蒼く蒼く咲き誇る大輪の華
 黒く黒く舞い落ちる漆黒の羽

 その色は彼を
 その彩は彼を

 そう、全ては
 彼のモノ…










 蒼い証と黒い羽










「………」
「ねえ、新一君…。無言で凝視するのは止めてくれないかな…;」
「お前が悪い」
「………;」


 非常にご立腹で満足に言葉を交わす気もないらしい。
 目の前のお姫様は。

 その事に非常に不本意ながら快斗は溜息を吐いた。

 いや、まあ本人的にも理由が分かってしまっているからなのだけれど…。


「ねえ、新一…あの、さ……」
「ソレと、コレ、取るまでお前とまともに話しする気なんかないからな」
「あぅ…;」


 あー…もう。
 ちょっと口きいてくれたから期待したのに…。
 結局それかよ;

 がっくりと項垂れた快斗を新一はただじーっと見詰め続ける。
 いつもならそんな風に熱い視線(…)を向けられれば「新一ってば、そんなに俺のこと好きなの〜?♪」なんて茶化してみたりもするのだが…。


「新一」
「………」
「新一君」
「………」
「しーんちゃんv」
「……………」

「……お、俺コーヒー淹れてくるね〜;」


 最後だけ、最後だけ余計に視線が痛い。
 余りにも痛すぎるその視線から逃げる様に快斗はキッチンへとスリッパをパタパタいわせて駆け込んだ。


(あーぅー…。何で其処まで嫌がるのかなぁ…もぅ…)


 原因は確かに俺だ。
 そりゃもう十二分に俺が悪い、らしい。
 彼的には。

 今まで実行に移さなかっただけで、発想自体はずっとずっと前からあった。

 彼が自分から離れていかないように。
 彼が自分から離れられないように。

 消えない傷を作ってしまいたいと思った。
 けれど、ソレを流石に入れる訳にはいかないのは快斗とて分かっているから。
 あくまでも代用品なのだけれど―――。


(そりゃね、寝てた間に勝手に付けたのはちょっとオイタが過ぎたとは思うけど……)


 ずっとずっと、付けたいと思っていて。
 そりゃもうずーっと我慢に我慢を重ねて机の引き出しの奥の奥にしまい込んでおいたのだ。

 新一に見つからない様に。
 彼に自分がそれを付けてしまわない様に。


 けれど一昨日、彼が現場で…そりゃもう嬉そーに白馬とお話しているのを見かけてしまって。
 その後に、何でもこっちで用事があったらしい某黒い奴まで乱入していて。

 そりゃもう楽しそうに、楽しそうに話していたのだ。
 『探偵』三人で。


 その瞬間、快斗はどう足掻いてもその輪に入る事の出来ない、何とも言い様のない疎外感に駆られた。


 自分は『怪盗』で。
 自分は『犯罪者』で。

 結局―――彼とは、『名探偵』とは相容れない存在なのだと改めて突きつけられた気がして。


 どうしようもなく寂しくて。
 どうしようもなく切なくて。

 自分の運命を呪わなかったと言えば嘘になる程に、自分が『怪盗』で在る事に絶望した。



 『怪盗』でなければ『名探偵』に出逢えなかった。
 『怪盗キッド』でなければ『江戸川コナン』とは出逢えなかった。



 それは分かっている。

 分かっている。
 自分達に必要だったのは『好敵手』というポジションだったのだと。


 でも、もしも…もしも、だ。
 有り得ない可能性をもしも考えるなら、もし自分が白馬の様な、あの西の黒い探偵の様な立場だったらどうだったのだろう。


 『探偵』として彼と同じ目線でモノを見て。
 『探偵』として彼と同じモノを追って。

 あの輪の中に居たのは自分かもしれない。



 そう思った瞬間に――――快斗は自分の運命を呪った。今までずっと目を瞑り続けてきた現実を。



 選び取ったのは自分だ。
 父の後を継ぐと決めたのも。
 だからそれを他の要因のせいにしてはいけないのも分かっている。

 それでも、それでもだ。
 ある意味運命と言える環境によって、自分がそれを選び取ったのだとも思えて。
 その事に絶望した。

 実感して。
 気が狂いそうな程背筋を嫌なモノが這って来る感覚に捕らわれて。

 現場から帰って来た新一を貪る様に抱いた。
 本当に。
 きっと一番酷く。

 縋っても、泣いても、離してやる事なんて出来なかった。
 どれだけ「もう嫌だ」と言われても離してやる事すら出来なかった。

 でも、新一が怒っているのはソレに対してではない。
 その後が問題だったらしい…。


 疲れて、というかもうぐったりとして眠っていた新一の顔が月明かりに照らされて妙に青白くて。
 異常なまでに白いその肌にアレはきっと異常なぐらい似合うだろうと容易に想像が出来てしまって。

 ついつい、独占欲もあって付けてしまった訳なのだが…。


(だからって…だからって……;)


 昨日は当然の様に(…)動けなくて、ベッドの住人と化していた新一も快斗に何かあったのだろうと納得(…)してくれたらしく、特に文句を言う訳でもなく。
 甲斐甲斐しく世話を焼いて申し訳なさそうにしていた快斗をよしよしと撫でてくれるぐらい、素直で可愛かったのだが…。


『快斗、コレは何だ?』


 今朝、シャワーを浴びてきた新一がそりゃもう極悪に、きょーあくに可愛い笑顔で尋ねてきた時、快斗はその笑顔にそりゃもう、めろめろにやられるのと同時に、違う意味でもやられると悟った。
 そう、殺られる…と;


『あ、あの…それは…』
『こんなの俺は起きてる間に付けられた記憶はねえし…きっと、一昨日あの後だよな?』
『あ、え、えっと…』
『お前のも見せろ!』
『え、えぇ!?』
『………やっぱ、お前も、か…』
『あ、う…ぅん……』
『……覚悟、出来てるな?』
『はい…;』


 そりゃもう壮絶に可愛い笑顔の新一に喰らわされた(…)黄金の右足は今日も切れ味抜群(…)で。
 快斗といえど、避ける事はおろか勢いを殺す事すら出来ずに、見事なまでに左脇腹に今いい感じ(……;)に痣が残っている。
 ついでに鈍痛も。


(だって…だって……うぅ……;)


 新一が今朝発見したのは自分の鎖骨の下にあるタトゥー。
 と言っても、本当にではない。
 あくまでもシール。お遊びだ。

 そして、快斗の鎖骨の下にあったのも。
 あくまでもお遊び。


 新一の鎖骨の下には黒い羽モチーフ。
 快斗の鎖骨の下には蒼い薔薇のモチーフ。


 幾ら、恋愛方面センスゼロ、その手の事に関してはにぶにぶ、の新一と言えど、分かる。
 快斗が何を言いたかったか、なんて…。


(ふぅ…;)


 どうやら完璧に怒らせてしまったお姫様のお怒りを解くにはそれを剥がして、謝り倒して、暗号の一つでも提供して、美味しい料理とレモンパイでも作って―――。

 そう、容易なのだ。
 本当は。
 本当に、彼に許してもらいたいと思えば。

 今すぐにアレを取ればいい。
 今すぐにコレを取ればいい。


 けれど、一昨日からずっと燻って消えないこのみっともない程どす黒く心を侵食する独占欲がそれをさせてはくれなかった。


 オレハカレノモノ
 カレハ…オレノモノ…


 燻り続ける想いも。
 禍々しい程のこの気持ちも。

 どうしようもなく、快斗を苛み続ける。
 きっとずっと―――彼と居る限り永遠に。


 いっそ殺してやりたいとすら思う。
 そうすれば彼は自分だけのモノだ。


 そこまで考えて、快斗はその考えを振り払うかの様に頭を緩く横に振った。


「何考えてんだか…」
「……何考えてたんだよ」

「!? し、新一…何時の間に…?」


 ふと呟いた独り言に思わぬ返事が返って来て、快斗がその声の方を慌てて振り向けば、そこには新一の姿があった。
 わたわたと慌てる快斗に対し、新一は非常に冷静な面持ちで嫌味の様に溜息を一つ吐き出してくれた。


「…お前、さ…。怪盗やってんならこのぐらい気付けよ。
 何時もなら気付くだろうが。そんなに、俺の気配に気付けない程深刻な悩み事か?」
「…どーせ俺は、中途半端な怪盗だよ」
「快、…」


 いつもと同じだったのに。
 いつもそんな風にお互いに軽口を言ってからかっていただけなのに。
 寧ろ、新一がそんな風に言うのは快斗を叱咤激励する為だと知っているのに。

 気付けば、溜め込んだどす黒い感情を快斗は吐き出してしまっていた。


「怪盗にもなりきれない、所詮ただのこそ泥に過ぎないよ。俺なんて…」
「お前、どうしたんだよ。何でいきなりそんな…」
「いきなりじゃない。ずっと思ってた…。俺、自分が『怪盗』なんかじゃ無ければ良かったってずっと…」
「快斗…」

「もう嫌なんだ。『怪盗キッド』として俺を見る全てが嫌なんだ」


 疲れきった顔で快斗は笑う。

 自嘲気味に。
 壊れそうに。


「ねえ、新一。新一はさ…『探偵』じゃない自分なんて想像できる?」
「………」
「出来る訳ないよね? 新一は『探偵』である自分を望んでるんだから。
 でも俺は…俺はね、『怪盗』じゃない俺をどれだけ想像したか分からないよ。どれだけ…別の人生を想像したか分からない」
「……、お前ずっと……」
「そう、ずっとだ。ずっと考えてた。
 『探偵』として生きている新一を見て、ずっとずっと考えてた。
 俺が『怪盗』で無かったなら…もっと……もっと違う形になってたんじゃないかって……」
「それは、俺に……出逢いたくなかった、って事か?」


 新一の問いにクスッと快斗は笑う。
 顔色を無くした新一に向けて。
 優しく笑う。


「違うよ。その逆だ」
「逆…?」
「そう、逆。新一にもっと『普通に』出逢いたかった」
「…普通に?」
「そう、普通に。『探偵』と『怪盗』なんかじゃなくて、『友達』でもいい。『唯のクラスメイト』だっていい。
 一番理想は…やっぱり白馬とかあの西の黒いのみたいに『探偵』として出逢えたら……なんて、思ったりもするんだ」
「お前、と…『探偵』と、して……?」
「そう。『探偵仲間』なんて楽しそうだろ?」
「………」


 クスクスと楽しそうに快斗は笑う。
 そんな快斗に新一は掛ける言葉を見つけられないでいた。

 彼の―――瞳が笑っていないのに気付いたから。


「やっぱりさ、駄目なんだよ」
「駄目って…」
「俺はどこまでいったって『犯罪者』だ。
 どれだけ人を殺さない、傷付けないって言ったって、犯罪者なのに代わりは無い。
 『探偵』として生きている、この先も生きていく新一とは…やっぱり違うんだよ」
「そんなのっ…!」
「そうだね。新一はこんな俺でも『赦して』『受け入れて』くれたね」
「……っ…」
「ねえ、新一。やっぱり駄目なんだよ。俺達は、さ…。
 違うんだ。何もかも、が。
 境遇も、思考も、立場も、これから先も……どこにも交わる場所なんて無い。俺達のあるべき場所は本当は対極なんだよ」


 快斗は笑う。
 新一に向かって。

 何処か遠い目をして。
 仮面を付けただけの笑顔で。

 笑う。
 唯、笑う。



「だったら、お前は俺の事捨てるのか…?」



 新一の言葉で、快斗の張り付いたままになっていた仮面だけの笑顔に罅が入る。
 顔を出したのは少しだけ寂しげな笑顔。


「俺が新一の事、今更手放せるなんて本気で思ってるの?」
「じゃあ…」
「俺はどうしたいのか、って?」
「っ……」


 新一の言いたい事など快斗には全てお見通しだった。
 咄嗟に唇を噛んだ新一の頬に快斗はそっと触れる。


「どうしたいんだろうね。俺は」
「…快斗?」
「俺も分かんないよ。どうしたいのか、なんてさ…」
「………」
「唯言えるのは、新一を俺のモノにしてしまいたいって事だけかな」
「お前の、モノ…?」
「そう。俺だけのモノ」


 その手をそっと滑らせて、快斗は新一の細く白い首に触れる。


「今、此処で新一の首を絞めてしまいたいのかもしれない。そうしたら新一は俺のモノ…」
「………」
「でもね、それも違う気がするんだ。新一が死んだら意味がない。例え新一がそれで俺のモノになるとしても、ね…。
 でも……俺は新一が生きている限り不安になり続けるんだ。新一が……いつか俺以外の人間のモノになってしまうんじゃないかって…」


 そう言って、快斗はゆっくりとその手を退けた。
 行き場を失った手は、そっと新一の頭に辿り着き、その頭を優しく撫でた。


「ごめんね。訳分かんない事言って。ソレ、落とすからお湯沸くまでちょっと待ってて?」


 そう言って快斗は新一から視線を逸らすと、背を向けた。

 この話はオシマイ。
 そう言う代わりに。


「ちょっと待てよ! まだ話しは終わってな…」
「終わりだよ。この手の話に終着点なんてない」


 好きな人を独占したい。
 そう思っても出来ない事は分かっている。

 殺したい程好き。
 そう思っても出来ない事は分かっている。

 結局結論なんて無い。
 ただ毎日、好きな人と居れる幸せと、好きな人が居なくなる恐怖を上手く相殺させて生きていくしかない。
 それ以上、どうする事も出来ない。


「…それでお前はいいのかよ!」
「だってしょうがないだろ? どうしようもないんだから」
「っ…! じゃあ、勝手にしろ!!」


 酷く冷静に言葉を紡いだ快斗に頭にきたのか。
 新一はそう叫ぶとさっさとキッチンを出て行ってしまった。

 普段余り酷く足音を立てる事のない新一の足音が異常なまでに響いていたから相当怒っているのだろう。
 足音の距離と場所から察するに彼が向かったのは書斎。

 ああ、きっと篭城する気か…。

 冷静に考えいてる自分に気付いて快斗は苦笑した。


「ほんと…俺はどうしたいんだろうね? 新一…」






























『一体何の用? 態々非常用の回線を使って連絡を取ってくるなんてよっぽどの事でもあっ…』
「……宮野、悪い。今からそっち行くから」


 新一は相手の言葉を最後まで聞かず、一方的にそう告げた。
 向こうで志保が息を飲んだのが分かる。
 そのぐらい、自分の声が荒れているのには新一も気付いていたがそれでもそれを押し留める事は今出来なかった。


『ねえ、一体何があったの?』
「行ってから説明する」


 今は何も説明する気になどなれなかった。
 だから、とにかく用件だけでこの連絡を終わりにしたかった。

 それは志保にも伝わったらしい。
 溜息を吐きながらも、新一の言葉に同意してくれた。


『分かったわ。何か準備しておくモノはある?』
「一つだけ…頼みたいモノ……いや、頼みたい事がある」
『何かしら?』


「最高の彫師、探しといてくれ」






























「……新一! 新一ってば!!」


 かれこれもう数時間。
 何度呼んでみても彼から返事はない。
 ドアを叩いてみても、珈琲やレモンパイの香りで釣ろうとしてみても(…)結果は同じ、だった。


「…ねえ、新一。怒らせたのは悪いと思ってる。勝手にそんなモノ付けてごめんね?
 今すぐ取るから此処空けて? ね? このまま此処に居たってどうしようもないでしょ?」


 何を言っても無駄らしい。
 その事にはぁっ…と快斗は重い溜息を吐いて、書斎のドアに背を凭れかけ、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。


「ねー、新一。お願いだから返事ぐらいして?」


 どれだけ頼んでも返事は無い。
 それぐらい怒らせてしまったらしい。


「新一、お願い。一回でいいから返事してよ…」


 沈黙を続ける扉の向こうの人物に対してどれだけ言っても返事が返ってくる事はない。

 こんな事は初めて。
 ここまで言ったら一応ノックとか、物音とか、そういった類の『返事』はくれるのだ。
 いつも、は。

 それもない事に不安を覚えて。
 きっと新一はもっともっと怒ってしまうのだろうけど、それでも不意に、彼が此処に居ないのではないかという不安を覚えて。

 快斗は決心すると書斎の鍵を開けに掛かった。

 この家の持ち主の威信を守るため(…?)に今まで手を付けなかった部分ではあるのだが、何分家の中だ。
 だからそこまで大した鍵でもなく、快斗の手によって直ぐにその鍵は「カチャッ」という小さな音を立てて開いた。


「新、一…?」


 電気の付けられていない暗い部屋の中で彼の気配を探す。
 夜目が利く快斗にとっては大した問題でもない部屋の暗さの中に新一の姿が見えない。

 どこにいる?

 机の下も。
 本棚脇も。

 隠れる場所が決して多いとは言えない書斎の何処を探しても彼の姿も彼の気配も感じることが出来ない。


「新一! 新一!!」


 どれだけ叫んでも、彼の姿は其処には無かった。


「ど、して…?」


 部屋にはドアは一つしかない。
 鍵がずっと掛かっていて――音的に開いた音はしなかったから――幾ら快斗が何度か其処を離れたといっても抜け出すのは難しい筈だ。

 なのにどうして彼の気配がしないのだろう?
 なのにどうして彼の姿が見当たらないのだろう?


「新一!! 新一!! お願いだから返事して!!」


 どれだけ呼んでも。
 どれだけ頼んでも。

 彼の姿が現れる事はない。


「新い…」
「彼なら、出かけたわよ」

「!?」


 不意に後ろから掛けられた声に驚いて振り向けば、書斎の入り口に見慣れたお隣の科学者の姿があった。
 慌てて駆け寄った快斗を志保は酷く冷静な目で見詰めた。


「し、志保ちゃん…何で…」
「工藤君に頼まれたの。当分帰らないから、それを貴方に伝えて欲しいって」
「ちょ、ちょっと待って! 当分帰らないって何?!」
「…今は…帰りたく無いそうよ」
「っ……!」


 志保の肩を思いっきり揺すって、怒鳴る快斗に志保は冷静にそう告げた。
 託された伝言を、そのままきちんと。


「…そんなに、俺の事怒ってた…?」
「ええ。凄く、ね」
「………」
「初めてよ。あんなに…貴方に対して怒っている彼を見たのは」
「……そっか……」


 志保から手を離し、項垂れる快斗に志保は新一に聞けなかった事を尋ねてみた。


「何をしたの?」
「…新一を…」
「工藤君を…?」
「……ごめん。何でもない…」


 言いかけて、それでもそれ以上志保に告げるのは躊躇われて。
 快斗は謝る事で口を噤んだ。


「…まあ、いいわ。私はそれを伝えに来ただけだから。それじゃ…」
「待って! あの、さ…」
「何かしら?」
「いつ頃帰って来るのかな…、新一…」
「分からないわ。唯、救いは『帰ってくる』とは言ってたことぐらいかしらね」
「………」


 冷酷にほんの僅かな希望だけを残して志保は快斗に背を向ける。
 廊下を歩いて帰っていく志保の背中をじっと見詰めて、見えなくなるまで見詰め続けて、快斗はその場にずるずると蹲る様にしてしゃがみこんだ。


「……怒ってた、か………」


 それはそうだろう、とは思う。

 勝手にあんなモノを付けて。
 勝手に彼を自分のモノに出来た様な錯覚に酔って。

 怒らない筈がないとは思う。
 特に、あんな訳の分からない話をした後は。


「もう、嫌われたかな…」


 ぼおっと長い廊下を見詰め、一人呟く。

 きっと嫌われた。
 こんな自分は彼にはふさわしくない。

 『犯罪者』で『怪盗』で『独占欲の塊』で。

 何処もいい所なんて無い。
 そんなの最初から分かっていた。

 それでも、それでも彼が欲しくて。
 それでも、それでも彼の傍に居たくて。

 分かりきった未来を想像しながらも思わず彼に手を伸ばしてしまっていた。
 いつか来る終わりなんてそれこそ始まる前から分かりきっていたのに。



「ごめんね…。新一……」



 響いた声は嫌でも白々しく長い廊下に小さく響いた。


















































「…ただいま」


 そう言って自分の家のドアを開けた。
 たった数日出かけていただけなのに、何だか酷く懐かしく感じる。


「快斗? いねえのか?」


 いつもなら、新一が扉を開けば番犬よろしくぱたぱたと見えない尻尾を振って出てくる快斗の姿は無い。
 その事を不審に思い、新一は靴を脱ぐと慌てて家に入った。










「快斗? おーい。いねえのかー?」


 パタパタとスリッパの音を立てながら廊下を歩く。
 リビングにもキッチンにも居なかった。
 いつもなら、彼の気配を手繰る事も出来るのに今日はソレも出来ない。


「出かけてんのかな…」


 買い物かお隣か。
 それなら不思議は無い。

 けれど、何だかいつもとは違って。
 何だか変な不安を抱いて。

 新一は快斗の部屋の扉をノックした。


「快斗? いねえの?」


 返事は無い。
 とりあえず、と思って新一は快斗の部屋のドアを開いた――。



「―――どういう事だよ、コレ……」



 其処には何も、存在していなかった。
 いや、正確に言えばベッドと机と本棚は存在していた。
 けれどそれは最初から其処に在った物で、快斗が持ち込んだモノではない。

 そう、正確に言えば―――。
 快斗の持ち込んだモノが全て消えてしまっていた。

 写真一枚残す事無く全て。
 全て綺麗に消えていた。跡形も無く。


「……っ、…」


 ソレが何を意味するかなんて新一には分かりきっていた。
 ―――出て行ったのだ、彼は。自分が居ない間に。


「あの馬鹿っ…!」


 帰って来ると態々宮野に伝言して貰ったのに。
 それなのに…。


「……もう、要らねえって事かよ……」


 頬を伝う涙の代わりに、鎖骨の下がざわりと熱を持った。
 咄嗟にシャツの襟元を押さえつける。


「………んな事、言わせねえからな…」


 ばたばたと階段を駆け下りて。
 靴を履くのももどかしくて、踵を半分潰した様な状態のまま扉に手を掛け開けたその時…、



「うわっ!?」



 新一の開けた扉の勢いで、どうやら扉の向こうに居たらしい人影が尻餅をついた。



「快、斗……?」
「新、一…。良かった…帰って来てくれたんだ…」



 尻餅をついた状態で、新一を見上げながら泣き出しそうな顔をしてそう言った快斗の言葉が何だか新一には酷く重く響いた。





























「とりあえず、珈琲飲む?」
「ああ…」


 尻餅をついた状態だった快斗に新一は手を貸して助け起こしてやって。
 何だかちょっと気まずい沈黙のままリビングのソファーに座った所でそう声を掛けられた。

 いつもと変わらないその言葉に安堵を覚え、キッチンに向かった快斗の背中を見送った新一だったけれど、頭の中は未だ混乱していた。


(アイツ…出てったんじゃなかったのか……?)


 何も無かった。
 彼の部屋には。

 だから出て行ったのだと思った。
 けれど、彼はごくごく自然に家に入ってきた。
 それはきっとここで新一が居ない数日間も生活していたという事。

 一体何がどうなっているのかさっぱり分からない。
 混乱が混乱を呼び、まともな推理というか、推測すらされてくれない。

 感情的な性質は時に推理を妨げる。
 かつて彼に言った言葉そのままの状態に正に今自分が陥っている様な気がした。


「どーぞ♪」
「あ、さんきゅー」


 少しだけ思考の海に沈んでいた新一の意識は快斗に差し出された珈琲入りのマグカップによって此方側に帰って来た。
 お礼を言って受け取って、マグカップをそっと両手で包んで。
 ふーっと息を吹きかけてそっと口をつけると、温かい黒いその液体は心まで温めてくれる気がした。

 そんな風にゆっくりと珈琲を飲んでいれば、何故か酷く柔らかい笑みを浮かべて快斗が新一の方を見詰めているのに気付いた。


「何だよ」
「いや、可愛いなって思ってv」
「…可愛くない」
「ううん。すっごく可愛いvv」
「………」


 相変わらずだ。
 本当に相変わらずだ。
 というか……馬鹿だ(爆)


「あ、新一! 今絶対俺のこと心の中で馬鹿にしたでしょ!」
「ああ」
「って、そこで肯定しないの!!」


 盛大に眉を寄せ、むうっという表情をした快斗に新一はにこやかにそう告げれば今度は盛大に拗ねた声が返ってきた。


「しょうがねえだろ、お前馬鹿なんだから」
「あーもう! 馬鹿って言わないの! 俺は新一が大好きなだ…」
「で、お前は大好きな俺を置いて此処から出て行く気だった訳か…」
「……え?」


 漸く、本題を切り出した新一に快斗は目を丸くして驚いてみせる。
 それが余計に新一を苛立たせた。


「しらばっくれる気かよ…」
「ちょ、ちょっと待って? それどういう意味…」
「いい加減にしろよ! 荷物まで運び出して出て行く準備までしてた癖にっ…!」


 言いながら目の前が曇っている事に新一は気付く。
 それを消し去る様にマグカップをテーブルに置いて、開いた手で目を擦ろうと手を目元にあてようとした所で、それを遮る様にその手を快斗が掴んだ。


「泣かないで。新一」
「泣いてなんか…」


 泣いてなんかいない。
 そう言おうとした所で頬に伝っていく雫に気付いた。

 漸く、自分が泣いていたのだと理解した。


「ねえ、新一。新一が何をどう勘違いしてるのか知らないけど…」
「勘違いなんかじゃない…お前は俺の事置いて行こうとした癖に!」
「どうしてそんな事思うの…?」


 じっと新一を痛そうな辛そうな瞳で見詰めてくる快斗を新一はキッと睨み付ける。


「まだ、しらばっくれるのかよ」
「だから、新一…俺は…」
「でも、お前が俺から離れようとしたって、そんな事させねえ…」
「新一?」
「コレ、見てもお前は俺の事置いて行けるのか?」
「えっ…?」


 快斗の手を思いっきり振り払って。
 新一は自分の着ていたワイシャツの襟の少し下を持つと躊躇う事なく左右に思いっきり引っ張った。


「し、新……なっ……!?」


 思いっきり引っ張られたワイシャツは幾つかボタンを飛び散らせ、新一の胸辺りまでを露にした。
 その鎖骨の下辺りに描かれていたのは―――。


「な、なんで…?」
「………」
「まだ落としてなかったの…?」
「………」


 快斗が付けた黒い羽のタトゥーが其処にはまだ残っていた。
 何も言わぬ新一を快斗は呆然と見詰めて、そして確かめる様に恐々とその黒い羽に触れた。


「……!?」
「………」
「新一…コレ……」
「お前は、これでも俺を置いて行くって言うのか…?」
「っ……!」


 快斗が触れたその羽はシールに特有の感触を感じさせていなかった。
 明らかにそれは――。



「お前、何て真似したんだよ! こんなのっ…!」



 それを実感して快斗は新一の肩をぎゅうっとおもいっきり掴み、新一の蒼い瞳を思いっきり睨みつけた。


「何でこんな馬鹿な真似した!!」
「馬鹿で悪かったな」
「っ…あのな、分かってんのか!? こんな、こんな物っ……!」
「しょうがねえだろ。俺がお前のモノだって印、コレしか思いつかなかったんだよ」
「新、一…?」
「お前、言ったよな。俺を…お前のモノにしたいって…」
「言った…けど……」
「殺すのも違うって。俺が生きていないと意味がないって」
「…うん」
「でも、俺が生きている限り、俺が他の人間のモノになるんじゃないかって不安だって」
「うん……」
「……だから、証明してやりたかったんだ。俺は―――お前のモノだって」
「…新一………」


 真っ直ぐに快斗を見詰め、誓う様に言い放ってくれた新一を快斗は唯ぎゅっと抱き締めた。

 どうしようもなく苦しくて。
 どうしようもなく嬉しくて。

 彼に消えない傷を自ら付けさせてしまったのは己の未熟さ故で。
 でもそんなモノ簡単に付けてくれる人じゃないのは分かっているから、それを付けてくれた彼の想いの深さが嬉しくて。

 どうしようもない自己嫌悪と、どうしようもない幸福感で快斗の胸は一杯になった。


「新一……新一……!」
「これでも置いてくのか…?」
「置いていく訳ない…。だって―――新一はもう俺のモノだ」


 快斗が言った醜い独占欲の塊の言葉に新一は満足そうに微笑んだ。








































「ねえ、新一…」
「ん?」


 抱き締めていた腕を離して。
 快斗はじーっと新一の黒い羽を見たり、其処に口付けたり、満足そうに微笑んだり。
 そんな事をして心行くまでその消えない傷を堪能(…)した所で漸く口を開いた。


「何で俺が出て行くなんて思ったの?」
「……お前の部屋、何もなかった」
「………は?」
「だから、お前の部屋に何もなかったって言ってんだろうが!!」


 この期に及んでまだしらばっくれるのか!!と叫んでくれた新一に快斗は恐る恐る尋ねた。


「あの、さ…」
「何だよ」


 あー…もう、ありえないぐらい怖い;
 っていうか、目線だけで人殺せそうだよ、それ;

 泣きそうになりながらも快斗はきちんと確認してみる。


「ホントにそれ俺の部屋?」
「は?」
「俺、普通に荷物部屋に置いてあるんだけど?」
「まだ言うか!」
「いや、あの…」
「だったら一緒に来いよ!」


 おもいっきり引っ張られて、リビングを抜け廊下を抜け、ずんずん階段を上っていく新一に引き摺られる様にしながら快斗は部屋の前に辿り着いた。
 そしておもいっきり新一が開け放ったドアの前に広がっていた光景は…。


「ほら! 何もねえじゃねえか!!」
「………」
「快斗! 何か俺に言う事あるんじゃねえのか?」
「………」
「何とか言えよ!!」


 その光景に何も言えなくなった快斗に新一がそう言って凄めば、ものすごーく言い辛そうに快斗は口を開いた。


「ねえ、新一君…」
「何だよ。言い訳があるなら言ってみやがれ!」
「ひじょーに言い辛いんですが…」
「早く言えって言ってるだろうが!」

「…俺の部屋、隣」

「………えっ…?」
「あのね、もう一回言うよ? 俺の部屋はお隣。右隣」
「………」
「………」


 何とも言えない雰囲気にお互いに無言になって。
 新一はとりあえず右隣の部屋のドアを開いた。


「………」
「…ね?」


 其処に広がっていたのは、見慣れた彼の私物が置かれた部屋。
 その光景に新一は固まった。


「…そんなに慌ててたの? 幾ら部屋数が多いからって、俺の…部屋間違える程…?」
「っ……」
「帰って来たら俺が居なくて、そんなに不安だった…?」
「……そ、そんなんじゃっ…///」


 自分の失態に真っ赤になって俯いた新一をぎゅっと抱き締めて。
 快斗はそっと少し赤くなっている耳元に唇を寄せ囁いた。


「嬉しいよ。新一が…そこまで俺の事想ってくれて」
「違う…俺はただ…」
「違わないだろ? 俺の為にそんな傷まで付けてくれたんだからさ?」
「っ……///」


 真っ赤になって、それでも観念したのか快斗の胸に頭を預けて来た新一に快斗は満足して。
 最後の誓いを囁いた。



「安心して。俺は絶対新一の事置いて行ったりしないよ。だって―――新一は俺だけのモノだからね」




















end.

と言う訳で、四周年記念物で御座います。
正直こんなにサイト長くやるとは思いませんでした(爆)
途中閉鎖しようかどうしようかなんて考えた事もありましたが、来て下さる皆さんに支えられてここまでやってきました。
本当に有難う御座います。これからもどうぞ宜しくお願い致します。


ちなみに…新一さんが逃げ出せた(…)のは書斎に優作さんが作っていたお隣への隠し通路がある為。
快斗君はまだ教えてもらえてません(爆)
これでまた篭城しても逃げ切れる事でしょう(ぁ)


記念物でいつも通りお持ち帰り可能です。
もしお持ち帰り頂けるという素敵な方がいらっしゃいましたらどうぞお持ち帰り下さい。
その際BBSやメールなどでご連絡頂けると管理人がもれなく小躍りします(オイ)



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