君がそんな風に言ってくれるから
 君がそんな風に想ってくれるから

 期待してしまう
 信じようと思ってしまう

 それが自分にとって
 良い事なのか
 それとも悪い事なのか

 今でもまだ
 答えははっきりしないまま――










我が心に君深く【29】











「ありがとう。新一」


 隠す様に自分の胸に顔を埋めた新一に小さく笑みを零すと、さらさらの髪にそっと口付ける。
 全く…この人は自分を喜ばせるのが本当に上手い。


「そう言ってくれて、本当に嬉しいよ。でも…」


 意図的に言葉を切って、形の良い頭を撫でる。
 暫くそうしていれば、おずおずと彼の顔が上げられる。


「…でも、何だよ…」
「一体何を考えていたのかも教えて貰いたいな、って思ってね」


 にっこりと満面の笑みで快斗が微笑めば、新一の大きな瞳が更に少し大きく見開かれる。
 瞳が見開かれて、次いで頬が赤く染まって、唇を戦慄かせ、困った様に顔が俯く。

 その一連の動作を見ていて、快斗の口からはクスッと小さく笑みが漏れてしまう。
 全く…本当に可愛くて仕方ない。

 この様子を見る限り、そしてさっきの言葉から考える限り、きっと快斗に悪い事を考えていた訳ではないだろう。
 だとしたら、それはそれで聞いておきたい。

 不安が払拭されれば、そんな風に冷静に新一の様子を観察出来る自分に、内心で呆れてしまう。
 きっとちゃんと、いつもこんな風に冷静に新一を見詰める事が出来たなら、要らぬ不安を抱く必要もないだろうに…。

 好き過ぎて不安だなんて、彼を好きになる前は考えすらしなかったのに―――。



「…新一」


 促す様に名前を呼べば、躊躇いがちに顔が上げられる。
 照れた様な、恥ずかしがっている様なその顔が堪らない。


(…こんなに押し倒したくなる様な顔されるとこっちがもたない…)


 無自覚でこんな顔をこんな間近でして下さるのだから堪らない。
 これではこっちの理性が幾ら有ったって足りやしない。


「……別に大した事じゃない」


 それでもそんな可愛い顔をしていても、相手はかなりの意地っ張りを誇る『工藤新一』。
 そうそう素直に言ってくれる筈がなく、拗ねた様にそう言ってまた俯いてしまう。

 本当に…一筋縄じゃいかない。


(まあ、そんなとこも新一らしくて可愛いんだけど…)


 思わず口元に上ってしまいそうになる笑みを必死で堪えて、そっと新一の耳元に唇を寄せた。


「大した事じゃないなら教えてよ。新一が何考えてたのか知りたい」
「っ…///」


 囁く様に、少し声を押さえて耳元に声を吹き込む。
 ビクッと新一が反応したのに気分を良くして、少しだけ新一を抱き込む力を強めて、また耳元に囁きを落とす。


「俺はね、新一。新一の事なら、どんな些細な事だって知りたいんだ」
「…///」


 狡いのは知っている。
 狡いのは分かっている。

 それを知っていて尚、新一をこうやって堕とそうとするのだから、全く自分という人間の狡さに頭が痛くなる。
 腕の中に居る顔を真っ赤にさせた素直で可愛い恋人を見ていると、自分の狡さがより顕著にみえる気がする。


「快斗…」
「ん?」
「……ホントに、大した事ないんだけど…」
「うん。それでも聞きたい」
「……笑うなよ?」
「笑う様な事なの?」
「………」


 再度返ってくる沈黙。
 そして、諦めた様に小さく溜息を吐いた新一は、やっぱり諦めた様に口を開いた。


「…お前と、……その……一緒に住めたら幸せだろうな、って……///」
「え……」


 余りに意外なその言葉に正に開いた口が塞がらない状態になってしまった快斗に、新一は余計に恥ずかしくなってゴスッと快斗の胸に照れ隠しの頭突きをかました。
 その衝撃にに快斗が新一を抱きしめていた腕が緩む。


「っ……! 新一、何するの……;」
「お前が悪い。…何か言え……///」
「あ、ごめん…;」


 ただ、余りにも予想外な言葉に、続ける言葉を見つけられずに快斗は真っ赤になって顔を自分の胸に埋めてしまった新一同様、耳まで真っ赤になってしまう。
 好きで好きで堪らない人からそんな事言われたら、赤くなるなという方が無理だと思う。
 きっと身体まで熱いだろうと自覚しながら、快斗はぎゅっと腕の中の新一を抱きしめ直した。


「ねえ、新一」
「何だよ…」
「あんまり俺の事喜ばせないで。どうしたら良いのか分かんなくなる…」
「快斗…」


 けれど、その嬉しさと喜びと愛しさとが混じり合う中に、僅かに黒い染みが広がる。
 相変わらず心に巣食ったままのその黒い染みは、僅かながらにもその温かい物へと確実に浸食していく。

 素直に受け取りたいと思うのに。
 素直に信じたいと思うのに。
 それなのに最後の最後でこの心は信じきることを拒絶する。

 嫌だと確かに拒絶しているその暗闇は確実にじわりじわりと追ってくる。
 その深淵に寒気すらする。

 自分でもどうする事も出来ないその不安が怖くて怖くて堪らない。
 その怖さに目を瞑る様に、快斗は新一をただぎゅっと抱きしめた。
 声が――震える…。


「新一。俺は、新一の事愛してるんだ…」
「分かってる」
「好きなんだ。本当に愛してる。でも…」
「いいよ。もうそれ以上、言わなくていい」


 宥める様に背に回された手に快斗は泣きそうになる。
 こんなにも彼は自分を労わってくれているのに、自分はどうして彼を信じきる事が出来ないのだろう。
 頭では彼があの日言ったあの言葉だって、仕方ない事だったのだと今では分かっている筈なのに。


「なあ、快斗」
「………」


 呼びかけられて、それでもどう返事をしたらいいか分からずに快斗が途方に暮れていれば、クスッと小さく笑い声が返ってくる。
 その声にすらビクッと身体を強張らせた快斗を再度宥める様に、新一は優しく快斗の背を撫でその胸に頬をすりっと擦り付けた。


「俺はもう、覚悟決めてんだよ。お前にどれだけ傷付けられたって構わない」
「…新一……」
「俺はお前の事傷付けた。だから、お前には俺を傷付ける権利がある。そう言った筈だろ?」
「でも俺は…!」
「いいから最後まで聞けよ。
 そんな事でお前が手に入るなら安いもんだ。だって俺は――本当ならあの時お前を失っていた筈なんだから…」


 あの日あの時あの場所で。
 新一は確実に快斗を切り捨てた。

 それは勿論白馬との事があったからではあるが、それでも、あの時新一が快斗を切り捨てた事には他ならない。
 一番傷付く言葉を選んで、一番傷跡を心に残す形で切り捨てた事には変わりない。

 快斗が何よりも傷付く言葉を新一は持っていた。
 それだけ新一に対して快斗が心を許してくれているのも分かっていた。
 分かっていて、知っていて、敢えてソレを選んで快斗の心を抉り取ったのは他ならぬ新一だ。

 快斗の深く深く更にその奥底を抉り取った事を新一は知っている。
 快斗がその奥底の部分を必死に守っていた事も。
 知っていてなお、新一はその部分だけを確実に尤も酷いやり方で傷付けた。

 それは恐怖となって快斗を苛むには充分過ぎる程の行為だ。


「お前を傷付けてるのも、苦しめてるのも、全部俺が言った言葉だ。
 俺は勝手にお前を好きになって、それを知られるのが怖くて嘘を吐いて――そしてそれを隠す為に嘘を重ねた。
 そのせいでお前を深く傷つけた。それは今もお前を苦しめ続けてる。きっと…これからもお前を苦しめ続ける…」


 その傷はきっと消える事はないだろう。

 最初は消せたら良いと思っていた。
 消し去って、快斗に自分を信じて貰って。
 そうして甘いだけの関係を築けたら、幸せだろうなんて、自分勝手に都合の良い事まで考えていた。

 自分を信じてくれない快斗に苦しくて泣いてしまったり。
 自分が傷付けた癖に、快斗に言わなくていい事まで言ってしまったりした。

 でもそれを繰り返して、気付いた。
 きっともう、これは一生消す事は出来ないのだと。



 これは一生消す事の出来ない―――新一の『罪』だ。



「違う…、それは俺が新一を信じられないのがいけないからで…」
「だから、最後まで聞けつってんだよ」


 声を詰まらせながら、それでも苦しそうに抗議の声を上げる快斗の言葉をそう言って封じて。
 新一は背に回した手に少しだけ力を籠めた。


「お前が俺を信じられない原因を作ったのは俺自身だ。
 でもだからって、俺はもうお前を離してはやれない。
 お前がこれからも苦しみ続けるのは分かってる。分かってるのに俺は――お前の手を離す事が出来ない」
「……新一……」
「快斗、俺は最初から最後まで我が儘なんだ。
 俺が勝手にお前を好きになって、そのせいでお前を傷付けて……それでも俺は、今後もお前を傷付け続ける事を望んでる」


 本当なら離れた方が快斗の為なのかもしれない。
 けれど、それを言った快斗にすら、自分は泣き縋ってしまった。

 泣き縋って、好きだと言ったと言質を取って。
 そうやって、快斗を縛り付けている。

 新一自身ですら嫌になりそうな程、我が儘で自分勝手だ。

 その我が儘のせいで快斗はきっと今後も傷付き続けるのだろう。
 好きだと言いながら、その心はきっといつまでも癒えない傷に血を流し続けるのだろう。


「それでも快斗……。俺はお前を愛してるんだ」


 身勝手過ぎる告白に頭が痛くなる。
 相手の為じゃない。
 ただの自分の気持ちの押し付けでしかない。

 それが分かっているのに、それでもその気持ちを抑え込むことが出来ない。
 抑えきれない程―――彼が欲しくて堪らない。


「だからさ、快斗。お前は俺を傷付けて良いんだ。
 俺がお前を傷付け続ける分、お前は俺を傷付けて良いんだよ」
「駄目だ…。だってそれじゃ…」


 ゆるゆると快斗が首を振る気配に、新一は快斗の腕の中でもう一度小さくクスッと笑う。
 そう、それが正常だ。
 相手をこんなに傷付けると分かっていて、それでもなおこんな関係を願う自分よりもよっぽど…。


「快斗。それならお前は俺の事嫌いか?」
「……そんな訳、ない……」
「俺の事…好きなんだろ…?」
「…好き……」


 小さく呟かれた言葉に安堵して、新一は再びすりっと頬を擦る。


「…俺はそれだけで幸せだよ、快斗……」


 叶わないと思っていた。
 ずっとずっと『友人』という仮面を付けていくのだと覚悟していた。
 そして、一度は彼を…確実に失う覚悟をした。

 けれど、今自分はこうして快斗の腕の中に居る。
 それだけで――眩暈がする程に幸せだ。


「でも、新一…俺は…」
「分かるよ、快斗。お前が言いたい事は分かってる」


 こんな関係が正常だとは言えないかもしれない。
 お互いがお互いを傷付け続けるだけだなんて、そんな関係正常じゃないのかもしれない。

 きっと快斗はあの日言った様に『もう一度最初からやり直したい』と思っているのだろう。
 『友人』からちゃんと一歩ずつやり直して、お互いを信じ合えるようになって、そうして『恋人』になりたいと望んでいるのだろう。
 普通の恋人がするように、お互いを思い遣ってただ優しく温め合える様な関係になれる様に。

 けれど―――。


「でもきっと…それはもう、無理だ…」
「っ……」


 快斗が唇を噛みしめたのが分かっても、もうどうする事も出来ない。
 だってソレを選び取ってしまったのは、間違いなく新一自身だ。

 だから―――。


「好きだよ、快斗。俺はこれからもお前を愛し続けるよ…」


 ―――今の新一に出来るのは、ただどうしようもない位に溢れてくる愛を囁く事ぐらいだった…。






























to be continue….



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