本当はもっと早く
こうしなければいけなかった
それを先延ばしにしてきたのは
自分の罪を吐露する事への恐怖か
はたまた彼への対抗心か
燻ったままの罪悪感を抱えて眠るのは
もう最後にしたかった
我が心に君深く【12】
「急に呼び出してすみません」
「いや、別に」
小洒落たカフェのテラス席の一番奥に白馬の姿を見付け、快斗は向かいの席に腰を下ろした。
こういう女性が好きそうな場所に一人で待っていても決して浮く事なく、寧ろ羨望の眼差しさえ向けられている白馬には恐れ入る。
流石は英国かぶれの坊ちゃんだ。
「で、何の用だよ」
面倒な前置きなど始められては堪らない。
用件だけを聞きに来たと言外に語る快斗に、白馬は酷く真剣な眼差しを向けた。
「工藤君から話は聞きました」
ああ、やっぱり。
心の中だけでそう相槌を打って、快斗はこれから何を言われても良い様に、足を組み更に腕組みをして、背凭れに少し体重を預けた。
「…君は、工藤君と『友人』に戻ったそうですね」
「ああ」
その眼差しの中に非難が見え隠れしたが、快斗はそれを見ない事にして、短く返事をする。
決して目を逸らさずに居ながら、見えた物全てを否定した。
「どうしてですか?」
「何が?」
「君は彼の事が好きな筈。なのに、どうして彼と『友人』に戻るなんて…」
「お前には関係ない」
そう、こんな事言われる筋合いは快斗にはない。
話なら――そう、寧ろ新一とすればいい。
快斗の冷たい視線から快斗がそう言いたいのを感じ取ったのだろう。
白馬は複雑な表情を浮かべ、少しの間をとって言い辛そうに口を開いた。
「僕は……彼に何かを詳しく聞けるような、そんな立場にはないんですよ」
「ああそうか。今のお前はアイツの『元彼』だったな」
嫌味の様に『元』を付けてやれば、白馬の端正な顔が僅かに歪む。
ソレを快斗は口の端だけでクッと笑ってやる。
「で、その『元彼』が何でそんな事を言いに来た? お前にしたらこの事態は、寧ろ大歓迎じゃないのか?」
「…どういう意味ですか?」
白馬の視線に痛い程厳しい物が混ざる。
それでも快斗はそんな物気にもせずに続けた。
「そうだろ? 俺と新一が上手くいかなければ、お前にもまだまだチャンスはある」
「…黒羽君」
「お前は新一の事が好きだ。新一だって―――お前を信頼してる」
白馬から連絡があったのかと尋ねた時、新一は何の躊躇いもなくそうだと言った。
きっと、白馬に快斗との事情を話したのだろう。
だとしたら、彼らは円満に別れた筈だ。
もしもどうしようもない様な別れ方をしたのなら、そんな事は出来ない。
円満というより寧ろ――お互いを気遣う様な優しい別れを…。
「だったら、お前だって……それを狙わない手はないんじゃないか?」
この目の前の優しくて紳士的な彼なら、自分の様に彼を傷付けず、真綿の様な優しさで彼を包み込めるだろう。
傷付けず。
大切に。
愛おしむ事が出来る。
ああ何て―――彼氏向きな男だろうか。
「…僕はもう、そんな気はありませんよ」
「でも、まだ好きなんだろ?」
「それは…」
「じゃなきゃ、お前が俺に連絡をしてくる筈がない」
これは快斗の為ではない。
全て新一の為だ。
白馬が『真実』とやらを告げるというのなら、それは全部新一を幸せにしたいが故だろう。
彼が好きで。
彼を愛していて。
だからこそ幸せになって欲しいと願った結果。
ああこういうのが……本当の『愛』なのだろう。
醜い自分とは何という違いか。
狡い自分とは何という違いか。
「…それは、否定しませんが……」
「だったら止めとけよ。俺に『真実』なんてものを伝えるのは」
「それは出来ません」
「出来なくてもすればいいだろ? お前には、充分その権利があるよ、白馬」
自分が彼を傷付けて泣かせていた時、確かに彼を慰めていたのはこの目の前の男だ。
その彼には…その権利がある。
「いえ、僕にはそんな物ありません」
「随分きっぱり言うんだな」
「ええ。彼を傷付けたのは他の誰でもない――――僕ですから」
ああ、こんな顔もするのかと。
どこか遠くから見ている様な感覚で、快斗はそう思った。
『探偵』は人の『罪』を暴く者。
だから彼らがこんな顔をするなんて知らなかった。
目の前の男の顔は―――『罪』を告白する男の顔だった。
「僕は、工藤君に以前から相談されていたんですよ。君の事が好きだと。けれど、僕はそれを逆手にとって―――」
「…白馬、もういい」
言い辛そうに、一瞬白馬の視線が伏せられた瞬間、快斗は堪らずそう告げていた。
正直見ていられなかった。
『罪』を暴き立てる『探偵』の筈の彼のこんな顔は……。
「もういいよ。もう、充分だ……」
大方の事情など、ここに来る前にもう考えついていた。
新一の話から総合すれば、そんな物、考えなくても分った。
分っていて。
知っていて。
それを敢えてこんな顔の白馬に言わせる事なんて、快斗には出来なかった。
「黒羽君…」
いつもの余裕たっぷりな言い方ではなく、頼りなげに呼ばれた名に胸が痛んだ。
彼が悪い訳ではない。
勿論、彼が悪い訳でも。
悪いのは―――自分だと、快斗も知っていた。
何も知らず彼を傷付けたのも。
彼が抉った傷を盾に彼を今傷付けているのも。
全ては―――『黒羽快斗』であり、『怪盗キッド』が犯している『罪』だ。
否応無しに実感させられたその事実に心が苦しくなる。
そして、この目の前の男の優しさに、小さく溜息が出た。
「お前、ホント…向いてねえな」
「え…?」
「悪役だよ、悪役。お前は腹黒キャラやるには優し過ぎるよ、坊ちゃん」
黙っていれば、白馬は新一を自分のモノにしてしまえた。
けれどそれをせず、新一の幸せを願った。
そうして今『真実』として、全てを快斗に告げようとしてる。
全く―――とんだ『悪役もどき』だ。
「白馬」
「…はい」
「お前は、素直に『優しくて穏やかな坊ちゃん』で居りゃ良いんだよ。無理すんな」
そう、柄にもなく腹黒キャラなんてやってみたりするからそんな事になる。
だから、彼は彼らしく優しく穏やかで居てくれればいい。
「…すみません」
「謝んな」
「すみま…」
「だから、謝んなって」
「…はい」
殊勝な顔をして俯き気味になってしまった白馬の顔を、快斗は少し下から覗き込む。
「なあ、白馬。謝らなくていいから、一つ頼みを聞いてくれるか?」
「…何ですか?」
視線だけが、少し上げられて快斗の瞳を捉える。
後悔と不安の入り混じったその瞳が、彼の人の良さを表していた。
「お前が優しくて良い奴なのは、俺も知ってる。だからさ――」
そう、本当は知っていた。
知っていて、目を背け続けていた。
『探偵』なんて物は敵だと、そう思っている方が楽だったから。
そう思っていた方が―――自分と『キッド』を切り離していられたから。
でも、本当は分っていた。
彼が……どれだけ優しいのかなんて。
自分を心配して電話をかけてきてくれたことだってある。
この間のあの辛い事件の時だって、彼があの一言を言ってくれていなかったら、もしかしたら自分は殺人犯にされていたかもしれない事だってあった。
そして、ある時期から彼が『黒羽快斗』である自分を殊更に『怪盗キッド』だと言わなくなった事も。
全部全部分っていて、本当は知っていて、見ない振りをしてきただけ。
この目の前の優しい探偵を―――本当は嫌いになんてなれない事を。
「新一の、話し……聞いてやってくれないか?」
「…話を、ですか…?」
「ああ。俺はまだきっと……アイツの事全部信じてやれない」
事情は分った。
彼らが言う『真実』も知った。
けれど、それで『はい、そうですか』なんて言える程に自分は優しい人間にも、物分りの良い人間にもなれなかった。
まだ彼の事を疑う自分が居る。
明日また彼に拒絶されるのではないかと不安に思う自分が居る。
それはまだ―――消えはしない。
「だから、…俺はきっとまだ新一を傷付ける」
「…黒羽君」
「新一はさ、お前にだったら話せると思うんだよ」
彼が嘘でも白馬を『恋人役』に選んだのは、本当に白馬を信用しているからだ。
だとしたら、彼が傷を見せられるのは白馬しかいないだろう。
「こんな事、俺から頼まれるなんてお前からしたら、すげー嫌だろうけどさ……」
恋敵の男から、想い人である彼の相談に乗ってくれだなんて言われて、喜ぶ人間なんて居ない。
それを快斗も分っているから、語尾が段々と弱まってしまう。
言っていて、快斗も自分でも狡いと思う。
彼の罪悪感と、新一への想いと、そして彼の優しさをこうして全部利用しようだなんて。
「いえ…。君に……そんな事を言って貰えるなんて思ってもいませんでしたから……」
けれど、顔を上げた白馬から返って来たのは少しの微笑みと、穏やかな声。
それに快斗は少しだけ目を開いて、そうして、漸く少しだけ笑った。
「お前、……ホントいい奴だよな」
出逢う切欠が違ったなら。
出逢った立場が違ったなら。
きっと他愛もない事で言い合いをしつつも、良き『親友』にすらなれたかもしれない。
ああ、でも―――もしも、彼が望んでくれるなら……。
「そんな事はありませんよ。僕から見たら君の方がよっぽど『いい奴』ですよ」
快斗の言い方を真似て、慣れない言葉遣いをして下さった目の前のお坊ちゃんは少しだけ照れた様な笑い方をした。
そうして貰って、漸く…快斗の中のどす黒い部分が少しだけ昇華される。
「分ってんじゃねえか。俺は『いい奴』に決まってんだろ♪」
ニヤッと口元を上げてそう言ってやる。
それがいつもの『黒羽快斗』だ。
それが合図。
そうして漸く、いつもの二人に戻れる。
「まあ、本当に良い人は自分でそんな事は言いませんがね」
「るせーよ。俺がいい奴って言ったらいい奴なんだ」
「黒羽君…。いい加減その『自分が世界の中心』みたいな言い方は止めたらどうですか? 子供じゃないんですから」
「いーんだよ。俺の世界は俺を中心に回ってるに決まってるだろ」
「全く…君って人は…」
漸くいつもの様に呆れた口調でいつもの台詞が返ってきて、快斗は安心する。
ああ、これでもうきっと大丈夫だ。
「しょうがねえだろ、俺は俺なんだから。で、白馬…」
「何ですか?」
「呼び出しといて、俺に茶の一杯も奢らねーつもり?」
「あっ……」
二人してすっかり話しこんでしまっていてすっかり忘れていた事実を快斗が白馬に突き付けてやれば、恥ずかしながら今気付きました、と分り易過ぎる反応が返ってくる。
それに少し笑って、快斗は自分の分を頼む為に近くに居た店員に向かって軽く手を上げた。
to be continue….