何を捨てるのか
 何を選び取るのか

 一度互いに大きな選択をしている

 そんな彼に更に大きな選択を迫るなんて
 そんな事が赦されるのだろうか…

 赦されないと知っている
 知っていてなお、この心は貪欲に叫び続ける


 欲しいモノは―――ただ一つなのだと















 choix















「遅い…」


 キッチンへ珈琲を淹れに行って暫し。
 一向に帰って来ないかいとに新一はふむっと顎に手を当てて考える。


「(何かあったのか……??)」


 さっきは何だか少し様子がおかしかった。
 彼の様子に自分が何かしたのだろうかと、新一は眉間に皺を寄せた。


「(……俺、何か不味いこと言ったか……?)」


 先程までのかいととの会話を反芻してみても、思い当たる節はない。
 かいとの様子がおかしくなったのは一体いつからだろう。
 うーん、と唸りながら考えて、一つの結論に至った。


「(俺がアイツの好きな甘い物を嫌そうに飲んだから…か…?)」


 甘い物が大好きで。
 甘い物を食べると幸せになるのだと言っていた。
 そんな彼の前で甘い物を飲んであんなに嫌そうな顔をしてしまったのが気に障ったのだろうか……。


「(悪い事したかな…)」


 そういうつもりではなかったのだ。
 ただ、彼の好きなモノに興味が湧いて。
 ただ、彼の好きなモノを試してみたくて。
 少しでも彼に近付きたいと思っただけなのに―――。


「嫌われたかな…」


 言葉にしてみて更にその言葉が耳に音として聞こえてから、初めてその言葉に酷く痛みが籠っている事に気付いた。
 そんな自分に新一は眉間の皺を更に深くした。


「(……別に誰に嫌われたって良いって思ってた筈なのに……)」


 自分みたいな推理オタクで事件馬鹿な人間を好いてくれる人間なんて、本当に稀だと知っている。
 幼馴染の彼女やお隣の科学者や、その科学者と一緒に住んでいる彼女の様に自分を信頼してくれる人間なんて本当に僅かなのだと分かっている。
 寧ろ、行く先々で事件に遭遇し『死神』だなんて本気半分冗談半分で言われている自分なんて嫌われて当然だと思っている。
 躊躇いなく遺体を見詰め、それに触れさえする人間なんて、好いてくれる人間の方が少ないだろう。

 それを別段悲しいとも思わないし、寧ろ煩わしくなくて良いとすら思っていた。
 護るモノが多過ぎれば身動きが取れない事を小さくなった時にひしひしと感じたのも大きいのかもしれない。

 大勢で行きたくもない飲み会に行くよりも家で一人で推理小説でも読んでいる方がよっぽど性に合っていたから、大学の知り合いともそんな風に出かける事は多くなかった。
 付き合いで行くことも多少はあるけれど、それでもそんな日は帰って来てぐったりとしてしまったりする。

 きっと自分は……人に興味がないのかもしれない。

 そんな自分が…彼に嫌われたかもしれないと思って、こんなにもそれを辛いと感じている。
 それだけ――彼に執着しているという事なのだろう。


「(分かっちゃいたけど…)」


 自分の中で彼の存在はずっとずっと特別だった。

 ずっと支えられてきた。
 ずっと助けられてきた。

 彼が居てくれたから今自分はこうして元の姿を取り戻して、ここに居られる。
 彼というあの孤高の怪盗は、自分の中に余りにも鮮やかにその姿を残していた。
 それに加えて……昼の彼は別の意味で新一の中に強烈にその存在を刻んだ。
 屈託なく笑い、そうして優しく微笑んでみせる。
 柔らかく温かい空気で包み込んでくれる。

 その彼に嫌われたのだとしたら―――。


 そこまで考えて、背筋にぞわりと寒気が走る。

 そうだ。
 彼は『怪盗』だ。
 本来なら、『追う者』である『探偵』である自分を好いてくれる筈などない。
 それが何の偶然か彼と出逢って、そうしてまるで昔からの友人の様に仲良く話したりすることが出来て。
 けれど…こんな汚れた手ではあの真っ白な怪盗の手は、あの屈託なく笑うかいとの手は掴むことが出来ないのかもしれない。

 じっと自分の手を見詰め、新一はギリッと奥歯を噛みしめる。

 この手は既に汚れている。
 正攻法だけではあの組織は潰せなかった。
 正攻法だけではこの身体は取り戻せなかった。

 あくまでも全て言い訳だとは分かっているけれど、この手は既に人を傷付けている。
 そんな自分があの孤高に一人人を傷付けず、周りすら巻き込まずに戦い続けている怪盗の手を取る事は出来ないのかもしれない。


「……この手はもう、…汚れてるんだ……」


 本来なら『探偵』を名乗る事すら赦されない程、この手は汚れている。
 それでも、自分は未だ『探偵』を名乗り続けている。


 それはきっと―――新一の最大の罪だ。




















『……この手はもう、…汚れてるんだ……』

「…えっ……?」


 小さく聞こえたその声に、自分が思わずそう口にしていたのかと思ったが、その声は明らかに自分ではなく彼のモノで。
 かいとは思わず後ろを振り返った。

 当然そこには彼の姿はない。
 当たり前のその事に安堵しながらも、かいとは眉間に皺を寄せた。


「(名探偵の手が汚れてるだって……?)」


 思わずキッチンからちらっと顔を出しリビングを覗けば、新一はソファーの上でじっと自分の手を見詰めたままでかいとの視線にすら気付いていない。
 普段の彼なら明らかに気付く筈の視線にも気付けない程に何かを考えているのだろう。
 その眉間に寄った皺と、苦しそうな瞳に息が詰まった。


「(何で……)」


 何で彼があんな顔をするんだろう。
 あんなに真っ白であんなに真っ直ぐに真実を見詰め続ける彼が、何故あんなに苦しそうにあんな言葉と共に自身の手を見詰めなければならないのだろう。

 今すぐにでも、彼を抱きしめてやりたい。

 そんな事を思った自分に改めて自覚する。
 ああ多分――――自分は彼が好きなのだろう。
 きっと……そういう意味で。

 それでも、この汚れた手ではそんな風に彼に触れる事すら出来ない。
 そんな事はきっと…赦される事ではない。

 それが分かっていたから、かいとは何も見なかった振りをして、もう一度キッチンに戻り珈琲を淹れる用意をし始めた。






























「工藤」
「あっ…」
「珈琲」
「ああ…さんきゅ…」


 かけられた声に顔を上げれば、はい、と差し出されたマグカップ。
 それを慌てて受け取って、漸く新一は自分の世界から戻ってきた。
 そんな新一の横に同じ様にマグカップを持ってかいとも腰を下ろすと、未だ完全にこちらに戻り切れていない新一をじっと見詰めた。


「工藤」
「ん?」
「何かあった?」
「えっ…?」
「…何か……辛そうな顔してたから…」
「っ……!」


 言い辛そうに、それでも心配そうにかいとそう言われて。
 新一は思わず瞳を見開いてしまう。
 それでも、それでは『何かありました』と言っている様なものだと一瞬後に気付いて、誤魔化す為に緩く首を横に振った。


「別に何もねえよ」
「…そうは見えないけど……」
「……何もねえったら何もねえんだよ」
「………」


 言ってしまってからその言葉が酷く不機嫌そうに響いたのに気付く。
 案の定と言うか何と言うか、そんな新一の言葉に何も言えなくなったかいとの少し辛そうな顔を横目でチラッと見て、自分の発言を後悔する。


「(…心配してくれたのに……)」


 どうして自分はこういう言い方しか出来ないのだろう。
 そう思うと、余計に辛くて、思わずカップを持つ手に力が籠る。


「………」
「………」


 聞こえるのは時計のカチカチという音だけ。
 テレビでも付けておくんだったと新一が後悔してももう遅い。
 互いの間に気まずい沈黙が落ち、どうしようもなくなった所で、かいとは自分を落ち着けるようにこくっと一口珈琲を飲み込んでから漸く口を開いた。


「…ごめん」


 何に対する謝罪なのか。
 きっとかいとも分かっていないのだろう。

 それでも、その謝罪は新一には余りにも痛かった。


「(…違う)」


 悪いのはかいとではない。
 悪いのは新一自身だ。

 どうしようもなく自分の手は汚れていると知っている。
 知っていても、どうしようもなく彼を求めている事も分かっている。

 触れる事を躊躇う程この手は汚れているというのに、この手は余りにも醜い執着で彼を求めている。

 どうしようもない想いを抱えたまま、新一はかいとの謝罪にすら何も言う事が出来ず、ただ手の中のカップの水面を見詰めたままで。
 そうしてまた二人の間に沈黙が落ちる。


 どれぐらいそうしていたのだろう。
 眩暈がしそうな程にどうしようもない状態が続いた頃、かいとがすくっとソファーから立ち上がった。


「ごめん。帰るよ」
「えっ…」
「俺が居ると、名探偵を不愉快にさせるみたいだから」
「っ…!」


 違う。
 そう言いたかったけれど、喉の奥に何か張り付いてしまったかの様に、新一の口からは言葉が何も出てこなかった。
 それを無言の肯定だと受け止めたのか、帰るために一歩歩を進めたかいとの姿を見た瞬間、思わず新一はその腕を掴んでいた。


「工藤……?」


 ゴトン、と音を立てて、まだ中身が入ったままのマグカップが新一の手を離れ絨毯の上に転がった。
 視線の隅で珈琲が絨毯に染みを作っていくのが見えたけれどそんなのはどうでも良かった。

 ただ―――このままかいとに帰られてしまうなんて耐えられなかった。


「…染みになるよ。拭くから、一回手、離して?」
「…嫌だ」
「工藤」
「嫌だ!」


 困った様に見つめてくるかいとの視線に、そう言って新一は首を振る。
 そんな事今はどうだっていい。

 大事なのは――――。


「ねえ、工藤…」
「帰るなんて言うなよ…」
「……くど…」
「…帰るなんて言うな……」


 僅かばかり、涙声になってしまっている気がした。
 そんな自分に何だか少し気恥ずかしくなって少し視線を下に落とせば不意に視界が何かに覆われた。


 ―――――抱きしめられているのだと気付いたのは、その数秒後だった。




















「…帰るなんて言うな……」


 そう言われて、そんな風に涙声で言われて。
 触れるなという方が無理だった。

 思わず彼を抱きしめてしまっていたのは、完全に無意識だった。

 この手が彼に触れるには汚れ過ぎてしまっているのは知っている。
 けれど――こんな彼を今抱き締めない訳にはいかなかった。


「工藤…?」


 腕の中、身動ぎすらしない新一に不安になって小さく恐々声をかければ、その肩がビクッと反応した。
 それでも、腕の中の彼がかいとを振り払う様な仕草をすることはない。
 ただ静かに、かいとの腕の中に居る新一に少し安堵して、そっと背中を撫でた。


「分かった。工藤が帰るなって言ってくれるなら帰らないから」
「ん…」


 腕の中小さな返事と、こくっと小さく頷く新一に更に安堵して、そうして―――かいとは固まった。


「(あっ…え、えっと……ど、どうしよう……!!)」


 思わず、余りにも見ていられなくて抱き締めてはしまったものの、その先を全く考えていなかった。

 抱き締めて初めて気付いた。
 見ただけでも細い細いと思っていた身体は余りにも華奢で。
 思いっきり抱きしめてしまったら壊れてしまうんじゃないかと思う。
 それでも、外見の白さからかそれともその鋭さからか、冷たそうに見えた彼の身体は意外な程に温かくて。
 それを何だか不思議に思いながらも、腕の中の温もりは余りにも離し難くて。

 きっと暫くそのまま彼を抱きしめたままでいたのだろう。
 腕の中の新一が少しだけ小さく身動ぎした所で漸くかいとは我に返った。


「あ、悪い…」
「いや…」


 少し腕を緩めて身体を離し、彼の顔を覗き込めば新一の頬は僅かに赤くなっていた。
 それに何だかかいとも照れてしまう。


「ごめん…」
「別に謝る事じゃねえだろ…」
「う、うん…」
「………」


 お互いに何だか照れ臭くて。
 それでも何だかどうしたらいいか分からなくて。
 かいとは視界の端に入ったマグカップを口実に新一を腕の中から解放すると、漸く身体を完全に離した。


「あ、……そうだ! こ、これ染みになっちゃうから片付けるね!」
「いや、俺がやるから…」
「いいから! とりあえず新一はそこに座ってて!」
「でも、…」
「とりあえず俺これキッチンに置いて、雑巾持ってくるから」
「…あ、ああ……」


 おたおたわたわた。
 床に転がったマグカップを拾い上げて、全くもってスマートではないぎこちない足取りでキッチンへと逃げ込んで。
 かいとはシンクの淵に手を付いて、深い深い溜息を吐いた。


「(俺、何やってんだろ……)」


 ガックリと項垂れて深く深く溜息を吐いてから、真っ白な天井を仰いだ。

 あんな風に触れて良い筈はないのに。
 こんな風に想って良い筈はないのに。

 分かっているのに、それでも身体は無意識に動いた。

 あの声に。
 あの瞳に。
 余りにも痛々しいその姿に。

 伸ばしてはいけないのだと、必死に押さえつけていた腕はあっさりと理性を裏切って彼を腕の中に収めてしまっていた。


「(俺は…犯罪者なのに…)」


 本来ならこうして家になんて招いて貰える身分ではない。
 寧ろ、蹴り出されて当たり前。
 それなのに、彼は余りにも優しくて、そして余りにも無防備だ。

 あの細い肩を引き寄せて。
 あの細い身体を抱きしめてしまいたいと思うなんていけないと分かっているのに…。


「(ホント…我慢が利かない『子供』だな、俺は)」


 欲しいのだと心が叫ぶ。
 あの危うい程真っ直ぐな彼が欲しくて堪らないのだと心が叫ぶ。

 求めてはいけないと思えば思う程、反比例して心は貪欲に叫び続ける。


「俺は……我が儘、だな……」


 小さく呟けば、それは余りにも正直な本音だった。




















「(ビックリした……///)」


 頬に上がる熱を少しでも手で冷やす様に両手を頬に当て、新一は何とか自分の動悸を抑えようとしていた。

 あんな風に縋る様に手が出たのは無意識で。
 あんな風に涙声の様な声が出たのも無意識で。

 少し恥ずかしくなって俯けば、温かい温もりに包まれた。

 あんな風に触れて貰えるなんて思わなかった。
 あんな風に優しく背中を撫でて貰えるなんて思わなかった。

 あんな風に触れられてしまったら―――もう、駄目だ。

 見ない振りをしてきた感情も。
 分からない振りをしてきた想いも。

 心の中から溢れ出て止まらなくなってしまう…。

 欲しいのだと心が叫ぶ。
 あの眩しい程に明るくて優しい彼が欲しくて堪らないのだと心が叫ぶ。

 求めてはいけないと思えば思う程、反比例して心は貪欲に叫び続ける。


「俺は……我が儘、だな……」


 小さく呟けば、それは余りにも正直な本音だった。






























「工藤?」
「っ…!?」


 溜息交じりに言葉を零した数秒後、ひょいっと顔を覗き込まれて新一は漸く我に返った。
 かいとの顔を見て、ぱしぱしと瞬きをした新一を不思議そうに数秒見つめて、それでもかいとは柔らかく微笑むと、持ってきた雑巾で絨毯を拭き始めた。
 それに慌てて新一も手を伸ばす。


「悪い。俺拭くから…」
「いいよ。俺がやるから工藤は座ってな」
「俺のせいなんだからそういう訳にはいかねえだろ。一枚貸せよ」
「…しょうがない。んじゃ、そっちお願い」
「わあった」


 雑巾を何枚かと、バケツを持ってきたかいとからそう言って新一も一枚雑巾を受け取って。
 絨毯に染みを作ってしまった珈琲を拭く。


「あーあ…こりゃ、クリーニングしないと駄目かな…」
「…そうだな」
「珈琲色濃いしね…。絨毯用の染み取りとか…」
「俺がそんなもん買ってると思うか?」
「……ですよねー;」
「まあ、どうせいつも業者に頼んでるし、それで…」
「ったく、これだから坊ちゃんは…」
「るせー! いいんだよ!」


 半ば呆れ顔でそう言って、それでもトントンと絨毯を叩き拭きしているかいとの手が僅かばかり赤くなっているのに気付いて、新一は慌ててその手から雑巾を奪い去った。


「あっ! ちょっと、工藤! 何すんだよ!」
「お前、もう掃除しなくていい」
「は…?」
「こんな事しなくて良いから、さっさと手、洗って来い」
「ちょっと待てよ。何でいきなり…」
「いいから洗って来いって言ってるだろ!」


 いきなり怒鳴る様にそう言われて、かいとはぱしぱしと数度瞬きをして首を傾げた。


「工藤、急にどうしたの?」
「手、赤くなってる」
「ああ、ホントだ」


 新一の言葉に自分の手を見詰め、僅かに赤くなっている箇所を確認して、かいとはにっこりと笑った。


「でも、こんなの別に大した事ないから…」
「バーロ。普通の人間にとってはそうでも、お前にとっては違うだろうが」
「え?」


 何も分からない、そんな風に不思議そうな顔を浮かべたかいとに新一はムッと口を尖らせた。


「お前はマジシャン。手に傷でも付いたらどうすんだ」
「ああ、そういう事ね。でも、このぐらい平気だよ」


 さっきと同じ様ににっこりと笑って何でもない様にそう言って、かいとは再び雑巾に手を伸ばす。
 それを新一はさっきと同じ様に奪い去ってそれをバケツの中へと放った。


「ちょっと! 工藤!」
「だから、止めろって言ってんだ!」
「全く…工藤は心配屋さんだね」


 困った様に、それでも何だか少しだけ嬉しそうに苦笑したかいとに少しだけ気恥ずかしくなって、新一はぷいっとかいとから視線を逸らす。


「別にそんなんじゃねえよ」
「ホント優しいね、工藤は」
「だ、だから…別にそんなんじゃねえって…///」


 相変わらず柔らかい視線が向けられているだろう事が気配で分かる。
 何だか余計に恥ずかしくなって視線をかいとに戻せずに困っていれば、クスッと小さく笑われた。


「工藤は優しくて心配性で照れ屋さんだからね」
「だ、誰が照れ屋だ!」
「顔、真っ赤だけど?」
「っ…!!!」


 かいとの発言に思わず反応してキッと睨めば、返ってきたのはそんな言葉。
 確かにきっと自分の頬は今赤くなっているのだろう。
 それを分かっているからこそ、余計に恥ずかしくなって余計に赤くなってしまう。

 正に―――悪循環である。


「ホント…可愛くて困るよ」


 クスッと笑ってそう言って。
 自分で言った癖に、小さく『あっ…』と言って固まったかいとに新一は違和感を覚えた。


「どうしたんだ?」
「あー…いや、何でもない…」
「??」
「気にしなくて良いよ」
「………」


 気にするのが仕事の様な人間にこれはまた随分な言い草だ。
 そう言われてしまったら寧ろ『気にしろ』と言われている様な気さえして、新一はずいっとかいとの顔に自分の顔を近付けじーっとかいとを見詰めた。


「俺に気にしなくて良いって言うのは無理な相談だとは思わないか?」


 新一の瞳の奥にチラッと見える『名探偵』にかいとは苦笑する。
 確かにそうだ。
 彼に『気にするな』なんて無理な相談だ。


「確かにそうだね」
「だったら、ちゃんと話したらどうだ?」


 真っ直ぐにかいとを見詰めて、真っ直ぐにそう告げる新一にかいとは思わず言葉を詰まらせた。

 言える訳がない。
 話せる訳がない。

 こんな気持ち―――言ってしまって良い筈はない。


「そんなに大したことじゃないんだよ。ただ、工藤が可愛いなーって思っただけv」


 嘘は言っていない。
 だからこそ、真っ直ぐに新一を見詰めてかいとも言葉を紡ぐことが出来る。
 この名探偵殿には『嘘』は通用しないから。


「…お、男に可愛いなんて真顔で言ってんじゃねえよ!///」
「俺は自分に素直なだけだよvv」
「っ……///」


 顔を真っ赤にして、俯いてしまった新一を本当に可愛いな、と思う。
 それでも、かいとは本音を言う事なんて出来ない。

 君が好きだなんて――――言える立場でも、言える関係でもない。


「だ、大体な…お前は誰にでもそうやって気障過ぎるんだ!」


 顔を真っ赤にして、明らかに照れ隠しと分かる新一の叫び声にかいとはピクッと眉を跳ねさせた。
 幾ら本音が言えないとはいえ、それは余りにも余りな言葉だ。


「それは聞き捨てならないね」
「何がだよ」
「俺が『誰にでもそうやって気障過ぎる』ってとこ」
「事実だろーが!」


 むぅっと眉を寄せて。
 それでも本当に本気でそう思っているだろう顔でそんな風に言われて。
 かいともむぅっと眉を寄せた。


「別に俺は誰にでもそんな事言う訳じゃない」
「言ってるじゃねえか」
「確かに『キッド』としての俺はそうかもしれないけど、『かいと』としての俺は違うよ」
「…は?」


 真面目な顔をしてそう告げるかいとに新一はぽかんとした顔を向けて下さる。
 本当に…この人は全くもって分かって下さっていない。

 普段のあれだけ鋭い推理力はどこに行った…と内心で半ば呆れながらかいとはちゃんと噛み砕く様に言いかけた。


「確かに『キッド』としての俺はさ、こう…キャラみたいのがあるからそうかもしれないけど…『かいと』としての俺は違……」
「……かいと?」


 そう、言いかけてかいとは気付く。
 一体自分は何を言おうとしているのか。


「あー………いや、ごめん。何でもな…」
「かいと。お前、だからさっきから何隠してんだよ」


 さっき漸く上手く誤魔化したというのに、一体自分は何をやっているのか…。
 思わず溜息を吐きそうになって、慌ててかいとはそれを飲み込んだ。


「別に何も隠してないよ。ただ、工藤が可愛いってだけで…」
「かいと」
「……何?」
「お前、隠し事する時見事なまでに“ポーカーフェイス”になるんだな」
「っ…!」


 まるで痛ましい何かを見る様な目で、声で、そう言われて言葉に詰まる。
 常に『ポーカーフェイス』であろうとしてきたのがこの名探偵の前では寧ろ逆効果。
 『かいと』として素顔を晒してしまったなら尚更。


「別にお前がそこまで言いたくねえなら無理に聞く気はねえけどさ…」


 どこか寂しさを滲ませた諦めの混じった声でそんな風に言われて『はいそうですか』なんて言える筈がない。
 筈がない、が……それでも本当の事を言う事なんて余計に出来る訳がない。

 結局どちらを取っても良い選択肢にはならない。

 頭が痛くなるというのはこういう事なのかと、少し前の自分の言動を悔やんでももう遅い。
 今更どうしようもない所までかいとはかいと自身を追い込んでしまった。


「かいと」


 どうしようかと、こういう時に限って働いてくれない頭をフル回転していた時、少し心配の滲む声で新一に名前を呼ばれた。


「…ん?」


 あくまでも平静を装って。
 あくまでも冷静さを滲ませて。

 何でもない様にした返事は、喉から出ていく段階であり得ない程ひっくり返り、それに余計に内心で焦りが募る。
 そんなかいとの心情を察してだろう。
 新一は口元に小さく笑みを掃いた。


「悪い。聞かなくていい事聞いたみたいだな」


 あの時と同じだ、と思う。
 かいとに『何を探しているのか』と聞いた後の新一の顔と、今の新一の顔は酷似していた。

 心配をかけているのだと思う。
 あの時の問いも決してかいとを追い詰めるためではなく……きっと…かいとを助けようとして聞いてくれたのだろうと思う。
 希望的観測過ぎるのかもしれないが、でも…きっとそう遠くはない予想だと思う。

 今もきっとそうだ。
 かいとが何かを隠しているのではないかと、彼は心配してくれている。
 人の事を『ハートフル』だの何だの言って下さる彼が実は一番“ハートフル”なのをかいとは知っている。

 いつだって。
 どこだって。
 真実を見詰め続けて、人の闇を見詰め続けて。

 辛い思いだって、悲しい思いだって、沢山沢山してきている筈なのに、この人はずっと変わらない。


 いつだって――――こうやって痛ましい程に人の心配ばかりしている人。


「…工藤」
「ん?」


 言ってはいけないのは分かっていた。
 それでも……こんなに痛々しい人にこれ以上嘘も言い訳も言える筈など無かった。



「……話したい事がある」



 もうきっと―――何もかもが限界だった。





















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