抱きしめて
好きだと言って
キスをして
それ以上に何が必要だろう
それ以外に何が必要だろう
本当に意味があるのは
行為ではなく
本当に意味があるのは
その心の先
それを分かっているからきっと
二人は未だに未来を夢見られないのだろう
我が心に君深く【35】
「何かさ…そうやって言われてこうしてると、俺達まるで付き合ってるみたいだね」
抱き締められた腕の中、そんな言葉が聞こえてピクッと新一の肩が揺れる。
その顔に戸惑いに似た表情が張り付いたのを確認して、快斗は少しだけ目を細めた。
やっぱりそうだ。
こんな風にまるで恋人同士の様にしていても、彼はまだ自分を赦せていないのだろう。
そして、そんな彼を快斗も赦せていないのだろうし、快斗も快斗自身を赦せていない。
どこまでいっても堂々巡り。
それが新一だけのせいではなく、快斗も同罪だと知っているのに、受け入れた様な顔をして最後の最後でこうして突き放してみせる新一の残酷な優しさが、快斗の心の底の部分から暗い何かを引き上げ始めた。
「そんなに嫌? 俺と付き合うの」
「嫌な訳ないだろ」
即答。
それは合格。でも……。
「じゃあ、新一は俺の恋人だと思って良い訳?」
「それは…」
言い淀むその声が余りにも痛々しい程弱くて、思わず可哀相になってしまう。
けれど、それと同時にどうしようもない位の加虐心も生まれてくるのだから、我ながらみっともない程情けないとも思う。
「それは違うんだ?」
「………」
「まあ、新一君は自分に甘い人間の事なら好きになるもんね」
「違っ…」
「違うの? 白馬には頼った癖に」
「っ………」
どうしてだろう。
さっき絶対に勝てない恋敵の話しなんかしたせいか。
それとも一緒には住めないと頑なに言われたせいか。
甘やかしてやりたいと思う。
さっきあんな風に頭を押さえている彼を見た時は世界中の何よりも護ってやりたいと思ったというのに、今はこんなにもこの弱々しく見える生き物を酷く虐めたい感情に駆られる。
自分でも酷い人間だと思う。
あり得ないと。
けれど、その思いとは裏腹に、彼に血を流させそれを舐め取ってやりたいと思う自分がいる。
何て酷い人間なのだろう。
「違う…」
ギュッと掴まれた腕の感触に腕の中の彼に目を落とせば、僅かに目尻に涙を溜めつつも健気にこちらを見つめ返してくる蒼い瞳。
そんな健気さを押し潰す様に、快斗は極上の笑みを浮かべて見せる。
「何が違うの? 白馬に縋ったのは事実だろ?」
「…違う」
「何が?」
「………俺が好きなのはお前だ」
「じゃあ、白馬とは何もなかったんだ?」
「………」
あの坊ちゃんの人の好さは快斗も知っている。
けれど、好きな人間を目の前にして何もしない程には聖人君主だとは思っていない。
奴も男だ。
それなら、キスの一つや二つ、それ以上だってしていておかしくはない。
「黙るって事は、何かあったって事だよね?」
「………」
「別にいいのに」
そんな事そんなに真面目に気にする様な事ではない。
大学生なのだから、そんな事の一回や二回、いやそれ以上あったって別に普通。
そう言って作った笑みで笑ってやれば、新一は少し目を伏せ唇を軽く噛んだ。
「それはお前もそうだから、って事か?」
「え?」
「……幾らだって居るんだろ。お前の恋人になりたがる奴なんか」
「………」
唖然とした、と言った方が良いのか。
咄嗟に言葉が出て来なくてぽかんとした顔のまま、あんぐりと口でも開けそうな勢いの快斗の対応にイラついたのか、責め立てる声は余計に大きな物になった。
「何呆けた顔してんだよ!」
「いや…だって……」
「別にお前は俺じゃなくたって誰だって選り取り見取りなんだろ! 別に俺じゃなくたって……」
最後の方は聞き取れなかった。
表情を隠す様に快斗の胸に埋もれた新一の顔は最後の一瞬泣きそうに歪められていた気がする。
何て言うかこれは……。
「俺、愛されてんだね…」
「…………は?」
「一千万回『好き』って言われるより愛を感じるよ、ホント」
「……言ってる意味が分かんねえよ」
言葉通りの呆れ交じり困惑交じりの声にふっと快斗は小さく笑うと、快斗の腕を掴んだままだった新一の手に自分の反対の手を重ねた。
「それは、新一君がヤキモチ妬いてくれてるって事でしょ?」
「なっ…! ち、ちげーよ!!」
「違うの? 俺にはどっからどう聞いてもそうとしか聞こえなかったんだけど?」
「…ち、違う! 違うつったら違うからな!!」
どこをどう取っても違う様には聞こえない様な慌てた様子でそう言われても説得力のかけらもない。
というか、余計に墓穴を掘っているだけだという事をこの名探偵殿は気付いていらっしゃらない。
それが余計に可愛くて、快斗は重ねた手に力を籠めた。
「ホント…新一は狡いよ」
「な、何でだよ!」
「…そういう無意識なとこ。ホント……狡い……」
いつだってこうやって快斗を喜ばせてくれる。
いつだってこうやって快斗を幸せにしてくれる。
勝手に傷付いた心の傷口を、彼は無意識で癒してくれている。
それに愛を感じてしまうのは、快斗の勝手な妄想なのか。それとも、本当の愛なのか。
それすら分からなくなってしまっても、この温かい胸の奥は真実だ。
「………悪い…」
「えっ…?」
「…俺、またきっとお前の事傷付けた」
「な、何でそうなるの…!? …ち、違うから! それ大きな誤解だから!」
暫くの沈黙の後、しょんぼりとして、一体何を言うのかと思ったら何だか明後日な方向に理解した言葉が返ってきた。
泣き出しそうに歪む瞳に快斗は慌てて捲し立てた。
「あのね、俺は嬉しかったの! 新一が無意識で俺の事『好き』って言ってくれてるって思えて嬉しかったんだよ!
だから、お願いだから…そんな顔しないで…」
この顔には本当に弱いと思う。
泣き出しそうに目元を潤ませられた日にはもうどうしようもない。
さっきまでの傷付けたい衝動なんていっぺんに消えてしまう。
代わりにやってくるのは、大事に大事に護って慈しんでやりたいと思う気持ち。
「…そうなのか?」
「そう。もうすっごい嬉しかったの!」
きょとんとして、ことんと首を傾げた新一をぎゅっと抱きしめて。
諤々と首を立てに振れば、ホッとしたのか息を吐く新一の安堵した声が聞こえた。
「それなら良かった…」
「……でもさ、新一君」
「ん?」
「何で恋愛関係になるとそんなに『迷探偵』な推理に行き着くの?」
「…やっぱりお前今“メイ”の字が違っただろ」
「いや、今はそっちのが正しいから。ホント」
「るせー」
いつぞやにやり取りしたのと同じやり取りをしながら、快斗は呆れを通り越してある種感心していた。
何をどうしたらここまで明後日の方向に推理出来るのだろう。
本当にこの迷探偵殿にも困ったものだ。
このルックスで、知名度も高いからさぞモテるだろうにそういう所にはからっきしな所がまた可愛い。
こんなに純粋だったら変な奴に誑かされていてもおかしくなさそうなのに、そういう所は危機感が働くのかきちんと避けて生きてきたようだ。
ただし…あの腹黒になりきれない坊ちゃんには捕まりかけた訳だが…。
「ねえ、新一」
「何だよ」
先程のが少し気に障ったのか。
少しだけご機嫌斜めな返事が返って来て、そんなところも可愛いと快斗はクスリと笑ってしまう。
そうして、その可愛くむくれている頬にちゅっと口付けた。
「なっ…!///」
「ホント可愛いねぇ」
「だ、だから急にそういう事…!」
「しょうがないよ。可愛いんだから。まあ、こんなに可愛かったら思わず白馬が手を出すのも分かるけどね」
「…快斗」
「何?」
「…やっぱお前、……」
「まあ、気にしてないって言ったら嘘になるかな」
不安そうに揺れる瞳に、嘘を吐いてやるのも優しさだとは思ったけれど、相手は名探偵殿。
そんな嘘いずればれてしまうだろう。
そうして、そんな嘘を吐いた快斗を変に勘ぐって不安になってしまうだろう。
それを考えれば変に嘘を吐くよりも、正直に言ってしまった方が良いのかもしれない。
「俺は新一の事好きだから、白馬と何かあったなら…全く気にしないって訳にはいかない」
「………」
「でもね、新一…」
けれど、不安にならない様に。
けれど、傷付けてしまわない様に。
極力言葉を選びながら、抱き締める腕に力を籠めながら正直に告げる。
「白馬とは別れたんでしょ?」
「…ああ」
「ならいいよ。過去は過去だ」
そう、過去は過去。
快斗だって、昔は多少やんちゃをしていた時代だってある。
それを考えれば、新一の事をとやかく言える筈もないし、それに―――。
「―――いいよ。これからは俺の事だけ見てくれるんでしょ?」
過去なんてどうだっていい。
今、そしてこれからずっとずっと俺だけを見てくれるなら……。
「…当たり前だ」
「…えっ……、当たり前…なの?」
「ああ」
「そっか…」
少し意外だった。
こんな風に真っ直ぐに何の迷いも無く、寧ろ「そんな当たり前の事を聞くな」とでも言わんばかりの瞳を向けられて、自分の疑り深さに苦笑する。
彼はいつだってこうやって真っ直ぐだ。
真っ直ぐで、迷いのない瞳で快斗を見詰めてくる。
いつだって…どんな時だって。
だから、余計に怖くなる。
――――この瞳がいつか、何の迷いも無く……罪を断罪する為に俺を見詰める日がくるのではないか、と…。
「快斗?」
不安な感情が一瞬でも顔に出てしまったのかもしれない。
躊躇いがちに呼ばれた名前に、ハッと我に返ると快斗はにっこりと微笑んだ。
「有難う。新一」
ああ、きっと君は俺を愛してくれている。
ああ、きっと君は俺を大切に思ってくれている。
けれど……それでも―――――。
――――歪んでしまっている俺は、その愛すら真っ直ぐに信じる事が出来ないんだ……。
to be continue….