なあ名探偵


お前はこんな俺を軽蔑するか?










【33.ドラッグ】










何時からか始めたそれ。

体力が落ちていく事も。

身体が内側から壊れていく事も。

すべて理解した上で使い続けている。

それは自分に必要だったから。


たった一時の偽りの安らぎを得る為に。






ふんわりと夜の闇を纏いながら静かにビルの屋上へと降り立つ白。

それは深夜の逢瀬の為の寄り道。


ビルのフェンス越しに夜の街を見下ろしている彼の後ろに音もなく降り立って、その身体をぎゅっと抱き締め耳元で囁く。


「今宵はまた一段とお綺麗ですね名探偵」

「……そうか?」


何時もと同じじゃねえ?と首を傾げる彼の鈍感さは本当に天然記念物ものだと思う。

街ではなく彼のことを言ったというのにどうしてこの人は自分の事になるとこうも疎いのか。


「まったく…貴方にかかってはどんな愛の囁きも効果を成しませんね」

「…?」


相変わらず首を傾げたままの新一に、まあこの人だから仕方ないし、そんな所も魅力的だからいいかと勝手に自己完結をして。

自分を不思議そうに見つめている蒼を見詰め返す。


「首…痛そうですね」


振り返る形で自分を見詰めている新一の状態に苦笑して、彼の左肩を自分の右手で引き寄せて身体を此方へ向けてしまう。

そうすれば珍しく素直に胸へと預けられた頭を撫でてやって、反対側の手で彼を強く抱き締める。


「そんなに待ってたんですか?」

何時になく素直じゃないですか。

「…ンなんじゃねえよ」


言いながらも背中に回される腕。

彼にしては余りに素直過ぎるその行動にKIDは喜びよりも不安を覚える。


「何かあったんですか?」

「………」


出来る限り優しく尋ねても返ってくるのは重い沈黙と腕に込められる力だけ。

余りに重いそれらにKIDはそれ以上追求するのを止め、ゆっくり優しく彼の髪を撫でる。

夜の闇に溶けてしまうかの様に漆黒に輝く絹糸の髪は手袋越しであってもさらさらとした感覚を伝えてくる。

暫くそうやって撫でてやっていれば、新一がほんの少しだけ顔を上げ上目遣いでKIDを窺ってくる。


「どうしました?」

「…聞かないのか?」

「話したくないのなら聞きませんよ」


新一の髪を撫でていた手を止めてそう言ったKIDの言葉はどこか突き放した様な言い方で、けれど片方だけ見える瞳は優しさを湛えていて。

新一は安堵した様な表情を浮かべ、またKIDの胸に顔を埋めた。

その表情にKIDもまた少しだけ安堵して、再び新一の髪を撫でる。


聞こえるのは夜の静寂と相手の鼓動だけ。

けれどそれが逆に安心感を生むことはお互いに解っている事。


「寒くありませんか?」

「…大丈夫」


そう言ったものの新一の白い顔は何時も以上に白くなっていて。

KIDはそっとその華奢な身体をマントで包み込んでやる。


「大丈夫だって言ってんだろ」

「貴方の大丈夫は大丈夫じゃありませんからね」

「…どういう意味だよ」

「そのままですよ」


不機嫌そうに言われた言葉も優しい声色で封じ込めてしまう。

だってそれは本当の事で、何時だって彼は『大丈夫』と言って無理をしてしまう人だから。

自分ぐらいその大丈夫の裏側に隠された痛みを少しでも取り除いてあげてもいいだろう。


「……世話焼き」

「それは私にとっては褒め言葉ですよ」


ボソッと言われた言葉もKIDにとっては甘く響く。

こんな事彼に言ってもらえる人間なんて極少数だろうから。


「勝手に言ってろ…」

「そうします」


にっこりと微笑めば顔を埋めていてKIDの表情が見えない筈の新一が居心地悪そうに少しだけ身動ぎする。

きっと気配で解ったのだろう。

そんな彼の動きをKIDは腕の力を強める事で封じてしまう。

そうすれば新一が再び顔を上げKIDを見詰めて口を開いた。


「なあ…KID…」

「何ですか?」

「………薬に…頼りたいと思った事はあるか?」

「………どうして急にそんな事を?」


ドキッとした。

言われた瞬間何かを見抜かれたのではないかと思った。

けれど彼の瞳は自分を見詰めつつも、意識は何処か遠くにあるようで。

自分の事がばれた訳ではないのに少しだけ安堵して、言葉を選びながら紡ぐ。


「……今日…」

「……?」

「…クラスメイトが捕まったんだ」

「薬でですか?」

「ああ」


それなりの進学校である帝丹高校。

その中での生徒が抱えているプレッシャーは人にも寄るが結構な物で。

それを何とかしたくて、薬に手を出したのだという。

一生を棒に振るかもしれない行動の動機としては周りから見れば些か弱いと感じられるもので。

けれど本人にしてみれば其れ程までに苦しかったのかもしれない。

それは本人にしか解らない事だけれど。


「…それでそんな事を……」

「…なあ、お前は頼りたいと思った事はあるか?」

「………名探偵はどうなんです?」


再度問いかけられた言葉に返す言葉が見つからなくて、とっさに彼に問い返していた。

それは今の自分には余りに酷な質問に感じられたから。


「俺は……ねえよ」


返ってきたのはやはり予想通りの答え。

その事に安堵している自分に内心で自嘲的に笑う。

ああ、やっぱり彼は彼なんだと。


「…俺は嫌と言う程薬を使った人間の苦しみを見てきた。あれを見てそれでも使いたいとは思わない」


使った後の苦しみと、今現在の苦しみを比較して薬を取る程の苦しみを今現在抱えていないのだと。

そう語る新一にKIDはほっとする。

彼が闇から解放されて本当に良かったと。

元の姿に戻る事が出来て本当に良かったと。


「…お前はどうなんだ?」

「…私も使いたいとは思いませんよ」


自分でも嫌になる程すんなりと出てきた嘘。

それは潔癖な彼に軽蔑されたくない心の現われ。


「そっか…」


そう言った新一の表情が何処か安堵の混ざった物である事にKIDの心は密やかに軋んだ音を立てる。

……本当は違うと。


「安心しましたか?」

「……別に」

「それなら良かった」


そっけなく言われた一言に混じっているのはやはり安堵。

…それが確実にKIDの心を切り刻んで。

けれどそんな物はおくびにも出さずにKIDは微笑む。


この温もりは、この儚い彼は…失えないから。


けれど…許されるなら尋ねてもいいですか?

貴方に聞いてはいけない事なのは解っているけれど。



「……けれどもし…」

「…?」

「もしも私が…」

もし仮に私が薬に頼りたいと言ったら貴方は私を軽蔑しますか?

「KID…」


KIDの問い掛けに新一は蒼い瞳を数度瞬かせて。

戸惑いがちにKIDの名前を紡ぐ。


その瞬間、ああ…聞くんじゃなかったと思った。


嫌われたかもしれない。

見抜かれたかもしれない。

もう二度とこんな風に逢ってなどもらえないかもしれない。


襲ってくるのは激しい後悔。

けれどそれが事実で、本当の嘘偽りない現実で。

嫌われるのも当然だと思う自分も居る。


でも紡がれたのは予想とは違う言葉。


「………それなりの理由があんだろ」

「え…?」

「お前がもしそんなもんに手を出すとするなら…それなりの理由があるんだろ」

「…名…探偵……?」


余りに意外な新一の言葉に今度はKIDが瞳を瞬かせる。


「理由があればやっていいなんて言うつもりはねえけどさ…」

それでも手を出したいと思う程に追い詰められてしまったのなら。

それ程に苦しいのなら…もし仮に使ったとしても軽蔑なんてしない。

「………」


言われた言葉に目頭が熱くなって、けれど此処でばれる訳にはいかないからKIDは新一をぎゅっと抱きしめて彼から自分の表情が見えないように隠してしまう。


救われた気がして。

許された気がして。

胸が熱くなる。

苦しくて、辛くて、けれど暖かくて。

どうしようもなく瞳から涙が零れそうになる。


「…大丈夫ですよ」

私はそんな物使いませんから。


それだけ言うのが精一杯で。

零れそうになる涙を必死で堪える。


「…そっか」


腕の中でそう呟いた新一はKIDに完全に身体を預けて。

温もりの中でそっと瞳を閉じる。


その場を再び支配したのは夜の静寂。

どちらもそれ以上口を開こうとはしない。

片方は意図的に。

片方は堪える為に。

けれど互いが互いを想っての事なのは相手には解っていない事。


「…すっかり遅くなってしまいましたね」


どれ位時間が経ったのだろうか。

漸く何とか自分を落ち着かせて、KIDはゆっくりと新一を抱き締めていた腕の力を緩めその顔を覗き込む。


「…そうだな」

「私はそろそろお暇しましょうか」

もう私の時間は終わりが近付いているようですから。

「…ん」

「それではまた。次の機会を楽しみにしていますよ」


にっこりと別れの挨拶を交わし、ハングライダーを開く。

早くしなければ朝が近付いてしまうから。


「KID!」

「……何ですか?」


けれどそろそろ白み始めようとしている空に飛び立とうとした瞬間、新一はKIDを呼び止めた。


「…俺も…………楽しみにしてるから」

「……ありがとうございます」


何時になく素直な言葉を紡いでくれる彼に微笑んで。

KIDは今度こそ都心の空へと羽ばたいて行った。



都会の空を飛んで行く白をフェンス越しに見詰めながら新一は一人唇を噛み締める。

フェンスを握っている手には力が籠もりその白い指先を更に白くさせている。


「………何時になったらお前は本当の事を言ってくれるんだ…」


気付かない訳がなかった。

何時だって一番近くで誰にも捕まらない筈のあの白い鳥を見てきたのは自分だから。

気付いた時は自分が彼を止める足枷にすらなれなかった事に愕然として。

出来ることなら彼を救いたいと思って。

けれど彼は何時だってその痛みをあのポーカーフェイスで隠そうとするから。

気付かない振りをした。

何時か彼が自分から話してくれるまで待とうと。

けれど…。


「そんなに…時間はないんだから……」


だから頼むから早くして欲しいと願う。

そうしなければもう二度と引き返すことは出来なくなるから。





救われるのが先か。

その身が壊れるのが先か。


その鍵を握るのは彼自身の心。








END.


最初の台詞が使いたかっただけだな…ι

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