優しい優しい名探偵

 いつも真っ直ぐで
 いつまでも綺麗なままで

 見ていて吐き気がした

 そんな上辺ばかりの真実
 私が全て壊して差し上げますよ?










告白(ver.bitter)











「どうして逃げないんですか?」


 新一に口付けて。
 唇をゆっくりと離した後、分かりきった事を敢えて怪盗は口にする。

 態々、探偵を不快にさせる為に。


「……別に」
「私が可哀相だとでも思ったから逃げないのでしょう?」
「…別にそんなんじゃ……」
「全く、相変わらずの甘ちゃんっぷりですね」
「煩い! 余計なお世話だ!」


 掴まれたままの腕を新一は乱暴に振り、怪盗の手を外させようと試みる。
 けれど、結果はより力を籠められて痛みが増すだけ。


「痛っ…」
「いい加減諦めたらどうです? 貴方は力では私に敵わないのは分かってるでしょ?
 私だって、貴方に痛い思いをさせたい訳ではないのですから」
「だったら離せよ!」
「離したら逃げるでしょう?」
「………逃げねえよ」


 怪盗のわざとらしい質問に新一は少しだけ俯く。
 それに対照的に怪盗は笑みを浮かべる。

 探偵の暗く沈み込む様な何とも言えぬその雰囲気が怪盗には酷く心地良かった。


「逃げないんですか?」
「逃げたら何されるか分かんねえからな…」
「私は名探偵には、何もしませんよ?」
「っ……」


 探偵が唇を噛み締めたのが俯いていても気配で分かる。
 それに快楽を感じ、クスッと怪盗は笑う。


「それでも逃げないんですか?」
「………俺の周りの奴らに手出しさせる訳にはいかないからな」


 そこまで探偵が悔しげに言葉を紡げば、ずっと掴まれたままだった手があっけなく離された。


「キッド…?」
「逃げないのなら捕まえておく必要もありませんし、それに…」
「それに…?」
「無理矢理連れて行かれるのではなく、自主的に私に付いて来る。その方が貴方にとっては屈辱でしょう?」
「………」


 怪盗の口元が楽しげに歪む。
 ドロドロとしたどす黒い空気が周りを包んでいる様にすら探偵には感じられた。

 そして―――それにこれから自分が浸っていくのだろう事も予測がついた。


「今日から私が貴方の『主』ですよ。新一」
「っ…!」


 『名探偵』ではなく『新一』。
 そう呼ばれ、余計に悔しさが増した。

 『名探偵』としての自分だけでなく、怪盗が求めるのは『工藤新一』という人間の全て。


「せいぜい私のご機嫌を取って、いい子にしている事ですね」


 そう言って、怪盗は一歩踏み出した。
 追従してくる新一の怒りに満ちた視線を背中に感じ、それに歪んだ幸せを覚えながら。








































「………お前、一体何の仕事してる訳?」


 怪盗に言われるまま。
 ハンググライダーに二人乗りをする―――まあ、新一は不本意ながらも抱きかかえられていただけな訳だが―――なんて無茶な真似をして連れて来られた……いや、付いて来たのは怪盗の暮らしているのだというマンション。

 都心の一等地。
 超高層マンションと呼ばれるそのマンションの上から二階目の部屋。
 何でも一番上は夏暑いから嫌なのだと言う。
 そのベランダに着地するなんて器用でいて、抱えられている新一には恐怖しか与えない行動を取られた後、ハンググライダーをしまい、ベランダからリビングに入って行った怪盗にドロドロとした感情を抱えたまま新一は付いていく。

 部屋に入り、無造作に空けられたままのカーテンの向こう側をふとリビングの中から見渡せば、酷く広く取られた窓から見えたのは贅沢過ぎる程の地上のプラネタリウム。
 それには、景色やそういったモノに大して興味を引かれる訳でもない新一すら一瞬見とれた。

 けれど一瞬見とれた次の瞬間、新一の興味は別に移る。
 こんな部屋に住めるだけの怪盗の資金源は何なのだろうか。
 怪盗として彼は盗んだ宝石を売り捌いている訳でもなく、宝石と交換に金品を要求する訳でもなく。
 とりあえず『怪盗』として生計を立てているとは到底思えないから、きっと表の顔の仕事で相当稼いでいるのだろうと勝手な推測をした訳だが。


「さあ。案外裏で殺しでもやっているのかもしれませんよ?」
「いや、それはないな」
「どうしてそう言い切れるのです?」


 妙にはっきりと確信を持って答えた新一に、少し不機嫌そうに怪盗は訪ねる。


「お前からは血の匂いがしねえから」


 真っ直ぐに何の迷いも無くそう告げた探偵に、怪盗は皮肉めいた賛辞を送る。


「流石は名探偵。鼻が利くんですね」
「それが仕事だからな」


 自嘲気味に返された苦笑に怪盗はニヤリとした笑みを贈ってやる。



「今日まで、のね」



 ゾクッとする様な笑みだった。

 暗くて。
 おぞましくて。

 それでいて妖艶で。
 引き込まれそうで。

 新一の背筋に何か冷たいモノが這い上がってくる。


「今日までって…」
「私は言った筈ですよ? 『尤も貴方が望まない事をさせて差し上げます』と、ね」


 確かに言われたと新一は思い返す。
 今日から怪盗が自分の―――――『主』なのだとも。


「で、俺が尤も望まない事っていうのは…」
「貴方に殺して欲しい方が居るんですよ」
「――!?」


 静かに、押し殺した声で言われ、新一は余りの驚きに声すら出せなかった。
 この目の前の怪盗は今何と言った…?


「聞こえなかったんですか? 貴方に『殺人』をお願いしたいと言ってるんですよ」


 念を押す様に怪盗は再度、より直接的にその内容を告げた。
 『新一が尤も望まない事』の具体的な内容を。


「お前…殺しはしないんじゃなかったのか?」
「だから名探偵に頼んでるんじゃないですか。銃ぐらい使えるでしょう?」
「………俺が殺るとでも?」
「そうしなければ…結果はさっき教えて差し上げたでしょう?」
「………」


 新一が引き受けなければ。
 新一が殺ると言わなければ。

 末路は見えている。
 その先に見えるのは――――大切な『彼女』の死。

 突きつけられた現実に新一は悔しさで唇を噛み締める。
 その様子を楽しげに怪盗は見詰め、すっと近くにあったソファーを勧めてやる。


「いつまで突っ立てる気ですか? どうぞそちらにお座りになって下さい」
「………」


 無言のまま、それでも素直にソファーへと腰掛けた新一。
 その横で怪盗はマントを止めている肩の止め具を外すと無造作にそれを新一が座っているのとは反対側のソファーへと放る。
 同じ様にシルクハットも脱ぎ捨てると、その下からはフワフワと柔らかそうな黒い癖っ毛の髪が顔を出した。

 そんな怪盗を新一は唯何も考えずに目で追っていた。


「そんなに珍しいですか?」
「……そりゃそうだろ。怪盗が元の姿に戻っていく過程なんて早々見れるもんじゃねえし」
「何ならこのまま着替えも披露しましょうか?」
「いらねーよ。野郎の着替えシーンなんて見てどうすんだよ」


 そう言ってぷいっとそっぽを向いた新一に怪盗は一歩、また一歩と近付き、新一に触れるため少しだけ腰を屈め、手を伸ばすと新一の白い頬を指でそっと撫でる。
 新一にはその手袋をしたままの温度の感じられない手が酷く無機質なモノに感じられた。


「酷いですね。私はきっと貴方の着替えになら欲情するのに」
「……しなくて良い」
「本当に、貴方の肌は白くて綺麗だ」


 うっとりと夢見る様に耳元で囁かれる。
 そして頬を撫でた手はそのまま下へゆっくりと降りていき、新一の首元をするりと撫でる。


「っ……」
「感じますか?」
「……ちげーよ……っ…!」


 否定の言葉を口にした新一が面白くなくて。
 怪盗はその言葉を打ち消す為に耳元に寄せていた口をもっと近づけると軽く耳朶を一舐めしてやる。
 その怪盗の行動にビクッと身体を強張らせた新一に満足して、漸く新一から手を離した。


「な、何す…」
「言ったでしょう? 貴方は私のモノ、だとね」
「くっ……」


 新一から身体を離して。
 新一を上から見下す様に見下ろして怪盗はクスクスと笑う。


「貴方にはもう自由なんてありませんよ。私は今日から貴方の『主』なんですから。何なら『ご主人様』とでも呼んでみますか?」
「ふざけるな! 誰が…」
「そんな言い方していいんですか? 私は呼ばせてもいいんですよ?」


 反抗的に睨みつけてくその強い眼差しを怪盗は楽しげに笑みで押し潰す。
 全ての『自由』を新一から奪う為に。


「呼ばなければ―――そうですね、先ずは彼女の綺麗な髪でも頂きましょうか」
「………」
「ああ。貴方に成りすまして散々弄んで差し上げるのもいいかもしれませんね?」
「……やめろ」
「……もう、彼女の事は抱いたんですか?」
「やめろって言ってるだろ!」


 胸倉に掴みかかって来た新一の手を、怪盗は素早く掴むと強く握り込んだ。
 新一の眉間に苦しそうに皺が寄せられる。


「っ……」
「怒る前にいい加減にそのご自慢の頭脳を働かせて私を怒らせない様にしたらどうです? どうせ貴方は私に力では勝てないんですから」


 ぎりぎりと新一の腕に怪盗の手がめり込んでいく。
 その痛みに、怪盗の胸元を掴んでいた筈の新一の手が力を失い外れていく。


「言ったでしょう? 私は貴方に痛い思いをさせたいのではない、と」
「俺に屈辱を与えたいだけで人を殺めろっていうのか!?」


 怪盗の手を振り払い、珍しく叫ぶ様にそう言った新一に怪盗も少しだけ面食らって。
 それでもそれすら楽しそうに笑う。


「ええ。そうですよ」
「っ……」
「私はね、名探偵。貴方が私の中で足掻いて足掻いて足掻ききって、そして最後に絶望して飛べなくなる瞬間を見たいんですよ」
「…お前、何言って……」
「貴方のその蒼が、今まで闇を見詰め続けて来てなお澄み切ったままのその蒼が、黒く濁りを帯びる瞬間を見たいんです」


 うっとりと。
 夢見る様に。

 紡がれた言葉に新一は芯まで凍ってしまいそうな寒気を覚えた。

 完全に―――怖いくらい冷静に、狂った人間を目の前にして。


「……その為に、俺を脅迫した、っていうのか?」
「ええ。でもアレは…」
「………?」
「私の中では『脅迫』というよりも『告白』だったんですけどね」
「……告、白…?」


 意味が分からない。
 そういう代わりに怪盗の言葉を反芻するかの様に紡いだ新一に怪盗は柔らかい笑みを浮かべる。


「ええ。貴方に私のモノになって欲しいという『愛の告白』ですよ」
「………」
「新一?」
「……お前、絶対おかしい」
「知ってます」
「アレは告白じゃなくて紛れもない脅迫だ! その材料に…俺の周りの人間を使うなんて…」


 辛そうに少しだけ俯き加減になった新一の顎を怪盗は指先でそっと持ち上げる。
 自分から逃げる事など許さないという様にその瞳をじっと覗き込む。


「そうしなければ、貴方は手に入らないでしょう?」
「……そんなにお前は俺を手に入れたいっていうのか?」
「ええ。例え―――何を犠牲にしても、ね」
「………」


 狂おしい程の執着。
 狂おしい程の執愛。

 例え何を犠牲にしてでも、手に入れたいのは唯一つ。
 そう、例えその唯一つのモノに嫌われたとしても、手の中に閉じ込めてしまいたい。

 それだけの事。


「私だけのモノだと言ったでしょう?」


 クスクスと笑って。
 呆然と立ち尽くすままの新一の身体をそっと抱き締め耳元で囁く。


「貴方を私のモノにするためなら――――私だって人を殺められるんですよ?」


 極上の甘い囁きを新一の耳元に落とすと、まるで吸血鬼の様に首元に噛み付いた。
 そのまま吸い上げて、紅い烙印を落とす。


「っ……」
「怨むなら、私達が出会ってしまった事を、貴方が私を追いかけて来た事を怨むんですね。自分の軽率な過ちを」
「軽率なんかじゃ…」
「充分軽率ですよ。何の切札カードも持たずに私の事を捕まえ様としていたんですからね」


 紅く色付いた印に怪盗は誘われる様に舌を伸ばす。
 その感触に新一は背を逸らせた。


「やめっ…」
「嫌ですか?」
「嫌に決まってるだろっ…!」
「なら、もっとしてあげますよ。新一」


 腕の中で新一がもがくのすら楽しむ様に、怪盗はそのまま新一をソファーへと押し倒した。















 ねえ、名探偵。

 貴方は私のタメに何処まで堕ちてくれますか?


















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