真っ白な花

 クローバの中に咲く小さな白い花

 その花言葉は『約束』

 そして―――『私を思い出して下さい』










―― 白詰草 ――











 幼い頃、誰かと河原で遊んだ時に見つけた花。
 その花で花冠や指輪を作って遊んだ。
 けれどそんな事すっかり忘れていたんだ。

 あの白に出逢うまでは…。















「こんばんは。今宵も良い月夜ですね」


 ふわりと降り立った影。
 月明かりに照らされ光る白。


「ああ。本当に良い月夜だな」


 にっこりとそう探偵が微笑めば怪盗は僅かばかり驚いた様な表情を浮かべる。


「珍しいですね。貴方がそんな風に仰るのは」
「いいだろ? 俺にだってそう感じる権利は有る」
「それは御尤も」


 クスッと笑って、怪盗はそっと探偵を抱き寄せる。


「今宵は月光浴にはもってこいですしね」
「ああ。そうだな」


 今日は何時になく探偵は素直で。
 今日の月は何時になく輝いていて。

 それがまるで、この時が作り物かの様な幻想を見せる。


「どうしたんですか。今日は」
「ん? 少し…昔の事を思い出してな」
「昔の事、ですか?」
「ああ」


 探偵がふと遠い目をした事から怪盗は、それが真実であると悟る。
 同時に湧き上がるのは、形の見えない『嫉妬』。

 今ここに自分が居るというのに。
 夜しか逢えない関係だというのに。

 彼はそれ以外の何を見ているのか。


「キッド…?」


 怪盗は気付いていなかったが、探偵の一言でふと我に返った。
 どうやら腕に力を籠め過ぎていたらしい。
 何時ものポーカーフェイスは何処にいったんだと、自分で自分を笑ってしまいたかった。


「貴方が一体何を思っていらっしゃるのかと思いまして」


 ここまでくればもうやけだった。
 ポーカーフェイスなんて物、もうどうでも良かった。

 独占したいのだ。この人を。
 自分だけのものにしてしまいたいのだ。愛しい彼を。


「秘密」


 けれど、そんな捨て鉢の行為に返ってきた答えは全てを包み隠したもの。


「そんなに私には言えない事なんですか?」
「ああ。お前には口が裂けても言えないな」


 笑いを含んだ声でそう言われても、内心穏やかでなど居られない。

 彼にそんな風に言われたのは初めてだった。
 こんな関係になってからは。


「そこまで…私に聞かせたくない話なのですか?」
「んー…、まあ、ヒントぐらいならやってもいいけど?」


 蒼に悪戯を含んだ色を宿らせて、探偵は笑う。

 蝶の様に。
 華の様に。


「是非お聞かせ願いたいですね」


 口調が、何時もの口調が保てない。
 言葉を発した途端、探偵の笑みが深まる。


「白詰草だよ」
「白詰草…?」
「そ。白詰草」


 白詰草。
 マメ科の多年草。ヨーロッパ原産。
 名前の由来は確か、江戸時代にオランダからガラス器が送られてきた時、壊れないように乾燥したこの草を詰め物にした事だった筈だ。

 けれど、それと彼の先程の視線との関連なんて解らなかった。


「どういう繋がりがあるんです…?」

 白詰草と、貴方のあの瞳と。

「………やっぱり………」


 素直に尋ねれば、寂しげな瞳と、そして何か言いかけた言葉が返ってきた。


「やっぱり…?」
「いや、なんでもない」


 けれど、それ以上の言葉は返ってこない。


「めいた…」
「もういいんだ」


 会話をそこで打ち切る為の言葉。


「もういいんだ…」


 寂しげに呟かれた言葉に返す言葉を怪盗はその夜見つける事は出来なかった。















「やっぱり忘れてたか…」


 怪盗との邂逅を終え一人きりの自宅へと戻る。
 電気すらつけず、彼と会っていた余韻を楽しむかの様に月明かりだけを部屋に招き入れる。


「俺だけだったのかな」


 彼が覚えていないだろうとは最初から思っていた。
 けれど、確めてしまえば淡い小さな期待すら打ち砕かれた。


「アイツにとってはどうでも良かったのかな…」


 小さく自分で呟いた言葉に涙が溢れそうになる。

 それは小さな小さな思い出で。
 それでも自分にとっては大切な思い出で。

 それを共有出来ない事に、言い様も無い寂しさを覚えた。















「白詰草…」


 ベットの上天井を見上げ一人呟く。

 彼が言ったヒント。
 見付からない答え。


「昔の事…か」


 彼は言った。
 昔の事を思い出していたと。


「白詰草…」


 きっと答えは自分の中にある。
 彼は答えを見付けられない問題は出さない。

 だとしたら――。


「俺は何を忘れてるんだろう…」


 考え続けても答えは出る事は無く、唯無常にも時間だけが過ぎていた。















 時間はその長さに比例するかの如く思い出を奪っていく。
 それは『幸福』を生み出す事もあれば『不幸』を作り出す事もある。

 けれどそれを選び取るのは――所詮、本人でしかあり得ない。















 晴れ渡った空。
 雲一つ無い『快晴』。

 その天気の良さが、今の自分には疎ましかった。


 空を見上げる為に河原へと寝転がる。

 周りに賢明に根を伸ばし、鬱蒼と生え広がっているのはクローバーの大群。
 その中に咲き乱れるのは小さな小さな白い花。


「………」


 戯れにその一本に手を伸ばし、真っ白な花を手折る。
 柔らかい茎は音すらさせず、その身体を素直に新一の手の中へと預けた。


「何で俺だけ覚えてんだろ…」


 空に花を翳す様に視線の上に真っ白な花を重ねた。
 その花に重なるのは嘗ての光景。

 あの日。
 あの場所。

 何もかも自分だけの思い出――。


「俺じゃなければ良かったのに…」


 そう、自分でなければ良かった。

 あの日。
 あの場所。

 存在したのが自分ではなく、他の人間だったら良かったのに…。




















「名、探偵…?」
「………」


 学校帰り、快斗は余りにも珍しい――出来るなら幻であって欲しいと願う様な――光景に出会った。

 学校からの帰り道、川原で寝ている人を発見した。
 近付いてみれば、それは見紛う事無くあの名探偵。

 気付いて、近付いて、眩暈がした。

 まったく、この人には危機感というものがないのだろうか。
 もう少し自分が有名人なのだという事を自覚して欲しいのだが…。


「名探偵」


 先程とは違い、確実に相手を断定し、起こそうという意思を持って快斗は再度新一を呼んだ。
 けれど、


「………」


 返事と呼べるものは帰っては来ず、その代わり唯穏やかな寝息だけが快斗の耳には届けられた。


「はぁ…」


 どうしたものかと快斗は一人溜息を吐き、ゆっくりと新一を起こさない様にその横に腰掛けた。
 柔らかい草が自分の下敷きになったのを感じたけれど、それはどうしようもない事だった。

 周りに広がっているのは鬱蒼と生い茂るクローバー。
 その中には真っ白くて小さな花々。


「ん…?」


 隣で誰かが寝ている。
 自分はその顔を見詰めている。

 そしてその周りには――。


「あっ…」


 目の前に広がった嘗ての記憶に快斗は小さく声を上げた。




 ――ああ、これだったのか。自分が忘れていた物は。




「ほんと、何で…」


 今まで忘れていたのだろうか。
 こんなに大切な事を。

 思い出した途端、その場所は嘗ての時間へと遡っていた。




















『しーんちゃんv』
『ん?』
『これあげる♪』


 それはあの時期毎日の様に繰り返されていた行為。


『ゆびわ?』
『そうv おれとしんちゃんとおそろいなの♪』


 あの時から器用だった俺は毎日の様に、花冠だとか、首飾りだとかを作って彼に付けさせていた。


『おそろい?』
『そう。このはなにはね「やくそく」っていみがあるんだよ』
『やくそく…? やくそくって、なにやくそくするんだ?』


 ことん、と首を傾げた彼の可愛らしい仕草まで今は思い出せるのに。


『んー?♪ これはね…』
『…?』


 どうしてこんなに大切な事を俺は今の今まで忘れて居られたんだろう。




















「ん…」


 少しだけ寒さに身を震わせて目を覚ました時、新一は自分が寝る前とは明らかに違う状態にある事に咄嗟に首を傾げた。

 確かに寒さで目を覚ました筈なのに、首から下は寒くない。
 その原因を探ろうと上半身を起こせば、自分の身体からずり落ちた黒い物体。


「…?」


 それはよくよく見れば、学ランの上着だった。


「何で……。ん……?」


 そして、その上着を掴みあげようとした時――左手の薬指の花の指輪に気付いた。


「これ……」


 どうして。
 どうしてこれが此処に在るのか。

 一瞬頭が回らなかった。
 こんな事ある筈がないのに。


 一度目に見て、信じられなくて。
 二度目に見て、寝ぼけて幻を見ているだけかと思って。

 三度目で漸く現実なのだと自覚した。


「かい、と…」


 現実を自覚した瞬間、彼の名を呼んでいた。
 現実を自覚した瞬間、彼を求めていた。










『これはね、おれがしんちゃんとずっといっしょにいるっていうやくそく♪』
『ずっといっしょ?』
『そう、ずっといっしょだよv』
『うんv』










 嘗てした約束はその時は守られる事はなくて。
 それでも、再会した彼は何も変わっていなくて。


 ――けれど、彼は再び出逢った時は何も覚えていなかった。


 自分だけなのだと思った。

 自分だけが彼を特別だと思っていたのだと。
 彼にとって自分と言う存在はそれだけのモノだったのだと。

 そう思っていた。










「ばぁろぉ…遅いんだよ…」


 呟かれた睦言は新一と、白詰草達だけの秘密。















 ――やっと、思い出してくれたんだな。















end.


11万hit有り難う御座いますv
正直ここまで続くと思ってませんでした(苦笑)
今続けられてるのも皆さんのお陰です。
これからも宜しくお願い致します。

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