温もりに眩暈がする
近過ぎる吐息を奪い尽くしたくなる
欲求と葛藤
弱過ぎる自分の意志と
疎ましい程の猜疑心
癒える事のない傷は
膿む様にじくじくと痛んだ
我が心に君深く【20】
正直に言えば、この腕の中の温もりを手放したい訳がなかった。
思わず自分から抱きしめてしまった事を後悔はしていたけれど、それでもこのままずっと時が止まってくれれば良いと思った。
けれど、そんな非現実的な事が起こる筈もなく、一秒ごとに時は刻まれる。
どれ位経ったのか自分でもよく分からなくなってきた頃、漸く腕の中の新一が身動ぎした。
「悪い…」
「いや…」
その言葉が合図だったかの様に、どちらともなく身体を離す。
それが寂しいなんて口が裂けたって言える筈がなかった。
「………」
「………」
互いの顔を見つめたまま、気まずい沈黙が落ちる。
ほぼ同時に互いから視線を逸らしてはみたものの、何処を見て良いか分からず、快斗はおもむろにソファーから腰を上げた。
「珈琲でも飲む?」
「あ、ああ…」
「じゃあ、俺淹れてくる」
「悪い…」
前の様に家主がどうとかすら言ってこない新一も相当気まずいのだろう。
快斗が新一に背を向けた瞬間に、安堵したのが空気で分かる。
それにほんの少し感傷を覚えながらも、快斗は珈琲を淹れる為、キッチンへと向かった。
「はぁ…」
快斗は新一に気付かれない様に小さく小さく詰めていた息を吐き出した。
全く、馬鹿な事をしたものだと自分でも思う。
自分が言い出した事を、自分から破っていれば世話がない。
あんな事をして、それでも彼を信じられないなんて、本当に酷い話だと自分でも思う。
これでは―――傍に居る事自体が彼の為にならない。
「……やっぱり……」
傍に居るべきではないのかもしれない。
傍に居れば傷つけるだけなのかもしれない。
そうは思っても、それでもなお、離れる事など出来やしない。
どうしようもない自分に余計に落ち込むばかりだ。
溜息交じりの珈琲をお揃いのマグカップへと注ぐ。
それでも、戻る為の足が出ない。
どんな顔をして新一に向き合えば良いのか分からない。
得意のポーカーフェイスは一番役に立って欲しいこんな時に活躍してはくれない。
「……はぁ……」
もう一度小さく溜息を吐いて、快斗は両手にカップを持つと、引き摺る様にその一歩を踏み出した。
「はい、珈琲」
「さんきゅー…」
差し出されたカップを素直に受け取って、それを両手で包み込む様に持ち、視線をその水面へと落とした新一の横に快斗も座り、同じ様な姿勢をとる。
互いに何を言ったら良いかなんて分からなくて。
それでも、隣に居たいと思って。
どうしようもない状態だと互いに分かってはいたけれど、それ以上どうする事も出来ず、唯々視線はその水面に注がれるばかり。
「新一、飲まないと冷めるよ?」
「お前もな」
交わす言葉は冷静そのもの。
けれど、それが余計にキツイ。
それに耐えきれず、快斗はカップの中の珈琲もどきを一気に飲み干した。
「ごめん、新一。俺…」
「帰る、なんて言うなよ?」
「……でも……」
「帰んなよ。『友達』なんだろ?」
「…新一……」
進む事も引く事も出来なくなって、途方に暮れる。
空になったカップをソファーテーブルへと置いて、快斗はソファーの背もたれに凭れ掛かった。
「なあ、新一」
「ん?」
「無理あったのかもね」
「………」
「やっぱりもう一回『友達』からなんて無理だよ。新一の言う通りだ」
「お前が言い出したのに、それをお前が言うのかよ」
「そうだね。自分勝手だって俺も思うよ」
「………」
言っている間に頭がズキズキと痛むのが分かる。
自分の馬鹿さ加減に吐き気すらしてくる。
視界に移る白い天井さえ不快で、快斗は目を閉じた。
訪れた暗闇に少しだけ落ち着く。
「俺はさ、新一…。我が儘で自分勝手で…それから酷く臆病だ」
「…お前をそうさせたのは、俺だよ」
「だとしても、意志薄弱で我が儘過ぎるよ、俺は」
懺悔をしている様で、その実逃げを打っているのは分かっていた。
それでも止められない。
それが自分の弱さを吐露しているだけだと分かっていても。
「止めときなよ。こんな奴」
「快斗…」
「白馬の方がよっぽどいい彼氏だ」
「…何言ってんだよ」
空気が冷えたのが分かった。
それでも、もう止められなかった。
「アイツはお前を傷付けない。俺はお前を傷付ける。どっちがいい彼氏かなんて考える必要すらない」
「…勝手な事言うな」
「言うよ。俺は自分勝手だから」
「快斗…!」
ゴトン、と耳障りな音を立ててカップが置かれた。
そして次の瞬間、彼の温もりを感じた。
その温もりに、遅れて彼に抱きつかれたのだと気付いた。
「そんな事言うな…」
苦しそうに紡がれる声と、その温もりにうっかり手を伸ばしそうになる。
それでも、そうしてやらない方が彼のためだと分かっていた。
「…事実だろ?」
「違う」
「違わないよ。それがお前の好きな『真実』だ」
「違う!!」
ぎゅっと更に力を込めて抱きつかれて。
それでも、快斗は目を閉じたままでいた。
そうでなければ、耐えられない何かが零れてしまいそうだったから。
「新一。やっぱり無理だよ。俺はもう…」
「…お前は、俺の事好きだって言ったじゃねえか……」
涙を堪えているのなんて見なくても声で分かる。
分かっていてなお、自分はそれ以上にその部分を抉る。
「好きだけじゃどうにもならない事もある」
「…それ以上、俺にどうしろって言うんだよ……」
「だから言ってるだろ? 俺みたいな奴は止めとけって」
「…嫌だ」
「嫌じゃないよ、新一。もう止めよう。俺はこれ以上お前を傷付けたくないんだ」
この期に及んで卑怯だと快斗自身ですら思う。
彼の為を思っている様に言いながら、それは事実であり真実ではない。
本当はきっと―――自分がもう苦しい思いをしたくないだけだ。
だから告げる。
残酷だと知りながらも。
「もう終わりだよ、新一。『友達ごっこ』はもうお終いだ」
ゆっくりと目を開く。
鬱陶しい程真っ白な天井が視界に入る。
大丈夫。
涙はまだ堪えられる。
だから、最後ぐらい―――気丈に振る舞える。
「新一、だから…」
「勝手な事言うなよ…」
「新一…」
「勝手な事ばっか言ってんじゃねえよこのバ快斗!!」
どん、と胸元に衝撃が走った。
そうしてどんどん、と何度も何度も胸を叩かれる。
「何が俺みたいな奴は止めとけだ! 何がこれ以上お前を傷付けたくないだ!
ふざけんなよ! 傷付けるなら傷付ければいい。好きなだけ傷付けて良いから……だから……」
快斗の胸を叩いていた手が止まる。
その手がぎゅっと快斗の服を掴んだ。
その感触に視線を落とせば、その手は可哀相な程に震えていた。
「……だから、……頼むから………終わりだなんて言わないでくれ………」
縋る様に見詰められたその瞳には今にも零れ落ちそうな雫が、それでもギリギリで零れない様に堪えられいて。
その雫に濡れる蒼が余りにも痛々しくて、快斗は何も言えなくなる。
その蒼を見詰めて。
どうしようもなくなって快斗は天井を仰いで。
衝動に任せて、その細い身体を掻き抱いた。
「……ごめん、新一。……愛してる………」
突き放そうとした筈なのに、結局快斗の口から零れ落ちたのは自分でもどうしようもない本音だった。
to be continue….