彼は――優しい
 そして、彼も…

 けれどきっと
 その優しさは

 本当の意味ではお互いに通じていないのかもしれない

 相手を想う故にすれ違い
 相手を思い遣る代わりに傷付く

 だからせめて…
 少しぐらいは罪滅ぼしをしたいと思った










我が心に君深く【16】











 綺麗に晴れ渡った空から視線を手元の紙へと戻し、白馬は丁重にそれを二つに折ると、ズボンのポケットへと仕舞った。
 それだけで、心がより温かくなるのだから、現金な物だと自分でも苦笑する。

 彼の泣き顔を見て気付いた。
 彼の辛そうな顔を見て気付いた。

 結局は、あの二人が揃って笑っていてくれなければ、自分には何の意味もないのだという事に気付いてしまった。

 そして思う。
 快斗があんな事を白馬に頼んだという事は、きっと快斗は新一を傷付けた自覚があった直後だったのだろう。
 だとしたらきっと、あの不器用な程に一途で純粋な彼は今頃落ち込んでいるだろう。
 もしかしたらあの綺麗な瞳を潤ませてしまっているかもしれない。


「頼まれたからにはきちんと役目を果たさなくてはいけませんね…」


 本来なら自分の家へと向かう筈だった白馬の足は、次の瞬間、当初の予定とは全く逆方向へと歩みを進めていた。






























「は、くば……?」
「こんにちは。工藤君」


 チャイムを鳴らせば不用心にもガチャッと玄関の扉を開けて出てきて下さった新一に白馬はそうにこやかに告げながらも、内心で溜息を吐く。
 どのご家庭も危機感が無さ過ぎる。
 というか、目の前の彼が一番それに欠けているとは思うが。
 事件というとあんなにも『名探偵』だと思うのに、普段の彼の生活は色々……抜けている気がする。


「急に…どうしたんだ?」
「近くまで来たもので」
「そっか…。まあ、とりあえず上がれよ」
「では、お言葉に甘えてお邪魔します」


 何ともない風を装ってはいるが、新一の周りにハテナマークが飛び交っているのが白馬には見える様だった。
 それもそうだろう。
 白馬がこんな風に新一を訪ねた事なんてない。
 それよりも先ず、白馬が何の事情もなく新一の家にやってくる事なんて今までなかった。
 それを考慮すればそんな新一の反応は決して間違っていない。


「お邪魔します」


 きちんとご挨拶をして、工藤邸に上がった白馬は前回こうしてこの家にお邪魔した時の事を思い出した。
 チリっと胸の奥が少しだけ痛んだ。
 でもそれには、今は目を瞑る事にした。


「紅茶で良いか?」
「ええ。すみません」
「じゃあ、ちょっと待っててくれ」


 リビングへと通されて、座り心地の良いソファーへと腰を下ろした白馬に新一はそう言ってキッチンへと消える。
 その姿が見えなくなった所で、白馬は小さく安堵の息を吐いた。

 思ったより元気そうだ。
 もしかすると自分の取り越し苦労だったのかもしれない。
 まあ、それならそれでいい。

 ただ、新一はどうしても人に弱みを見せる事を極端に嫌う。
 あの時はどうしようもなかった、という事もあったからあれだけ自分に弱みを見せてくれたのだろうが、今は状況が違う。
 それと新一の性格を考えれば、素直に彼が胸の内を吐露するとは到底思えない。

 それでも…。

 彼が話したくないならそれでいい。
 無理に聞き出す様な無粋な真似をするつもりなど到底無い。
 ただ…もしも彼が本当は傷付いていて少しばかり辛いなら――傍に居て他愛もない話をするぐらいは出来る。

 それが―――『友人』として白馬に与えられた役割だと思うから…。


「どうぞ」
「ありがとうございます」


 目の前に差し出されたカップに、思考を停止させ白馬はふわりと柔らかい笑みでお礼を言う。
 それに新一も少しだけ微笑んで、自分の分の珈琲を置くと、白馬の隣へと腰を下ろした。


 カップを持ち上げた自分を新一がチラッと横目で窺ったのが分ったが、白馬は素知らぬ振りをして紅茶に口を付ける。
 こくりと鳴った喉の音がやけに大きく耳に響いた気がして、努めてゆっくりとカップをソーサーへと戻す。
 それに倣うように珈琲に口を付けた新一も、ゆっくりとカップを置いた。

 そうして、一呼吸あった後に、視線は白馬ではなくコーヒーカップに残したままで新一は口を開いた。


「どうしたんだ?」
「何がです?」
「お前が急に家に来るなんて…」
「偶々近くまで来る用事があっただけですよ」
「…嘘吐け。そんな『偶々』があったって、普段のお前なら来る前に連絡の一本も寄越すだろーが。
 それに、お前が来た時車が表には居なかったし、お前を降ろして発進した様な車の音もしなかった。
 お前が車も呼ばずに行く程の用事が偶々この近所にある確率はかなり低い。そんな大事な用の後に態々家に寄る必要性も無い筈だろ?」
「全く…嫌な物ですね。『探偵』というのは…」


 少しでも疑いを持てばこうして、突き詰めてくる。
 全く…嘘を吐くにも一苦労だ。


「お前も探偵ならもうちょっとマシな嘘を吐け」
「そういうのは僕らの得意分野ではないでしょう? 寧ろ…」
「そうだな。そういうのは…アイツの得意分野だ」


 人を騙して。
 夢を見させて。

 そういうのは、『探偵』の仕事ではない。


「まあでも…彼も向いていませんけどね」
「俺もそう思うよ」


 少しだけ張り詰めていた空気が二人のクスッという小さな笑いで少しだけ和らぐ。
 そうして新一は少し面倒そうにソファーの背凭れに思いっきり寄りかかり、身体から力を抜いた。


「で、ホントは何で来たんだよ」
「君の顔が見たくなったから、では理由になりませんか?」
「ばーろ。そんなの今日じゃなくても見れるだろうが」


 呆れた様にそう言い放つ新一に、白馬は少しだけホッとする。
 色々あった後だ。
 お互いに気を使って気まずくなりたくない、なんて思っていたが、新一はどこまでも新一だった。
 それに酷く安堵する。


「それはそうですけどね。でも、突然人に逢いたくなる事もあるでしょう?」
「まあ、分んなくねえけど…それでも理由にしちゃ弱いな」
「弱いですか?」
「ああ。お前が態々来る理由にしちゃ弱い」
「それは手厳しい」


 楽しそうに笑う白馬に、新一は一瞬じと目を向けたが、直ぐに呆れた様に溜息を吐いて、視線を戻す。
 そうしてぼーっと窓の方を見詰めながらまるで独り言の様に呟いた。


「まあ、理由はなんでもいいけどな…。お前が来てくれるのは別に嫌じゃねえし」
「そう言って頂けるのは光栄ですね」


 ぶっきらぼうになるべく言おうとはしているのだが、それでも新一が一生懸命照れ隠しをしているのが分って、白馬はそれを微笑ましく見詰める。
 こういう素直でない所も彼の魅力の一つ。
 そこがまた可愛らしい。

 気まずくはない沈黙の後、不意に何かを思い出したらしい新一が視線を白馬へと向ける。


「そういえば…白馬」
「何ですか?」
「お前、後期の履修登録すませたか?」
「いえ…」


 小さく否定の言葉を口にして、白馬は先程の快斗とのやり取りを思い出す。
 まさかとは思うのだが……。


「じゃあ、ちょっと待ってろ」
「え、あ…あの……工藤君……!」


 身軽にもひょいっとソファーから軽やかに立ち上がって、止める間もなくぱたぱたとリビングから出て行った新一に白馬は自分の予想が恐らく外れていない事を確信する。
 そうしてそんなに時間も経たない間に新一がリビングへと戻って来た。
 その手に持たれていたのは―――紛れもなく『履修ガイド』だった。

 それを持ったまま新一は白馬の隣へと再び座ると、ご丁寧にもそれを開いてテーブルの上に乗せて下さる。
 そこには新一と快斗がどの授業を取るか書き込まれていた。


「快斗と俺、この予定で取るから…良かったらお前もなるべく同じ時間で取らないか?」
「え、ええ…」
「そうしたら、お前も俺も事件とかで居ない時のノートとか見せ合えるし…」
「そ、…そうですね……」


 既に快斗からソレを写し取った紙を貰ったとは言えず、白馬は曖昧に新一の言葉に頷く。


 そして思った―――。








 ――――本当に……彼と彼は性格も、思考回路も――似ているらしい……と。





























to be continue….



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