌がったら…その時また他の事考えりゃ良いだろ?」
「うん……」


 少しだけ上げられた視線は、それでもまだ躊躇いを残していて。
 そこまで彼が躊躇う様な程なのかと、若干不思議に思う。


「そんなに嫌がりそうな事なのか?」
「…事っていうか…何っていうか…」
「?」
「……あのさ、…」
「ああ」
「行きたい場所があるんだ……」
「?」


 言い辛そうにそれでも漸く言った言葉に新一はことんと首を傾げた。
 そんなに言うのを躊躇っていたから何か物凄い恥ずかしい事(…)でもさせられるのかと思ったら、ただ単に何処か行きたい場所があるだけだという。
 だとしたら――。


「そんなにヤバイ場所なのか?」
「いや、ヤバイ場所な訳じゃないんだけど…」
「??」
「……えっと……あの……」
「??」


 怪盗が行きたくて、それでも行くのを躊躇う様な場所。
 それから思い付いたのはかなり“危険な場所”という結論。
 けれど、それにも緩く首を振られ、新一の顔には益々困惑の表情が浮かぶ。
 その表情を受けて、かいとは少し困った様に自分の髪を混ぜる。


「別にヤバイ場所な訳じゃないんだけどね…工藤は嫌がるかもしれない…」
「ヤバイ訳じゃないのに?」
「うん…」
「ふーん…」


 少し困った様に言うかいとを新一は興味深そうに見つめる。
 そうして、少しだけ眉を下げた。


「それは逆に興味があるな」
「え…?」
「お前が俺が嫌がりそうな場所にわざわざ行きたいなんて、すげー興味ある」
「く、工藤…?」


 目の前の新一の顔が何だか物凄く楽しそうで、今度は逆にかいとが困惑してしまう。
 そんなかいとの表情すら、新一は楽しそうに見つめる。


「じゃあ、行くか」
「え…?」
「行きたい場所、あんだろ?」
「いや、そうなんだけど…」


 言うが早いか椅子から腰を上げた新一とは対照的に、かいとは躊躇う様に視線を泳がせる。
 そんなかいとの態度に新一は痺れを切らしてその手を掴むとグイッと引っ張った。


「わっ…!」
「ほら、行くぞ!」
「え、あ…ちょっと、工藤!」


 その反動でかいとは無理矢理椅子から立ち上がらされた。


「ほら、さっさと片付けろ。行くぞ」
「あ、いや、あの…」
「さっさとしろ」
「あ、うん…」


 言われるままにかいとがダーツを仕舞うと、その横で新一も自分が使っていたダーツをケースへと収めた。
 そしてそれをかいとに渡すとカップを二つ手に取る。


「あ、いいよ、工藤。それも俺が片付け…」
「いいから、さっさとそれ片付けて来いよ」
「…あ、うん…。じゃあ、それカウンターのとこ置いててくれる?」
「分かった」


 ケースを持って、奥へと入って行ったかいとの背を見送って、新一は自分の持っているカップの片方に視線を落とした。
 自分の黒い液体が入った物とは違う。
 明らかにミルクが入れられていたと思われる色。


「珈琲もブラックで飲めないお子様、か…」


 クスッと小さく笑う。
 今までの甘党っぷりから予測は出来ていたが、きっとコレにもミルクの他に砂糖がたっぷり入れられていると思って間違いないだろう。

 言われた通りにカップをカウンターへと置く。
 磨き込まれたそのカウンターがこの店の店主の性格を物語っている気がした。


「工藤様、もうお帰りですか?」


 ふと声を掛けられて、カウンターの中と奥とを繋ぐドアに目を向ければ、そこには寺井が立っていた。


「(いつの間に…)」


 流石は、怪盗キッドの正体を知るもの。
 前に中森警部が言っていたキッドの手下には『老人』が一人居るという。
 もしかしたら…。

 そこまで推測して、それでも新一はその考えを捨て去る様に、努めて柔らかく微笑んだ。


「ええ。彼が行きたい場所があるそうなので」
「そうですか」
「今日は有難う御座いました」
「いえ、こちらこそ。またいつでもいらして下さいね」
「はい。有難う御座います」


 そう言って軽く頭を下げた頃、かいとが漸く戻ってきた。


「工藤」
「ああ、行くか」
「うん。寺井ちゃん、さんきゅー」
「いえいえ。お気を付けて行ってらっしゃいませ」


 丁寧にお辞儀をされて、新一ももう一度頭を下げた。
 そして、新一とかいとは並んで店を後にした。




















「何処に行くんだ?」
「…ねえ、工藤」
「ん?」


 店を出て、少し歩いた頃、かいとはふと足を止めた。
 その横で新一は首を傾げる。
 そんな新一を見詰め、かいとはまた少し言い辛そうに口を開いた。


「あのさ…」
「何だ?」
「出来ればその場所に行くのは夜が良いんだけど…」
「夜?」
「うん」
「…そうか。分かった」


 理由は聞かなかった。
 もしかしたら、夜しかやっていない場所なのかもしれない。
 そんな風に考えて、新一はただ普通に頷いた。
 それにかいとは少しホッとした表情をした後、また少し申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんね。我が儘言って」
「何で謝んだよ。お前が勝ったんだから、お前の言う通りにすんのは当たり前だろ?」
「…でも、ありがとう」
「お、おう…」


 すぐ傍ではにかむ様に笑ったかいとの表情に新一は誤魔化す様に返事をして、少しだけ視線を逸らす。
 僅かに鼓動が早くなった気がして、内心で酷く焦る。


「(だから…こんな近くでそんな顔すんじゃねえよ!///)」


 そう内心で思ってから、更に困惑する。
 さっきも思ったが、自分の中にあるこの不自然な感情は――。


「工藤? どうかした?」
「あ、い、いや…何でもない」


 顔を覗き込まれて、新一はわたわたと取り繕う様にそう言って、誤魔化す為に曖昧に笑った。


「で、夜までどうすんだよ」
「そうだね、どうしよっか…。工藤はどっか行きたいとこかある?」
「そうだなぁ…」


 生憎な事にぱっと思いつく様な場所が、自分には一か所しか見当たらない。


「本屋とか?」
「ホント工藤ってば推理小説好きだね」


 クスクスと笑われて、新一はむぅっと唇を尖らせる。


「あのな、別に俺は推理小説買いに行きたいなんて言ってねえだろ。他に欲しい本があるかもしれな…」
「じゃあ、他に何が欲しいの?」
「あ、いや……えっと……」
「ほら、やっぱり推理小説目当てなんじゃん」


 何とか誤魔化そうと新一が反論すれば、それは見事なまでに切り返されて。
 余計にクスクスと笑われてしまっては、流石に身の置き場がない。
 恥ずかしそうに視線を逸らした新一にかいとは笑みを深めて、軽く新一の手を引いた。


「かいと?」
「じゃ、本屋行こうよ。近くのショッピングモールにあるのならそこそこ冊数も揃ってた筈だから」
「ああ…」


 軽く引かれたその手に少しだけ頬の熱が上がった気がしたのを新一は気付かない振りをした。






























「あ…」
「ん?」


 ショッピングモールに入り、本屋に向かう途中で、かいとがふと声を上げた。
 新一がかいとの視線の先を追えば、その先にあったのは東急ハ○ズ。
 通路側に面した棚にはマジック用品が所狭しと並んでいた。


「見てくか?」
「いいの?」
「ああ」
「ありがと♪」


 ぱあっと明るくなったかいとの表情に新一の顔も明るくなる。
 こうやって笑っているかいとの顔は見ている方まで明るくしてくれる気がする。
 裏の顔があるなんて想像も出来ない位、こうやって見る彼の姿は本当に明るいものだった。

 棚に歩み寄ったかいとはキラキラした目でその一つ一つを見ていく。
 そのかいとの瞳はより多くの物を見ようとして、いつもより少しだけ余計に見開かれている様にすら新一の目には映った。


「お前、本当にマジック好きなんだな」
「うん。俺にとって大事なモノだからね」


 マジック用のトランプを手に取って見詰めているかいとの顔は酷く楽しそうで、見ているこっちまで楽しくなる。
 幾つかある種類のトランプを見比べているかいとの横で、新一は不思議そうにその手元を覗き込む。


「何か違いがあるのか?」
「ああ、メーカーによって手触りとかデザインとかに違いがあったりするから」
「へえ…」


 そのうちの一つをどこか懐かしそうに眺めるかいとに興味を引かれ、新一は思わず尋ねてしまっていた。


「それ、お前がいつも使ってるやつ?」
「ううん。でも最初に親父に貰ったのがこれだったな…と思ってさ」
「お前の親父さんもマジックや…」


 やってるのか、そう聞こうとして新一は言葉を切った。
 そして気まずそうな表情を浮かべた。


「工藤?」
「悪い。何でもない…」
「俺の親父、マジシャンだったんだよ」
「おい、かいと…お前、…」
「いいんだ。そのぐらい聞いてくれて構わないよ」


 そう言って、かいとは新一の目をジッと見詰めた後、ふっと柔らかく笑んだ。
 そして、ふいに新一の頭を軽く混ぜた。


「なっ…!///」
「工藤は気使い過ぎ。いいよ、聞きたい事は聞いてくれていい」


 顔を赤くして、それでもその手を振り払えずに困っている新一にそんな風にかいとは笑って。
 その笑みを悪戯っぽい物にすると、頭に乗せていた手を肩に下ろし、ぐいっと新一を引き寄せた。


「おいっ…! かいと!」
「大体、探偵相手に詮索すんなつー方が無理だしな。つーか、ソレお前にとっては拷問にも等しいだろ?♪」
「っ…!///」


 クスクス笑いながら、じゃれる様に肩を組んで顔を覗き込んでくるかいとに新一は顔を赤くして唯々言葉を失うばかり。
 そんな照れている新一をかいとは間近で充分見詰める。


「そんなに固くなんなよ。まあ、照れてる工藤も可愛いけどねー♪」
「照れてねえよ! てか、お前…! 男に可愛いとか言ってんじゃねえよ!」
「だって可愛いものは可愛いんだからしょうがねえじゃんv」
「しょうがなくねえ!!!」


 怒鳴ろうが小突こうがどこ吹く風。
 まるで昔からの旧友と戯れる様にからかわれて、新一はどうしていいのか分からずにただ戸惑うばかりだ。

 こんな風になれたら良いとずっと思っていた。
 普通の友人の様に、いやそれ以上の親友の様に、そうなれたら良いと新一だって願っていた。
 だからと言って―――。


「ったく、お前は人懐っこ過ぎんだよ!」


 いきなりこんな風にされたら新一としてはどうして良いか分からない。
 戸惑い交じりなのを誤魔化す為に少しだけ強く言えば、呆気なくその手は離された。


「悪い。調子に乗り過ぎたな」


 その顔を見て、新一は自分の発言を後悔した。
 かいとは笑っていた。
 笑ってはいた…が、その瞳に新一は明らかな寂しさを見て取った。


「いや、俺こそ悪い。そうじゃ…ないんだ……」


 その瞳にどうして良いか分からずに、新一は少しだけ俯いてしまう。

 いつもこうだ。
 本当はそんな風に思っている訳ではない。
 誤魔化す為に、強がる為に、そうやっていつも誰かを傷付けてしまう。
 望んでいるのは違うのに――。


「知ってるよ。名探偵は不器用だって」


 離れた手が再び新一の頭を撫でる。
 さっきよりもより優しく。慈しむ様に。


「意地っ張りで強がりで、でもホントはお前が優しいのを俺は良く知ってるよ」
「誰が意地っ張りだよ」
「ほら、そういうとこ」
「………」
「まあ、可愛くていいと俺は思うけどね」
「男に可愛いって言うな!」


 ぷいっとそっぽを向いても新一を撫でる手は止まらなくて。
 その優しい手に新一は少しだけ安堵する。

 彼は分かっていてくれている。
 『探偵』と『怪盗』という対極にいる筈の自分達。
 その筈なのに、その相手に一番理解されているというのは何だか酷く不思議だけれど、どこかで酷く納得する。

 張り詰める様な緊張の中、何度もやり合った。
 ある種誰よりもお互いを知っているのかもしれない。


「そういう風にするから余計に可愛いんだよv」
「っ…///」


 耳元でクスッと言う笑みを纏ったまま囁かれてぞくりとする。
 顔が真っ赤になっているであろう事が分かっていても、どうする事も出来ずに俯いたままどうする事も出来ず、新一はそのまま固まるばかりで。
 その耳元にもう一度小さく笑い声が届いた後、ぽんっと背中を軽く叩かれた。


「悪い、付き合わせ過ぎたな。そろそろ本屋行こっか」
「あ、ああ…」


 顔を上げた新一の目に映ったかいとの顔は、さっきのマジックの道具を見ている時よりも何だか余計に楽しそうで。
 それを少しだけ不思議に思いながら、新一はかいとに促されるままに本屋へと向かった。




















「ねえ、工藤」
「ん?」
「それ貸して」
「は?」
「いいから、それ全部俺に渡して」


 新一の両腕の中に何冊も積み上がった本をかいとはひょいひょいっと奪い取ると、まるで重みを感じさせない様に軽く片手にそれを全て乗せてしまう。
 普通の人間がそうすれば恐らく新一も不思議に思うだろうが、相手は怪盗。
 それすら全て当然のことの様に思えてしまって何の違和感もない。


「なんつーか…」
「ん?」
「…お前、便利だな」
「そりゃどうも。って、工藤。それ褒められてると思っていいの?」
「ああ、褒めてるさ。これ以上ないぐらいの褒め言葉だ」
「…何だそれ余計に褒められてる気がしない…」


 がっくりと肩を落として見せながらも、かいとの口元は笑っていて。
 相変わらず楽しそうなかいとの様子に自然に新一の口元も上がってしまう。


「それより、お前はいいのか? 何か見たい本とかねえの?」
「んー…マジック関連の本はこないだ買ったし…。あ、バイク雑誌見たいかな」
「バイク…」
「うん。結構好きなんだよね」
「………」


 そう言えば…、と新一はある事件を思い出す。
 あの事件の時の怪盗のバイクの運転は中々だった気がする。
 普段も乗っていたりするんだろうか…?

 ふとそんな興味が湧いて、かいとを見詰めれば、ちょっとだけ苦笑を含んだ笑みがかいとの口元に上った。


「乗りたいバイクはあるんだけど、結構高くてさ。今は貯金中」
「貯金…」
「そ。まあ、今のペースだと貯まるのは一年ぐらい先かなー」
「………」


 ちょっとだけ視線を空に投げ、思いを馳せるかいとを目の前に、新一は言葉を失った代わりに本当に微かに口の端だけで笑う。

 怪盗が狙うのはビッグジュエルばかり。
 最低でも億単位、それ以上の物も数知れない。
 それらの宝石を何の躊躇いもなく返しておきながら、怪盗はこんな事を言う。
 まるで普通の大学生の様に…。

 金や権力で人を殺す人間を数知れない程見てきた新一にとって、今この目の前の怪盗がそうして居られるという事実は余りにも眩しい現実だった。
 人は弱い。
 目の前に、ましてやその手の中に何度となくそんなモノを手にしておきながら、何の躊躇いもなく返した挙句、貯金なんて可愛らしい事を言って下さる。
 この目の前の人間は――――余りにも稀有な存在だ。


「工藤?」
「なあ、かいと」
「ん?」
「お前、返したくないと思った事ねえの?」


 その余りにも不思議な生き物にこれ以上ない位の興味が湧いて、思わず新一はそう尋ねてしまった。
 きちんとした文章にすらなっていないその問いに、それでも怪盗は意味を正確に理解した上で、苦笑した。


「俺はね、普通の大学生だよ」
「普通、ね…」
「俺は俺でありたいから返すんだ。……なんてね」


 照れ臭そうに、最後は茶化してそう言って。
 誤魔化す様にかいとは新一から少しだけ顔をずらした。
 その頬が少しだけ赤くなっているのに気付かない振りをして、新一は一歩前を歩くかいとの横に並んだ。


「お前のそういうとこ…嫌いじゃねえよ」


 視線を合わさずにそれだけ告げて、新一はかいとの一歩前に出る。
 きっと後ろにはもう少しだけ赤くなったかいとが居るのは分かっていたけれど―――今は見ない振りをしてやることにした。






























「なあ、かいと」
「ん?」
「重くねえの?」
「全然。気になるんだったら視界に入れない様にするけど?」
「いやいい。普通に持っててくれ…ι」
「りょーかいv」


 結局推理小説を両手でギリギリ足りないぐらいと、バイク雑誌を一冊買って本屋を出た。
 いつもよりは少ない冊数とは言ってもそこはハードカーバ。
 そこそこの重さがある。
 その重さで破れない様に二重にされた紙袋がかいとの両手にはぶら下げられている。
 自分の荷物なので自分で持つと言った新一の申し出はあっさりとかいとに却下されてしまった訳で、流石に重さが気になってそう尋ねれば返ってきたのはそんな答え。
 きっとかいとの申し出に首を縦に振れば、彼は一瞬でこの荷物を消して見せるのだろう。
 けれど、何だか現実感がなくなってしまう気がして、新一はその申し出を断った。


「さて、工藤。これからどうしよっか?」
「…なあ」
「?」
「何時ぐらいまで時間潰せばいいんだ?」
「……そうだなぁ……」


 視線を時計に落とし、かいとは少しだけ眉を寄せる。
 そして、自分の横顔に向けられる新一の視線に少しだけ溜息を吐いた。


「別に今からでも…」
「本音言わなかったら絞め殺す」
「探偵さんが物騒な事言わないの; ………ホントはね、……希望は12時半ぐらいかな…」
「勿論夜中の…だよな?」
「うん。でもそれはあくまでも希望だからね。もっと早くても良いから、時間的には…」
「…いいよ。12時半で」
「え…?」


 諦めた様に呟いたかいとが驚いて視線を時計から新一へと向ければ、その驚いた顔を新一に笑われる。


「あのな、お前、忘れてないか?」
「…?」
「お前が勝ったんだろ? だから、お前にはお前のしたい様にする権利がある」
「でも…時間遅いし…」
「あのな、別に女の子を連れ回そうってんじゃないんだ。大学生のヤローを連れ回すのにそこまで時間気にする必要ないだろ?」
「それはそうだけど…」
「俺は毎日事件事件で遅いのなんて慣れっこなんだよ。だから気にすんな」
「う、うん…」


 まだ何か言いたそうにしていたかいとに新一はにこっと笑ってやる。
 その笑みに、かいとの顔は引き攣る。
 綺麗に綺麗に笑みが浮かんだ顔とは裏腹に、目は全くもって笑っていない。
 ここでこれ以上『でも…』を重ねたりしたら、きっと凄く―――怖い事になりそうだ…;


「だとすると、今6時だから…まだ結構時間あるな」
「うん…。ごめ…」
「謝ったりしたら殺すぞ? かいと」
「………何でもないです。はい;」
「ん。分かればいいんだよ、分かれば」
「………;」


 更に笑みが深まって、かいとは潔く色々(…)な事を諦めた。
 それが探偵の優しさなのだとかいととて分かっていたし、そうしてくれるなら、それに乗ってみるのも悪くない気がした。


「まあ、ちょっと早いけど飯でも食うか?」
「そうだね。工藤は何食べたい?」
「俺は別に何でも」
「工藤は相変わらず食に興味ないね」
「…何でお前が知ってんだよ」
「さて、何でだろうね」


 まるで旧友にでも言う様な台詞がさらりとこの怪盗からは出てくる。
 それが何だか少しだけ照れ臭くて、ついついそう言って新一は誤魔化してしまうのだけれど、その照れ臭さもどこか胸が温まるもので。
 自分を知っていてくれる人間が居るのは、こんなにも嬉しいものだったのだろうかと今更ながらに思う。
 この怪盗が特殊なだけかもしれないが――。

 だからかもしれない。
 新一の口からこんな言葉が出たのは。


「なあ、かいと」
「ん?」
「そんだけ時間潰すなら家でも来るか?」
「…は?」
「いや、下手にどっか行って時間潰すより、家で珈琲でも飲みながら話でもした方が…」
「……名探偵」
「ん?」
「自分が何言ってるか分かってる?」
「ああ、分かってるよ」
「………」


 怪盗の言いたい事なんて探偵は全部お見通しで。
 かいとは用意していた躊躇いの言葉を飲み込んだ。

 自分は怪盗で。
 相手は探偵で。

 怪盗をやっている自分をそんなにさらっと家に招いていいのかと。
 怪盗をやっている自分にそんな風に気を許していいのかと。

 言おうとした言葉は全部、新一の柔らかい面差しに飲み込まれる。


「俺が“友達”を家に招いて何が悪いんだ?」
「っ……!」


 その時の衝撃を何て表現したらいいんだろう。

 驚きとか嬉しさとか感動とかそんな物が色々と綯い交ぜになってぐちゃぐちゃになる。
 その感情が余りにも自分の中で処理出来ずに、返事をすることすら忘れていたかいとの額を新一がぺちっと軽く叩いた。


「いてっ…!」
「ったく、何て顔してんだよ」


 苦笑気味にそう言いながら、新一はかいとの顔をちらっと覗き込む。
 その瞳に酷く優しい穏やかな色が見えた。


「お前は俺の友達なんだろ? だったら素直に招かれとけよ」
「でも…」
「だから、そこで『でも』はいらねーの。さっさと来いよ、かいと」
「あ、っ…! ちょ、ちょっと! 工藤!!」


 さっさと前を歩く新一を追いかけながら、かいとはその背を見詰めて複雑な思いを抱いていた。

 自分は怪盗。
 探偵にとっては宿敵。
 そんな自分を新一は家に招こうとしている。

 かいとがその気になれば、新一の家を探る事も出来るだろう。
 飲み物に少し薬でも盛れば、幾らだって時間は取れる。
 そんな事しなくても、いつものスプレーを一噴きすれば一発だ。
 それに幾ら怪盗キッドが人を傷付けないと言われていたって、その気になれば飲み物に毒を盛る事すら可能だというのに…。

 そんな事全く疑いもせずに自分を招こうとしてくれる目の前の名探偵。
 その姿が余りにも眩し過ぎて直視出来ない。


 涙が出そうだ。
 視界が滲みそうになって慌てて目元を強く拭うと、少しだけ早足で新一の背を追いかけた。





















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