優しくて
 温かくて
 愛しくて

 余りにも
 優しい日常が

 酷く心地良かった










我が心に君深く【9】











「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」


 出された雑炊を食べ終えて、お行儀良く手を揃えてきちんとご挨拶をした新一に、快斗もそう答えて。
 空になったお皿を下げようとしたところで、その手を掴まれた。


「し、新一!?」
「いいよ。片付けぐらい俺がやる」


 きっと無意識にすっと手が出たのだろう。
 自分から快斗の手を掴んでそう言った癖に、あっ…という声が聞こえてきそうな程戸惑った顔をして、手を離すタイミングを見失っている新一に快斗は苦笑する。
 全く、こういう所が可愛くて仕方ない。


「おやおや、名探偵は随分と積極的ですねv」


 捕まっていた手をするりと抜け出させて、代わりに掴んでいた新一の手を恭しく持ち上げて。
 夜の雰囲気を纏い、手の甲にそっと触れるだけのキスを落とした。


「ち、ちげーよ! バーロ!!///」


 顔を真っ赤にさせて手を振り払う新一に快斗はクスクスと笑って。
 ぽんぽんと頭に軽く触れる。


「知ってるよ。俺が片付けるから座ってな」


 そうやって、新一に手を離す口実を与えてやって。
 快斗は空いた皿を持って、キッチンへと行ってしまう。
 そんな快斗を後ろから見詰めながら、新一はひっそりと溜息を洩らす。

 きっと手を離すタイミングを見失っていたのなんてばれていて。
 だからこそ、あんな風に言って、新一にそのタイミングを作ってくれたのだろう。

 酷く甘やかされているのだと思う。
 それが心地良く、けれど何だか物凄く複雑だ。
 こうしていると、自分の方が酷く余裕がない気がする。
 昨日の事にしても、その前の事にしても。

 快斗は自分の事を好きだと言ってくれたけれど、自信がない。
 自分ばかりが快斗の事を好きな気がして仕方が無い。
 余裕の無さが余りにも顕著で、恥ずかしくて仕方ない。


(……何で俺、こんなに駄目なんだろう………)


 彼を傷付けて。
 そんな彼にこうして甘やかして貰って。
 全く…どうしたって救えない。


(俺が快斗にしてやれる事なんてあるのかな……)


 そう思うと、何だか酷く切ない気持になる。

 して貰ってばかりで。
 与えて貰ってばかりで。
 自分は何も返せていない気がする。
 傷付けるばかりで何も―――。



「新一?」
「!?」


 いきなりひょいっと顔を覗きこまれて、新一は思わず目を見開いてしまう。
 どうやら一人思考の中に漂っていたらしい。
 不思議そうに新一を見詰めてくる快斗の視線を避ける様に顔を逸らせば、軽く頭を撫でられた。


「俺が言えた事じゃないんだろうけどさ…あんまり考え込まない様にね」
「………わぁってる」


 お互いにお互いの目を見る事なんて出来なくて。
 それでも、お互いの事を思いやった感情に、二人してちょっとだけ泣きそうになった。

























「…新一、珈琲飲む?」
「あ、ああ…」


 ほんの僅か気まずい様な何とも言えない沈黙の後、救いの手を差し伸べる様に言われた言葉に新一は素直に頷いた。
 頷いた…のだが、一瞬にして思い直した。


「いや、だから昨日も言ったけど…お前は客で俺は家主なんだから…」
「今日はいいよ。二日酔いだろ? 家主さん?」
「うっ……」


 快斗に貰った薬のお陰で殆ど良くなったとは言え、身体はまだ少しだるくて。
 正直有難い申し出なのは否定できない。
 でもそれを素直に認めるのは少しばかり…ムカツク。


「べ、別に珈琲淹れるぐらい…」
「はいはい。いいからソファーに座ってな」
「快、…」
「偶には素直に甘えなよ。新一」
「………」


 ふんわりと花でも周りに舞いそうな程柔らかい笑みでそう告げられて、新一は返す言葉を見付けられず口を閉じた。
 快斗に聞かれない様にこっそりと小さく溜息を吐いて、言われた通りソファーへと座る。

 完全に甘やかされている。
 それを素直に受け取ればいいのか。
 でも、本人の性格上(…)そんな事が出来る筈もなく…何だか複雑な思いのまま足を引き寄せて膝を抱える。

 こんなんじゃ駄目だと思うのに、どうしていいか分らない。
 快斗に何かしてあげたいと、してあげなくてはいけないと思うのに、彼にしてあげられる事なんてこれっぽっちも思いつかない。
 大体、考えてみたら快斗は何をどうしたって何でもこなしてしまうタイプで。
 だからこそ、何かをしてやらなければならない状態などやってくる筈が無い訳で…。


(いっそ…キッドの仕事でも手伝えばいいのか?)


 思い付いた方法に自分でも呆れ果てながら首を振る。
 幾ら快斗の目的を知っているとは言え、探偵である自分にはそんな事なんて出来やしない。
 いっそのこと探偵でなければ…なんて思ってみたりもするが、探偵でない自分なんて正直想像もできない。

 それにもし新一が探偵でなかったとしても、快斗は新一が協力する事を拒むだろう。
 それが彼の矜持。
 周りの優しい人達を全部全部優しい嘘で護り通して。
 そうやって、彼は孤高に真っ直ぐに凛と立つ。


(寧ろ、俺女に生れてくりゃ良かったのかも…)


 可愛い可愛い女の子に生れて。
 彼に甘えて、腕でも組んで一緒に歩いて…。
 そうすれば、こんな風に悩む事も、彼を傷付ける事もなかったのだろうか。
 そうすれば、仕事でボロボロになった彼も癒す事が出来て、少しでも自分の存在価値を見出せるのだろうか。

 考えれば考える程、ネガティブな思考しか出来ず新一は何度目かになるか分らない深い溜息を吐いた。



「考え込まない様に、って言ったろ?」
「!?」


 ことん、と目の前のソファーテーブルの上に置かれたコップと、快斗のその声で新一は我に帰る。
 少し視線を上げれば、苦笑を浮かべた快斗の顔が其処にはあった。


「何か良くない事でも考えてたんだろ?」
「別に…」
「そんな顔してたよ」
「ぅっ……ι」


 何もかもお見通しの快斗がそう言って新一の横に座る。
 その手に持たれているカップに少しだけ安堵して、新一も珈琲に口を付けた。


「さんきゅ…」
「いーえv」


 本当に、淹れるのが上手いと思う。
 珈琲もどきしか飲めないというのに、どうしてこんなに上手く淹れられるのか不思議だ。
 でも、快斗だから、で納得出来てしまう。
 それぐらい、この男は出来ない事が見つからない。

 溜息を吐きかけて、隣の快斗の存在にそれを無理矢理飲み込んだ新一の横顔を快斗はじっと見つめる。


「ねえ、新一」
「…何だよ」
「俺は、新一の傍に居られるだけで幸せだよ」
「何で……」


 言ってしまってから慌てて新一は口を噤んだ。
 何で、どうして、自分の考えている事が全部全部こうしてばれてしまうのだろう。
 相手は怪盗で、自分は探偵で。
 そういうのは、自分の立場な筈なのに…。


「分るよ。新一が何考えてるのかなんて、顔見たら分る」
「……、そういうのは…」
「探偵の仕事、だろ?」
「…ばーろ……分ってんなら言うな」


 悔し紛れにそう言って。
 どうやったって今は勝てそうにないと新一は勝負を潔く放棄した。
 どうしたって今は不利だ。
 相手は何もかもお見通しの快斗。
 今の自分では悔しいが、先ず勝ち目はない。

 むぅっとむくれて珈琲を啜る新一に快斗は瞳を和らげる。

 こうやって拗ねていじけてみせる新一の姿を見られるのはきっと自分ぐらいだろう。
 いつだって強くあろうとする彼は、人に弱みを見せない様に生きている様に見える。
 でもこうやって快斗には素の彼を見せてくれる。
 それが酷く心地良い。


「……俺は、……」


 言いかけて、切られた言葉に快斗が不思議そうに自分を見たのを新一も分っていた。
 分っていて、それでもその先の言葉を言うのが余りにも躊躇われて、結局続きを告げる事が出来ない。

 言った所で、どうこうなる物ではないのは分り切っていた。
 それを吐き出す事で、ただ自分が楽になりたいだけだと分り切っていた。

 自分の弱音を吐き出して。
 それを快斗に否定して貰って。
 自分が安心したがっているだけでしかない。

 そうやってまた自分は快斗に頼る。
 頼って、甘えて……それでは何も変わらない。


「悪い。何でもねえよ」


 彼がいつもしている様に、ポーカーフェイスの笑顔を張り付けて、新一は笑った。

 そう、いつだってそうしてきた。
 快斗以外には。
 だから、それを思えば自分だって出来ない筈が無い。


「新一。言いたい事があるなら…」
「いいんだ。何もない」


 断定する様に言いきって、新一はカップの中の珈琲をくいっと飲み干した。
 快斗のカップが横に置かれたのが酷く嬉しかった。
 二つで一つのカップ達の様に、自分達も二人で一つになれたらいいのに、なんて自分らしからぬ考えが頭を過る。


「何でも…ないんだよ」


 念押しの様にそう言って、新一は悠然と快斗に微笑んで見せた。






























to be continue….



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