青い薔薇
その未知のモノに意味を持たせるとしたら
貴方は何と名付けますか?
―― blue rose ――
それは今現在の技術では造る事が困難とされている物。
それを造る過程で出来たのは『紫』(出来損ない)。
その花に籠められた意味は『気まぐれな美しさ』。
だとすればその完成体に付けられる意味は何なのだろう。
「これ…」
何時もの様に彼からの『謎』が届いた。
それに添えられていた『青い薔薇』の花束。
自分の歳に掛けたのだろうがその数は17本。
その中の16本は青く着色された、元は唯の白い薔薇だった。
けれどその中の1本だけは―――。
「アイツらしいと言えばアイツらしいんだが……」
流石の新一もその花に見入ってしまう。
この花を手にしたいと思った人間はどれだけ居るのだろう。
この花を捜し求めて、けれど見る事すら叶わぬままに死んでいった人間すら居る。
それを今自分が手にしている。
その事実に、それ程花に興味がない自分ですら興奮を覚える。
その花を他の16本と一緒に花瓶に生けてしまうのは勿体無い気がして、新一はそれを1本だけ他の一輪挿しに生けた。
真っ白な一輪挿しに生けられた青。
その美しさは正に『天上の花』。
これを求め続けていた人間の気持ちが新一にも少し解った気がした。
けれどそれよりも自分の興味をそそるのは彼からの暗号。
それは求めても尽きる事のない彼から自分へ与えられ続ける『謎』。
それを解く為に、添えられていた封筒から真っ白なカードを取り出した。
出来損ないに付けられたのは
『気まぐれな美しさ』
それならば貴方は
求められ続けた青に何と名付けますか?
暗号から表れたのは二行の言葉。
それは今までの様に『場所』や『時間』が入っていないモノ。
それを不信に思いながらも、こんなモノを送ってくるのは彼しか居ない事も解っている。
ましてやそれに添えられていた花がアレでは信じるしかない。
「何と名付けるか、ねえ…」
出来損ないと呼ばれた『紫』。
それは完成体『青』を造る上で出来た唯の『通過点』。
それでも美しい『紫』の完成体である『青』は確かに美しい。
先程一輪挿しへと生けた『青』を再び手にとって新一はその花びらの青さに誘われる様にそっと口付けた。
「そんなもん一つしか存在しないだろ?」
クスッと笑った横顔は青い薔薇にも負けない程に美しく艶めいた物だった。
高層ビルの一室。
地上の星々を透明な板越しに見下ろしながら、ゆっくりとグラスの中の琥珀色の液体に口をつける。
贈り物は彼の手の中。
今日は目立った事件も新刊の発売もなかったから、彼は自分が彼に出した『謎』を考えてくれている筈。
「気に入って下さればいいですが…」
『本当』の上に重ねた『嘘』。
偽物の中に一本だけしまい込んだ『秘密』。
彼は特別花が好きな訳ではない。
それは今までの逢瀬で理解している。
けれどあの『青』を見付けた瞬間浮かんだのは綺麗な綺麗な『蒼』。
『蒼』には到底叶う事のない物だったけれどそれでも彼にはきっと似合うと思ったから。
だから興味がないと解っていても贈ってしまった。
けれどそのままではつまらないから、謎の好きな彼が少しでも愉しんで愛でてくれる様に、少しだけ小細工をした。
それは嘘に紛れ込ませた『真実』。
「名探偵は何と名付けて下さるのか…」
唯一つの真実に貴方は何と名付けるのですか…?
通い慣れた道。
尤も道と言ってもそれは常として言われる道ではなく、それと照らし合わせて言うなれば自分の通い慣れた道は『上空』であるのだが。
ふわりと目指す場所に降り立って、部屋に電気がついているのを確認する。
少しでも早く逢いたいと急かす心を落ち着けて、ゆっくりとベランダの扉へと手を掛けた。
カチャリと音を立てて扉が開く。
その音にソファーで本を読んでいた彼が、本から顔を上げこちらを見て微笑んだ。
「随分遅かったんだな」
「今日は仕事がありましたから」
「ちげーよ。分かってるくせにわざとらしい事言ってんじゃねえ」
きゅっと綺麗な眉が寄った事に苦笑を浮かべる。
彼の言った意味は分かっていた。
「そんなに待ってたんですか?」
「ばっ…! んな訳ねえだろ!」
慌てて否定してもそれが真実だとばれるだけなのに。
まあ、そんなところが彼の可愛いところなのだが。
「そういう事にしておきましょう」
「そういう事にしなくても、最初からそういう事だ」
「はいはい」
「……ムカツク」
「分かりましたからあんまり拗ねないで下さいよ」
けれど余りに拗ねさせてしまっては今日のこの訪問理由が果たせなくなってしまう。
自分が此処に来た意味が消滅してしまう。
「それで、名探偵。私の出した謎は解いて頂けましたか?」
話しを逸らすにはソレで充分。
餌は彼が一番好きな『謎』。
「解けてるに決まってるだろ」
「でしたら回答をお聞かせ願えますか?」
「…わあったからそんなに焦るなよ」
苦笑を浮かべられ手近にあった椅子を勧められる。
それは何時もと違う行為。
今までキッドは探偵の家で座った事はなかった。
何時も二、三言言葉を交わして帰るだけ。
それだけで充分だった。
それだけで幸せだった。
「どういうおつもりですか?」
「何がだ?」
「私はそんなに長居をするつもりはないのですが?」
座る必要はないと、そんなに時間をかける気はないのだと言うキッドに新一は一つ溜息を吐いた。
「確かに謎は解けた。でも、その内容を語るには時間が掛かる」
「そんなに難しい物を送ったつもりはありませんが?」
「うるせぇ。お前がそのつもりでも俺には難しかったんだよ」
むうっとあからさまに嫌そうな顔をし新一にキッドは意外そうな表情を浮かべた。
「名探偵なら簡単かと思ったんですが」
「お前やっぱムカツク」
とげとげしたオーラを隠そうともせずにこちらを睨み付けてきた新一にキッドは少しだけ悩むと、意を決した様にその椅子へと腰を下ろした。
「よし」
「………ι」
何やら満足したらしい新一の様子に言葉を返す様な自殺行為はせずに、キッドは新一を見詰める事で先を急かす。
蒼に藍が映る。
その奥に、正確には自分の後ろにあった青がそこに映りこむ。
「アレは…」
「ん?」
気付いたと同時に振り向いた先にあったのは彼に贈った『青』。
白に生けられたそれは偽りの青の中にあった時よりもより鮮明に輝いて見えた。
「ああ。アレか」
「ええ。飾って下さってたんですね」
「まあ、そりゃな」
少しだけ色付いた頬。
それがキッドには嬉しかった。
「気に入って下さったようで嬉しいですよ」
「別に気に入った訳じゃ…」
「名探偵が気に入ったモノ以外を部屋に飾るのを拝見した事はありませんが?」
「………やっぱりお前ムカツク」
探偵の癖にこの手の事になると真実から目を背けようとする彼が可愛い。
何時だって前を見て、真実を見詰め続ける蒼。
けれどそれが内に向けられる事は実は多くない。
「おやおや。私は事実を述べたまでですが?」
「それがムカツクんだよ」
「そうですか?」
「……ったく、勝手に人の事見透かすんじゃねえよ」
そっぽを向いて不貞腐れる彼が愛しい。
この表情を見たくて、ついついからかってしまう。
「だからお前は嫌いなんだよ」
けれど続け様に言われた言葉にそんな甘い考えも吹き飛んだ。
彼は今何と言った?
彼は今自分の事を何と言った?
「勝手に人の事見透かして、勝手に人の心を決め付けて、だから――」
――だからお前は嫌いなんだ。
「――っ!」
一瞬呼吸が止まった気がした。
胸が締め付けられて息が出来ない。
目の前が真っ暗になる。
――嫌い。
――きらい。
――キライ…。
言われた一言が頭の中で反芻される。
嫌い…きらい……キラ…イ………。
「キッド?」
流石にキッドの様子がおかしい事に気付いたのだろう。
心配そうに新一がキッドの顔を覗き込んできた頃には、キッドの表情からはポーカーフェイスが剥がれ落ちていた。
「どうしたんだ?」
「別に何でもありませんよ」
「でも…」
「何でもありません」
心配そうにこちらを見詰めてくる彼を思いやる余裕がキッドにある筈も無く、最後はやや乱暴な言い方になる。
その言葉に揺れた蒼。
キッドにはそれに気付く余裕すら最早無かった。
「やはりお邪魔し過ぎるものではありませんね」
ここから逃げたかった。
これ以上居たらどうなるのか解らなかった。
だから選んだのは一番卑怯な逃げ道。
「きっ…」
「そろそろお暇しますよ」
「待てよ。まだ話は済んでない」
「別にそれでも私は結構。貴方から答えを聞く気など端からありませんでしたし」
自分でも馬鹿だと思った。
聞きたくないなら贈らない。
必要ないならここには来ない。
それでも、それでも今はここから逃げ出さなければきっと自分は壊れてしまうから。
「それではまた現場でお会いしましょう、名探偵」
だから消える。
白を纏い、魔術師は舞台から降りる。
「キッド!」
新一がその名を呼んだ時、彼の姿はもう何処にも存在しなかった。
『blue rose』
それは英語ではよく『不可能、ありえないもの』の代名詞として使われる。
だからこそ、それを贈った。
だからこそ、贈るならそれがいいと思った。
だって―――彼への想いを伝えるには正にその花が相応しいような気がしたから。
「………はぁ…」
逃げて、そのまま帰る気にはどうしてもなれなくて。
辿り着いたのは――思い出のビルの屋上。
一人天を見上げ溜息を吐く。
こうしているとあの日、あの時彼に会った事を思い出す。
嘗て彼と初めて出会った地。
そこで彼の事を、そして自分の事を思う。
初めて逢った時、『運命』だと思った。
自分と同じ彩を持つ人間を初めて見つけた。
それでもその人はまるで正反対の存在だった。
だから惹かれた。
だから焦がれた。
あの光に手を伸ばしたいと思った。
「俺何やってんだろ…」
星の見えない都会の曇り空の中で唯一輝く自分の守護星に呟く。
勝手に彼にカードを、謎を贈って。
勝手に答えを聞きに行って。
そして…そして勝手に帰ってきてしまった。
きっと彼は混乱しただろう。俺の行動に。
きっと彼は戸惑っただろう。私の行動に。
「はぁ……」
もう一度深く溜息を吐く。
快斗としてもキッドとしても、失格だ。
きっとこの空の上から見ているであろう先代にも呆れられている筈。
「ほんと、何やってんだろ…」
消える事の無い後悔と。
終わる事の無い反省と。
その日の夜はやけに長かった気がした。
「め、い…たんてい…?」
再会の日は、本当にある日突然やって来た。
あの日から約二ヶ月後の犯行後の逃走経路。
夜のビルの屋上でキッドを待っていた人物は見間違う事などある筈もない名探偵だった。
この二ヶ月の間にキッドの犯行は5回あった。
けれどそのどれにも探偵は来なかった。
だからもう、きっと――彼にはもう二度と逢えないのだろうと思っていた。
なのに何故今此処に彼が居るのだろう。
「何、鳩が豆鉄砲食らったような顔してんだよ」
「どうして…此処に?」
何時もの嫌味な言葉と笑顔を向けられても、何時ものポーカーフェイスを作る事など出来なかった。
嫌われたと思っていた。
愛想を尽かされたと思っていた。
そうされて当然な事を自分はしたのだから。
でも、何故彼は今日此処に居るのだろう。
「お前にあの時の答えを言いに来たんだよ」
「答え…?」
「ああ。それとも自分で俺に送りつけたモノすら忘れたか?」
「いえ…」
忘れる筈が無い。
彼を思って作ったモノだ。
忘れられる筈が無い。
「ですが、貴方がこうして私に再び会って下さるとは思っていなかったもので…」
「気持ち悪いんだよ」
「え…?」
「解けた謎を、そのまま答えが合ってるのか解んないままにしとくのは気持ち悪いんだ」
何とも名探偵らしい言葉だと思う。
その為ならあんな失態を晒した自分にすら逢いに来てくれるのかと。
「だからさっさと答え合わせをさせろ」
カツ、カツっと足音をさせて一歩一歩距離を縮めてくる新一を怪盗は手で制した。
「其処に居て下さい」
「どうしてだ?」
「……お願いですから其処に居て下さい」
これ以上無様な失態は重ねられない。
この二ヶ月間ずっと彼を思っていた。
忘れ様と思っても忘れられず、考えない様にしようと思っても、彼の事を考えていない時など一時もなかった。
きっと今彼に近付けば、自分は彼を――。
「……わかった」
言った通りに足を止めてくれた彼にほっとキッドは胸を撫で下ろす。
これ以上――彼に軽蔑されるような事はしたくなかった。
「なあ、キッド…」
「何ですか?」
歩みを止め、キッドをじっと見詰め新一は言葉を紡ぐ。
「お前アレ…」
「………」
言い辛そうに、言葉を切った新一をキッドは見詰める事しか出来ない。
彼は気付いているのだろうか。
本当の意味に。
「俺の……俺の為に造ってくれたんだろ?」
間違っていたらどうしようかと。
本当はそうではなかったらどうしようかと。
そう思ったからこそ新一は言い淀んだ。
もし間違っていたら何て恥ずかしいのだろうと思うと、新一はまともにキッドの顔を見ている事が出来ずに俯いてしまった。
「…貴方が自分でそう気付いて下さるとは思いませんでしたよ」
そんな新一を見て、キッドは微笑む。
漸く自分の気持ちを分かってもらえた事が嬉しくて。
その気持ちを抑える事など出来ずに、キッドは一歩、また一歩と新一に近付くと思いっきり新一を抱き締めた。
「合って…るのか?」
「名探偵は自分の出した答えが間違っていると思うんですか?」
迷宮無しの名探偵なのに?
そう意地悪く訪ねるキッドに新一は顔を上げるとむっとした顔でキッドを睨んだ。
「やっぱりお前…ムカツク」
いつもの様にそう言った新一にキッドは優しく微笑む。
「いつもの貴方で安心しました」
嫌われたと思っていたから。
もう見放されたと思っていたから。
だからこそ――そう言ってくれた彼のいつもの言葉が嬉しかった。
「でも……」
そんな風にキッドが少し幸せを噛み締めていた時、新一が再び口を開いた。
「でも?」
「………」
「でも、何なんですか?」
言い掛けた癖に、また口を噤んで俯いてしまった新一をキッドは不思議そうに見詰める。
こんな風に彼が言い淀む事は少ないから。
「でも――」
そのキッドの言葉と視線に観念したのか、新一は意を決した様にキッドを見上げ…告げた。
「――――俺、そんなお前の事嫌いじゃねえから」
顔を真っ赤にして、それだけ告げると新一はキッドの胸に顔を埋めてしまった。
残されたのは呆然とした怪盗。
「め、名探偵……」
「何だよ」
「それは私の都合の良い様に解釈してしまって構わないのですか?」
嫌いではないと彼は言った。
しかも真っ赤な顔をして。
だとすれば―――。
「知るか」
「知るかって…名探偵……」
「だってお前…」
横に垂らされていた腕が背に回される。
それにはとりあえず保っていた怪盗のポーカーフェイスも剥がされてしまった。
「こないだ俺が『嫌い』って言ったの気にして逃げたんだろ?」
全てばれてしまっていた事にキッドは苦笑するしかない。
そして、それを気遣っての彼の発言と、背に回された腕に彼の優しさを感じた。
「気付かれてしまっていたんですね」
「当たり前だ」
「そうですね。貴方は私の唯一の名探偵ですから」
その優しさに答えるようにキッドも新一を抱く腕に力を籠めた。
触れた箇所から伝わってくる温もりに心地良さを覚える。
「だったら、さっさと答え合わせさせろよ」
照れ隠しなのだとキッドには分かっていた。
それでも、それに乗る事にしたのはきっと――彼との関係をより深くしてしまいたかったから。
誰かに彼を奪われる前に。
「ええ。そうですね。
名探偵―――答えは?」
キッドは新一を抱き留めていた腕の力を緩め、新一を腕の中から解放した。
解放された新一は顔を上げ、じっとキッドを見詰めるといつもの様に不敵な笑みで答えを告げた。
「お前が付けたかったのは――」
「―――『永遠の愛』だろ?」
遅くなりましたが3周年記念ですv
本当にこんなに長く続けてこられると思っていませんでした。
これも更新のペースが激しく不規則なうちのサイトに来て下さっている皆さんのお陰です。
これからも更新ペースはきっと相変わらずだと思いますが、温かい目で見守ってやって下さい。
こんな品ですが、いつも通りhit記念扱いでフリーとなっております。
宜しければお持ち帰り下さいませ♪
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