大切な人に嘘を吐いている
 大切な人を騙し続けている

 抱えている罪の重さと
 抱えている苦しみが

 何だか酷く似ている気がして
 本当は違うと分っていても
 手を伸ばさずにはいられなかった












 【10.罪】












 夜の香りを纏った風が室内に微かに侵入してくる。
 それにコナンは眉を顰め、本から顔を上げると、その犯人の侵入経路である自室の窓を睨みつけた。


「おい。不法侵入者」
「また随分な言われようですね」


 苦笑と共に現れたのは、見知った白い怪盗。
 その姿が自室に表れるのはもう何回目か。
 最初こそ違和感を覚えたというのに、慣れとは恐ろしい物で、それすら今ではもうそこまで驚く事でもなくなってしまった。

 慣らされている、と思う。
 良くも悪くも。


「事実だろ?」
「確かにそれはそうですがね…」


 そう言って、キッドはベッドに寝そべって本を読んでいたコナンの直ぐ傍に座る。
 一瞬沈んだマットが、その質量を受け止め、また浮かび上がる。


「今日は何の用だよ」
「名探偵こそ、今日は帰らなくて宜しいのですか?」
「…どうせ盗聴して知ってんだろ?」


 こうやってコナンが本来の自分の家に戻るのは多くて月に3、4回。
 次の日が休みの日が多いが、それでも決まって週末に帰っているという訳ではない。
 必ずしも規則性がある訳ではない。
 大方幼馴染の彼女に『博士の家に泊まる』と電話したのを毎回ご丁寧に盗聴してくれているのだろう。
 そう思うと、何だか少しげんなりするが。


「さぁ?」
「…ったく……」


 あくまでもすっとぼけて下さる怪盗の相手をするのも嫌になって、コナンは再び小説に視線を落とした。
 そんなコナンに声をかけるでもなく、ただ静かにそこに在る存在。
 それが心地良く感じる様になったのはいつからだったか…。


「なあ…」
「…何ですか?」


 視線は本に落としたままコナンは静かに口を開く。


「お前暇じゃねえの?」
「名探偵を見詰めるのに忙しいですよ」
「………」


 顔を上げなくても怪盗がどんな顔をしているかなんてコナンには手に取る様に分った。
 きっといつもの様に嫌味なぐらい気障ったらしい笑顔をしているのだろう。


「で、本当の所は何しに来たんだよ」
「名探偵のご機嫌伺いにv」
「…怪盗が探偵のご機嫌伺いに来てどーすんだよ;」


 いつだってこうだ。
 こうやって何も言わずに傍に居て、コナンが理由を問えばこうやって茶化してはぐらかして。
 だからまだ本当の事は聞けていない。


「…お前さ、俺に一体何を求めてんだ?」
「それは勿論名探偵の愛情を…」
「るせー。そうやって誤魔化すな。お前がどう思ってるか知らねえが、俺はきっとお前の期待には応えられねーよ」


 茶化される前に、コナンは口を開いた。


 ずっとずっと思っていた。
 きっとコイツは俺に赦して欲しくて来ているのだろう、と。

 怪盗なんて物をやるにはこの目の前の男は余りにも優し過ぎて。
 きっと周りに嘘を吐き続ける事に疲れて、自分の罪の重さに辛くなって。
 だから、きっと同じ様に周りに嘘を吐き続ける事に疲れて、こうやって偶に息抜きをする俺の傍にくるのだろう。

 きっと―――同じ様な辛さを抱えている。

 分っていても、自分は『探偵』であり『怪盗』であるコイツとはどこまで行っても宿敵以上のものにはなりようもない。
 だから『探偵』である自分が、例え目的のためとはいえ犯罪を犯しているには変わりない『怪盗』を赦してやることは出来ない。

 真実を暴くだけのこの手では『罪』に目を瞑って、優しく癒してやる事など到底出来はしない。
 きっと傷付けるだけ。
 それが今は少しだけ寂しいと思っても、それがコナンが、新一自身が選び取った道だ。


「だからさ、もう…俺んとこくんの止めろ」
「名探偵…」


 酷く傷付いた声が聞こえた気がした。
 ちくりと心が痛んで、顔を上げれば、ポーカーフェイスを張り付けた怪盗の瞳は案の定、痛みを抱えていた。

 ああ、もう…。そんな瞳、するなと言ってやりたい。
 そんな風に辛そうに、痛そうな瞳を向けないで欲しい。
 折角、身を切る思いで言った言葉すら撤回したいと思ってしまうじゃないか。

 わしゃわしゃと髪を混ぜて、コナンは一つ溜息を吐いた。


「…ったく。俺も結局甘いよな……」
「えっ…?」
「俺は、お前の『罪』を赦してはやれない。でも……」


 お前が俺の傍に居たいと言うのなら。
 傷の舐め合いだと分っていても、少しでも癒されたいと願うなら。

 『罪』を『赦す』ことは無理でも、せめて一時の『安らぎ』ぐらいにはなりたいと思う。


「別に来たきゃくればいいけど、その格好で来んな」
「それって…」
「別に素顔で来いなんて言ってないから勘違いすんなよ? でも、その格好で来るのは止めろ」


 その格好で。
 まるで赦されたいみたいに来られるのはきっと無理だ。
 どう足掻いたって、探偵であるコナンには怪盗を赦してやる事など出来ない。
 だから、これがコナンに出来る最大限の譲歩。


「………」


 押し黙って考え込んでしまった怪盗の横顔をじっと見つめる。
 その瞳に先程までの痛みを見付ける事が出来ずに、コナンはほっと胸を撫で降ろす。

 が、そうやって真面目な顔をしていたのも束の間。
 キッドはコナンに向かってニヤッと笑った。


「じゃあ、名探偵の格好で…」
「止めろ」
「それなら女そ…」
「…殺すぞ?」
「すみません。普通に変装してきます…;」
「ん…」


 結局そうやって、また茶化す怪盗の真意なんてコナンには分らない。
 自分には同じ境遇と言える哀や、コナンの正体を知っている何人かの人間が居る。
 彼にも協力者が二人程居ると何かの事件で聞いた事があるが、きっとそれでも気を許せる事は少ないのだろう。
 だからこうやって、何か救いを求める様に近くに来たがる怪盗をコナンも邪険には扱えなかった。

 ハートフルでお人良し。
 なんて怪盗に向かない奴なんだろうと思う。
 だからこそ、時々その白い翼が重くなるのだろう。
 けれど、いつだって独り孤高に背筋を伸ばし月にビッグジュエルを翳す彼の姿は、悪くないと思う。

 『探偵』である自分の近くが少しでも『怪盗』の癒しになるならそれでいいと思う。







 ――――本当は、赦してやれたら良かったんだろうけれど……。


















END.






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