どれだけ好きと言っても
 どれだけ大切だと言っても

 きっとお前は
 それを信じきれはしないのだろう

 いっそ壊すのが優しさなのか
 それとも離れるのが優しさなのか

 そうは思ってももう離れられない
 今更この手を離してなどやれない

 だから言い続けるしかない
 ―――俺はお前を愛しているのだと












我が心に君深く【36】











「有難う。新一」


 にっこりと微笑んだ快斗の笑顔が何だか張り付いた様なもので、彼がまた何かを考えているのは明らかだった。
 抱きしめられた腕の中、新一はすりっと快斗の胸に頬を擦り付けた。

 何をどう言ったらこの想いは伝えられるのだろう。

 好きだと。
 大切だと。
 愛しているのだと。

 そう言ってもきっと彼には届かないのだろう。
 そんなモノではきっともう彼の底には届かないのだろう。
 それだけ傷付けたのは紛れもない新一自身で、それは後悔しても取り戻す事の出来ない現実だ。


「新一?」


 返事が返ってこないことを不審に思ったのか、呼びかけられた名前に伏せていた視線を上げた。


「なあ、快斗」
「何?」
「俺、さ…」


 何をどう言えば良いのか分からない。
 何をどう言ったら彼に伝わるのかもう分からない。

 それでも、何かを言わなければならないと思うのに…事件の時はあんなにも雄弁な口はこんな時に限って上手く語ってはくれない。


「ん?」
「………」
「新一…?」
「……俺は、お前と一緒に居たいと思ってる」
「うん」


 たどたどしく言った言葉に返って来た快斗の返事はとても柔らかく優しい。
 その柔らかさに少し安心して、新一は瞳を閉じる。


「お前と一緒に住めたら幸せだろうとも思う」
「…本当に?」
「ああ。本当だよ」


 ずっと一緒に居られたら良いと思っている。
 あの時一緒に住みたいと思ったのも言ったのも事実だ。
 そして、快斗がそう言ってくれて嬉しいと思ったのも事実。

 でも……。


「でも、俺にはまだその準備が出来てない」
「準備?」
「ああ」
「準備って…、一体何が必要なの?」


 好きで。
 大切で。
 愛していて。

 傍に居たいと願っている。
 気持ちはもう充分に。

 そして、物理的に考えれば新一はある意味この家に一人暮らしの状態で。
 快斗を呼ぶとしても部屋は余っているのだから問題は無くて。
 きっとあの両親なら諸手を挙げて喜んでくれるだろう。
 特に母さんは。

 気持ちも、環境も整っている。
 でも―――。


「………」
「新一」


 躊躇いの滲む沈黙から返事を諭す様に呼ばれた名に、新一はこくっと息を飲み込むと、漸く決心して口を開いた。


「…お前が、お前が察してる通り…俺の身体はまだ落ち着いてない」
「うん…」
「お前はそんな俺が心配だから傍に居たいって言うけど…俺はそういうのは嫌なんだ」
「俺には弱みは見せられない?」
「そういう訳じゃ…」
「俺にはそう聞こえるよ」


 柔らかかった空気が少しだけ冷える。

 ああ、そうか。
 気にしているのはそこでもあるのか、と少しだけ冷静に思って新一は何だか少しおかしくなってクスリと笑ってしまった。


「何?」


 言葉に含まれる棘が少し鋭くなった気がする。
 それでも相変わらず新一の口元には笑みが浮かんだままで、快斗の眉は余計に寄せられた。


「新一?」
「お前、さ…」
「ん?」
「俺の弱み、握りてえの?」
「えっ…?」
「お前は俺の弱みを握りたいのか、って聞いてんだよ」


 言っている言葉と笑ってしまう口元に整合性が無いのは新一も分かっていた。
 それを快斗も不思議に思ったのだろう。
 困惑する快斗の顔に、新一の顔には余計に笑みが浮かぶばかりだ。


「別に俺は新一が心配だって言ってるだけで、新一の弱みを握りたいなんて言ってる訳じゃないよ」
「俺にはそう聞こえるよ」


 さっきの快斗の言い方を真似てそう言えば、むぅっと快斗の口元が少し不満げに歪められる。


「何でそういう風に言うの?」
「俺にはそう聞こえたから」
「俺は新一を支えたいだけだよ」
「俺の弱みに付け込んで、か?」
「っ…!」


 悔しそうに歪められた瞳にチクリと胸が一瞬痛んだが、それを打ち消す様に軽く快斗の胸を頭で一度叩いてやる。


「新一…?」
「お前はさ、そういう方が安心すんだろ」
「安心…?」
「そう。お前はさ、きっと…そういう繋がり方の方が安心するんだろ?」


 好きだとか。
 愛してるとか。

 そう言うよりも、きっともっと暗い繋がりの方が快斗は安心するのかもしれない。

 ずっとずっと深い所で。
 ずっとずっと暗い所で。

 そういう方が安心するのかもしれない。


「…そうかもね」


 もっと違う答えが返ってくるのかと思っていたのに、快斗から返って来たのは意外な言葉だった。

 もう少し反論されると思った。
 そういう訳ではないのだと言い訳されると思った。

 それでも素直にそう返って来て、意外さに快斗の顔をジッと見詰めれば自嘲気味に笑う瞳と目が合った。


「俺はそうやって新一を縛り付けたいのかもしれない」
「縛り付ける?」
「そう。弱ってる新一の傍に居て、俺が支えてやってると言って、俺無しでは生きていけないと錯覚させたいのかもしれないね」


 クスリと決定的に暗く小さく笑う快斗の瞳が笑っていなくて、新一はただジッとその瞳を見詰めた。
 そうすれば降参した様に快斗の瞳が揺れた。


「これだから名探偵相手は困るよ。騙されてくれないんだから」
「お前は俺を騙す気だったのか?」
「別に騙す気があった訳じゃないよ。俺だって…自分に騙されてた様なもんだ」
「何だ、それ」


 言われた言葉の意味が分からず新一が不思議気に瞳で問い返せば、ゆるりと頬を撫でられた。


「俺はただ新一を心配してるんだと思ってた。
 ただ新一が心配で…新一をただ支えたいと思ってるんだと錯覚してた」
「…錯覚」
「そう、錯覚。それは俺自身さえ騙してたよ。
 でも新一に言われて気付いた。…そうだね、俺は―――新一の弱みに付け込んで縛り付けたいだけだ」


 頬に触れた手が慈しむ様にゆるゆると頬を撫でる。
 言っている言葉は少し物騒な棘を孕んでいるのに、その仕草は酷く甘い。


「快斗…」
「俺はね、新一。自信が無いし、それに…俺には資格が無い」
「何の資格だ?」
「新一の傍に居て良い資格だよ」


 するり、と頬を撫でていた手が耳元に触れくすぐったさに首を竦めれば、クスリと小さな笑みと共に反対の頬に口付けが一つ落とされた。


「俺は犯罪者だ」
「快斗」
「新一が何をどう言おうと、それは正しく事実だよ」


 触れる快斗の唇は酷く甘いのに、それから紡ぎ出される現実は酷く辛辣だ。
 現実に瞳を閉じて、新一は寄せられた手に頬をすりっと寄せる。


「だから俺には新一の傍に居る資格は無い」
「…だったら、お前は…」
「無理だよ。それでも俺は新一の傍から離れられない」


 頬に触れていた手が顎に下り、クイッと顎を上げさせられる。
 そうしてそのまま唇に口付けが落とされる。


「愛してるよ、新一。今更新一の事を離せる訳がない」
「…快斗」
「好きだよ。愛してる…。だから俺は、新一の傍に居られる理由が欲しい」


 真っ直ぐに新一を見詰め、懇願する様に言われてしまっては新一には逃げ場など無かった。


「その為には、絶好の機会だ」
「…俺が弱ってるのが、か?」
「そうだよ。弱ってる新一に付け込んで傍に居ようっていう狡い男なんだよ、俺は」


 新一を抱き締めていた腕をするりと解き、少し茶化した様にそう言って笑う快斗の瞳はそれでもやはり笑っていない。
 それに呆れた様に新一は一つ溜息を吐いて、その首に手を回した。


「新一…?」
「らしくねえ事言ってんじゃねえよ」
「らしくない?」
「そう、らしくない」


 そのままその手を引き寄せて、自分から口付けた新一の行動に快斗は瞳を見開いた。


「…今日は随分積極的なんだね…」
「誰かさんのせいでな」
「それはそれは…」


 何とか茶化して誤魔化して自分を保とうとしているが、それでも快斗の耳が少し赤くなっているのに気付いて新一は満足そうな笑みを浮かべる。
 自分だけではない。
 こんな風にドキドキしているのが自分だけではないのだと思うと、何だか酷く安心する。


「お前は自分の事を卑下してそうやって言うけど、そういうのはお前には似合わねえよ」
「それは新一君の買い被りだよ」
「…バーロ。“俺”が言ってんだぞ?」


 怪盗が唯一『名探偵』と呼ぶ新一がそう言うのだ。
 その意味を快斗は違う事無く受け取って、困った様に笑った。


「そう言われると困るね」
「そうか?」
「うん。困るよ。俺が思ってる俺は俺じゃないって言われてるみたいで」


 犯罪者で。
 名探偵に触れるにはこの手は汚れきっていて。

 だから傍に居られないと。
 だからこの手では彼に触れられないと。

 そう思っているのに―――。


「快斗」


 首から外された新一の片方の手が、快斗の髪をくしゃっと混ぜる。
 その感触に快斗が目を細めれば、新一もその顔に目を細めた。


「お前はお前が思ってる程汚れてねえよ」
「…でも、俺は犯罪者だ」
「快斗」
「事実だろ」


 甘い動作も。
 甘い唇も。

 今この空間にある空気は酷く甘いのに、それでも吐き出される言葉達は酷く現実的で。
 それに蓋をする様に、新一は縋る様に快斗の首を引き寄せその身体を抱き締めた。


「それは事実であって真実じゃない」
「…本当に名探偵は“真実”がお好きですね」


 最後だけちらりと夜の顔を覗かせれば、新一が快斗を抱きしめている腕が少しだけ強くなる。


「お前がやってる事は確かに褒められた事じゃない。でもそれは…」
「理由があっても犯罪は犯罪でしょう? 名探偵」


 続く言葉を遮って怪盗がそう告げれば、少しだけムッとした新一の気配が伝わる。
 表情が見えなくともそれは怪盗に確実に伝わっていた。


「怪盗の方が探偵より現実的でどうすんだよ」
「探偵さんが怪盗よりロマンチストでどうするんですかね」
「ああ言えばこう言う…」
「名探偵に言われたくはないですが」


 クスリとそう笑って、漸く怪盗は再び新一の背に腕を回した。
 細過ぎるその身体に一瞬眉を寄せ、力を入れ過ぎない程度に抱きしめる。


「快斗」
「何ですか?」
「快斗」
「何?」


 咎める様に呼んだ名に諦めて漸く気配を元に戻した快斗に少しだけ満足して、ぎゅっと快斗に抱き付くと新一は目を閉じた。
 自分を落ち着かせる様にゆっくりと息を吸って、それをゆっくりと吐き出す。

 そうして少しだけ落ち着いた所で、ゆっくりと口を開いた。


「俺は探偵だからお前を赦してはやれない」
「知ってるよ」

「でも…例えお前がどんな奴で、何をしてたとしても――――俺はお前の傍に居る」


 これはあの時彼に言った言葉だ。
 あの時はただ友人として言った言葉ではあったけれども、それでも…想いは同じだ。

 あの時の言葉は本心だった。
 その後言った言葉を考えれば、快斗にもう一度その言葉が届くとは思えなかったが、それでも……それでも……。


「新、一……」


 ギュッと抱きしめられた身体に僅かに痛みが走ったが、それすら酷く心地良かった。
 掻き抱く様に抱きしめられて、まるでそれだけ離したくないと言われている様で思わず新一の口元には笑みすら浮かんでしまう。

 愛されているのだと―――そう、自惚れてしまう。


「好きだよ。愛してる……。本当に………愛してる」


 幾ら言っても足りないのだと言う様に繰り返し紡がれる『愛してる』に眩暈がする。
 しぱっと瞳を瞬かせて、うっかり溢れそうになる涙をやり過ごす。


「俺も好きだよ。――――愛してる」


 過ぎる幸せに眩暈がする。
 紡がれる睦言を空気ごと吸い込めば、身体中が甘く痺れる。

 脳内までひたひたと浸る感触に今だけは酔ってしまいたい。



「―――ずっとお前だけを愛し続けるよ、快斗」



 言葉を発した唇は直ぐに熱い熱に奪われそして―――ただその熱だけが今の全てになった。






























to be continue….



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