お前に縛り付けられるのは嫌だった

 お前を縛り付けるのも嫌だった


 だってしょうがないじゃないか

 探偵と怪盗が仲良くハッピーエンドになる話しなんて

 世界中探したって何処にも無いんだから










接吻T











『灰原。頼みがあるんだ』


 思い詰めた表情で哀の元へやってきた新一。
 哀は今でもその新一の表情を忘れる事が出来ない。






























「工藤君。珈琲淹れたわよ」


 哀はそう言って、ことりと珈琲の入ったカップをテーブルの上に置いた。


「ん。さんきゅ」


 そう言っても彼は本の虫のまま。
 きっと自分も集中している時はきっと彼と同類だから。

 一つ溜息を吐くだけで許してやる。


「早く飲まないと冷めるわよ」
「ん…」


 ああ、まったく。
 そう思う。

 本を与えてしまうとこうなってしまうから。
 この状態からは事件を与えない限り彼は動く事はない。


「ああ、でもきっと…」


 彼の暗号なら、そう言い掛けて哀は慌てて口を押さえた。
 そして、新一の様子を伺う。

 彼は相変わらず本を読んでいた。
 その様子に哀はホッと胸を撫で下ろす。


「ごめんなさいね…」


 きっと、彼も私を怨むに違いない。
 哀はひっそりと心の中で彼と彼に謝った。






























 その原因は二年前のあの日に遡る。

 新一が思い詰めた顔をして哀の所へやってきた日に。





『灰原。頼みがあるんだ』





 今でも覚えている。
 あの彼の表情を。


『何かしら?』
『酷な事を頼んでも良いか?』


 新一らしからぬ頼み方。
 物事の内容を言う前にそんな事を言うなんて非合理極まりない。

 けれど、そのぐらい――そのぐらいの事なのだろう。


『何かによるわね』


 あくまでも哀は普通の返事を返した。
 彼のペースにこちらまで巻き込まれてしまったら…何故だかそんな危機感が生じたから。

 だから努めて冷静になるようにと自分に言い聞かせていた。


『快斗を…』
『黒羽君を?』


『殺す薬を作って欲しいんだ』


 一瞬耳を疑った。
 と言うより、自分の耳が壊れてしまったんだろうかと思った。


『何を…言ってるの?』


 彼が彼を殺す?
 彼が人を殺す?

 探偵である貴方が?


 声にならない叫びを上げる哀の表情に新一は唯真っ直ぐ視線を注ぐだけ。


『快斗を、殺せる薬を作って欲しい』


 もう一度、一字一句間違えないように意識するように新一は哀に向かってそう言った。
 真っ直ぐ。
 何の迷いも持たない蒼で。


『貴方…一体何を考えてるの?』


 本当に彼を殺したいと言うのか。
 あんなにも愛している彼を殺したいと。

 一体何を考えているのか。

 何も分らない。
 哀には何も分らなかった。


『もう見てられないんだ…』


 ぽつり、ぽつりと零れ落ちる言葉。
 それは果たして人を殺すに値する理由なのだろうか。


『アイツ…毎日ボロボロになって帰ってくるんだ。
 それでも俺に「ただいま」って笑うんだ。
 帰ってくる前に多分着替えてくるみたいで服も全然綺麗で…。
 傷も全然見つけられなくて…。
 でも俺は知ってるんだ。毎日、毎日アイツがボロボロになってるのを…』


 言いながらきっとその時の事を思い出したのだろう。
 新一の瞳には透明な雫が零れ落ちるのを我慢したまま留まっていた。


『アイツ俺に笑うんだよ。満面の笑みで。
 でもこのままじゃ、きっとアイツ……』



 「死ぬ」



 そんな事分っている。
 いつか人は死ぬのだと。

 けれど、そんな死なせ方はしたくない。


 そう思ってしまうのは傲慢?


『アイツがあのまま死んだら…怪盗キッドの正体がばれちまう。
 快斗がキッドだったんだって…。
 俺はそれを防ぎたいけど…。でもアイツはきっとそれを望まない』


 お互いのフィールドには踏み込まないと。
 お互いのことには構わないと。

 そう約束した。
 それが傍に居る条件だった。

 だから新一がどんなに怪我をして帰って来ても。
 だから快斗がどんなに怪我を隠してしまっても。

 お互いに踏み込めない。
 唯一許されるのは――――相手に隠して勝手に心配する事だけ。


『それに…俺駄目なんだ…。
 アイツが俺の前以外で死ぬなんて考えたくないんだ…』



 だからいっその事この手で…。



 自分の手を見詰め、そしてその手を思いっきり握りこんだ新一に哀は首を振る。


『できないわ』
『灰原…』
『私は貴方達の事を聞いた時に決めたの。どちらの味方にもならないって』


 きっと彼に味方をすれば彼を見ていられなくなる。
 きっと彼に味方をすれば彼を慰めたくなる。

 だから決めた。

 どんなに彼が苦しんでいても。
 どんなに彼が悲しんでいても。

 自分は中立から動かないと。
 それが彼らを見守り続けると決めた哀の意思。


『それでもいい。
 お前は中立のままでいいんだよ。だってきっと…』





 ―――アイツも俺を殺したいと思ってるから。





 そう言って新一は笑って見せた。
 哀が見たことのない極上の笑みを浮かべて。


『そんな筈ないわ。彼は貴方を…』
『ああ、アイツは俺を愛してくれてるよ』
『だったらそんな事…』
『いや、アイツは望んでる。だって―――そうしたら俺はアイツだけのモノだろ?』


 どうして笑うのだろう。
 彼は。

 でも、どうしてだろう。
 彼の言っている事が本当だと思えてしまうのは。


 いつの間にそんな事になっていたのか。
 いつの間に二人ともそんなに壊れてしまったのか。


 それに気付けなかったのは私が幸せに浸っていたかったから?


 神様、コレは罰ですか?
 彼に苦行を与えてしまった私に対する罰なのですか?


 一番最愛の人たちを殺さなければいけないなんて。


 でもそれでも―――望みを叶えたいと思ってしまうのは罪ですか?










 だって仕方ない。
 ラストがハッピーエンドの物語なんて、彼らにはきっと存在し得ないのだから。






























「灰原?」


 いつの間に本を読み終えたのか。
 自分の顔を覗きこんでくる新一に哀はびくっとして漸く自分が何処か遠くへ行っていたのだと思い出す。


「どうかしたのか?」
「いえ、何でもないわ」
「顔色悪いぞ? 大丈夫か?」


 その問いに哀は笑顔で「大丈夫」と答える。
 その答えに新一も「そうか」と満足そうに答える。


 ソレで良かった。
 彼に悟られてはいけないのだ。


 だって全ては私の傲慢さが引き起こしたことなのだから。






























 あの日。
 あの時。

 何を考えていたのか。


 今の彼と彼を見ていてつくづく思う。
 何て自分は浅はかな事をしてしまったのかと。

 彼は彼と逝く事を心の底から渇望していたというのに。






























『なあ、快斗』
『何? 新一』


 いつもの光景だった。
 いつもの風景だった。


 新一が快斗の背に背を預け、本を読んでいる。
 その後ろにはマジックのタネを作っている快斗の姿。

 それは本当にごくごく普通の日常の光景だった。


『キス…しよっか?』
『えっ…?』


 でもほんの少し。
 その日は日常とは違っていた。

 非日常の残酷な一日だった。


『急にどうしたの? 熱でもあるの?』
『酷い言われようだな』


 振り返って新一を見詰める快斗に、そう言ってクスッと新一は笑う。
 花のような笑顔で。

 快斗を誘う。


『俺がキスしたいと思ったら駄目なのか?』
『駄目じゃないけど…でもへ……』


 変だと。
 いつもの新一じゃないと。

 そう言おうとした時、快斗の視界がぐらりと揺れた。


『な、に……』
『流石灰原。時間ピッタリだな』


 新一のその言葉に、快斗は近くにおいていたマグカップに目をやる。


『しん、いち……』
『お察しの通りだよ。一服もらせて貰った』


 新一はさらりとそう言ってにっこりと笑う。
 先程同じ花のような笑顔を浮かべたまま。


『大丈夫だ。少し…身体の自由が利かなくなるだけだから』


 灰原から聞いていたものによれば、快斗はふらふらしたこの状態が約五分続くのだという。
 その後は眠ってしまうと。

 それならばその前に……。


『最期だからさ。俺からしてもいいだろ?』
『さいご、って……?』


 朦朧とする意識をかき集めているのだろう。
 必死でこちらを見詰めてくる快斗。

 その瞳が不安げに揺れるのをどこか待っていた気がする。
 ああ、自分はいつからこんなに壊れてしまったのだろう。

 何かが崩れる音を頭の奥で新一は聞いた気がした。


『最後は最期だよ。だからさ……』


 哀から渡されていた瓶を取り出して、中のカプセルを口に含む。
 すぐ溶けるからすぐに飲ませろと言われていたソレ。


『大好きだよ。快斗……』


 彼の顎に触れ、力の入らない唇を開かせる。
 そしてカプセルを口に入れながら、舌を絡めとる。


『んっ……』


 うっとりと、彼を想う。
 最期の最後まで彼と共に居られるならどれだけ幸せだろう。


 後の心配は要らない。
 そう灰原は言ってくれた。


 だから新一は、うっとりと最期のキスに酔っていた。






























『………』


 しっかりと手を繋いだまま。
 倒れている二人を哀はじっと見下ろしていた。

 終わったのだ全て。
 自分の仕組んだ茶番は。


『後は……』


 哀は一先ず携帯を取り出すと共犯者の元へ電話をかけた。




















『新一は良いとして、彼は何処へ運べばいいの?』


 彼女には全て告げていた。
 彼が、彼と死にたがっている事。

 そして私の計画を。

 そうすればそれを止めたがり、協力してくれる事を知っていたから。


『そうね。その辺りの公園のベンチか何かでいいわ。
 どうせ夜だし朝には目が覚めるでしょうから』
『分ったわ』


 そう言って彼女は彼を担いで行った。
 空手で鍛えた筋力なのか。
 大の男を担いで歩いて行ける彼女が何だか勇ましく見えた。


『さながらアテナって所かしら…』


 そんな事を思ってしまう。
 彼女を見送って、哀は幸せそうな顔で眠っている新一を見詰める。


『きっと貴方は私を怨むでしょうね…』


 最愛の人を彼から奪ってしまった。
 一緒に死のうとまで想っていた人を。
 彼の中から永遠に。



 彼に渡した薬。
 一つは彼に言った通りのモノだった。

 けれど彼が望んだもう一つのモノは彼が望むモノではなかった。


 死ぬ薬なんて作れる筈がなかった。
 きっと彼は彼と共に死んでしまうと思ったから。

 そんな事させられる訳がなかった。
 だから代わりのモノを作った。

 記憶を。
 相手に纏わる記憶を消してしまうモノ。

 けれど、きっと完全に消してしまったら。
 これから先色々と困るだろうから。

 だから恋愛感情だけを。
 すっかり忘れてしまう様に。

 そういう様に作った。
 だから唯のライバルとしてしか認識は残らない。




 彼と過ごした一年半の甘い記憶はどちらにも残る事はない。




『ごめんなさい、工藤君…。でも私は……』










 ―――貴方を殺す事なんて出来なかったの。






























「灰原。ぬるい…」
「当たり前よ。アレだけ放っておいたんだから」


 まったく、何分経ったと思ってるの。


 そう言って、むーっと眉の間に皺を寄せている新一を笑ってやる。
 表面上は本当におかしそうに。

 けれど心の奥には――― 一生消える事のない罪悪感を隠して。










 ――――神様コレは罰ですか? 私が犯した罪に対する罰なのですか?























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