『愛してるよ』


 夢の中で甘く掠れた声が聞こえる

 その声は誰?










接吻U











 毎朝泣きながら目を覚ます。

 何が悲しいのか。
 どうして悲しいのか。

 何も分らないのに。


 それでも零れ落ちる涙は暫くの間止まる事は無い。


「何で俺…」


 泣いてんだろ……。




















「あら、おはよう。今日は随分早かったのね」


 いつの間に来ていたのか。
 ペタペタとスリッパを引き摺って階段を下りリビングへと行けば、哀のそんな声が聞こえてきた。


「灰原。来てたのか」
「ええ。おはよう」
「おはよう」


 ちょっと眠たげに目を擦りながら起きて来た新一に哀は微笑む。
 けれど、その手が退けられて新一の目を見た時にその顔が少しだけ歪められた。


「工藤君、目が赤いけど…何かあったの?」


 流石は主治医といった所だろうか。
 哀はいつだって新一の変化を見逃さない。


「別に…」
「少し瞼も腫れてるわね。何か泣かなければいけない事でもあったの?」
「………」


 哀の質問に新一は口を噤んでしまう。


「言いたくなければいいのだけれど、何かあったら話ぐらいは聞けるから」


 だから哀もそれ以上は聞かない。
 無理に聞いても新一は話さないだろうし、無理矢理聞き出すのは本意ではない。

 だからかもしれない。
 新一が素直にもう一度口を開いたのは。


「夢…見るんだ」
「夢?」
「ああ、最近ずっと同じ夢を見るんだ…」
「同じ夢?」
「男の俺がこんな事言うのはどうなのかって思うんだけどさ…夢の中で『愛してる』って言われるんだよ。
 しかも多分アレ男の声だぜ? おかしな夢だろ?」
「………」


 新一の話の内容に哀の表情が強張る。
 けれど、新一はそれには気づかず首を捻るばかり。


「誰なんだろうな…」
「………案外貴方の運命の人なんじゃないの?」


 顔を少し顰めて…けれど、何だか嫌にはっきりと言った哀に新一は笑う。
 何を馬鹿なことを、と。


「やめてくれよ。俺は男だぞ?」
「あら、最近はそういう人達も増えてるみたいだけど?」
「俺に男に抱かれろって?」


 苦笑交じりに言った新一の言葉に哀の表情はより険しくなっていく。


「どうしてそう思うのかしら?」
「んなもん、決まってるだろ? 俺はそっちの趣味はな…」
「どうして貴方が抱かれる側になるのかって話しよ」


 間髪入れずに言った哀の言葉に新一も首を捻った。


「確かに…。何でそう思うんだろうな?」
「………」


 その言葉に哀は何も言えず口を噤む。

 余りにも黙っているのは辛くて。
 余りにも何も知らない彼を見ていられなくて。

 言葉は少しずつ零れてしまうけれど、肝心な事を言うのは許されない。
 だって、それを引き起こしたのは自分だから。


「灰原?」


 突然口を噤んだ哀を心配したのか、新一は哀の顔を覗きこむ。
 けれど、そんな事で喋ったりはしない。

 それは哀のプライド。


「まったく…朝から変な話に付き合わされるこっちの身にもなって頂戴」


 そんな風に茶化して流すしかない。
 ソレしか哀には許されないのだから。


「悪かったって。機嫌直せよ」
「機嫌を損ねたっていう自覚はあるみたいね?」
「それは…」
「美味しい珈琲を一杯。それで許してあげるわ」
「……わぁったよ」


 まったく何で俺が…、なんてぶつぶつと文句を言いながらキッチンへ消えていった新一の後姿を見送ってから哀は安堵の溜息を吐く。












 ああ、今日も――――彼を騙す事が出来そうだ、と。

























 彼の家を出て、てくてくと小さな足で通学路を歩く。
 まさかこんな風になるなんて、あの薬を作った時は思わなかったけれど。


「あれは…」


 偶然というか、何と言うか。
 あんな話をしていたからだろうか。
 通学路の途中、視線の先に見つけたのは紛れもなく『彼』。
 彼と似た顔を持つ、けれどまったく別の表情を作る事の出来る彼。

 そしてその横に居るのは昔の様に彼ではなく、あの彼女。

 その事に目を背ける様に慌てて道を曲がる。
 彼も彼と同じく何も知らない。
 そんな彼を見ているのが辛かったから、だから逃げる様に違う道を選んだ。








































 ―――だから知らない。






























 ―――そんな哀の方に一瞬だけ、その視線が向けられた事を。








































 知らないで居ようと思った。

 彼はそれを望んだ。
 彼女はその為に手を貸した。

 だとしたら、自分はきっと知らない振りをしていた方がいいのだろう。
 それが―――彼の本当の望みだったのだから。



「快斗、どうかしたの?」



 一瞬視線を逸らした快斗に青子は首を傾げる。
 が、そんな事はお見通しだ。


「いや、青子と違っていい女が居たな〜と思ってな」
「ひどーい! それなら快斗と違っていい男なんてそれこそいーっぱい居るんだから!」
「言ったな!! アホ子が!」
「なによぉ! 快斗だってバ快斗じゃない!!」


 そんな風にぎゃあぎゃあ言い合いながら学校へと向かう。
 それが『黒羽快斗』として違和感のない、自然な言動だから。















 これでいい。










 これでいいんだ。







































 ―――だって君はソレを望んだんだから…。























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