爽やかな朝の目覚めは
より爽やかに
柔らかに照らす日の光は
より柔らかに
心境が変わるだけで
世界はこんなにも違うのだと知った
我が心に君深く【26】
「んっ………」
重い瞼を持ち上げ、思いっきり腕を伸ばす。
ベッドサイドに置いていた目覚まし時計に手が触れ、ちらっとそれを確認する。
午前8時43分。
日曜日の朝にしては上々の早起きだ。
いつもなら、ここで二度寝を決め込む所だが、何となく気分が良くて、新一はベッドから抜け出した。
「ふわぁ……」
もう一度軽く伸びをして、緩く欠伸をする。
気分が良いと言っても、やっぱりまだちょっとだけ眠い。
「シャワーでも浴びるか…」
そう呟いて着替えをクローゼットから取り出そうとしたところで、
RRRRRRR……RRRRRRR………
枕元にあった携帯が無機質な音を立てる。
慌てて飛びついてサブディスプレイを確認すれば、見知った名前が映し出されていた。
「もしもし。……はい。………はい。分かりました。直ぐに出られる様にしておきます」
馴染みの警部からの電話で半分眠っていた頭が、急速に起きてくる。
電話に受け答えしながら、クローゼットから洋服を引っ張り出し、慌てて階段を下りる。
電話を切って慌ただしくシャワーを浴びる。
寝起きの身体に少しばかり熱いシャワーを浴びると、目がきちんと覚めてきた気がした。
そうしてバタバタと用意をして、インターホンが鳴る頃には、『探偵』としての『工藤新一』がしっかりと出来上がっていた。
「……電話、するかな……。それとも、メールにするかな……」
ゴロゴロとベッドの上を転がりながら、快斗は携帯片手に悩んでいた。
昨日ついうっかり夕食を食べさせ忘れていたため、今日はちゃんとご飯を食べて貰おうと思った訳なのだが…。
「でもなぁ…電話して寝てたらなぁ……」
新一は『探偵』という仕事柄、電話の音が鳴ればどんなに熟睡していても必ず電話に出てしまう。
それを知っているからこそ、無暗に電話はかけたくない。
かけたくはないが…。
「でも、新一の声聞きたいしなぁ……」
愛しい愛しい彼の声を聴きたくない筈がない。
メールなんて無機質な文字のやり取りより、電話の方が何倍も良い。
直接会う事には及ばないが、それでも彼の声を聴けるなら…とも思ってしまう。
「それに、メールだと……気付かないかもしれないし……」
そうやって自分に言い訳してしまう辺り、かなりの重症だと思う。
重症過ぎる…。
「……よし。やっぱり電話にしよう!」
決意を固めて、持っていた携帯の着信履歴を開く。
一番上に彼の名前があるのが、とても心地良い。
それだけで…幸せになれる。
快斗はにへらっと笑うと、通話ボタンを押した。
RRRRRRRR……RRRRRRRR…
『留守番電話サービスセンターにお繋ぎします』
数度目のコール音の後に、そんな無機質な声が聞こえて、ガックリと肩を落とす。
これは……もしかしなくても、きっと―――――事件だ。
「…解決するまで、あの人絶対何も食べない………;」
はぁ…と小さく溜息を吐いて、それでも快斗はきちんと伝言を残しておくことにする。
「新一。多分事件だと思うけど、終わったらで良いからちゃんとご飯食べてね? それから…あんまり無理しない様に」
それだけ言って、終話ボタンを押す。
彼の声が聴けなかったのは寂しいが、それより自分にはしなければいけない事がある。
「怒る、かな……」
怒られるかもしれない。
余計な事を、と言われるかもしれない。
それでも心配なものは心配だ。
よっと勢いよくベッドから飛び降りると、快斗はドタドタと階段を飛び降りて、リビングに居た母親に声だけかける。
「母さん、ちょっと出かけてくるー」
「気を付けて行くのよー」
「はーい」
スニーカーのつま先をとんとん、といわせて少しだけ急いで快斗は玄関を飛び出した。
「つまり、コレは本来の凶器をカモフラージュする為に使われた言わば偽の凶器です」
「じゃあ、犯人は本当の犯人を庇う為に、これで死んでいる被害者をもう一度殴ったと?」
「ええ。けれど、そんな事をしても詳しく死因を調べられては分かってしまう。だからこれは恐らくただの時間稼ぎでしょう」
「じゃあ、犯人は…」
被害者の傍らで、新一はそっと高木に耳打ちする。
それに高木が小さく頷いたのを確認して、新一は近くに居た刑事に声をかけた。
「今すぐ、関係者の方を集めて下さい」
その後ろ姿を見詰めた高木には、自分より幼い筈のその背中が酷く重いモノを背負っている様に映った。
「お疲れ様。工藤君」
「高木刑事…。お疲れ様でした。あ、ありがとうございます」
椅子に腰かけていた新一の横に、高木も同じ様に腰を下ろし、缶珈琲を一本差し出す。
それを受け取ってにこやかに微笑む新一は、先程とは違って普通の大学生に見える。
「それにしても、相変わらず君の推理は見事だね」
「いえ、そんな事…」
「でも、…やっぱり今回も…」
「ええ。僕は関わっていないという事に…」
「うん。分かったよ」
詳しくは高木までは知らされていないが、新一は数年前、世界的な大きな組織を潰したらしい。
けれど、細かい事は自分の様な人間には知らされていない。
恐らく、日本の警察でもトップクラスの人間しか知らないのだろう。
敢えて聞く事もなかったが、それ以来、新一は極端に報道を嫌う様になった。
自分が関わった事件も極力自分が関わっていない事にして欲しいと。
確かに前からそういう節があったが、それ以上に慎重になった気がする。
それでも、どこからかそういう情報は出てしまって、報道されてしまう事も多いが…。
目暮警部がいう昔の『工藤新一』はもっと目立ちたがり屋な印象があったが、今はそんなモノは微塵も感じられない。
それどころか―――自分という存在を極力消そうとしている様に高木には映った。
「工藤君」
「はい」
「送って行くよ」
「すみません」
「そんな風に謝らないでくれないかい? 僕達は君に本当に助けられているんだから」
「…いえ…そんな……。でも、…ありがとう…ございます……」
ぺこりと頭を下げた新一の細い身体に、高木は何とも言えない複雑さを抱える。
高校の頃から細いとは思っていたが、目の前の彼は大学生の男の子にしては余りに華奢だ。
貧相という訳ではない。
華奢過ぎて…今にも壊れてしまいそうに儚い。
自分でも少々センチメンタルだと心の中で自分を笑いながら、高木は新一を連れだって駐車場へと向かった。
「あれ…?」
「ん? どうかしたかい? 工藤君」
「あ…えっと、留守電入ってるみたいで…。ちょっと失礼します」
車に乗り込み、携帯を取り出した所で新一は、『着信1件』『留守番電話1件』の文字がディスプレイに表示されている事に気付いた。
運転席の高木に断りを入れ、再生ボタンを押すと、携帯を耳に当てる。
『新一。多分事件だと思うけど、終わったらで良いからちゃんとご飯食べてね? それから…あんまり無理しない様に』
耳のすぐ近くで聞こえた声に、ドキッと心臓が跳ねる。
少しだけ…頬が赤い、…かもしれない……。
「工藤、君…?」
いつまでも携帯を耳に当てたままの新一を些か不振に思ったのだろう。
信号待ちでそう高木に声をかけられ、新一は漸く正気に返った。
「は、はいっ…!」
失敗。
大失敗だ。
思わず声が上ずってしまって、恥ずかしくて新一は誤魔化す様に携帯を閉じ、視線を逸らした。
「何か、あったのかい?」
「あ、い、いえ……///」
労わる様な声に、益々恥ずかしくなって、今度こそ俯いた新一の耳に、クスッと小さく笑い声が響いた。
「高木、さん…?」
「ああ、ごめん。でも…」
「?」
「工藤君でも、そんな風に動揺したり恥ずかしがったりするんだな、って思ってね…」
「高木さん!…///」
そんな風に言われては余計に恥ずかしい。
少しだけ声を上げた新一に、高木は優しい笑みを向ける。
「いいじゃないか。そういう方が歳相応で僕は良いと思うよ…」
「………///」
みるみるうちに余計に赤くなった新一に、高木はクスクスと笑うと、青信号になった信号機に倣って車を前進させた。
「ありがとうございました」
「いや、こちらこそ本当にありがとう」
家の前まで送って貰って、そう言って頭を下げ、新一が再び顔を上げると、高木の視線が新一の少し上を通過してどこかを見詰めていた。
「高木さん…?」
「工藤君、誰か君の家に来てるのかい?」
「え…?」
言われた言葉に慌てて後ろを振り向けば、車の窓越しに自分の家の電気が点いている事に気付く。
「あ、えっと…」
まさか、とは思う。
が、鉄壁の家のセキュリティーを突破して入れる人間なんて他には思いつかない。
それに、もしそれを突破できる人間が他に居たとしても、こんな風に人目に付く様に電気なんぞ点けはしないだろう。
「多分、そうだと……思います………」
「多分? ああ、ご両親が内緒で帰って来てるとかかな?」
「………そんなところです」
こういう時、目の前のこの優しい刑事が、ちょこっとだけ天然なのに感謝する。
そこがこの刑事の良い所でもあると思う。
「そうか。なら、ご両親にも宜しく伝えておいてくれるかな」
「はい。今日は送って頂いて有難うございました」
もう一度ぺこりと頭を下げ新一は車を降りると、ドアを閉めた。
そうして車が発進して少し行くまで頭を下げる。
自分の様な者を現場で対等に扱ってくれる彼への礼儀だ。
「……アイツ、しかいねえよなぁ……」
頭を上げ、門を見上げる様にして、自分の家を見詰める。
そう、恐らく自分の推理は間違ってはいない。
でも――――。
「……何か、入り辛い………///」
自分の家の筈なのに、何だか違う家に見える様な気がして、少しだけ気が引ける。
それでも、何とか決心を固めると、新一は門へと手をかけた。
to be continue….