だって仕方ないじゃない
彼を不幸にするかもしれないのも彼だけれど
彼を幸せに出来るのも彼しか居ないのだから
死の接吻\
「快斗…お前何言って…」
「俺は本気だよ。俺が新一を悲しませたり、新一にあんな顔をまたさせる事になるのなら、俺は哀ちゃんに殺されて当然だよ」
「快斗!」
「ねえ、新一? 俺は言ったよね? 『新一のこともう一度口説き直す』って」
「あ、ああ……」
「だから俺は、新一に昔の関係を無理に強要する事はしないけど、俺なりに最大限の努力をする。
強要はしないって言っても、新一とそういう関係になりたいって想いがないって言ったら嘘になる。
でも一番はね、新一に幸せになって欲しい。その一心なんだ」
好きな人だから。
愛している人だから。
だから、抱き締めたい。
だから、付き合いたい。
その気持ちがないと言ったら嘘になる。
でもそれで、もしも新一が泣くのなら。
快斗のせいで新一があんな目をもう一度するというのなら。
新一を苦しめるより、快斗は迷わず自分の存在を消す事を選ぶ。
「新一が幸せになれないって言うのなら、俺のせいで新一が辛い思いをするのなら…俺はこの世に存在している意味が無いし、寧ろ消して欲しいと思うよ」
「快斗…」
「ねえ、新一。覚えてて? 俺は……新一には世界で一番幸せになって欲しいんだよ」
好きな人には幸せになって欲しい。
ただそれだけ。
そして、快斗は新一だけでなく哀にも同じ様に誓う。
「だから、俺がもし新一にあの日と同じ目をさせてしまうのだとしたら……俺は殺して欲しいんだ。哀ちゃんにね」
哀は絶対に新一の不利益になる事はしない。
絶対に新一を護ってくれる。
それは、快斗が同胞としての哀を無条件で信じているという事。
真っ直ぐに哀を見詰め告げる。
新一の幸せを誰よりもきっと考えてくれているのは哀も一緒だから。
「黒羽君…」
その視線を受け止め、哀は居た堪れない気持ちになった。
彼を傷つけたくなくて。
彼を死なせたくなくて。
だから彼と彼に嘘を吐いて引き離した。
彼は自分の傍に居てくれて。
彼は自分を信じてくれて。
どうしようもなかった。
どうする事も出来なかった。
「哀ちゃん…泣いてるの?」
快斗から躊躇いがちにかけられた声で哀は気付く。
頬に温かいモノが流れ落ちていた事に。
「……泣いてなんていないわ」
ごしごしと。
少し乱暴に哀は目元を拭う。
自分には泣く資格すらない。
彼は彼と共に死ぬ事を望んだ。
自分は彼と彼を引き離す事を選んだ。
自分のエゴで。
彼を救うという大義名分を盾に。
そして、今まだ彼の為だと言うこの大義名分を盾に真実を告げてすらいない。
全ては―――自分が引き起こしてしまった事なのに。
「泣いてなんていない…私には泣くような事は何もないもの」
全ては自分のせい。
でもコレは、墓場までずっと持っていくつもりの嘘。
「そうだね」
そんな哀にそう言って快斗は少し寂しげに笑う。
その表情を見ているとまるで全て知られているのではないかと哀は思ってしまう。
全て知っていて、知らない振りをしてくれているのではないかと…。
そんな気にさせられる。
「哀ちゃんはいつだって新一の味方だもんね。だから俺は安心していられるんだよ」
その快斗の一言が駄目押しとなって、哀の瞳からは今度こそ止め処なく涙が零れ落ちた。
拭っても拭っても。
零れ落ちていく透明な雫。
止め様がなかった。
止められる筈がなかった。
だってその快斗の言葉は自分の罪を赦してくれた様な気がしたから。
「ごめんなさい…」
だから言葉が溢れた。
泣きじゃくりながらなんてみっともないとは思ったけれど、それでも思いは言葉となって溢れ出していた。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
ここまで泣いたのなんて本当にいつ振りだろうか。
きっとあの人が、自分の大切だったあの人が死んでしまった時以来かもしれない。
それでも、あの時の様な絶望の中に落とされた涙ではなく。
今はこの涙が零れ落ちる程に心が楽になっていく。
今まで、この二年間で溜まってしまった心の黒くドロドロしたものが溶け出して浄化されていく様な気がした。
「哀ちゃん…」
「灰原…」
二人はきっと同時に同じ事を思いついて。
でも、行動を取ったのは新一だった。
「く、工藤君!?」
「いいから。偶には俺の事も頼れよ」
膝を付いて。
哀を腕の中に抱き締めて。
新一はそっと背中をゆっくり優しく叩いてやる。
「お前には本当に迷惑かけたな…。俺の事そこまで考えて、思ってくれて―――本当にありがとう」
「っ……!」
ああ、何て人だろう。
記憶を消して。
全て忘れさせて。
一番大切だった人と引き離して。
そんな自分にそんな風に言ってくれて。
何とも言えない感情を抱えたまま、哀は新一の胸に縋りつく様にして思いっきり泣き出した。
それは―――この二年間押し殺してきた哀の心の悲鳴の様だった。
「あっ……ご、ごめんなさい…。私……」
新一の腕の中。
泣いて泣いて、目元が熱を持つのを実感するぐらいまで泣いてから、哀は慌てて新一の腕の中から抜け出した。
「いいんだよ。別に謝る事なんてない。俺がそうしたかったんだから」
「工藤君…」
少し顔を赤らめて。
照れた様な表情を一瞬して、それをかき消すかの様に新一から視線をそらした哀の様子に快斗の口元からも柔らかい笑みが零れる。
「哀ちゃんも、やっぱり女の子だね」
「く、黒羽君!」
それを肯定するかの様に真っ赤になってしまった哀に快斗も新一も柔らかい笑みを浮かべる。
「良かったよ。哀ちゃんが元気になってくれて」
「そうだな」
哀の様子に顔を見合わせて快斗と新一は漸く安心できた。
新一にとって哀が大切なのは快斗も分かっている。
そして、快斗にとっても大切な新一の良き理解者であり同胞の哀は大切な存在。
きっと哀と快斗にはお互いにどこまで行っても譲れない部分がある。
でもそれは新一をそれだけ大切に想っているという証。
だからこそ、それがお互いの信頼を生んでいる。
その大切な存在の人と分かり合うのは快斗としても、本当に望んでいた事だから。
「哀ちゃん、改めて…これから宜しくって言ってもいいのかな…?」
最初に哀に「黒羽快斗」として会った時に言った、「これから宜しく」の言葉。
それをもう一度言うということは、新一の傍にこれから居たいという事。
つまりは……あの日の再現。
「……工藤君が望むなら…ね」
素直に認めても良かったけれど。
それは哀なりの強がり。
「うーん…。ねえ、新一……哀ちゃんはああ言ってるけど…?」
そんな哀の強がりを分かっていながら。
快斗は新一に視線を送る。
自分が傍に居てもいいのだという、承諾が欲しくて。
「……お前、俺の事口説き直すんだろ?」
「うんv」
「…………なら、これから宜しくなんじゃねえの…?」
「いいの? いいの? ホントに?」
「何だよ。不満か?」
「いや、そうじゃなくて……」
寧ろ本気に本気でマジでいいんですか?
「………好きにしろよ」
言い方はそっけなくて。
でも、ちょっと照れた様に逸らされた視線が嬉しくて。
快斗は満足そうに微笑むと、とりあえず今の幸せに浸る事にして、哀に自由になる方の右手を差し出した。
「じゃあ、哀ちゃん―――これから宜しくね♪」
「……こちらこそ宜しくね、黒羽君」
こうしてまた昔の様に。
けれど、昔とは違う、三人の新しい毎日が始まろうとしていた。
END.