雨は嫌い。
総てが予定通りに行かないから。

気分は憂欝。
機嫌も低下。
肌にまとわり付く湿気。
濡れて張りつく衣服。

とにかく・・・何もかもが気に食わない!!



そう思っていたのに・・・



総てはあの日に変わってしまった。

あの日。
あの時。
あの人に出会って言葉を交わした瞬間から・・・






















「くそっ!!」


外はバケツをひっくり返したかのような大雨。
それでも世間の『予定』は変わってくれない。
そしてもちろん時間も止まってはくれない。
刻々と迫り来る予告時間を確認しながら、目当ての建物を眺めて怪盗KIDは苦々しげに言葉を投げ捨てた。
サラリーマンに変装し、スーツ姿で『現場』近くの喫茶店で時間潰し。
窓際の席で眺める世界は、一面雨で白く霞み、そこに・・・チラホラと見える赤いランプ。
KIDが予告状を出した事により、警察もまた、この大雨の中仕事なのだ。


「伯父さん大丈夫なのかな?」


左耳に差し込まれたイヤホンから流れてくる、馴染みの刑事の怒鳴り声。
先日の『捕り者』で腰を痛めたと聞いていたKIDは、申し訳ないのと心配とで、仮の表情をしかめた。


「んっ?」


聞こえてくる声に耳を傾けていた所、不意に視界に入ってきた人物に目が止まる。
傘をさし、たたずんで前方を見据える青年。
顔はよく見えなかったが、雰囲気からして何かを考え、見詰めているようだ。

別に何が変と言うわけでもなく、普通の青年だ。

なのに何故か、KIDは彼が気になって仕方がなかった。
ガラス一枚を隔てて見つめる青年の姿。
時が経つのも忘れて見つめ続け・・・
青年が動き出した事で時計を見れば、既に予告時間10分前になっていた。
いったい何故これほどまでに気に掛かるのかも解らぬまま・・・あわてて現場へと向かうのであった。













予告通りに『仕事』を終えたのに、傘を差して豪雨の中を不機嫌に歩いているKID。
只でさえ雨にイラ付いていたのに、今日の現場には『刺客』が数多く潜んでいたのだ。
刺客が撃ってくる銃弾を避けつつ、警察の方位網を突破する。
いつもの事ではあったが、警察には気付かれぬよう影で狙撃してくる、執拗な彼らの仕事振りには・・・
流石に回避するのには困難をしょうした。
警察の厳しい追跡を振り払い、プロの刺客が降らす銃弾の雨を避け、捲いて逃げ遂せる。
体力を使い果たし、ずぶ濡れになりながらも、安全な地へ逃れてようやく一息を付こうとしたが・・・
目の前に降りしきる雨を見てしまうと、安堵感よりも『脱力感』に襲われてしまった。
深い溜め息と共に、暗いオーラを漂わせながら・・・KIDは家への道を歩くのだ。


「・・・・・・・・・?」


不機嫌な表情のまま道を歩いていると、一本の電柱の前で立ち尽くしている人物が目に入ってきた。


「あいつは・・・」


それは現場近くで見た、何故か目についた青年であった。
職業(?)がら一度見たものはそう簡単には忘れない。
ましてやそれが自分の気を引いた人物であれば尚更だ。



―――パシャッ・・・



注意がその人物に向いていたせいもあるが、KIDは足元の水溜まりに音を立てて填まってしまった。
瞬間振り向き、視線をこちらへと向けた青年。
それは・・・


「工藤・・・新一・・・?」


小さな少年になっていたはずの名探偵。
だが、目の前に居るのは本来の姿の彼である。
確かにここ暫らく『少年』の姿を見ることは無かったが、まさか本来の姿に戻っていたとは・・・思いもよらなかった。


すらりと伸びた長い足。
細く綺麗な指先。
白く、儚げな印象を携える顔。
子供の姿の時と変わらぬ綺麗な蒼い瞳。


過去の新聞などの記事で見た姿より、少し細い感じを受ける『工藤新一』
『少年』の姿からイメージしていた『青年』とは、大分違った雰囲気を携え・・・
今KIDの目の前に彼は居た。


「・・・何か?」


微かに眉をしかめ、新一が問い掛ける。
思わず見入ってしまっていたKIDは、その声で我に返った。


「あ・・・何、してんのかと思って・・・」
「・・・・・・・・・」
「あっ、俺は決して怪しい奴じゃ無いから!!」


思わず聞いてしまった自分に内心駄目出しをしながら、いかにも訝しんでいる新一に向かい、焦って言葉を返す。
そんなKIDの様子を暫く見詰めていた新一であったが、不意に小さく鼻で笑うと・・・
ニヤリと口の端だけを持ち上げた笑みを浮かべた。


「天下の大怪盗は怪しい奴にはならないのか?怪盗KID?」


始め受けた雰囲気とは一変し、KIDの馴染みのある、凛とした雰囲気を漂わせる。
意地悪くクスクス笑う新一に、KIDは『やられた』という顔を一瞬だけ見せ、新一に笑いかけた。


「・・・お人が悪いですね、名探偵」
「お前が解らないとでも思ったか?」
「そうでした。貴男にばれない訳が無いですね」
「気配を消しても、お前の持つ空気と目を見れば・・・バレバレだぜ?」
「ご忠告痛み入ります。まだまだ私も未熟者だと言う事ですね」


KIDは笑って言いながらも、新一の、はっきりそうとは言わぬ『忠告』を頭にたたき込む。
KIDが常に死客に狙われている事を知る新一は、
『俺に簡単にバレルと言う事は、プロである奴らにはもっと簡単にバレルぞ』
と、言葉の奥にそんな意を込めてくれているのだ。


「で、そこに何があるのですか?」


微笑みながら、疑問に思っていた事を口にする。
新一は一瞬『んっ?』という顔をしたが、次の瞬間苦笑いをこぼした。
KIDを振り返った時の新一は、明らかに何処かを見ていたはずなのだ。
確か仕事前に見かけた時も・・・彼は『何か』を見つめていたはずだ。
KID自身を引き付けて止まなかった、雨の中で傘をさして立ち尽くしていた・・・後ろ姿。


「光だよ」


小さな声で呟かれた言葉に、KIDは小首を傾げる。


「暗闇の中、光は輝いて行き先を照らす。凄く綺麗だな〜・・・なんてな」


表情は笑顔を作っていたが、その瞳は笑ってはいない。
暗く、深い悲しみの色を浮かべるその瞳に・・・KIDの胸に痛みが走る。
見た瞬間に受けた『イメージ』は、やはり間違ってはいなかったのだ。
『明かり』とは言わず、『光』と言った彼に・・・KIDには解ってしまった。
彼は・・・


「まだ・・・」
「あっ?」
「まだそんな笑い方をするんですね・・・」
「・・・・・・・・・」


言われた言葉に、新一は表情を引き締め・・・感情の読めぬ顔になってしまった。


「元の姿に戻っても・・・貴男はまだ闇の中なのですね」


闇を照らす光を求める。
闇の中を歩み続けているKIDにだからこそわ解る事がある。
今の新一もKIDと同じ・・・光を求めてあがく者・・・。




















「ちょっ・・・め、名探偵?」


傘で顔を隠し、沈黙し続けていた新一。
雨は相も変わらず激しく降り続けているのに・・・彼はいきなり傘を閉じ、雨の降り注ぐ天を仰いだ。
KIDがあわてて己の傘を差し掛け、新一の顔を見ようとすると、コツンッとその胸元に新一の額が落ちてきた。


「だからお前は嫌いだ・・・」
「えっ?」
「俺に・・・一番遠くて近い奴」
「・・・・・・?」
「・・・俺の心を暴くなよ」
「名探偵・・・」
「これ以上・・・弱くさせるな・・・」
「・・・・・・」


新一の身体が暖かな温もりに包まれる。
KIDの胸元に完全に顔を埋め、どんな表情をしているのかは解らなかったが・・・
握り締められた拳と、微かに震える肩が、KIDに新一の状態を教えてくれた。




「・・・大丈夫。貴男は光に愛されている人。
弱くなるのは一時だけですよ。
闇の方から、貴男から逃げ出していくに決まってる。
今にきっと、貴男自身が闇を照らす光に成るはず。
あがきなさい、闇に染まらぬ様。
戦いなさい、光に戻るために。
そしてその光で・・・・・・」




不意にKIDの言葉が止まる。
不思議に思ったのか、胸元で新一がみじろいだのが解ったが・・・


「これ以上こんな所に居ては風邪を引いてしまう。お送りしますよ、帰りましょう」


グイッと肩を押され、KIDが開いてくれた自分の傘をさして歩みだす。
途中で止められた言葉が気になったが、新一がその赤く成った目をKIDに向けた時には、既にポーカーフェイスをはりつけ、歩みを進め始めた時であった。


「KID?」
「・・・帰りましょう?」


その場を動こうとしない新一に、KIDは再び声をかけ・・・


「ッッ―――!!」


自然とKIDの指先が新一の頬を包み込もうと動いた。
その指先が新一の頬に触れるやいなや、新一の身体が強ばり、ウサギのように赤く染まったままの瞳で、KIDをきつい瞳で射た。


「名探偵・・・?」
「・・・える・・・」
「えっ?」
「一人で帰れる」
「あ・・・ですが送って・・・」
「一人で帰れると言ってるんだっ!!」
「ッッ――!!」


急な変貌に驚き、差し出した指先が『パンッ』と、再び乾いた音を立てて弾かれた。


「いったいどうし・・・」


訳が分からず、問いの言葉を洩らし掛けたKIDが見たものは、唇を噛み締め、哀しげな瞳をする新一の姿であった。


「お前は怪盗。探偵である俺なんかを慰めようとするな。俺の前にその姿で現れるなっ!!」


激しい雨音に負けぬ程の大きな声で叫ぶと、新一はその勢いのまま走り、その場から居なくなってしまった。
唐突な変貌と拒絶。
KIDが呆気に取られたまま、弾かれた手の平を見つめれば・・・
手首にうっすらと血の滲んだ傷跡を見付け、新一が現実に戻った理由に思い立つ。

手首に血の滲む傷。

それは先程、刺客によってつけられた『銃弾の擦った跡』であった。
この小さな傷口から、鼻の効く新一は・・・


「硝煙の匂いか・・・」


嗅ぎ当て、それによってKIDが『怪盗KID』であることを思い出したのであろう。
怪盗と探偵。
それは百も承知だが・・・


「まずいな・・・」


暗い雰囲気を漂わせていた彼を・・・以前の見知った彼のものに戻してやりたいと思ってしまった。

闇に飲まれ、足掻きもがいている彼を・・・愛しいと思ってしまった。

光に帰ろうとする彼を励ましながら・・・己をその光で照らして欲しいと思ってしまった。




――あがきなさい、闇に染まらぬ様。
   戦いなさい、光に戻るために。
   そしてその光で・・・





・・・・・・私の闇を照らし包んでください・・・・・・

















朝。
昨夜の大雨が嘘だったかのように、天は晴れ晴れと、鮮やかな青を見せていた。
KIDは昼の顔で、昼の素顔で外を歩く。
と、昼も夜も関係なく、馴染みである刑事に出会った。


「おはよう、伯父さん。その後腰の調子はどう?」


昨夜無茶をさせた事もあり、KIDは本心から心配して声をかける。
彼が倒れれば悲しむ人が居る。
それを知るうえ、己自身も悲しむと解っているからこそ心配するのだ。


「ああ、おはよう。
腰は・・・ちょっと昨夜無茶をしてしまったようで、今は湿布だらけだよ。
だがまあ・・・彼のほどでは無いから文句は言えんしな・・・」


苦笑いしながらも、豪快に笑う刑事に・・・KIDは軽く眉をひそめて問うた。


「彼・・・?」
「んっ?ああ、昨日君と同じ年の子が来たんだが・・・」
「・・・・・・」


瞬間的に『彼=工藤新一』だと直感した。
KIDは真剣な顔で、刑事の言葉に耳を傾ける。


「一時行方知れずに成っていたのだが、つい最近戻ってきてな。
工藤新一。名前くらい聞いた事はないかね?
その彼に、昨日は助っ人として警備に参加を要請したのだよ。だが彼は・・・」


『ああ、やはり』と頷くKIDに向かい、それから延々十分以上、刑事の話は続けられた。
それによると・・・


行方を眩ましていた間、新一は特殊な病にかかっていたと言う事になっているらしい。
その病のため、雨の日や寒さのキツイ日は、彼の身体中の骨という骨が悲鳴を上げるようになっていると。
薬などへの抵抗力も弱まってしまい、痛み止めも強いものが飲めず、骨の軋みからくる痛みを和らげる薬すら、気休め程度の弱いものしか飲めなくなっている。
家族をはじめ、警察関係者すべてにこの連絡はいっており、雨の日などは

『けっして工藤新一を呼び出してはならない』

と通達が回っていた。

なのに昨夜は、KIDが狙っていた宝石を展示していた美術館のオーナーの我儘により、新一は『強制呼び出し』にあってしまったのだ。

館長の我儘。

それは『工藤新一が来なければ、館内の警備はさせない』というものであったと言う。
美術館のオーナー自身が熱狂的な『工藤新一ファン』だったらしく、何処からか『工藤新一復活』を聞きつけ、KIDの予告状に託けてその『我侭』を通したのだ。


警察関係者たちは皆、そろって反対を申し立てたが、『いちを形だけは』と言う事で、警部が工藤邸へ連絡を入れたところ・・・
そこは『工藤新一』
嫌な顔をせず、1つ返事でOKしてしまったと言うのだ。
その事に焦り、気を使ったのはもちろん警察関係者達。
冷や汗を流しながらも、笑顔で対応し続ける新一に、心配はしても声をかける事は出来ず・・・
バタバタとした時間だけが過ぎ去り、結局何の言葉を掛ける暇すらなく、気づけば新一は帰ってしまっていたと言うのだ。









「帰宅途中、何処かで倒れていないかと皆で心配していたのだが、昨夜遅くに本人から本部へ連絡が入ったらしくてな。
『今帰宅して落ちついていますから』とな。
取り敢えずはホッとしたが・・・流石にもう二度とあんな彼は見たくないな。
自分の娘と同じ年の子が、あんな・・・
苦痛を気力だけで押さえ込んだ顔をしているのを見るのは辛い事だ」


刑事の言葉がグルグルとKIDの脳裏を駆け巡る。
何処から何処までが『いい訳』で、何処から何処までが『本当』なのか・・・。
だがまあ、この馴染みの刑事の言う事。
己の知る『名探偵』の性格などと照合すれば容易に理解できる。

『解毒剤』により元に戻ったのは良いが、その影響により
『冷えと湿気に極度の身体の軋みが生じている』
と言う事なのだろう。

本来の『時の経過』に逆らい、青年から少年に。少年から青年に変化した為・・・
彼の身体に何か異常な『苦痛』が引き起こされているのであろう・・・。





昨夜自分と出会ったのは帰宅途中だったと言うわけか・・・

軋む身体で雨の中を歩きながら、彼は一人・・・何を想っていたのだろうか・・・





KIDは、そんな素振りをまったく見せなかった昨夜の新一を思い出し・・・
切なくなってしまう己の感情にうろたえながらも、再び新一に会う事を決意するのであった。




















この日も朝から雨だった。
外へ出る事の出来ない新一は、空調の整った室内で、一人読書を続けていた。
が、どれもこれも一度読んでしまったものばかり。
頭の中に入ってしまっているストーリーは、新一の興味を引き続ける事が出来ない。
目に疲れを感じて本を閉じ、何の気無しに目の前のTVの電源を入れる。
が、やはりそこにも新一の興味を引くものは何も無い。
新一は小さな溜め息をつくと、再びTVの電源を落としてしまう。


「雨・・・か・・・」


ぽつりと呟き、ソファーに腰掛けたままの状態で窓の外を伺う。
激しく振り続ける雨。

雨の降り注ぐ音。
庭の葉が雨に打たれる音。
水溜りに雨が落ちる音。

音。音。音・・・

しんと静まり返っている室内には、無機質な音と、外から入りこむ湿った感じの音しか響いていない。


『孤独』


何故だかそんな言葉ばかりが新一の頭の中を巡っていた。


「雨音って悲しい音色だと想いませんか?」
「―――!!」


室内に暖かな、『生きた音』が響いた。
声が聞こえてきたのは、廊下へと続くドアの所。
気配すら感じさせずに入ってきた人物に驚き、振り返れば・・・その姿を見て、再び驚きに目を見張る。


「お前・・・」
「こんにちわ、遊びに来てしまいました」


手土産と称して、手にしたケーキの箱を新一の目の前のテーブルに置く男。
その顔は新一の顔とそっくりで・・・まるで鏡でも見ているかのような錯覚に陥る。


「キッ・・・ド・・・?」
「はい。・・・解りにくいですか?」
「・・・この前会った時よりはな・・・」
「良かった。これでも苦労したんですよ」


笑顔で語りかけてくるKID。
先日自分が楽々と正体を見ぬいた事で、今日この日まで訓練してきたのだろう。
『苦労した』と言うだけあって、あれからまだ数日しかたっていないのに・・・一瞬では見ぬけなかった。


「・・・何しに来たんだ?」


ちゃっかりと新一の隣に陣取って腰掛ける男に、新一は眉間にしわを寄せて問う。
が、言われた本人はのほほんと・・・


「遊びに来たと言ったでしょう?」


満面の笑みで受け答えた。
その答えと笑みに、新一は毒気を抜かれてしまうが・・・


「・・・その顔・・・」
「・・・似てるでしょう?」


クスクス笑う男に、更に新一の眉間のしわが濃くなる。


「まさか・・・」
「『その姿で現れるな』と言われましたからね」
「・・・・・・」
「・・・触ってみますか?」


笑顔の下で、瞳だけが真剣な色を称えていた。
そっと暖かな温もりに手を取られ、頬へと導かれる。
触れた頬は暖かく・・・柔らかい。


「どうぞ引っ張ってみてください?」
「・・・・・・」
「どうしました?」


新一には、男の意思が解らなかった。
このまま引っ張れば、この顔がKIDの素顔かどうかわかる。
探偵である自分は『引っ張れ』と言うが・・・


「・・・嫌だ」


『工藤新一』は拒否した。


「何故?それでは私はいつまでも『怪盗KID』のままですが?」
「・・・・・・・・・」
「『怪盗』と話をするのはお嫌なのでは?」
「お前・・・」


KIDは新一が言った言葉に添い、『KID』ではない、『素顔』で会いに来たのだ。
怪盗が探偵の元へ素顔で現れると言うのは、とても危険極まりない事だと言うのに・・・


「貴方と話がしたかった。
直接会って、貴方と色々な話がしたくて。
その為にこうして来たのに・・・ダメなのですか?」


悲しげに瞳がゆれたのは気のせいであろうか?
リスクを負ってまでも自分と話がしたいと来てくれた男。
嬉しく無いと言ったら嘘になる。
だがそれは・・・


「俺は・・・俺自身の事で手一杯なんだよ」
「・・・名探偵?」
「お前の闇まで抱えるわけには行かない」
「・・・・・・」


新一の手を掴んでいたKIDの指先に力が篭る。
新一はそれが『動揺』を押さえる為だと思い、小さく微笑む。


「俺が知っているのは『怪盗KID』だ。
でも・・・今日は『KID』と言う名の男として相手をしてくれるんだろ?」


今の新一には、KIDの素顔を見る勇気は無い。
だが『怪盗』としてではなく、一人の『男』として会いに来た彼となら・・・


「珈琲入れてきてやるよ」


スルリとKIDの頬から手を離し、立ち上がってキッチンへと移動して行く。
探偵としてではなく、一個人。
『工藤新一』が、一人の男である『KID』を受け入れた瞬間であった・・・。

















「一気に成長したようなものだからな」


雨の日の度に工藤邸へとやって来るKID。
すでに出会ってから1ヶ月が経っていた。
この日も朝からKIDは新一の元へと訪問し、共にソファーで寛いでいる。
何気ない会話の中、不意に出た『成長期』の話。
そこから話が二転三転し・・・今現在こうして家の中に篭っている理由でもある、
『骨の軋み』
に話は変わっていた。


「うまく元の自分の姿に戻ったとはいえ、それは微妙なバランスの上に成り立っているんだと。
骨はもちろん、筋肉。細胞。総てがまだ馴染まず・・・身体の中で悲鳴を上げてる。
完全に馴染んで苦痛が無くなるのは・・・明日かもしれないし、1年後。10年後かもしれない。
それまで俺は・・・雨の日と寒い日はこうして家に篭るしかないんだ」


淡々と言葉を紡ぐ新一。
聞いているほうが痛々しく感じると言うのに本人は・・・諦めているのかもしれない。


「寒い日と雨の日だけ・・・?」
「うんっ?」
「身体が痛むのは・・・」
「ああ、不思議な事にそうなんだよな・・・」


『何故?』
KIDの顔にはそう書いてあった。
そんな顔を見て、新一は小さく笑う。


「詳しくは俺に聞くなよ。主治医殿に聞けば・・・俺よりは少しはまともな説明してくれるかもな」


その顔からして、どうやら新一はもちろん、主治医殿にも理由ははっきりとは解っていないらしい。
KIDはそれ以上聞くことはせず、静かに微笑む新一の顔を見詰めていた。


「雨の日は・・・嫌い?」
「えっ?」


KIDはふと思いついた事を口にしてみた。
雨の日には身体が痛み、不自由を強いられている彼に向かって。


「私は・・・雨は大嫌いだったんです」


きょとんとしている新一に向かい、KIDは返事を待たず、穏やかな声で語りだす。
雨音が響く室内で、殊更KIDの声だけが大きく新一の耳に響き入る。


「予定通りに運ばない仕事。
多くなるトラブル。
トラブルを想定して巡らさなければいけない思考。
そして痛みが蘇ってくる古傷。
他にも色々あるけれど、とにかく本当にもう・・・嫌な事ばかりで・・・」


KIDの低く小さな声の呟きに、新一は表情を引き締め・・・と同時に、視線がKIDの真剣かつ暖かな瞳とぶつかる。


「雨の日は肉体的にも精神的にもかなり疲れてしまうんです。だから嫌いで・・・大嫌いで・・・」


KIDが何を言いたいのかが解らない。
が、『しっかりと聞きなさい』と、どこかで誰かが新一に告げる。
KIDの言葉を聞かないようにするにも、己の全ての神経が耳にあるかのごとく・・・
真剣な男の声が、頭の中をこだまし、胸へと染み込む。
ゆっくりと上げられたKIDの手。
見詰めてくる新一の瞳から目を離す事無く、彼はその手で新一の頬に触れる。
暖かな『人』の温もり。


「ですが・・・雨の日には貴方に会えるようになりました」


頬を包む指先が、顎へと滑り、唇をなぞる。
近付いてくる男の顔。
息が掛かるほど近付けられても、新一は顔を背けることを・・・しなかった。


「貴方に会えるから雨の日が好きになった。と、言ったら・・・どうします?」


穏やかな笑みの中、不安げに細められた瞳から目が離せなかった。
高鳴る鼓動。
触れる指先が冷たく感じる程に高まる体温。
『このまま瞳を閉じてしまいたい』と思ってしまう己の思考。
触れ合うギリギリの位置にある唇から零れる吐息を感じた瞬間・・・新一は気付いてしまった。
すんなりと認めてしまえる想い。
今抱えているこの感情は・・・


「・・・れも・・・」
「えっ・・・?」


小さな声で洩らされた言葉に、聞き取れ無かったKIDは聞き返す。


「俺も、お前が来てくれるから雨の日が好きなんだ。って言ったら・・・どうする?」


KIDの問いは、新たな問いで返された。
それは、KIDの心を歓喜と動揺が襲うほどのもの。
返事を貰えるとは思ってもいなかったKIDは、それまで押さえ続けていた感情を・・・セーブできなくなり始めていた。


「本心・・・ですか?」
「・・・どうだと思う?」
「・・・知りませんよ?」
「うんっ?」


微かに震える声音に、新一の笑みが零れる。
不安な色が消え、軟らかな、慈しみの色に変わる瞳。




「私を挑発した貴方が悪い。責任は・・・取ってくださいますよね?」

KIDが『男』の声で甘く囁く。




「責任って・・・何のだ?」

不敵な笑みを浮かべ、新一がKIDに問う。




「折角今迄押さえてきたのに・・・私の『欲』の扉を開いてしまうからですよ」

新一の唇の上を、再びKIDの指先が滑る。




「押さえてたのか?」
「ええ。押さえていたんです」
「・・・いつから?」
「ずっと・・・この家へ訪れたその日から」
「どんな・・・欲?」
「・・・言ったらもっと・・・押さえられませんよ?」
「押さえられなかったら・・どうなるんだ?」
「押さえられないと・・・こうなります・・・」


言葉と共に、新一の顎を軽く捕え、KIDはもう一度唇の端に親指を添える。
ゆっくりと滑らされる指先に、己の唇をもなぞらせ・・・
完全に唇をなぞり終えた時には・・・


「んっ・・・」


羽が触れたかの様な軽い口付けから始まり、徐々に深く交わりだす二人の唇。
絡め取られる舌に、新一は焦り怯みながらも、決して『拒絶』はしなかった。


「・・・逃げないんですね」
「・・・逃げて欲しいのか?」


深く絡み合う口付けの合間に、KIDは穏やかな口調で新一に告尋ねる。
そしてその問いもまた、新一に問いで返された。


「元の姿に戻る事を望んだのは自分なのに、戻った事を後悔してしまう自分が居た。
『成長期には骨が軋む』なんて言うものとは思いっきりかけ離れた・・・
『死』さえ望んでしまうほどの苦痛。
それを回避する為の只1つの手段として『部屋に篭る』自分。
いつ終わるとも知れぬ苦痛の日々を、『孤独』を味わいながら過ごすんだ。
小さい体になり、『孤独』を忘れてしまった俺には・・・
死さえ望んでしまうほどの、精神的苦痛。
肉体と精神が痛めつけられているようで・・・たまらなかった」


返された問いに返事を返す間もなく、新一が淡々と心情を語り出す。
頬に添えられているKIDの手に触れながら、空いたもう片方の手でKIDの頬に触れる。


「弱音を吐きたくは無かった。
弱い自分を見せたくは無かった。
だから誰に対しても・・・気丈に振舞っていた。
それなのにお前は・・・一目で弱ってる俺を見ぬいちまった。
騒がしすぎず、静か過ぎず。
世話焼きすぎず、放置しすぎず。
すんなりと俺の中に入ってきて・・・俺を『孤独』から開放してくれた」


頬に添えられたKIDの手に口付けながら、新一はKIDの瞳を見詰める。
微かに悲しみの色を称えながらも、真剣に・・・切実なまでに訴えかけてくるその瞳。
KIDは視線を外す事は出来なかった。


「お前の『闇』と『欲』を受け入れたら・・・お前は俺を『孤独』から開放してくれるか?」


『解毒剤』を作った彼女には弱音を吐くことは出来ない。
その保護者である人物に対してもそれは同じ事。

大阪の友人に対しては、弱った姿すら見せたくは無い。
己の両親にもそれは同じ事。

皆が皆、一様に心配し、苦悩するのが目に見えているから。
気付かないで居てくれるのなら・・・このまま一人で頑張ろうと思っていた。

だが、自分は知ってしまった・・・

己の苦しみに気付いてくれた人が居る。
己の悲しみに気付いてくれた人が居る。
己を受け止めてくれようとしている人が居る。
己の総てを見聞きして欲しい人が居る。
己を再び『孤独』から開放してくれる人が居る。

弱り、闇にのみ込まれてしまいそうな俺を・・・


「・・・受け止めてくれるか・・・?」


卑怯な言い方かもしれない。
だが、それが解っていても・・・新一は手を伸ばして縋ろうとしてしまう。


「それは・・・只孤独から開放されたいだけの事ですか?」
「・・・お前の存在が欲しい」
「私でなくても・・・救ってくれるのなら・・・」
「誰でも良い訳じゃない」
「・・・本当に?」
「お前だから弱ってる俺を見せられる」
「・・・弱音を吐くことも?」
「そう。お前だから言える」
「愚痴も?」
「苦痛も」
「悲しみも?」
「・・・慈しみも・・・」


空いていた片手を新一の腰に回し、KIDはその身を引き寄せる。
抱き締め、再び寄せられる唇。
再び交わされたその口付けは、KIDの了承の証。


「私は独占欲の強い男ですよ?」
「・・・どれくらい?」
「・・・雨の日だけでは嫌です」
「・・・晴れの日も?」
「夜だけでも嫌です」
「昼間も?」
「春も夏も・・・」
「秋も冬も?」
「ずっと・・・ずっと一緒に・・・」


KIDの頬に添えられた手が、軽くその頬を引っ張る。
小さな痛みに眉を顰めたKIDは、それでも幸せそうな笑みを浮かべた。





「まずは自己紹介から始めて、これからの話をしましょう。
大丈夫。貴方の『苦痛』もいつかは消えるもの。
そしたら・・・雨の日に傘を差して『俺』とデートしましょうね。
雪の日に雪合戦をしても良い。
春には花見をし、夏には海へ。
秋には紅葉狩りをして、冬にはスキーを。
貴方の総てを見せて、聞かせてください。
いつの日か貴方の中の『闇』をかき消してあげるから・・・」





KIDの言葉を聞きながら、新一は少しずつ自分の中に巣食う『闇』が消えていくのを感じていた。






『苦痛』を伴いながらも、生きて元の姿に戻って良かったと思う。

あの雨の日、気を失いそうになりながらも『現場』に行って良かったと思う。

感じる苦痛に耐え、己の『闇』を見詰め、佇んでいて良かったと思う。

あの日やってきたこいつを受け入れて良かったと思う。






手に入れたのは『孤独』を感じさせず、共に居てくれる人。
総てはこの人に会う為に起こっていた出来事。


『苦痛』は・・・彼が心配して家に来てくれる為に。

『孤独』は・・・彼がそれを癒してくれる事を実感する為のもの。

『闇』は・・・彼が持つものを共感する為。











『光』を求め、足掻く者は・・・
『闇』に落ちかけた『光』を手に入れる。
『光』を『闇』から救ったその時・・・
『闇』に染まりし者は『光』に包まれる。














闇に染まるどこかの部屋で、
一人の少女が水晶玉を見詰め静かに呟いた。






闇と雨の音が包み込む室内で、
『光』と『闇』が絡み合う中・・・





何処かで『お幸せに』と言う言葉が響いた気がした・・・・・・
















新一から『苦痛』が消え、以前と何ら変わりの無い『身体』を手に入れるのは・・・気付けばあっという間の事。
昼の本来の姿で新一と日々を共にするKID。
彼が工藤邸に済み付く日は・・・これからそう遠く無い日の事であった。



















雨の日に巡り合い、気付き、まとまった恋。
そんな1つの恋のお話でした。


FIN






アクアマリンのハル様がフリーにしていらした物を頂いて参りました♪
もう、途中切なくて、切なくて泣きそうになりながら読ませて頂きました。
薫月も実は雨が嫌いだったのですが、これを読んで少し好きになれたような気がします。
ハル様素敵な作品をありがとうございました。


BACK